156.夢
真っ白な空間。
目の前に広がる白いセカイは、真っ白すぎて広さもわからない。
……リィン……。
小さい鈴の音が頭に響いた。
あぁ、ここは来た事がある。
莉奈が飛行機から落ちて、ここに来て、リリアーナになった。
また死んだのかな。
リリアーナは溜息をついた。
1歩足をだすと、急に目の前に大きな木が現れた。
真っ白な空間に木が1本だけ。
木にもたれかかるように白い髪の少女が眠っていた。
足の半分くらいが木の幹に埋まっていて、まるで木がベッドのようだ。
「……この子……」
長い真っ白な髪は少女の身長と変わらないほど長く、巫女のような白衣・白い袴。
透き通るような白い肌。
白いセカイで川や草原をボールから出した少女だ。
リリアーナは白い少女に近づいた。
起こそうと肩に手を伸ばしたが、少女に触れる事はできなかった。
見えているのにそこにはない。
なぜか触れられない事を納得してしまった。
……リィン……。
再び鈴の音がすると、目の前の木は消え置物が現れた。
木の台座の上には横に黒い布がついた白い四角い箱が乗っている。
リリアーナは箱を上から覗き込んだ。
「ジオラマだ」
世界地図は宰相の部屋で見た事がある。
箱の底は世界地図を立体にしたような模型だった。
海は絵の具のような青。
山も川もある。
ノース大陸の上の方は緑が少ない。
ドラゴンが草を食べ尽くしてしまったのだろうか。
誰かここに住んでいるのかな?
リリアーナは周りを見渡したが、真っ白なセカイにはこの置物しかなかった。
しゃがんで箱の下を覗き込むと木の台座は手のひらを上に広げたような形だった。
箱との間は少し隙間があいているがしっかりと支えている。
不思議な置物。
リリアーナは首を傾げた。
……リィン……。
再び鈴の音が頭に響く。
いつの間にか隣に白い少女が立っていた。
さっき木で寝ていた少女だ。
ストレートの真っ白な髪、黒い眼の少女。
白く綺麗な肌に白衣と白い袴。
身長はリリアーナと同じくらいだ。
少女は置物を指差し、何かを言った。
『 』
声は聞こえない。
リリアーナが首を横に振る。
『 せ か い 』
少女は世界のジオラマを指差し、そう言った。
少女は箱の横の黒い布を引っ張り、白い箱の上に黒い布をかける。
『 よ る 』
夜!
「ノア先生、空はどうやって暗くなるの?」
「女神が暗いカーテンを少しずつ下ろして夜にすると言われているけれど、どういう仕組みかは解明されていないね」
いつだっただろうか。
始めて湖に行った日だっただろうか。
ノアールに聞いた事があった気がする。
ノア先生、カーテンじゃありません!
箱に黒い布をかけただけです!
リリアーナは黒い布がかけられた箱を見て苦笑した。
『 よ ん で る 』
読んでる? 呼んでる?
白い少女は目を細めた。
『 ま た ね 』
次の瞬間、リリアーナは何か強いものに押しだされた。
「……っ!」
後ろ向きのジェットコースターのような浮遊感にリリアーナは思わず目を閉じた。
◇
「……リナ」
ジークハルトは熱が下がらないリリアーナの隣に寝転んだ。
汗を拭き、頭を撫で、抱きしめる。
「早く目を開けてくれ」
懇願するようにつぶやいたジークハルトはあっという間に眠りに落ちた。
目を開けると今度は真っ暗だった。
暗すぎて何も見えない。
ひんやりと冷たい空間。
あぁ、またあの嫌な夢か。
足元を確認するとやはり植物の蔓が絡まっていた。
さっきは白いセカイ。
ここは真っ暗なセカイ。
どちらも夢なのだろうか?
リリアーナがその場に座り込むと、真横で花が一輪光った。
「……ドラゴンフラワー?」
ちょっと尖った5枚の花びらだ。
リリアーナは右手の薬指の指輪を確認する。
指輪の模様と隣の花は花びらの形がそっくりだった。
もう一輪、隣で光る。
さらにもう一輪。
三本のドラゴンフラワーがリリアーナの隣で光り輝いた。
『……リナ』
名前が呼ばれ、リリアーナは顔を上げた。
真っ黒な空間に綺麗な金色の眼。
ジークハルトだ。
金の眼が近づくと、ドラゴンフラワーの灯りでようやく姿が確認できた。
漆黒の大きな翼のドラゴン。
黒竜メラスよりも大きくてたくましい。
「……ジーク……」
『早く目を開けてくれ』
低いけれど優しい声で懇願される。
「目を、開ける?」
『あの飴は毒だった。守ってやれず、すまなかった』
黒竜のジークハルトは顔をリリアーナに擦り寄せた。
「……毒?」
あの子と友達になれるかもと思ったのに。
赤ずきんちゃんみたいな可愛い子だった。
同じくらいの年、同じくらいの背だと思ったのに。
毒だったんだ……。
リリアーナは泣きそうになった。
『犯人は豹族の女性冒険者だ』
「えっ? あの子じゃなくて?」
リリアーナが顔を上げると、頬に黒竜のジークハルトの顔が寄せられる。
まるで泣くなと言っているかのようだ。
医師だった兄の所から薬を盗んだ事や、複数の毒が混ざっていたこと、順番に解毒剤を飲ませているから頑張れと黒竜のジークハルトは言った。
「じゃぁ、起きたらそのお兄さんに助けてくれてありがとうって言わないとね」
ヴィン先生にも吐出の魔術教えてくれてありがとうって言わなきゃとリリアーナは微笑んだ。
あぁ、ドラゴンの姿では抱き締めることも口づけする事もできなくて不便だなとジークハルトが嘆いた。
「じゃぁ、起きたらたくさんして」
リリアーナが微笑むと、ジークハルトは顔を擦り寄せた。
2人の足元が大きく揺れ、リリアーナを中心に黒い空間の床にヒビが入っていく。
どうやら時間切れのようだ。
『リナ……愛している』
いつも囁いてくれる言葉。
低く甘く優しい声だ。
消えるまで金色の優しい眼がリリアーナを見つめてくれる。
……私も。
リリアーナはゆっくりと目を閉じた。
「……様、……ジーク様」
ジークハルトはゆっくりと目を開けた。
隣にはリリアーナ。
呼吸は眠る前よりは苦しくなさそうだ。
「……何時だ?」
ジークハルトは起こしにきたクリスに尋ねた。
「昼の12時半です。解毒剤の時間ですので起こして申し訳ありません」
診察は寝ている間にさせてもらいましたとクリスが言った。
ジークハルトは解毒剤を口に含むとリリアーナに口移しで飲ませた。
水も飲ませると、そのあと触れるだけの口づけをする。
「……起きたらたくさんして良いそうだ」
ジークハルトがつぶやくと、クリスがどういうことですか? と聞き返した。
「今、夢の中で会ってきた。早く目を覚ませと」
ジークハルトは振り向き、豹族の医師ジェフリーを見た。
「お前にもお礼が言いたいと。あとヴィンセントにも」
ジークハルトが言うと、クリスが驚いた顔をした。
まるでリリアーナが本当にそう言ったかのようだ。
夢のはずなのに。
「先ほどヴィンセント魔術師団長から9種類目はダスティーミラーと一致したと報告がありました。これは毒がないただの葉でしたので、解毒はあと1種類です」
クリスが手帳を見ながら言うと、ジークハルトはそうかとつぶやいた。
リリアーナの頭を撫で、頬を撫でる。
ジークハルトは切なそうな顔でリリアーナを見つめた。
4時間後に最後の解毒剤を飲ませる頃には、リリアーナの呼吸は安定しはじめた。
熱はまだあるが高熱というほどではない。
「とりあえず、危険な状態は抜けたと思われます」
帝宮医師の言葉に、ジークハルトもクリスもホッとした。
外が暗くなり、ドラゴンフラワーが再び光り出す。
早く目覚めてくれ。
ジークハルトはリリアーナを抱きしめながら眠りについた。
リリアーナが毒を飲んでから39時間。
夜中の3時頃リリアーナは目を覚ました。
隣には眠っているジークハルト。
規則正しい息遣いが聞こえる。
枕元には光るドラゴンフラワーが見えた。
あぁ、だから夢にドラゴンフラワーが出てきたのか。
身体はうまく動かせない。
口の中が苦い。
熱もあるのだろうか、頭がぼんやりする。
リリアーナはジークハルトの隣で再び目を閉じた。