144.ショコラ
リリアーナはキッチンの冷蔵庫からショコラを取り出した。
カオ国からもらったショコラだ。
色とりどりの美味しそうなショコラが箱に並んでいる。
昨日食べたショコラは中からキャラメルのようなソースがトロッと出てきてすごく美味しかった。
リリアーナは楕円形のミルクチョコっぽい物と、四角いビターチョコっぽいものを取り出しお皿に置いた。
残りは再び冷蔵庫へ。
お湯を沸かして暖かいアールグレイを入れ、キッチンの椅子に座った。
疲れた時は甘いもの!
浄化も疲れた!
話も疲れた!
禁呪とか生贄とか、よくわからない。
今すぐできる事もない。
落ち込むより、できる事を頑張ろう。
少しでも魔術を覚えたりメラスに乗れるようになったり魔術回路の勉強も。
別邸の何もしないで護ってもらえる生活には戻らないと決めたのだ。
もう16歳。
いつまでもみんなに甘えていたらダメだ。
リリアーナはアールグレイを飲んだ。
暖かくてホッとする。
いい茶葉だよね。さすが帝宮。
この前飲んだジャスミンティーも美味しかったし、この世界の飲み物が美味しくてよかった。
ショコラは、ミルクチョコから!
パクッと一口で放り込むと甘いイチゴのようなジャムが出てきた。
美味しい!
前世の高級店と言われても納得するくらいのクオリティ。
エスト国は板チョコだったが、カオ国はボンボンショコラやトリュフ。
中身もいろいろで楽しい。
2つ目~。
絶対これも美味しいはず。
リリアーナはパクッと口に放り込んだ。
ビターチョコの中からトロリとした液体。
『魔力の多い者は、お酒に弱いそうだよ』
ウィンチェスタ侯爵に言われた事がある。
確かあれは11歳。
寮長の部屋でノアールを困らせたらしいが全く記憶がない黒歴史だ。
チョコの中身はお酒。
ウィスキーボンボンみたいなチョコだった。
どうしよう。
チョコは溶けてしまってもう出せない。
すぐに顔も身体も暑くなってしまった。
ワンピースの襟元をパタパタし、暑さを和らげるがあまり変わらない。
リリアーナは椅子から立ち上がり、寝室を抜けリビングを通り、ジークハルトの執務室まで移動した。
執務室の扉を5cmほど開けると、廊下には2人の護衛。
隙間からリリアーナは護衛に話しかけた。
「……ジークは?」
大きな黒い潤んだ目、ピンクに蒸気した頬。
小動物のように小柄な身体で下から護衛を見上げる姿は、最大限に庇護欲をくすぐられる。
「まだ公務中ですよ? どうかしましたか?」
ヴィンセント魔術師団長と魔術の練習に行ったはずがいつの間にか部屋にいる。
護衛は驚きながらも、出来るだけ冷静に対応した。
リリアーナはなんでもないと扉を閉めた。
リリアーナは、執務室からリビングと反対側にあるジークハルトの部屋へ勝手に入る。
ジークハルトはこの部屋から着替えて出てくるが、ここは今まで1度も入った事がない。
その部屋にはクローゼットと本棚、そしてダブルサイズくらいのベッドがあった。
床も壁紙も少し暗めの部屋。
窓もない。
その向こうは浴室だ。
暑かったのでワンピースを脱いで、ジークハルトのシャツを勝手にクローゼットから出して羽織った。
ジークハルトとの身長差は40cm。
普通のシャツなのにリリアーナには膝下だ。
ピッタリのワンピースより、ぶかぶかのジークハルトのシャツの方が涼しい。
ボタンも適当に2個だけ止めてベッドにダイブする。
ふかふかベッドだ。
普段使っていないからだろう。
ジークハルトの匂いはしない。
つまんな~いとリリアーナは起き上がり、執務室を通り過ぎ、リビングのソファーにゴロンとした。
ひんやりしたソファーが気持ちいい。
ふふふと上機嫌に笑う。
公務を終えたジークハルトは執務室に入った瞬間驚いた。
不自然に開いたクローゼット部屋の扉。
そこにあるはずがない脱いだワンピース。
ジークハルトとクリスは顔を見合わせた。
「リナ? どこだ、リナ?」
ジークハルトのクローゼット部屋を覗いても姿がない。
リビングの扉を開けると、ジークハルトのシャツを着たリリアーナがソファーに横になっていた。
「リナ! どうした? 何があった?」
なぜ男物の白いシャツを着ている?
なぜソファーに顔をつけている?
ジークハルトはリリアーナに駆け寄った。
「ジークだぁ。ふふふ」
上機嫌なリリアーナはソファーに顔をつけたまま答える。
明らかに様子がおかしいリリアーナを見たジークハルトは執務室の扉の近くにいるクリスと目を合わせた。
「ジーク、抱っこ」
リリアーナが寝転びながら腕を伸ばす。
潤んだ黒い目で見つめられ、ジークハルトは溜息をついた。
「これは忍耐力を試されているのか?」
ジークハルトが眉間にシワを寄せながらリリアーナを抱き上げると、リリアーナはギュッとしがみついた。
「チューも」
チュー?
知らない単語にジークハルトはそれはなんだと聞く。
「んもう! チューはチューなの!」
リリアーナは自分からジークハルトにキスをする。
ほのかに香るお酒の匂いと甘いショコラの味。
ジークハルトはリリアーナの様子がおかしい理由を知った。
「クリス、酒だ。ショコラに酒が入っていた」
酔っ払いだとジークハルトが言う。
「……魔力が多い人はお酒に弱いのだとスライゴが言っていました。彼もあまり酒は飲みません」
クリスは眼鏡を押さえながら溜息をついた。
ほとんどボタンを止めず、はだけた薄い白いシャツに生脚。
いつもより抱きついてくるリリアーナ。
これでは苦行だ。
ジークハルトはリリアーナのクローゼットからブランケットを取るとリリアーナに巻きつけた。
ジークハルトとクリスは2人ではぁ~と溜息をつく。
ジークハルトは酔っ払いのリリアーナを抱き寄せたままソファーに座った。
「ショコラは美味かったか?」
「うん」
クリスは一旦退室し、執務室の書類整理を始める。
急ぎの書類だけは見て頂かなくては。
「魔術の練習はどうだった?」
「浄化を覚えた!」
浄化は確か夜会でヴィンセントが使った魔術だ。
何をするものかよくわからないが、必要なものなのだろう。
「ヴィン先生と友達になった。あとダンおじいちゃん」
ふふふと上機嫌で笑いながらリリアーナはジークハルトの首元に擦り寄る。
声だけ聞こえるクリスは目を見開いた。
ヴィンセント魔術師団長とダンベルド前魔術師団長と友達?
あり得ない。
彼らは必要以上に関わらない。
エルフでありながらこちらの世界に来ているだけでも珍しいのに、愛称で呼ばせ関わり合いになるなんて。
「友達は、ライとヴィンセントとダンベルドか。もっと普通の友達はいないのか?」
ジークハルトが笑いながら言うと、リリアーナはいな~い!と答えた。
「レオは友達ではないのか?」
ライは友達なのに。とジークハルトが聞く。
「レオは~お兄ちゃんだから友達じゃないの。金髪キラキラな騎士のお兄様の代わりなの」
金髪の兄とはエスト国の兄か。
建国祭で初めに一緒にいた男だろう。
確かにレオンハルトくらいの背格好だった。
どこかの王子かと思ったが騎士だったのか。
「……剣帯の刺繍は、その兄にか?」
「うん。そう。フォード家の家紋をね、刺繍して卒業式にあげたの」
リリアーナの答えにジークハルトはホッとした。
婚約者でもない別の男、建国祭で刺そうとしたあの男に刺繍を贈ったのかと思ったが違って良かった。
エスト国の常識なのだろうか。
卒業式に刺繍の剣帯。
執務室で会話を聞きながら、ウィンチェスタ侯爵に聞いてみようとクリスは思った。
「俺にも何か刺繍をしてくれるか?」
「いいよぉ。そのためにこの前もらったの」
いつもよりも饒舌なリリアーナは今なら何でも正直に答えてくれそうだ。
「俺の事は好きになったか?」
ニヤリと笑いながらジークハルトが尋ねると、リリアーナは軽く、好き~と答えた。
「でもねぇ、生贄なんだって~」
どうしようねぇ~と言いながらリリアーナがジークハルトの首元に顔を埋める。
ジークハルトは目を見開き、クリスは慌てて執務室からリビングへ戻った。
「……生贄?」
クリスが聞き間違いかと思いジークハルトを見る。
「ダンおじい……」
急に途切れた声。
ジークハルトがリリアーナを見ると、目を閉じてすやすやと眠りについていた。
「生贄とは何の話ですか?」
クリスがほんの少しズレた眼鏡を直しながらジークハルトに尋ねる。
「ダンベルドを呼んでくれ」
眉間にシワを寄せたジークハルトの指示にクリスはもちろんですと頷いた。