129.仲直り
いつものようにゆっくりと目を開けると、今日は鎖骨と黒髪が見えた。
ジークハルトはまだ寝ている。
眠っているのは珍しい。
規則正しい息づかいに肩が揺れている。
昨日は遅くまで外にいたのだろうか。
帰って来なかったらどうしようと不安だったが、居てくれてよかった。
ごめんなさい。
自分の事に精一杯で、ジークの気持ちを全然考えられなくてごめんなさい。
無神経でごめんなさい。
助けてくれて、支えてくれて、ずっと見守ってくれていたのに傷つけてごめんなさい。
リリアーナはもっと温もりを感じたくてジークハルトの首元に擦り寄った。
良い匂い。
ジークハルトの匂いは安心する。
擦り寄り過ぎたのか、抱きかかえる腕が強くなった。
隙間がないくらいの密着が少し苦しい。
リリアーナは酸素を求めて顔を上げた。
目の前にはジークハルトの整った顔。
男らしい顔立ちなので無愛想な時は少し怖い。
強そうで怖そうなのに、笑うと急に優しく見えて反則だ。
黒髪もストレートで羨ましい。
リリアーナは無意識にサラサラの黒髪に触れてしまった。
「……おはよう、リナ」
ゆっくりとジークハルトの目が開いた。
今日も綺麗な金色の眼だ。
「カレー、うまかった」
「昨日は……ごめんなさい」
リリアーナが目を伏せると、ジークハルトはリリアーナの頬を撫で、顔の角度を変えた。
「……悪かった」
謝罪の言葉を言い終わると、ジークハルトはリリアーナの唇を貪った。
激しい口づけが繰り返され、リリアーナの息が苦しくなる。
開いた少しの隙間から酸素を取ろうと必死に息を吸うと、甘い吐息が漏れた。
「……口づけは俺以外とは許さない」
たとえ他の男が好きでも。
ジークハルトの金の眼がリリアーナの黒い眼を捕らえた。
真剣なオスの表情にリリアーナの心臓が跳ねる。
最後は甘い口づけでようやく唇が解放された。
ジークハルトはベッドから起き上がり、サイドテーブルから腕輪を取った。
リリアーナも起き上がらせ、腕輪を通す。
「えっ?」
クリスに渡したはずなのに?
リリアーナは驚いて腕輪とジークハルトを交互に見た。
「これは魔道具だ。……男からの贈り物じゃない」
嫌そうな唸るような声で説明されるけれど、本当はすごく嫌なのだろう。
「……いいの?」
「……必要なのだから仕方がないだろう」
すごく嫌なのに我慢をしてくれているんだ……。
リリアーナはベッドの上で立ち膝になり、ジークハルトに抱きついた。
「ありがとう」
リリアーナから初めてキスをすると、ジークハルトの驚いた顔が見えた。
触れるだけのキス。
だけどかなり恥ずかしい。
「リナ、もっと」
ジークハルトがリリアーナの細い腰を引き寄せる。
リリアーナは真っ赤になりながらもう1度キスをした。
今度はディープキス。
甘いキスにクラクラしそうだ。
立ち膝なのに力が抜け、ベッドに座り込んだ。
「……腰が抜けるほど惚けたか」
ジークハルトが声を上げて笑う。
リリアーナは真っ赤になりながら頷いた。
「これもリナにやる」
サイドテーブルにあった袋をジークハルトはリリアーナに手渡した。
ジャラという音と硬い感触。
リリアーナが袋を開けると、中身はカラフルな石だった。
「魔石だ。あと何個あれば結婚してくれる?」
ジークハルトは揶揄うように笑う。
引き出しに大量にあるのに、さらにこんなに。
大きさも形もバラバラの石がたくさん入っている。
「……もしかして昨日1晩で……?」
Aランクの魔物をこんなに?
倒しすぎでしょう?
「あぁ、迷宮に潜った」
「ケガは?」
リリアーナがジークハルトの手を取り、確認する。
その行動にジークハルトは驚いた。
「石の確認はしないのか?」
貴族の女も、冒険者の女も、店の女も、どんな女も石を見れば喜ぶ。
何色が良いとか大きい方が良いとか、注文ばかりだった。
皇太子もSランク冒険者ハルも、どちらも強いのだ。
ケガを心配する女は今まで一人もいなかった。
「あっ! 火傷?」
ジークハルトの腕が赤くなっている事に気がついたリリアーナは勝手に袖を捲る。
「冷やしたから大丈夫だ」
「そんなことない!」
水ぶくれもある。竜族は痛くないのだろうか?
リリアーナは火傷の上に手を置いた。
治りますように。
ただそれだけを想う。
詠唱とか魔法陣とか難しいことはわからない。
腕が痛くないように。
元通りに治るように。
ただそれだけを考えた。
手のひらが熱くなったが、すぐにいつもの手に戻る。
もしかして治らなかった?
リリアーナは慌てて手を退けた。
「……良かった」
赤みも引き、水ぶくれもなくなった腕を見てリリアーナはほっとした。
「……竜族に魔術は効きにくいのに、なぜ治る?」
ジークハルトの質問にリリアーナは首を傾げた。
効きにくいと言っても、効かないわけではないだろう。
ラインハルトもスリープで眠ったし、サラマンダーの時の冒険者タンクの腕も治ったのだ。
ジークハルトの疑問はよくわからない。
「ありがとうリナ」
魔石を引き出しにしまい、2人で朝ごはんを食べ、公務のため着替える。
今日は水車の報告と、チョークの相談だとクリスが教えてくれた。
抱きかかえられ廊下を進み、膝の上で会議。
今までと変わらない2人の様子に、クリスはもちろん、周りの者はほっと胸を撫で下ろした。
昨日あれだけ修羅場のような現場を見せておいて、今日のこのイチャイチャは一体何なんだ。
真剣に心配した俺の気持ちを返せ!
レオンハルトは、腰を離さないジークハルトと膝の上に乗り続けるリリアーナを見て苦笑した。
クリスをチラッと見ると、こっそりと欠伸をしている姿が見えた。
昨晩は大変だったのだろう。
今のこの状況はクリスのおかげか。
レオンハルトは優秀すぎる補佐官を今すぐ褒め称えたい気持ちを押さえ、本題のチョークの話題を始めた。
「チョークを他国で販売したいから許可くれる?」
レオンハルトの言葉にリリアーナは目を見開いた。
「えっ?」
もう5万個売っていたはずなのに、今から他国?
嘘でしょ?
ドラゴニアス帝国だけで5万個売れたという事?
「この国に出入りしている他国の商人から問い合わせが殺到していまして、ぜひ販売の許可を」
チョークを販売する前にもいた商業ギルドのクマノさんがリリアーナに問い合わせ内容がびっしり書かれた用紙を見せた。
リリアーナがジークハルトを見上げると、好きにすればいいと言う。
「えっと、よくわからないからレオにお任せで……」
リリアーナが困ったように言うと、レオは嬉しそうな顔をした。
「でも他国だとますます大変だよね。国内でも荷物の間違いが多くてさー」
商業ギルドの管理者であるレオンハルトが溜息をついた。
帝都の商業ギルドから地方の商業ギルドへ、チョークを含めたいろいろな商品を送っているのだが、誤配送が多いという。
荷物が多い日には確認も疎かで、受け取った側も気づかずに荷物を開けてから頼んだ物と違うという事もある。
量産品は良いが一点物だと大変だ。
チョークが売れるのは嬉しいけど、それだけが心配とレオンハルトが溜息をついた。
「どうやって運んでるの?」
リリアーナはこの世界の配達方法を知らない。
別邸でも寮でも誰かが届けてくれたからだ。
「荷物に宛先を書いて……。あ、ちょうどあるよ、届いたもの」
レオンハルトが席を立ち、荷物を持ってくる。
箱には『商業ギルド本部 クマノさん』と書いてあった。
「……これで届くの?」
いやいや、無理でしょ。
誤配送するに決まっている。
郵便番号や住所がなく、場所と名前だけ。
例えばここからウィンチェスタ侯爵に手紙を出そうと思ったら、『エスト ウィンチェスタ侯爵』と書くのだとジークハルトが教えてくれた。
すごい無茶振り。
侯爵はまだ特定されるが平民はほぼ無理だろう。
相手を探すのに日数もかかりそうだ。
「レオ、番号をつけたらどうかな?」
せめて郵便番号で地域だけでも特定できれば少しは誤配送が減るのではないだろうか?
「番号?」
レオンハルトが首を傾げた。
「例えばね、ドラゴニアス帝国が10番としたら、他の国を20番、30番ってつけるの。……地図ってある?」
リリアーナは地理が0点だった事を今更思い出した。
この世界に何ヵ国あるのかも知らないのだ。
「これで良い?」
レオンハルトが最近出来上がったばかりの帝都の地図を広げた。
「えっと、世界の地図がいい。国の載っているもの」
リリアーナが指定すると、今ここにはないなぁとレオンハルトが唸る。
「レオ、宰相室」
ジークハルトはリリアーナを抱えて立ち上がった。
宰相室には大きな世界地図が飾られているのだ。
商業ギルドのクマノさんとはお別れし、3人で宰相室へ乱入する。
宰相は急な訪問者に大きな溜息をついた。