154.後悔
リリアーナに飴を渡した冒険者は、キャロライン・ドロス男爵令嬢。
すぐに本人と両親の身柄が拘束された。
「私、ただあの飴をあの子にあげてと言われただけです!」
キャロラインはなぜ捕まったのかわからないと泣きながら訴えた。
「誰に言われたの?」
狼族の護衛が優しく問いかけると、キャロラインは、シンディ・デヴォン伯爵令嬢だと言った。
「なんで言うことを聞いたの?」
「だって、シンディは伯爵令嬢だもん。うちは男爵だもん」
キャロラインは聞かれた事には素直に答えた。
男爵は伯爵よりも格下。
伯爵令嬢シンディのお願い事を男爵令嬢のキャロラインは叶えなくてはならないと思ったと言う。
Sランク冒険者ハルと一緒にいる小さい女の子に飴をあげてほしい。
帝都にお店を出そうと思っているが、シンディの事を知らない子に食べさせ、おいしいかどうか聞きたい。
Sランク冒険者と一緒にいるあの子がおいしいと言えば、すごい宣伝になるだろう。
だからハルのいない時にこっそり渡して、今度感想を聞いてほしいとシンディに言われたとキャロラインは泣きながら答えた。
おそらく嘘はついていないだろう。
「うちの領地で迷宮が出たためどうして良いのか困ってしまい、隣の領地であるデヴォン伯爵へ相談しました」
キャロラインの父、ドロス男爵も聞かれたことには素直に答え、今回のことは何も知らない様子だった。
迷宮の相談の時にキャロラインは初めてシンディに会ったと言う。
こぼれ落ちそうな大きな胸が印象的で、豹族ならではのしなやかな身体、色気のある姿に憧れたとキャロラインは話した。
「あの、どうして拘束されたのでしょうか?」
全く状況が掴めていない親子3人。
すでに証言はもらったので、もう理由を告げても良いだろうか。
どうせここから逃げることはできないし。
「あの飴ね、毒だった」
狼族の護衛が苦笑しながら告げると、親子3人は目を見開いた。
「……うそ」
友達になれるかもと思ったのに。
あの子、すごく優しかったのに。
ごめんなさい。ごめんなさいと泣きながらキャロラインが叫ぶ。
ドロス男爵と男爵夫人は、呆然とその場に座ることしかできなかった。
豹族の女性冒険者であるデヴォン伯爵の娘シンディは冒険者ギルドにいる所を拘束、父親は伯爵家で、母親はお茶会の最中に拘束された。
兄は帝都にはおらず、離れた田舎で医師をしていると父親が言ったため、3人の護衛がドラゴンで向かう。
豹族の女性冒険者シンディは、何も答えなかった。
父親のデヴォン伯爵は迷宮の件で冒険者ギルドを困らせたために拘束されたと思っており、娘がした事は全く知らなかった。
もちろん母親も。
狼族の護衛は溜息をつきながら扉を閉めた。
◇
帝都から離れた田舎街。
さらに街はずれの丘の上に小さな診療所があった。
竜族の護衛が診療所の扉をノックすると、中からどうぞと声が聞こえた。
「病気ですか? 怪我ですか?」
白衣を着た豹族の男性は優しい笑顔を見せる。
「デヴォン家の方でしょうか?」
騎士の言葉に診療所の医師は頷いた。
「デヴォン家とは絶縁していますが、ジェフリー・デヴォンです」
茶髪に豹族の耳と尻尾。
確かに妹であるシンディ・デヴォンに似ている。
「貴殿の妹が国家反逆罪のため拘束させて頂く」
すまないなと騎士が告げると、ジェフリーは目を見開いた。
「……反逆……?」
「皇太子妃の毒殺未遂だ」
思いもよらない理由に、ジェフリーはハッとした。
引き出しから鍵を出すと、騎士に動くな! と注意を受ける。
「出入り口はその扉しかありません。逃げも隠れもしません。確認したい事があります」
鍵を見せながらジェフリーが騎士を見つめると、騎士は溜息をついた。
ジェフリーは奥の部屋の鍵を開け、いくつかの瓶を確認する。
重さを測り、ノートにメモをし、あれこれ動き始めた。
「おい、」
いつまで続ける気だと騎士が注意してもジェフリーは作業をやめなかった。
「妹が10日ほど前に急に来ました」
慣れた手つきで瓶を取り出し、重さを測る。
「診察中で。10分くらいでしょうか。また来ると言って帰りました」
一通り測り終わると、ジェフリーは再び騎士を見つめた。
「未遂ですよね? まだ苦しんでおられますよね? 解毒剤を作らせてもらえないでしょうか?」
妹が使った毒がここから持ち出された薬草だとすれば、解毒剤の材料はここにあります。とジェフリーは告げた。
「……俺では判断できない。必要な物を全て準備してくれ」
騎士の言葉にジェフリーは頷いた。
帝宮のドラゴン厩舎では先に知らせを受けたジークハルトが待ち構えていた。
ドラゴンの足から罪人用の檻が外されると、檻は大きくガタンと揺れ、振動がそのままジェフリーの足に伝わる。
檻に入った白衣のジェフリーは、その場で土下座をするとジークハルトから声がかけられるのを待った。
「解毒剤を作れるというのは本当か?」
低く唸るような声はまるでドラゴンが吼えているかのようだ。
威圧で肌がピリピリする。
「妹が申し訳ありませんでした。解毒剤を作らせてください。回復するまで処刑の執行猶予を頂けないでしょうか?」
材料も持ってきました。妹に持ち出された薬の量もわかっています。と診療所の医師ジェフリーは必死で頼んだ。
「処刑されるとわかっているのに作るのか?」
ジークハルトは眉間にシワを寄せながら聞く。
解毒剤と言いつつ、もっと強烈な毒を盛る可能性もある。
信用できる者なのか現時点では判断がつかない。
「病人の命を救う事が医師の役目です」
お願いしますとジェフリーは檻の床に頭をつけた。
「見張りはつけさせてもらう」
医局への案内は護衛に任せ、ジークハルトはリリアーナの元へ。
寝室のベッドに横たわるリリアーナは高熱で辛そうだ。
帝宮の医師に作らせた解毒剤は全く効かなかった。
毒を飲んでからそろそろ8時間。
青白かった顔が熱で赤くなったのは本人が毒と戦っているからだと帝宮医師は言った。
飴を食べさせなければよかった。
レモネードなど買わなければよかった。
冒険者ギルドで1人にしなければよかった。
同じ年頃の友達ができたら良いと思わなければよかった。
油断していたのだ。
護衛もいるし大丈夫だろうと。
「リナ」
ジークハルトは息が上がり、辛そうなリリアーナの頬を撫でた。
あの豹族の医師が解毒剤を作れるのなら。
「……早く治してくれ」
ジークハルトは祈るような声でつぶやいた。
「ジーク様、医師が解毒剤を持ってきました」
扉の向こうでクリスが声をかけた。
「失礼します」
一礼し入室する帝宮医師と豹族の医師ジェフリー。
「まず、こちらを」
ジェフリーが差し出した緑の液体をジークハルトは口に含んだ。
そのまま口移しでリリアーナへ。
苦さに顔を顰めながら、水も口移しで飲ませた。
「診察をさせて頂けますか?」
豹族の医師ジェフリーが言うとジークハルトは嫌そうな顔をした。
見かねたクリスが診察をお願いしますと援護する。
ジェフリーは脈を測りノートへ記録すると、おでこを触り熱を確認した。
「耳の下に濡らしたタオルを置かせてください」
首から冷やす事ができるとジェフリーが言うと帝宮医師も知らなかったと驚いた。
「彼は手際が良く薬にも詳しいので驚きました」
なかなか人を褒めない帝宮医師がジェフリーを褒めるが、そんなことはどうでもいいと言いたそうな顔でジークハルトはリリアーナだけを見つめていた。
「なぜ診療所で働いているのですか?」
クリスが素朴な疑問をジェフリーに投げる。
「昔、領地で病気になった時に救ってくれたのは通りすがりの冒険者だったのです。各地を周り貴重な草を集め、毒を薬に変える研究をしていました」
診療所は彼のものですとジェフリーは言った。
一緒に薬草を集めるために自分も冒険者になり、怪我をした冒険者の手当をするのは日常茶飯事だったと。
「ランクは?」
「Bです」
帝立学園では騎士コースだったため最低限は戦える事、父親は帝宮騎士を望んでいたが医師になりたくて家を出たので絶縁状態だった事を明かすと、クリスはそうでしたかとつぶやいた。
ジェフリーはリリアーナの脈を再び測り、落ち着いた事を確認するとジークハルトに今後の予定を告げた。
「持ち出された毒は8種類です」
ジェフリーが今持ってきた解毒剤は3種類を合わせたもの。
残りは5種類。
「これから4時間おきに1種類ずつ解毒剤を作ります」
「全部まとめて飲めないのか?」
早く治せと言うジークハルトに、ジェフリーは首を横に振った。
「一緒に飲むと無効化されてしまったり、混ざると危険になる物があります。あと本人の体力を考えると最低で4時間おきです。様子を見てもう少し遅らせるかもしれません」
解毒剤を作る前の診察許可をお願いしますとジェフリーが言うと、好きな時間にここへ来いとジークハルトは許可を出す。
「ありがとうございます」
ジェフリーは空になった器を手に取ると頭を下げ、帝宮医師と退室して行った。
「ジーク様、明日と明後日の公務のキャンセルが全て完了しました」
広場の完成式典はレオンハルト殿下が代理出席、会議は皇帝陛下が出席、相談事は延期ですとクリスが告げる。
「悪いな」
お前には迷惑かけるとジークハルトは目を伏せた。
2日も予定を空けるのは大変だっただろう。
「食事をなさってください。あと仮眠も」
しないとリリーが後で怒りますよとクリスが言うと、ジークハルトは渋々リビングへと向かい、冷たくなってしまった料理に手をつけた。