153.飴
これは贅沢すぎる。
リリアーナは豪華な海苔巻きを見つめ、うっとりとした。
ギルバートおすすめのお店で買ってきたお刺身を入れた海鮮巻だ。
お酢はないので、酢飯ではないが。
「それもおにぎりか?」
「これは海苔巻き」
リリアーナが嬉しそうに言うと、難しいなと言いながらジークハルトは一切れ口に放り込んだ。
◇
「ほわぁぁ。すごい~」
クリスが持ってきたウエスト大陸クロヤ国の献上品の前でリリアーナは嬉しそうに飛び跳ねた。
箱の中身は鰹節と、ほわほわしている削り節と、粉になった鰹節。
「秘密の美味しくなる粉か」
ジークハルトが入れ物の中身を振ってみる。
正直、これでウマくなるというのはよくわからない。
「嬉しい~」
リリアーナは美味しいごはん作るねと微笑んだ。
街では相変わらずレモネードが流行っている。
貴族は想い人同士でイヤーカフを着け、腕には組紐。
夜会の髪型は宝石を散りばめた飾りをつけるのが流行の最先端。
ダンスの最後に抱き上げて口づけが貴族女性の憧れだ。
最新のダンスを教えてくれる教室はまだない。
最新のダンス曲を聴ける所もない。
とにかく凄かったという噂だけが駆け抜けて行った。
冒険者の間では、最近パン屋の隣におにぎり屋ができたと噂だ。
携帯食のようだが黒い見た目に最初は戸惑う。
竜族には肉が入っているおにぎりが人気だ。
狼族には梅おにぎり、猫族にはおかかが人気だとギルドで話題になっている。
今日もおにぎりを持って迷宮に行こうぜ! と元気に出かけて行った冒険者達がいた。
「ハル、ちょっと良いか?」
珍しくギルド長に奥の部屋へ呼ばれたSランク冒険者ハルの姿のジークハルトは眉間にシワを寄せた。
「依頼を見ているから一人でも大丈夫だよ」
冒険者スズの姿のリリアーナは依頼ボードを指差した。
今日も依頼がいっぱい貼ってある。
「ちょっと行ってくる」
ジークハルトはリリアーナの頭を撫でると、奥の部屋へ。
リリアーナはFランク。
FとGの依頼を受けることができる。
細かい依頼が多いためFやGは依頼の数が多い。
端から順番によさそうな物がないか探していると、同じくらいの年っぽい女の子がリリアーナの横で依頼を探し始めた。
赤ずきんちゃんみたいな服で可愛い女の子。
なんとなく目が合い、お互いにニコッと笑った。
「冒険者って怖いお兄さんばかりだと思ったのに、同じくらいの女の子がいて嬉しい」
赤ずきんちゃんは声も可愛い。
「私、キャロル」
「私はスズ。よろしくね」
身長も同じくらいの2人は、仲良く依頼ボードを眺めた。
「デヴォン伯爵? 冒険者ギルドは貴族と関わらないだろう?」
Sランク冒険者ハルは長い脚を組みながらギルド長を睨みつけた。
「招待状をもらっただろう?」
「勝手に置いてっただけだ。開いてもいない」
一体何の招待状だとハルは眉間にシワを寄せた。
「デヴォン伯爵の友人の領地に迷宮が現れたそうだ。その調査を兼ねてSランク冒険者とAランク冒険者を屋敷に招待したいそうだ」
ギルド長は溜息をついた。
「迷宮の調査依頼なら受けるが、招待はいらん」
「調査だけの場合は、デヴォン伯爵の娘のBランク冒険者を同行させる事という条件がついている」
ギルド長はおでこを押さえた。
「Aランク以上だろう? なぜBが行く。邪魔だ」
「経験のために娘を同行。Bランクだから守ってくれるSランクをご指名だ」
ギルド長の言葉にハルは髪をかき上げ、潰すか? と呟いた。
「頼む。ギルドとしては迷宮を調査したい」
気が乗らないのはわかるが、とギルド長は頭を下げた。
「俺は行かない。Aランク数人、伯爵邸に送り込め」
Aランクだけでも屋敷の招待を受ければ調査が可能。
Sランクが出て行かなくても良いだろう。
何より、デヴォン領は遠い。
自分だけなら転移で迷宮入りできるが、他の冒険者と一緒では馬車で移動するしかない。
ジークハルトは溜息をついて立ち上がった。
「この薬草はね、日当たりの良いところにあったよ」
「へぇ~。スズちゃんスゴいね!」
部屋から出たジークハルトは驚いた。
リリアーナが同じくらいの背丈の子と依頼ボードを見て楽しそうに話している。
相手は猫族か?
尻尾が左右に動いているがフードのせいで耳が見えない。
「じゃあ、これにしよ!」
キャロルが依頼用紙を手に取った。
「ありがとね、スズちゃん。これ飴ちゃん。あげる」
キャロルは飴を1つリリアーナに手渡すと受付へパタパタ走って行った。
「待たせたな」
「用事終わった?」
リリアーナが尋ねると、ジークハルトは微妙な顔をした。
飴をもらったとジークハルトに見せると、よかったなと頭を撫でてくれる。
「買い物して帰るか」
「ノートとインクが欲しいな」
もうすぐ学園も始まるのでまず文具屋へ向かう。
「あ! ここね、さっきキャロルちゃんがおすすめって言ってた」
お店の前に山のようにレモンを飾っているレモネードのお店。
レモンをその場で絞ってレモネードを作ってくれるそうだ。
5人ほど並んでいるのでレモネードとしては人気店なのかもしれない。
あまり喉も渇いていなかったので1番小さいサイズを1杯だけ買って2人で半分コする事にした。
猫族の娘の名前はキャロル。
身に着けていた服は平民よりも仕立ての良いモノ。
おそらく本名ではないだろう。
キャロリーナ、キャロライン、またはカール。
貴族の娘でそんな名前の娘がいるか、あとでクリスに調べさせよう。
「酸っぱいな」
ジークハルトは酸っぱいのはあまり好きではないようだ。
飲みながら眉間にシワが寄っている。
「酸っぱいね。レモン絞りすぎ?」
酸っぱすぎて唾液がじわじわ出てきた。
これは普通に酸っぱい。
1番小さいサイズでよかった。
なんとか飲み終わったが、口の中に酸っぱい味が広がったままだ。
「あ! 飴ちゃんもらったんだった」
リリアーナはキャロルにもらった飴を取り出す。
前世のようにパッケージがあるわけではないので白いクッキングペーパーのような紙に包まれていて何味かはわからない。
食べてもいいかな……?
ジークハルトを見上げると、頭を撫でてくれたので食べてもいいという事だろう。
リリアーナは包み紙を開ける。
飴はハチミツのような色だった。
そっと口に入れると期待通りの甘いハチミツ味。
酸っぱいレモンの後だからか余計に甘く感じた。
「甘いか?」
ジークハルトの問いにリリアーナはコクコク頷いた。
ジークハルトがリリアーナの口をペロリと舐める。
「ハチミツか。甘いな」
先ほどのレモネードは酸っぱすぎ。
この飴は甘すぎだ。
ジークハルトは肩をすくめた。
レモネードのコップを店へ返却し、今度こそ文房具屋へ。
ジークハルトに肩を抱かれながらリリアーナは歩き始めた。
……あれ?
甘かったはずの飴から急に草のような味。
リリアーナは立ち止まった。
「どうした?」
ジークハルトがリリアーナの顔を覗き込む。
リリアーナは真っ青な顔をしていた。
「出せ!」
リリアーナは慌てて飴を手に出した。
カタカタと震える身体。
力が抜けて崩れ落ちたリリアーナの身体をジークハルトは受け止めた。
飴は下に転がり、木の下で止まる。
これは何?
口から喉の奥にかけて草の苦い味がする。
口の中に黒いモヤモヤがあるかのようだ。
『身体から不要な物を吐き出すイメージだ』
魔術師団長ヴィンセントに習った吐出の魔術。
こういう時に使うの?
リリアーナはまだ上手く出来た事がない吐出を発動する。
白い魔法陣が一瞬光り、すぐに消えた。
水のような物を手で受け止めようと思ったが間に合わず、土の上に戻してしまった。
「しっかりしろ!」
ジークハルトの声が遠い。
背中に冷や汗が流れ、身体が勝手に小刻みに震えた。
息もしにくい。
身体も動かない。
倒れたまま動かなくなったリリアーナをジークハルトは必死で呼んだ。
護衛は動いた。
1人はレモネード店主を拘束し使用したコップを確保。
1人は飴を渡した冒険者を追跡。
1人は応援を呼ぶ合図を出す。
ざわつく街。
Sランク冒険者ハルの彼女が倒れた。
大丈夫かと声をかけようとする者。
悲鳴をあげて逃げようとする者。
ただ見ている者。
高い音と共に、2人の周りを魔術の壁が取り囲む。
魔術の壁のお陰で2人の姿はもう野次馬達からは見えない。
壁の中に音もなく静かに魔術師団長ヴィンセントが現れた。
ヴィンセントは意識のないリリアーナのおでこに手をかざすと、白い魔法陣を展開する。
何かを吸い取るような仕草をした後、かざしていた手を握った。
ゆっくり手を開き、ジークハルトへ見せる。
「……毒です。複数の種類が混ざっています」
淡々と告げるヴィンセントの言葉に、ジークハルトは目を見開いた。
「解毒が必要です。もうこれ以上は体内を回ってしまって吐出できません」
現場維持のため壁はこのままにし、ヴィンセントは2人を寝室へ転移させた。
「本人がとっさに吐出の魔術を使ったおかげで、何とか今は命があります」
ヴィンセントは目を伏せた。
「『今は』とはどう言うことだ」
唸るような声のジークハルトがヴィンセントを睨みつける。
「複数の毒のようですが、表側の物ですので我々エルフでは種類もわかりません」
ヴィンセントの言葉にジークハルトは眉間にシワを寄せた。
「姿を戻します」
パチンとヴィンセントが指を鳴らすと、ジークハルトもリリアーナも冒険者の姿からいつもの姿に戻った。
リリアーナをベッドへ寝かせ、執務室へ走り廊下への扉を開ける。
「クリスと医師を呼べ! 今すぐ!」
突然開いた扉に驚いた護衛が目を見開いた。
「早く! 急げ!」
「はい!」
2人の護衛が分担して廊下を走っていく姿を見ることもなく、ジークハルトは扉を閉めた。
「リナ! しっかりしろ! リナ!」
ジークハルトが呼んでもリリアーナの反応はない。
顔は青白く、唇も紫に変色している。
急いで呼ばれたクリスが到着し、医師も駆けつける。
ヴィンセントは医師にリリアーナから吐出した塊を手渡すと、一礼して姿を消した。
現場に残った毒を回収しに行ったのだろう。
「早く解毒剤を」
リリアーナを助けてくれ。
ジークハルトの悲痛な声に、クリスと医師は頷いた。