131.横恋慕
10月になりノアールは臨時講師として帝立学園で働き始めた。
とりあえず3ヵ月の雇用のため研究室はなく、同じ人族という事でスライゴの研究室を一緒に利用させてもらう事に。
「いやー、助かった」
スライゴは綺麗に片付いた研究室をぐるっと見渡しノアールにお礼を言った。
「いえ、こちらこそ。スライゴ先生のお陰でこの国に来られました。ありがとうございます」
ノアールが今まで書いた論文と実物の手錠を帝立学園の学園長へ届けてくれたのはスライゴだ。
講演会よりも講師にした方がいいとアピールしてくれたのも。
ノアールは書類に埋もれそうになっていたスライゴの研究室を1週間ほどかけて掃除をした。
本は本棚に、書類は分類し箱へ入れただけだが、それだけでもかなり片付き、部屋は綺麗な状態に。
スライゴは片付けが苦手らしい。
「今日あの子のクラスの授業でしょ」
「えぇ。会うのは2週間振りです」
ノアールはリリアーナの受けている9年生の魔術回路と12年生の魔術実践、受けていない10年生・11年生の魔術演習の補佐をする。
週2回は授業で会えるのだ。
この環境を与えてくれた父には本当に感謝している。
「……あんまりあの子を困らせないでやってね。一応さ、婚約者がいるんだからさ」
スライゴが悲しそうに笑うと、ノアールも困ったように笑った。
「スライゴ先生~、えっ? 綺麗になってる!」
あまりにも綺麗な部屋で研究室を間違えたかと思ったが、スライゴの白衣が見えてリリアーナはほっとした。
「リリー」
スライゴの向こうに緑の髪が見え、優しい声が響く。
リリアーナは目を見開いた。
「演習室5ですね。一緒に行きましょう」
リリアーナはノアールとスライゴを交互に見る。
スライゴはにっこり笑いながらいってらっしゃーいと手を振った。
ノアールはリリアーナの腰を抱き、さぁ行きますよ。と歩き出す。
リリアーナは振り返りスライゴを見るが、微笑まれただけだった。
久しぶりに腰を抱かれる感覚にリリアーナは真っ赤になった。
横を見ると緑の髪のノアールだ。
ジークハルトは抱き上げてしまうので横を歩くことはほとんどないし、冒険者ハルとは身長差があるので肩を抱かれる。
フレディリック殿下も肩だったので、腰を持つのはノアールだけだ。
「どうしてノア先生、演習室わかるの?」
半年通っているリリアーナでさえ迷子なのに。
リリアーナが尋ねると、歩いて覚えましたよ。と微笑まれた。
これが天才と凡人の違いか。
1回で覚えられる頭はズルい。
リリアーナの頬が少し膨らんだ。
「リリー、こちらの生活はどうですか?」
ノアールの悲しそうな顔がリリアーナの黒い眼に映る。
リリアーナは慌てて目を逸らし、腕輪に視線を移した。
今日の腕輪は赤ラインと青ライン。
何もしない普通の腕輪だ。
「この前、魔力酔いの時にこの腕輪のおかげで起き上がれるくらいになったの。ありがとうノア先生」
腕輪を撫でながらノアールを見上げると、「役に立って良かったです」とノアールが笑った。
「……」
お互いに話したいことはあるはずなのに、うまく会話が続かない。
階段に差し掛かった時、ノアールの手が腰から離れ差し伸べられた。
まるで貴族のエスコートのように差し出された手。
ウィンチェスタ侯爵と侯爵夫人の完璧なお手本のような姿を思い出す。
スカートの代わりに、学園の長すぎるローブを持ちリリアーナはノアールの手を取った。
ゆっくりと降りる2人。
イメージはウィンチェスタ侯爵夫人のように綺麗な所作で。
普段の落ち着きのない態度ではなく、なけなしの気品を精一杯だす。
これならばウェリントン公爵令嬢だと言っても詐欺ではないだろう。
リリアーナは少しだけ微笑み、ノアールも微笑み返した。
学園のそこら辺の普通の階段なのに、完全に2人の世界。
周りの生徒も遠慮して階段を降りるのを待っている。
「……リリー、それはマズいよ」
演習室へ向かうため階段へ向かっていたレオンハルトは2人の姿を見て思わずつぶやいた。
「お似合いだな。あれはどう見ても恋仲だろ? 残念だったなレオ」
ジークハルトの婚約者だと知らないレオンハルトの友人は、『レオンハルトがリリアーナを好き』だと勘違いしているようだ。
「あ、レオ!」
友人が止めるのも聞かずにレオンハルトは階段を駆け降りた。
ただでさえ皇子のレオンハルトは目立つというのに、周りが遠慮して降りなかった階段を慌てて降りる皇子の姿に騒然とする。
「リリー!」
レオンハルトに名前を呼ばれ、リリアーナは振り返った。
「レオ?」
急いでどうしたの? とリリアーナはキョトンとする。
レオンハルトはノアールを睨むと、リリアーナの左手を掴んだ。
「演習室だろ、行くよ」
ノアールから奪い取るようにリリアーナの手を引く。
リリアーナがノアールの方を見ると、ノアールは困った顔で肩をすくめた。
周りから見たら完全に恋仲を邪魔する皇子だ。
噂にならないはずがない。
「マジかよレオ」
友人は誤解をしたままレオンハルトを追いかけた。
「あー。お兄ちゃん想いな殿下だなぁ」
この出来事も記録水晶にしてクリスに送ってやろう。
研究室から2人の後をつけていたスライゴは頭をボリボリ掻きながら研究室へ引き返す。
ノアールは離れてしまった手を少し見つめると、残りの階段を降り演習室へと向かった。
魔術実践の授業は、魔術をできるだけ長く維持する練習からだった。
5秒くらいしか維持できない者もいれば、レオンハルトのように2~3分維持できる者まで、それぞれ魔力量も集中力も違ったが、一人一人に的確なアドバイスを送るノアールはすぐに人気の講師となった。
来年度の正式な講師契約もあっさり決まり、研究室ももらえる事に。
ただし、手続きのため1月にはエスト国へ1度帰らなくてはならない。
ドラゴニアス帝国の帝立学園は1月~3月は長期休暇のため、その間に帰る事になる。
今年は珍しくスライゴも実家に帰ると言うので、2人でイースト大陸まで帰ることになりそうだ。
リリアーナの婚約発表まであと2ヶ月。
リリアーナが結婚できる18歳になるまで残り1年半。
ノアールはネックレスに通した指輪と腕輪を服の上から握りしめ、深呼吸をした。
「ねー、レオ兄がリリーを好きだって噂が流れてるけど」
ラインハルトが夕飯の肉にかじりつきながらレオンハルトに尋ねた。
「俺の婚約者じゃない! って学園内を大声で叫びたいよ」
ジークハルトのために2人の邪魔をしているのだが、側から見ればレオンハルトが横恋慕しているようにしか見えないだろう。
「もー、本当に早く婚約発表してよー。それか、リリーに護衛をつけて近づけないようにするとかさー」
レオンハルトがスープを飲みながら困ったように訴える。
宰相から、寿命の件の報告を受けている皇帝陛下は困った顔をした。
護衛をつけて2人を近づけないようにする事は可能だ。
だが、障害のせいで恋が盛り上がってしまっては困る。
「婚約発表は12月の夜会だ」
あと少しだ。と皇帝陛下はレオンハルトに言った。
「新しいダンスの曲も作っているのでしょう? 楽しみね」
ふふふと皇后が笑う。
「新しい曲?」
ラインハルトが目を丸くする。
新曲に新しい振り付け。
世界一の大国の皇太子の婚約発表で新曲となれば、一気に世界へ広まるだろう。
ジークハルトの執着を感じる演出に鳥肌が立つ。
「……怖っ」
ラインハルトは最後の肉一切れを口に放り込みながらつぶやいた。