147.叔父
この世界は、年越しやカウントダウン、初詣などのイベントは一切なく、普通になんでもない感じで年が終わり、1月になってから数日が経った。
学園は3月末まで長期休暇。
火曜は冒険者の日だが、その他は書類の整理や時々公務の会議に同行、ドラゴンに乗る練習、ダンスやマナー、ヴィンセント魔術師団長に魔術を教えてもらったり、冷蔵庫の魔術回路を試したり、刺繍したり、料理をしたりと、結構自由に過ごさせてもらっている。
「ギルバート殿下、ジークハルト殿下は公務中で執務室にはお見えになりません」
扉の向こうで護衛の声が聞こえる。
「あぁ、さっき会った。ここに婚約者がいると聞いた」
「お待ちください!」
護衛の静止にも関わらず、執務室の扉は開いた。
護衛は負けたようだ。
扉から顔を覗かせたのは金髪・金眼の男性。
ジークハルトと背は変わらなそうだが大柄で体格が良く、すごく大きく見える。
40代? もしかしたら50代?
書類の計算を確認していたリリアーナは見知らぬ人物と目が合ってしまった。
部屋にいるのは黒髪の小さい少女。
ソファーでペンを持って書類に何か書いているが、絶世の美女はいない。
「おい、そこの補佐、ジークの婚約者は奥の部屋か?」
呼んできてくれと言われ、リリアーナはペンを置いて立ち上がった。
金髪の男性の後ろでは護衛が困っている。
狼族の護衛は手でゴメンポーズを、竜族の護衛は顔面蒼白だ。
リリアーナは男性の近くまで歩き、ワンピースのスカートを持ってお辞儀した。
「リリアーナ・ウェリントンと申します」
「ウェリントン?」
「はい」
ゆっくり顔を上げリリアーナが微笑むと、金髪・金眼の男性は眉間にシワを寄せた。
こんな小さい子供が婚約者か?
しかもウェリントンは宰相。
完全に政略結婚ではないか。
息子が補佐官、娘が皇太子妃。
宰相が権力を持ちすぎだ。
「……子供だな」
思わず本音が漏れる。
「まぁいい。お前、ちょっと来い」
男性は、リリアーナの手を掴んだ。
「ギルバート殿下! ダメです!」
護衛が必死で止めるがギルバート殿下と呼ばれる男性は全く聞く気がなさそうだ。
誰だろうか?
どこの殿下だろうか。
体型の差だろうか、歩幅も全然違う。
ほとんど足が浮いているのではないかという状態でリリアーナはドラゴン厩舎まで引き摺られて行った。
護衛が慌てて追いかけてくるが、ギルバートはお構いなしだ。
「ジークの婚約者なのだから、当然ドラゴンに乗れるのだろうな?」
ギルバートがニヤリと笑った。
「い、いえ。乗れません」
リリアーナが首を横に振る。
「お前、いくつだ?」
100歳までドラゴンには乗れない。
やはり見た目だけでなく本当に子供か。
「16です」
あり得ない年齢にギルバートが目を見開く。
「は?」
ギルバートが慌てて護衛の顔を見ると、2人の護衛は合っていますと頷いた。
「人族です」
リリアーナは慌てて説明した。
初めて会う人も事前に人族と知っている人達ばかりだったから気にしていなかったが、おそらくこれが普通の反応だ。
リリアーナは目を伏せた。
「養女か。出身は? イーストのどこだ?」
宰相め、そこまでして権力を手に入れたいか。
「エストです」
「内陸だな」
ギルバートはリリアーナを荷物のように小脇に抱えると、白竜の前まで歩いた。
「きれい」
少しクリーム色っぽく輝く白い竜にリリアーナは思わず声が出てしまった。
白竜は荷物のようなリリアーナを見てグゥと鳴く。
ギルバートはリリアーナを抱えたまま白竜に乗った。
「えっ? あの、待ってください! 無理です!」
リリアーナが必死で訴える。
「ギルバート殿下! おやめください!」
護衛も必死で止めてくれるが、ギルバートは聞く気がなさそうだ。
「エストまで送ってやる」
その言葉にリリアーナは驚いた。
それはジークハルトの婚約者とは認めないという事だ。
今すぐ国に帰れと、この男性はそう言っている。
「1日で着く。荷物はあとで送ってやる」
ギルバートの低い声はどことなくジークハルトに似ている。
金髪・金眼の容姿は皇族。
殿下と呼ばれ、体格が良く、40代くらい。
「……冒険者の叔父さんですか?」
リリアーナはようやく心当たりの人物にたどり着く。
冒険者ギルドを管理していた叔父さんだ。
「そうだ。正確には引退した冒険者だけどな」
ギルバートが合図をすると白竜カタレフコスは飛び立とうと翼を広げる。
羽ばたこうとした瞬間、白竜カタレフコスの前に黒竜メラスが立ち塞がった。
「メラス? カタレフコスが飛べん。退いてくれ」
ギルバートが黒竜メラスに話しかけても黒竜メラスは動く気配がない。
それどころか白竜カタレフコスの頭を下げさせ、飛べないように睨んでいるように見える。
「……メラス」
リリアーナと目が合うと黒竜メラスはグゥと鳴いた。
リリアーナが飛べない事を知っているから黒竜メラスは助けてくれたのだ。
ありがとう、メラス。
リリアーナは心の中でお礼を言った。
ドラゴンは上下関係がはっきりしている。
黒竜の方が白竜より上なのだ。
だから逆らわない。
「最弱の人族が最強の竜族の嫁になろうとは、随分と大きな夢を見たな」
金か? 宝石か? 名誉か?
何が目的だ? とギルバートはリリアーナに聞く。
ラインハルトも最初は認めてくれなかった。
竜族もドラゴンと同じで上下関係に厳しいのだろう。
この人だけじゃない。
きっと竜族の普通の反応。
今まで周りにいた人達がたまたま親切だっただけだ。
「……何もいりません」
リリアーナは首を横に振った。
「でも国にも帰れません。国外追放だから」
困ったようにリリアーナが微笑むと、護衛が聞いてはいけない事を聞いてしまったと顔を背けた。
「は? 同情で婚約者にしてもらったって事か。うまくやったもんだな」
ギルバートは荷物のように抱えていたリリアーナを白竜カタレフコスの上に座らせた。
リリアーナの黒い目を覗き込み、冷たい口調で告げる。
「100年も生きられない種族が皇太子妃になれるわけがないだろう」
ギルバートの言葉にリリアーナは目を伏せた。
胸をえぐられるかのような残酷な言葉。
でも言われている事はわかる。
人族の70歳は、竜族だと1000歳だ。
寿命が違いすぎる。
「……そうですね」
リリアーナは泣きそうな顔で微笑んだ。
護衛も悲しそうな顔をしてくれる。
優しくて良い人達だ。
「……もう来たか」
ギルバートが苦笑した瞬間、空気がビリビリする。
ジークハルトだ。
護衛が呼びに行ってくれたのだろう。
「ギル!」
どういうつもりだとジークハルトはギルバートを睨んだ。
黒竜メラスが白竜カタレフコスを抑え込んでいるように見える。
リリアーナを乗せてどこへ行くつもりだったのか。
「返せ!」
ジークハルトが唸るように発した言葉に、その場にいたドラゴンが平伏した。
だが黒竜メラスだけは白竜カタレフコスの上から動こうとしなかった。
まるでジークハルトと一緒にリリアーナを守るかのように。
その光景に騎士や護衛が息を呑む。
「竜族の、もっと良い女を紹介してやる」
ギルバートの言葉にジークハルトの歯がギリっと音を立てる。
「俺の番を巣穴から奪ったんだ。それ相応の覚悟はあるのだろうな?」
空気がビリビリ揺れ、威圧というより殺気に近い空気が流れた。
「番? 人族が番のわけないだろう」
ギルバートは一瞬呆れたが、ジークハルトの真剣な目に、まさか本当に? と眉間にシワを寄せた。
「私が弱い人族だからダメですか? それとも子供だからダメですか? どうしたら認めてくれますか?」
リリアーナはギルバートを見上げた。
「……そうだな、俺の背中に土をつけたら認めるな。まぁ無理だろうが。ここにいる騎士でも無理だ。諦めるんだな」
ギルバートは辺りを見回し護衛や騎士達を見る。
ここで自分より強いのはジークハルトだけだ。
『どんな手段を使っても必ず叶えろ。』
不意にフォード侯爵の言葉を思い出す。
「……どんな手段を使っても?」
「ジークを使うのはダメだ。お前の力なら剣でも魔術でもいい」
ギルバートはニヤリと笑う。
こんな細くて小さな身体では剣など握ったこともないだろう。
たとえ剣が使えても、世界で2番目に強いと言われている自分にかなうはずがない。
人族は魔術が優れているが竜族に魔術は効きにくい。
この娘に勝ち目はないが、何もしないで国から追い出すのは可哀想か。
負ければ納得するだろう。
「では、魔術で」
白竜カタレフコスの上に座ったままリリアーナは両手を前に出した。
作るのは結界。
見えないように透明でいい。
ギルバートの顔が覆えるだけのヘルメットくらいのサイズ。
「リナ?」
手の上には何も見えない。
「おいおい、詠唱の言葉を忘れちまったか?」
子供の魔術がこの距離で当たっても大した事はない。
しかも魔術の発動に時間がかかっているようだ。
さぁ、出るのは火か? 水か?
ギルバートはリリアーナの魔術発動を待ってやる事にした。
リリアーナは結界の中にスリープの魔術を充満させる。
演習場でラインハルトは眠らせる事ができたが、ギルバートは強そうなのでヘルメットのように結界で覆って確実にスリープを吸わせる作戦だ。
準備ができるまで待っていてくれているのは、子供だからというハンデなのだろう。
リリアーナはギルバートを見上げると、手を上げた。
誰にも見えない結界を顔に被せ、反応を待つ。
何もない手、何も発動しない魔術、詠唱すらしていない。
周りはただ静かに待った。
異変に気づくのはギルバートのみ。
何も言葉を発しないまま、ギルバートは白竜カタレフコスの背中に静かに倒れた。