177.克服
「今日は、恐怖心を抑える魔術を教える」
以前、師匠がやった魔術だと魔術師団長ヴィンセントはリリアーナに説明した。
魔石の読み取りはうまくできていない。
数回試したが、やっぱりうまくいかないので今日は気分転換に演習室で実習だ。
「ヴィン先生、恐怖心を無くしたら無茶しませんか?」
「怖いと思う事は悪くない。だが動けないのは1番危険だ」
黒竜メラスで空を飛んだ時、怖くて息が出来なくなってパニックだった。
フォード侯爵の時も。
怖くて何もできなかったし動けなかった。
確かに動けないのが一番困るかもしれない。
「ではやってみよう」
ヴィンセントはリリアーナの背中に手を添えた。
ポカポカと暖かい空気が身体を包み込むような感じだ。
「わかったか?」
「えっと、暖かい感じはわかりました」
やり方は全くわからないけれど。
「よし」
ヴィンセントが指を鳴らすと演習場だったはずの景色は一気に崖の上になる。
真っ白な空に取り残されたような雰囲気にリリアーナの喉がゴクリと鳴った。
「……っ!」
怖い。
身体が震え、立っているものやっとだ。
恐怖で息ができなくなる。
「リリアーナ、落ち着け。ただの幻影だ」
怖い。
落ちる。
後退りしたいのに足も動かない。
浅くなる呼吸。
震える身体。
「……ダメか」
何もできないリリアーナを見たヴィンセントは何度かリリアーナの名前を呼んだが恐怖で聞こえないようだった。
……リィン……。
リリアーナはハッとして顔を上げた。
だが、身体の底からの震えは自分で制御できない。
「目を閉じて、深呼吸」
リリアーナはヴィンセントに言われるまま目を閉じた。
大きく息を吐く。
「一番落ち着く時はどんな時だ?」
一番落ち着く時……?
朝起きた時のジークハルトの腕の中。
暖かくて良い匂いで……。
「暖かさで全身を包み込め」
「は、はい」
黒竜メラスの時もジークハルトは落ち着かせてくれた。
息ができない状態から、判断できる状態まで引き上げてくれた。
あの時の感じだろうか?
リリアーナの身体がポカポカと暖かくなる。
ジークハルトは側にいないのに、まるで隣にいるかのように。
大丈夫だと、側にいると。
リリアーナはゆっくりと目を開けた。
崖は怖いが身体は震えていない。
「そこからウォーターボールを撃ってみろ」
リリアーナは手の上に水の球を出し、崖から撃った。
的はないが、水は真っ直ぐ飛んで消える。
リリアーナはファイアーボールも撃ってみた。
怖いけれど動ける。
考える事もできるし身体もちゃんと動いてくれた。
崖は怖いが、何とかなる。
リリアーナは大きく息を吐いた。
再びヴィンセントが指を鳴らすと幻影は消え、元の演習場に戻る。
普通の土の演習場だ。
ホッとしたリリアーナはその場にへたり込んだ。
「ヴィン先生、スパルタすぎる!」
急に崖は無茶苦茶怖かったと言うと、ヴィンセントはリリアーナの頭を撫でた。
「スパルタとは?」
「厳しい? 過酷?」
伝わりますか? と聞くとヴィンセントは厳しい? と首を傾げた。
ノア先生は優しかった。
急に思い出し、泣きそうになる。
リリアーナは首を横に振った。
「明日ドラゴンに乗る時に試してみればいい」
ヴィンセントの言葉にリリアーナは目を見開いた。
吐出も習っている時は何に使うのかわからなかったが、習っていたおかげで死なずにすんだ。
今回も急に崖って! と思ったが、黒竜メラスに乗れるようにするためだったのか。
きっと乗る練習の時も守っていてくれたのだろう。
恐怖心がなければ乗れると思って考えてくれたのだ。
「あ……ありがとうございます」
リリアーナはヴィンセントを見上げた。
「今日はこれで終わりだ。師匠に厳しくない方法を聞いておく」
ヴィンセントの中性的で綺麗な顔が少し困ったような表情になった。
スパルタだなんてごめんなさいと言おうとした瞬間、リリアーナは寝室のベッドに飛ばされてしまった。
「あ、」
ぼふんと跳ねたついでにリリアーナは後ろに倒れ込む。
ふかふかのお布団に背中が埋まり、天井が見えた。
黒竜ジークの40cmぬいぐるみがコツンと頭に当たる。
リリアーナは起き上がると、この部屋にはいないヴィンセントにありがとうございましたとお礼を言った。
◇
「ミニメラス。こっちはミニジーク」
リリアーナは黒竜メラスと黒竜ジークの根付ストラップを2つ手に持ち、なぜかメラスに見せていた。
今回のはガチャガチャで出てきそうな3cm程度のフィギュア。
刺繍糸を三つ編みにしたものを通して根付ストラップのような見た目にしたのだ。
ちっちゃいがかなり良い出来だ。
厩舎にいる騎士団が不思議そうにリリアーナを眺める。
「うさぎちゃん、今日も絶好調だね」
狼族の護衛は大爆笑だ。
黒竜メラスが困ってるよと狼族の護衛が言うと、ペアの竜族の護衛が頭を軽く小突いた。
ジークハルトが手綱をつけている間の待ち時間。
ミニメラスの根付ストラップと本物の黒竜メラスを見比べたリリアーナは出来栄えに大満足だった。
かっこいい。
本物そっくりでよくできている。
翼のバランスも良いし、黒竜メラスの金の眼の色もそっくりだ。
12cmのぬいぐるみでは可愛すぎるが、このミニサイズならジークハルトの剣帯につけても変ではないと勝手に思っている。
剣帯にキーホルダーをつけている人などいないけれども。
横を見ると、第1騎士団長さんの赤竜が翼を大きく広げていた。
日光浴だろうか?
翼に風を通している?
あの子もカッコいい!
レオンハルトの白竜アスプロではない別の白竜が片方の翼だけ広げている。
青竜はお昼寝中だ。
リリアーナは手の上に現れた赤竜・白竜・青竜のフィギュアを見ると出来栄えに満足した。
創造魔術はなぜか涙が出るので、慌ててゴシゴシ目を拭う。
「ジーク、見て見て~」
リリアーナは作業中のジークハルトにフィギュアを見せた。
3つのドラゴンフィギュアが手の上でコツンとぶつかる。
ジークハルトの横にいた第1騎士団長は驚いた。
リリアーナの手の上の人形は、今そこにいる赤竜ロズと同じポーズだ。
まるでそのまま小さくなってしまったかのような見た目。
「すごい」
思わず第1騎士団長が呟いた。
「……あげればいい」
ジークハルトがそっけなく言うと、リリアーナは嬉しそうに第1騎士団長へ差し出した。
「いつも護衛ありがとうございます」
リリアーナが頭を下げると第1騎士団長は焦ってしまった。
「ひ、姫! そのような事!」
オロオロする第1騎士団長。
「お前が受け取らないと執務室がドラゴンで溢れる」
手綱を着け終わったジークハルトはフィギュアを見ながら溜息をついた。
ベッドの上には40cmのぬいぐるみ。
学園のカバンには12cmのキーホルダー。
そして3cmの根付ストラップ。
それだけではない。
ガラスペンと同じ素材だと思うが、キラキラ光るドラゴンのペーパーウェイト。
ドラゴンのブックスタンド。
毎週のように何かが増えていく。
「ではそれぞれのパートナーに贈らせて頂きます」
第1騎士団長が受け取ると、リリアーナは嬉しそうに微笑んだ。