146.二日酔い
二日酔いだ。
まったく、完全に、見事に、記憶がない。
酔っ払うのは2度目。
まだ16歳なのに。
リリアーナはズキズキする頭と戦いながらうっすらと目を開けた。
目の前にはニヤッと笑う金眼の持ち主。
なぜか上が裸だ。
大胸筋も三角筋も僧帽筋も見える。
とりあえずリリアーナは再び目を閉じた。
「眠ったら襲うぞ」
良い眺めだとジークハルトが笑う。
何のことかわからないリリアーナは目をゆっくり開けた。
2日酔いのせいで頭は全く働かない。
なぜか胸元にジークハルトの顔が近づいた。
そのまま吸い付き赤い痕が残される。
「ほえっ?」
驚いたリリアーナは変な声を出しながら手でジークハルトの肩を押した。
自分の腕に白いシャツが見える。
ブラウス?
……そんなわけはない。
この世界でブラウスなんて持っていない。
サイズも大きい。
袖も長いし、腕もぶかぶかだ。
……ジークハルトの服!?
リリアーナは慌てて着ている服を確認する。
ボタンを1つしか留めていないかなり際どい姿の貧相な身体が見える。
胸の辺りにはいくつもの赤い痕。
酔っ払い、記憶なし、彼シャツ、キスマーク。
リリアーナは真っ赤になりながら布団に包まった。
恥ずかしいし、頭痛だし、もうどうしていいかわからない。
あう、あう、と言葉にならず口をパクパクさせた。
「覚えているか? 昨日可愛くチューしろって強請ったのは」
ジークハルトが真っ赤なリリアーナを見て笑う。
チュー!?
ジークハルトが知っているわけがない。
リリアーナは首を横に振った。
頭を動かすと頭痛と吐き気が一気にくる。
リリアーナは枕に埋もれた。
「……無理、覚えてない、二日酔い、無理、ごめんなさい。ホント無理」
自分に言い聞かせるようにぶつぶつ唱えるリリアーナの頭をジークハルトは優しく撫でた。
「水を飲むか?」
ショコラ1個で二日酔いとは。
子供だからか、魔力が多すぎるのか、人族は大変そうだ。
「……無理、飲んだら吐く」
弱りきっているリリアーナの頭にチュッと口づけをするとジークハルトはベッドから起き上がった。
「今日はゆっくりしろ」
頭を撫でられ数秒の後にパタンと扉が閉まる音がした。
確か前回、寮長はすごく面白かったと言っていた。
内容は教えてもらえなかったが、ノアールを散々振り回し、『悪い女ね』と言われた。
ジークハルトにもやってしまった。
しかもこの格好は何?
どうしてワンピースも寝間着も着ていないの?
うん。考えるのは無理。
リリアーナはズキズキする頭を押さえながら眠りについた。
「何も覚えていないそうだ」
ジークハルトがショコラ1個だぞと笑うと、クリスは困った顔をした。
「そこまでお酒に弱いのなら、今後、食事や菓子も気をつけた方がよいですね」
ワイン煮込みやリキュール漬けフルーツはダメかもしれない。
クリスは手帳にメモをした。
「しかも二日酔いだ」
今日は1日寝かせておくとジークハルトが言うと、クリスは予定を確認し、大丈夫ですと答えた。
ジークハルトの手元にはエルフ長ダンベルドから借りた創世記。
ジークハルトはクリスへ差し出した。
「……よろしいのですか?」
驚きながらクリスが受け取る。
「お前の方が賢い。読み解くのが速いだろう。俺の公務の間や冒険者の間に読めばいい」
クリスの後で読むとジークハルトが言うと、クリスは畏まりましたと本を抱えた。
こんな貴重な本を読ませてもらえるのは信頼してもらえているから。
必ずお役に立ってみせます。
クリスは決意を新たにする。
「今日は午後からウエスト大陸担当大臣から輸出入の年間報告と、冒険者ギルドから年間報告があります」
「あぁ、もう12月も終わりか」
リリアーナと3月末に出会ってから怒涛の1年だったなとジークハルトが笑う。
出会って、求婚して、婚約発表したが、まだリリアーナから返事は聞けていない。
酔っ払いの『好き』はあてにはならないが、それでも嬉しかった。
刺繍をしてくれるというのも覚えていないだろう。
少し残念だが。
「そういえば、ギルバート殿下が1月にお見えになるそうですよ」
朝、宰相が手紙を受け取っていましたとクリスが言う。
「そういえばギルは毎年1月に来ていたな」
幼い頃、憧れていたSランク冒険者だった叔父。
初めてドラゴン厩舎に行った時も、元々は叔父の白竜カタレフコスを見せてもらうためだった気がする。
大剣を持ち、最強だった。
剣も教えてもらったし、冒険者ギルドにも連れて行ってくれたのはギルバートだ。
みんなが避ける中、普通に接してくれた数少ない人物。
「婚約したと言ったら驚くだろうか」
まさか人族が番だと思っていないだろう。
「ギルバート様の大きさにリリーが驚くのでは?」
クリスでもギルバートのガタイの良さには驚く。
さすが野生のドラゴンの生息地である北の果てを任されるだけの事はある。
「そうかもな」
ジークハルトはリリアーナにもらったガラスペンで署名しながら口の端を上げた。
昼過ぎ、ベッドからのそのそと起き上がったリリアーナは、改めて自分の姿に驚いた。
白いシャツは絶対にジークハルトの服だ。
長さは膝まであるがボタンは留めていない。
いつ着替えたのか。
ジークハルトは上が裸だった。
もしかして服を奪ったのだろうか。
どうせぺったんこなのでコルセットや下着も付けていない。
なけなしの胸は丸見えだっただろうか。
侍女のミナに頼んで下着を買ってもらおうか。
でも夜会で着た補正下着のようなお腹までがっちりした物は苦手だし。
もっとセクシーな身体だったらよかったな。
リリアーナは溜息をついた。
ワンピースに着替えてリビングを通り、執務室を覗くと誰もいなかった。
きっと公務中。
引き返して寝室を越えてキッチンへ。
じゃがいもと玉ねぎの味噌汁を作って食べたら妙にホッとした。
食べ終わったお皿とお箸を洗って片付ける。
少しずつ魔術で作り、箸やしゃもじ、卵焼きのフライパンは手に入った。
充実してきたキッチンが嬉しい。
いつまでこの生活ができるだろうか。
あの人はいつ来るのだろうか。
生贄と言われてもピンと来ない。
それにあの人の願いは叶えたくない。
どうせ世界平和ではないだろう。
リリアーナは右手の薬指にはまった竜結石をしばらく眺めた。
「……何か贈り物したいな」
ジークハルトにはずっと助けてもらっている。
でも、お礼はガラスペンしかしていない。
Sランク冒険者ハルに剣帯を贈ろうか。
刺繍糸もウセキ国からもらったし。
家紋は無理だからメラスの模様とか?
とりあえず下書きかな。
リリアーナはキッチンのテーブルに学園のノートを広げた。
……方眼用紙がほしい。
真っ白なノートに刺繍の図案は書けない。
そんな事ができるほど刺繍のプロではない。
リリアーナは魔術で方眼用紙を作る。
相変わらず創造魔術を使うと涙が出る。
リリアーナは目をゴシゴシ擦ると、習ったばかりの浄化で魔法陣を消した。
ヴィンセント魔術師団長のように魔法陣を見えるようにできないのでちゃんと消えたかわからないが、やらないよりはマシだろう。
メラスの柄。
四角を塗りつぶしてメラスに。
これではカラスだよね。
ロゴマークのようになってしまった。
ドラゴンには全く見えない。
絵心のなさが悲しい。
「お嬢様? お目覚めですか?」
「ミナ! いい所に! 手伝って~」
リリアーナが声をかけると侍女のミナがキッチンへやってくる。
元気なリリアーナの姿を見たあと、急にミナは赤くなった。
「あ、あのお嬢様? もう少し首元が隠れるワンピースの方が……」
ジークハルトに付けられた赤い痕がしっかり見えるのだ。
リリアーナも赤くなり、昨日ショコラを食べたらお酒入りだったとミナに話した。
「2度目ですね、お嬢様」
1度目も2度目も酔ったお姿を見れなくて残念ですとミナが揶揄う。
「全然何にも覚えていなくて」
前回も、今回も。
「でも、その痕は、そういう事ですよね?」
躊躇いがちに聞いてくるミナにリリアーナは苦笑した。
ミナは刺繍をあまりやらないが、同じ侍女仲間で刺繍好きがいるそうだ。
いろいろな図柄を見た事があるという。
ミナに教えてもらいながら考えていくと、意外にオシャレな図柄になった。
「ミナ! すごい!」
これがちゃんと刺繍できれば結構良いのではないだろうか。
刺繍針や糸もミナは別邸から持って来てくれていた。
ウィンチェスタ侯爵夫人に教えてもらった時に揃えてもらったものだ。
剣帯さえあればいつでも始められる状態。
クリスに頼めばジークハルトに内緒で剣帯を準備してもらえるだろう。
「ありがと」
ミナがいてよかった。
リリアーナがお礼を言うとミナは嬉しそうに笑った。