184.森
今日の魔術実践は近くの森。
広大な学園の敷地内にわざわざ森を作ったそうだ。
「懐かしいです」
狭い場所でも剣を使って戦う練習をした事があるとジェフリーが教えてくれる。
「魔術コースも森を使うとは知りませんでした」
ジェフリーは魔力がほとんどないため魔術実践は受けていない。
魔術実践はレオンハルトがいるので、ジェフリーは休憩時間だ。
「今日は森なのでお側で控えております。何かあれば大声で呼んでください」
「うん。ありがと」
ジェフリーに優しく微笑まれ、リリアーナも微笑み返した。
雑談をしながら建物から森へ向かって歩いていく。
200m程先に見える木々が森なのだろう。
そちらの方に歩いていく数人の後ろ姿が見えた。
「……お待ちください」
半分くらい歩いた所で、突然ジェフリーがリリアーナの身体の前に腕を出し、歩くのを止めた。
耳を澄まし警戒している。
さすが獣人。
リリアーナには全く何も聞こえない。
「……こちらから行きましょう」
歩いていこうとした方向ではない方へ不自然に誘導される。
「どうしたの?」
リリアーナが首を傾げた。
言いにくそうなジェフリーの袖を引っ張り、何があるの? と聞くがなかなか理由を言おうとしない。
「ジェフリー、教えて」
リリアーナがじっとジェフリーを見つめると、観念したジェフリーは溜息をついた。
「……何かがいます」
危ないのであちらへ行きましょうとジェフリーはリリアーナの手を引いた。
おそらく魔物。
こんな学園内の人工の森にいるはずがない。
だが嫌な気配がする。
ジェフリーは建物の方へ引き返すように早歩きでリリアーナを引っ張った。
ジェフリーの早歩きはついて行くのがやっとだ。
リリアーナにとっては小走りにも近い。
足の長さの差が悲しい。
森からザワザワと声が聞こえ始め、リリアーナは振り返った。
「えっ?」
服が破れ、怪我もしてそうな人達が逃げてくる。
リリアーナに気づかれてしまったとジェフリーは眉間にシワを寄せた。
「あの人、レオのお友達?」
走ってくる人達の中に数人見慣れた顔があった。
おそらく魔術実践に参加するためにリリアーナが行こうとした方角にいたのだろう。
「あぁ! 無事だったか! 逃げろ! 森に入るな!」
レオンハルトの友人も怪我をしている。
腕に爪の引っ掻き傷のような物が3本。
服も破れ、血も出ている。
「レオは?」
「まだ森に。みんなを助けている」
あいつ皇子だから真っ先に逃げろって言ったのに聞かねぇと友人は頭をボリボリかいた。
「俺は先生を呼びに行く所だ。早く逃げろよ!」
友人はそのまま建物の方へ。
「建物の方へ逃げましょう」
ジェフリーはリリアーナの手をギュッと握った。
手を引いて歩こうとするがリリアーナが動かない。
「お嬢様?」
リリアーナは森を見ている。
「ダメです! 森にいるのは魔物です!」
ジェフリーが絶対森へ行ってはダメだと言う。
「ジェフリー、魔物って何?」
エスト国には魔物はいなかった。
魔物から魔石が取れるのだと冷蔵庫の時にノアールが教えてくれた。
大型生物と何が違うのか。
ジークハルトは引き出しにたくさん魔石を持っている。
倒せないという事ではないのだろう。
「もともとは生き物ですが何らかの理由で魔力を溜め込み魔物化します。詳しくはわかりません。ただ元の生き物よりも凶暴で、魔力も多く強い」
ドラゴンが魔物化するとAランク冒険者10人でやっと倒せるレベルだと言う。
「今、森にいる魔物は?」
「あの爪痕はおそらくビッグベア。Aランク冒険者3~5人が妥当かと」
わかりやすい説明にリリアーナは納得する。
ジェフリーはAランク、レオはわからないけれどレオと自分で1人分、ノアールなら1人と数えてもきっと大丈夫。
もうすぐ魔術実践の授業の時間なのでノアールが来るはずだ。
「ジェフリー、森へ」
リリアーナがジェフリーの手をギュッと握り返す。
お願い! と見上げるがジェフリーはダメだと言った。
森から逃げてくる生徒達。
リリアーナはジェフリーを見上げた。
「……せめて怪我人の手当てだけでも」
リリアーナはだいぶ前に買った傷薬をカバンから取り出した。
効果はわからないが治癒を施してある。
「ダメです」
ジェフリーは首を横に振った。
「……ビッグベアにしては動きが速すぎる!」
嫌な気配が近づいている事に気がつきジェフリーは森を見つめた。
リリアーナも森の方角を見ると何か黒いモヤが動いているのが見えた。
「……あれが魔物?」
普段ジークハルトは冒険者ハルになってあんな物と戦っているの?
リリアーナの目が見開いた。
凶暴な大きいクマだ。
黒いモヤに包まれ苦しそうにもがいている。
森の入り口からリリアーナまでの距離は100m程。
逃げている人が8人。
レオンハルトの姿はない。
「レオがいない!」
怪我して動けない?
別の方向に逃げた?
「……いえ、レオンハルト殿下は魔物の後ろに。森から出さないようにしているのではないでしょうか?」
魔物の後ろに5人くらいの声が聞こえるとジェフリーが言う。
100m先に魔力が届くだろうか?
そんな遠くまでやった事がない。
でもやるしかない。
リリアーナは両手を前に出した。
イメージは箱型結界の色つきだ。
フォード別邸の壁紙の色と同じ水色をつける。
以前、魔術実践でノアールと作った物。
まずは魔物を閉じ込める!
「お嬢様?」
リリアーナの手の上の四角い物体にジェフリーが首を傾げた。
「ジェフリー、あの魔物のサイズはわかる?」
「木の高さから推測すると3mはないと思います」
3mの結界。
トリよりもはるかに大きい。
「リリー! 無事で良かった!」
ノアールは建物からリリアーナに駆け寄った。
ノアールの後ろにはスライゴもいる。
ノアールはリリアーナの手の上の結界を見ると困った顔をした。
はぁと溜息をつくと後ろから優しく手を握り、リリアーナの耳元で囁いた。
「近くに飛ばしてから結界を大きくしましょう。手に集中したまま、あと30m近づきます」
ゆっくり敵に気づかれないようにとアドバイスされる。
100mは届かないという事なのだろう。
リリアーナは少し振り向きノアールの顔を確認すると、ごめんなさいと言いたそうな顔で微笑んだ。
「ジェフリー、魔物とレオ達の間は近い? 離れてって伝えたい。あと傷薬も届けてほしい」
「5m離れる事は可能でしょうか?」
リリアーナの説明不足をノアールが補う。
ジェフリーは頷くとビッグベアの方へと走った。
豹族なので足はリリアーナの何倍も速い。
あっという間に近くへ行き、レオンハルト達へ伝えてくれた。
ジェフリーは学園のローブを脱ぎ、振り回している。
きっとOKの合図だ。
「リリー、敵の上に結界を。木があっても大丈夫。構わず被せましょう」
木が邪魔だと思っていた事にも気づいてくれる。
指先もずっと確認してくれている。
危ない状況だというのにリリアーナは別邸の頃に戻ったようで少し嬉しかった。