169.キャロル
「いらっしゃいませ。宿泊ですか? お食事……」
可愛い声で挨拶した少女は施設に入ってきた3人の客を見て固まった。
「……キャロルちゃん?」
リリアーナも驚いて目を見開く。
今日は赤ずきんの格好をしていないが、きっと本人だと思う。
猫耳に尻尾、大きな目。
リリアーナに毒の飴を渡したキャロライン・ドロス男爵令嬢だ。
「ご、ごめんなさい!」
キャロラインは大きな声で謝るとあわてて逃げて行く。
混雑していた宿泊施設の間をすり抜けてキャロラインはどこかへ行ってしまった。
「あ……」
逃げられちゃった。
俯いて、スカートをぎゅっと握る。
肩に置かれていたジークハルトの手はリリアーナの頭に移動し、顔をグイっと引き寄せた。
頭をぐしゃぐしゃされ、泣くなと言っているようだ。
「会うのを禁止されている」
キャロラインが逃げた理由をジークハルトが伝えると、リリアーナは小さな声で、そっか……と答えた。
ジークハルトがアレが実行犯だと伝えると、ジェフリーは驚いた顔をした。
妹シンディのせいで犯罪者になってしまった少女は、隣の領地のドロス男爵令嬢。
年齢がはなれているため接点はなかったが、妹のせいで人生を狂わせてしまった。
「すみません、おまたせし……」
次に出てきたオーナーの男性もSランク冒険者ハルの姿のジークハルトとジェフリーを見て固まる。
慌てて頭を下げ、奥の部屋へどうぞと3人を案内した。
「ジェフリー、彼女が……」
この施設のオーナーであるデヴォン伯爵が息子のジェフリーに小声で尋ねると、ジェフリーは頷く。
ソファーにジークハルトとリリアーナが座り、ジェフリーは騎士のように扉の前へ立った。
「本当に申し訳ありませんでした」
デヴォン伯爵はソファーには座らず床に膝をつくと、リリアーナに土下座した。
「えっ? あの?」
意味が分からずリリアーナがジークハルトを見上げると、彼がデヴォン伯爵だと教えてくれる。
毒を飲ませた犯人シンディ・デヴォンの、そしてジェフリーの父だ。
ソファーに座れとジークハルトが言うと、デヴォン伯爵は恐縮しながらソファーへと移動した。
「盛況のようだ」
6月に解禁したばかりだというのに冒険者の数が多い。
予想よりも賑わっていそうだとジークハルトが言うと、デヴォン伯爵は頷いた。
「あの、宿泊施設の利益の話は本当によろしいのでしょうか?」
デヴォン伯爵は以前ジェフリーから渡された書類の内容が信じられなかった。
宿泊施設の売上の3割を被害者であるスズに支払うとデヴォン伯爵は申し出ていたが、それを断る書面だったのだ。
伯爵といってもお詫びとして差し出せるものはなく、分割払いのような感じで支払っていこうと思っていたのに。
「あぁ、金には困っていない」
スズも俺が養うから気にするなとチャラい大学生のような見た目のジークハルトが言う。
Sランクだしね、皇太子だしね。とリリアーナは納得してしまった。
「だから、この施設と街のために使え。道の整備や防犯に金がかかるだろう」
ジークハルトの言葉にデヴォン伯爵だけでなくなぜかジェフリーまで頭を下げていた。
「ジェフリー、さっきの受付のちっちゃいやつを探してスズに会わせて来い」
話したいだろう? とジークハルトがリリアーナの顔を覗き込むと、リリアーナは小さく頷いた。
「キャロラインは受付にいると思いますが……」
ソファーからリリアーナを立ち上がらせ、頭を撫でると、行ってこいとジークハルトは送り出す。
うれしそうな顔で部屋をでるリリアーナ。
パタンと扉が閉まると、ジークハルトは長い足を組み、髪をかき上げた。
「娘と連絡は?」
「一切取っておりません」
デヴォン伯爵は両手を身体の前で振り、本当に一切知りませんとアピールする。
「事件を起こす前、何か変な事を聞いたことはないか?」
例えば変な夢を見るとか、モノクルの男とか。とジークハルトは尋ねたが、特に心当たりはないとデヴォン伯爵は言った。
「妻が聞いているかもしれないので、確認しておきます」
シンディは冒険者だったので帝都にいる事が多く、あまり屋敷にはいなかったとデヴォン伯爵は言った。
冒険者ギルドを困らせた迷宮の件も、珍しく頼んできたので叶えてやりたいと思ったと申し訳なさそうに言う。
「ジェフリーを跡継ぎに戻す気はないか?」
廃嫡されており、現在ジェフリーには伯爵位の継承権がない。
シンディもいなくなったため、婿養子も取れない。
このままでは親戚に爵位を譲ることになる。
「戻す手段がありません。廃嫡を取り消せるなんて聞いたことがないので」
「戻す気があるのならばこれを使え」
ジークハルトは胸のポケットから封筒を出し、手渡した。
「ど、どうして、殿下のサイン? なぜ?」
封筒の中身は皇太子のサイン付きの廃嫡取り消し願い。
Sランク冒険者がどうやって皇太子殿下のサインをもらうのか。
しかも、自分のためではなくジェフリーのために。
「なぜこんなに親切に……」
涙を我慢しながらデヴォン伯爵が書類を見つめる。
「有能な奴が好きなだけだ」
ジークハルトは長い足を組みなおしながらニヤリと笑った。
奥の部屋を出て受付まで戻ると、冒険者たちを案内しているキャロラインの姿が見えた。
リリアーナがスカートをぎゅっと握ると、ジェフリーがそっと背中を押してくれる。
リリアーナはゆっくりと受付へ近づいた。
「あっ!」
また逃げようとするキャロライン。
「ま、待って! キャロルちゃん!」
あわててリリアーナが名前を呼ぶと、キャロラインは泣きそうな顔で振り向いた。
「どうして名前を呼んでくれるの? あんなひどいことをしたのに」
キャロラインの大きな目から涙がボロボロと流れる。
受付では目立ってしまうので、ジェフリーの提案で共有スペースのような少し広い所へ移動した。
「ごめんね、ごめんね。知らなかったの。本当に知らなかったの」
泣きながら何度も謝るキャロライン。
もう目も鼻も真っ赤だ。
「無事で、よかっ、た。ごめっ、ね」
泣きすぎて何を言っているのか聞き取れない。
リリアーナは同じくらいの身長のキャロラインを抱きしめた。
「心配かけてごめんね。もう大丈夫。あのね、ここにいるジェフリーが薬を作ってくれて治してくれたの」
知ってる? シンディのお兄ちゃんだよ? というと、キャロラインが驚いた顔でジェフリーを見た。
「……騎士のお兄ちゃん……?」
昔、まだジェフリーが学園に通っていた頃、庭で剣の演習をしている姿を木の陰からこっそり見ていたとキャロラインが暴露した。
長期休暇のときだけいる憧れのお兄ちゃんだったと。
「……もしかして赤いフードを被っていた……」
ジェフリーも心当たりがあるのだろう。
赤いフードというキーワードにキャロラインが頷いた。
シンディは屋敷からほとんど出る事はなかったのでキャロラインと面識はなかったが、ジェフリーはよく庭にいたのでお互い素性は知らないが会ったことがあったのだ。
隣の領地だもんね。
といっても、リリアーナは7歳まで別邸の外に何があるのかも知らなかったのだが。
意外にくっついちゃったりして。
リリアーナはジェフリーとキャロラインを見てなんとなくそう思った。
「あのね、キャロルちゃん。友達になってくれる?」
リリアーナが前回言えなかった言葉をようやくキャロラインに伝えると、うんうんとキャロラインが頷く。
冒険者ギルドの依頼ボードの前のように2人でふふっと笑い合った。
受付から別のスタッフがキャロラインを呼ぶ声がする。
「あ、行かなきゃ!」
キャロラインが大きく手を振って受付に走っていく。
尻尾についたリボンの鈴がチリンチリンと鳴った。
「良かったですね」
ジェフリーが微笑むと、リリアーナも嬉しそうに微笑んだ。