161.迷宮
3月最後の火曜日。
今日は迷宮へ行く約束をした日。
クリスが3人分の昼飯と飲み物を準備してくれたので、まるでピクニックのようだ。
「本当にハルなのですね」
ジェフリーはSランク冒険者ハルの姿になったジークハルトを見て驚いた。
「敬語はなし、早くAランクになれ、俺の弟子という設定だ」
ジークハルトが言うとジェフリーは頷いた。
冒険者姿のジェフリーは白衣と違って身体のラインが出る服。
スマートなのに筋肉もある。
竜族と豹族では体つきも違うみたいだ。
しなやかで、強い竜族とも鍛えた人族とも違う。
目が合うとジェフリーは冒険者スズの姿のリリアーナに微笑んだ。
「俺以外の男を見るな」
ジークハルトに視界を塞がれ、真っ暗になる。
「ヴィンセント!」
ジークハルトが魔術師団長ヴィンセントの名前を呼ぶと、3人は迷宮の扉前に転移した。
初めての転移にジェフリーが目を見開く。
一瞬で木々に囲まれた森の中だ。
「……すごい! 凄すぎる!」
物語では読んだ事があるが、実際に転移魔術が存在するなんてと、ジェフリーは感動中だ。
わかる! その気持ちわかる!
リリアーナも初めてはすごく驚いたのだ。
「……行くぞ」
ジークハルトがリリアーナの肩を抱き、扉に触れる。
扉に付いているプレートにジークハルトはドッグタグをかざした。
リリアーナもジェフリーもかざすと扉はゆっくりと内側に開いた。
おぉぉぉ! ICカードみたい!
暗い洞窟内に灯りが順番に点る。
不思議な光景にリリアーナはキョロキョロした。
食事と飲み物の荷物はジェフリーが持つ。
斜めがけの荷物があっても戦える? と心配したが、ジェフリーは全然余裕だった。
「ほら、ホーンラビットが3匹!」
ジークハルトに奥を指差されるがリリアーナには見えない。
竜族の方が視力もいいのか。
「あ! いた!」
リリアーナは風の矢でホーンラビットを撃ち抜いた。
「こっちに2匹!」
最初の階はFランクのリリアーナでも余裕のおとなしい敵だった。
相手からは攻撃をして来ない初心者向きだ。
休憩しながら6階まで行くと、弱いが少し攻撃しにくい敵になった。
「6階でこの程度の敵……初心者向けの迷宮か、階層が深いのか」
ジェフリーが飲み物をリリアーナに差し出しながらつぶやいた。
「面倒だ、突っ切ってどんどん階層を降りる」
ジェフリーに通れる程度の最低限倒せと命令する。
初心者が倒せる敵はジークハルトには退屈らしい。
ジークハルトはリリアーナをヒョイと抱き上げた。
「なんだ? 洞窟の中に湖?」
10階層に降りると目の前には湖が広がっていた。
上は青空だ。
青い空に白い雲。
洞窟の中だというのに、まるで外のようだ。
「上も青いがなんだ?」
上も水か? とジークハルトに言われたリリアーナはハッとした。
この世界の空は白い。
青空に白い雲なんてあるはずがないのだ。
『洞窟だけど、湖とか、空とか、星空もいいなぁ。』
真っ白な少女と夢で作った迷宮。
「どうした?」
ジークハルトがリリアーナの顔を覗き込んだ。
もしこの迷宮があの夢の迷宮だったとしたら……。
「……この湖の主は赤い大きな魚……?」
イメージは巨大な金魚だ。
リリアーナがつぶやいた瞬間、湖の真ん中で赤い魚が跳ねた。
「……なぜわかった?」
「あれ倒すと良いものがもらえるけど、倒さなくても左の通路から先へ進めるの」
リリアーナは左の通路を指差した。
ジークハルトは言われた通りに左の道へ。
湖を通り抜けると、下の階層への階段が現れた。
「あ、待って」
階段を降りようとするジークハルトを止め、ジェフリーに階段の反対側、壁の真ん中を押すように頼む。
「……この辺り?」
「もうちょっと左」
ジェフリーが何もない壁を押すと、隠し扉が現れた。
「……どこへ通じる?」
「……15階層目……だと思う」
15階層目は夜空が広がる草原。
夜空に星と三日月。
あぁ、私が作った迷宮だ。
この世界には星も月もない。
リリアーナは夢で作った迷宮だと確信した。
「昼飯にするか」
15階層に入ってすぐの草むらに座り、昼ご飯を食べる事にした。
リリアーナの定位置はやっぱりジークハルトの膝の上だ。
きっとクリスに聞いていたのだろう。
いつものように求愛給餌される姿を見てもジェフリーは何も言わなかった。
たまごサンドを口に入れてもらったが、むせてしまった。
喉は治ったが、まだ時々飲み込むのが下手だと思う。
ジェフリーに紅茶が入った水筒を渡され、流し込む。
「……まだむせてしまうのですね」
急に医師の顔になるジェフリーにリリアーナは大丈夫だと答えた。
チキンサンドは喉を通りそうにないので2人で食べてもらう事に。
「ここは何階層まである?」
初めてきた迷宮のはずなのに知りすぎているリリアーナにジークハルトは尋ねた。
「5階ずつG、F、E、そこから10階ずつD、C、B。最後の5階はAランクで、全部で50階層」
「50!」
ジェフリーの驚いた声でリリアーナは50階層は多すぎるのだと知った。
リリアーナはランクの区切りには中ボスがいて、倒すと良いものがもらえる事、さっきのような近道で中ボスのみ通っていける事も話した。
ここは自分が夢で作った迷宮だという事も。
「あ、Aランクだけはね、近道はないの。だから最後の5階層は全部通らないといけなくて。でも誰も死なないように大怪我をすると入り口に戻されて」
階段を降りてすぐの扉から入り口に戻れるし、次は続きからできると説明すると、ジークハルトもジェフリーも呆気に取られた。
「……これは人気が出そうだ」
ジークハルトが言うと、ジェフリーも頷いた。
「あ、最後まで行くとね、あなたは何番目です。って証明書が出るの」
夢だと思って、好き勝手に考えちゃって。とリリアーナが気まずそうに言う。
ジークハルトは膝の上のリリアーナを抱きしめ、肩に顔を埋めた。
「面白い事ばかりする。持ち主なのだから1番にならないとな」
ジークハルトはリリアーナに優しく微笑んだ。
そこからは10階層ずつ近道で進み、45階層Bランクの中ボスの部屋まであっという間だった。
ジェフリーの剣はかなり細い剣。
兄エドワードの剣よりも細くて長い。
しなやかな身体によく似合うと思った。
「……すごい」
リリアーナが思わず感嘆の声を出す。
ジェフリーはBランクだと聞いていたのに、Bランクのボスを余裕で倒してしまった。
階段の前には宝箱が出現。
こんな演出も他の迷宮にはないらしい。
ジークハルトは面白いと笑った。
ジェフリーがゆっくり宝箱を開ける。
「何だ?」
ジークハルトは横から覗き込み、首を傾げた。
「……先生」
ジェフリーの先生、診療所の持ち主の薬草瓶だ。
確かこの薬草はもう取れなくなって、瓶はカラだったはず。
でもこの瓶には中身がぎっしり入っている。
瓶のラベルは先生の字だ。
「先生の薬草です」
ジェフリーは泣きそうな顔で微笑んだ。
いい人には良いものを。
リリアーナもジェフリーに微笑み返す。
喜んでくれたようで良かったとリリアーナはジークハルトを見上げた。
「ここからはAランクか? 近道はないんだよな?」
ジークハルトはリリアーナを下ろすと前髪をかき上げた。
「シールドで自分だけ守れ」
ジークハルトはリリアーナの頭を優しく撫でる。
軽くなった荷物をジェフリーから預かり、リリアーナが斜めがけした。
紐が長すぎてお尻よりだいぶ下にきてしまったが。
「危なくなったら助けてやる。出来るだけ粘れ」
ジェフリーのランクアップのために出来るだけ手は出さないらしい。
ジークハルトの言葉にジェフリーは頷いた。
Aランクってサラマンダーとかだよね。
よくよく考えたらサラマンダーがいっぱい出るのが5階層も続くってクリアさせる気がない!?
自分で考えておきながら酷い設定だったかもしれない。
階段を降り、46階層目に降り立つ。
廊下の壁は氷のようだった。
廊下は水浸し。
イメージは南極の海だ。
「氷系のAランク?」
ジェフリーが首を傾げる。
「足元にアイスアルジーがある。滑るから気をつけろ」
ジークハルトが足元の藻を指差した。
水草のような茶色い藻が壁側にあるが、リリアーナは壁側に近づくなと教えられた。
アザラシ、シャチような生き物を倒し、先へ進む。
47階層目はアフリカをイメージした草原、48階層目は木々の生い茂るジャングルだった。
「……お前の頭の中は一体どうなっている?」
ジークハルトが少し汗ばんだ髪をかき上げた。
「こんな迷宮は初めてだ」
ジェフリーも汗を服の袖で拭う。
ジークハルトはリリアーナから飲み物を受け取るとグビグビと一気に飲んだ。
喉仏がゴクリと上下する様子が妙に色っぽい。
飲み終わると大きく息を吐きながらジークハルトは水筒を返す。
ジークハルトはリリアーナに「面白すぎるぞ」とつぶやいた。