126.誤解
馬車の中で泣き続けるリリアーナは、何を聞いても答えてくれなかった。
レオンハルトが自分の荷物とリリアーナの荷物を持って馬車から降りると、泣いているリリアーナを見た騎士が慌てて走って行くのが見えた。
俺が泣かせたわけじゃない。
帝宮の廊下をできれば言い訳しながら歩きたい。
レオンハルトは気まずい思いをしながら、ジークハルトの執務室へ向かう。
執務室のソファーに座らせてもリリアーナは泣き続けた。
「荷物ここに置くよ」
リリアーナは小さく頷き、ありがとうと言った。
レオンハルトがソファーに座ろうとすると廊下が騒がしくなる。
兄上だろう。
レオンハルトは結局座らずにソファーから離れた。
「リナ!」
ソファーで泣いているリリアーナを確認すると、視線がレオンハルトに移った。
「俺のせいじゃないから!」
レオンハルトは全力で手を振り、違いますアピールをした。
怒ったジークハルトは怖すぎる。
「新しい先生が来て、泣き出して、知り合いみたいで、とにかく俺のせいじゃないし!」
ピリピリした空気が怖い。
レオンハルトはジークハルトに睨まれ寒気がした。
「新しい先生?」
クリスが首を傾げる。
リリアーナを抱き上げようとソファーへ近づくと、顔を押さえているリリアーナの腕についている腕輪が目に入った。
「……その腕輪……」
ジークハルトの唸るような声にリリアーナは慌てて腕輪を押さえる。
「それを寄越せ」
聞いた事がない怖い声にリリアーナの身体がビクッと跳ねた。
ピリピリの空気。
怖い声。
威圧だろうか、身体の底から震えが止まらない。
怖い……。
ふいに神託の日の出来事が蘇る。
フォード侯爵に腕を引っ張られ、腕輪が奪われ、突き飛ばされた。
蹴られて、本を投げつけられ、蔓が身体に巻き付く。
リリアーナは、ザラザラとした蔓が這い上がる気持ちの悪い感触を思い出し身震いした。
漆黒の空間。
どこまでも落ちてしまいそうな黒い穴。
モノクルをかけたフォード侯爵が不気味にニヤリと笑う。
あの闇に引きずり込まれたら、もう2度と戻れない。
「いやぁぁぁぁっ!」
リリアーナは頭を抱えてソファーにうずくまった。
誰が見てもわかるくらい身体がガタガタ震えている。
「大丈夫ですか!?」
リリアーナの大きな叫び声に扉の向こうの騎士が慌てて部屋に入って来た。
ソファーにうずくまるリリアーナ。
そばに立つ機嫌の悪いジークハルト。
驚いて立ち尽くすクリスとレオンハルト。
部屋の中は異様な光景だ。
「な、なんでもありません、大丈夫です」
はっとしたクリスが護衛を追い出す。
「ですが!」
「大丈夫です」
クリスは本当に大丈夫ですと騎士を追い出し扉を閉めた。
「……や……蹴らないで……」
震えが止まらない身体をソファーに沈めながらリリアーナは怯え続けた。
「蹴る……?」
レオンハルトは驚いてクリスの方を振り返った。
ジークハルトが蹴ったりするわけがない。
クリスは慌てて首を左右に振った。
ジークハルトの奥歯がギリっと鳴る。
手を強く握り締め、リリアーナのそばから離れた。
機嫌の悪いまま隣の部屋へ行き、冒険者の服に着替える。
髪の色も長さも変え、Sランク冒険者のハルの姿になった。
「ジーク様!」
クリスが止めるのも聞かず、剣を下げ、執務室の机からドッグタグを取り出すと何も言わずに出て行く。
機嫌は最悪なままだ。
廊下がざわつき、護衛が慌てて追いかける足音が聞こえてくる。
残されたクリスと、何が起きているのかわからないレオンハルトは顔を見合わせた。
クリスは怯えるリリアーナに近づいた。
ソファーの下にしゃがみ込み、躊躇いながらリリアーナの背中にそっと触れる。
「リリー?」
ビクッと跳ねる身体。
クリスはリリアーナの背中をゆっくり摩り、落ち着いてと話しかけ続けた。
「……クリス兄様……?」
ガタガタ震える身体のままリリアーナはようやく顔を上げた。
当然だが、フォード侯爵はいない。
「大丈夫ですか?」
心配するクリスと、その向こうにレオンハルトの姿が見える。
だが、ジークハルトの姿がない。
「兄上はさっき出て行っちゃった」
困った顔でレオンハルトが告げると、クリスも申し訳なさそうな顔をした。
「……ウィンチェスタ侯爵から腕輪が届いたのですね?」
クリスが優しく尋ねると、返事をしたのはレオンハルトだった。
「あ! ウィンチェスタ先生だ」
そうそう! その名前! とレオンハルトが言う。
「……御子息ですか?」
クリスの質問にリリアーナは頷いた。
ジークハルトはおそらく腕輪の匂いに反応したのだろう。
他のオスの匂いがしたのだ。
強く言いすぎ、怯えさせ、それでも気持ちを抑えられず部屋から出て行った。
これ以上リリアーナを怯えさせないように。
傷つけないように。
「……ジーク様は他のオスからの贈り物が気に入らなかったのです。怖がらせてすみませんでした」
以前、ウィンチェスタ侯爵から贈りたいと聞いていたのに実物を見たら我慢が出来なかったのだとクリスは説明する。
他のオスからの贈り物……?
……私も嫌だ。
ジークハルトが綺麗なお姉さんからもらった物を持っていたら嫌だ。
リリアーナは腕輪を見た。
魔道具の腕輪は、赤と青のラインを切り替えるデザイン。
知らない人が見ればただの腕輪だ。
これが魔道具だとは思わないだろう。
装飾品は婚約者から贈られるべきもの。
婚約者以外からもらった物を何も疑問に思わず、学園でもらったときから今まで腕につけていた。
魔道具だからと、装飾品である事を気にもしなかった。
あまりにも無神経ではないだろうか。
ジークハルトが怒るのは当然だ。
「……ごめんなさい……」
リリアーナは自分の左腕から腕輪を抜き取り、クリスに手渡した。
「……神託の日、父に腕輪を取られたんです。突き飛ばされて、蹴られて、闇の魔法陣が出て。怖くて。2つ目と3つ目の腕輪は建国祭でユイに。……私、腕輪には縁がないみたい」
泣きながら自嘲するように笑うリリアーナ。
クリスとレオンハルトは顔を見合わせた。
「……彼からの贈り物を取られたくなかったのではなくて……?」
クリスが不思議そうに尋ねると、リリアーナは困ったように笑った。
ジークハルトは絶対に誤解をして出て行った。
リリアーナが元婚約者からの贈り物をジークハルトに取られたくなくて叫んだと。
蹴ってまで奪おうとすると思われたと。
……早く誤解を解かなくては。
迷宮に潜ってしまっただろうか。
確か未踏破の迷宮があったはずだ。
冒険者ギルドからSランク冒険者ハルに依頼が来ていた気がする。
だいぶ機嫌が悪かったので朝まで帰ってこないかもしれない。
クリスは額を押さえ、悩み始めた。
「ねぇ、あの先生とリリーってどういう関係?」
知り合いだよね?
ソファーに座りながら、話がよくわからないレオンハルトは尋ねた。
「……魔術の家庭教師」
ずっと教わっていたとリリアーナは答えた。
「懐かしくて泣いたって事?」
それにしては泣きすぎな気がする。
レオンハルトがじっとリリアーナを見つめると、金の眼に耐えられなくなったリリアーナが顔をそむけた。
髪の色が違ってもやっぱりジークハルトとレオンハルトは兄弟なのだ。
「……婚約者……だった人」
リリアーナの小さな呟きに、レオンハルトが目を見開いた。
「え? ちょっと待って? どういう事? 兄上の番でしょ?」
「人族には番という気持ちはないのです」
ズレてもいない眼鏡のブリッジを押さえながらクリスは溜息をついた。
「リリーはあの先生が好きってこと……?」
聞いてはいけない一言だが、レオンハルトは聞かないわけにはいかなかった。
魔術を使っている時も、トリを結界に閉じ込めたあとも、2人の雰囲気は普通ではなかった。
ジークハルトがリリアーナを想っている事は知っている。
執着がすごいと宰相も頭を抱えていた。
元婚約者がこの国まで追いかけてきたという事は、想い合っている2人をジークハルトが引き裂いたという事なのだろうか……?
リリアーナは俯いて何も答えない。
クリスを見ても困ったように微笑むだけ。
「……兄上……」
知ってはいけない衝撃の事実。
レオンハルトは愕然とした。
「レオンハルト殿下、今日の様子を教えていただけませんか? 何があったのか」
クリスはリリアーナの背中から手を離し、立ち上がった。
手帳を広げメモをする態勢を取る。
「……魔術実践だったからリリーの方はあまり見ていなくて。……スライゴ先生なら1番後ろにいたから見てたと思う」
レオンハルトの言葉にクリスは目を見開いた。
「……スライゴ? 彼もその場に?」
偶然? それとも知っていた……?
スライゴに記録水晶を作ってもらって、宰相に報告して、ジークハルトの誤解を解いて、ウィンチェスタ侯爵に手紙を書いて。
あぁ、やることがいっぱいだ。
「リリー、この腕輪、私が預かっておいて良いのですか?」
クリスが渡された腕輪をリリアーナに見せて確認すると、リリアーナは迷うことなく頷いた。
「迷惑ばかりかけてごめんなさい」
泣き顔で辛そうに微笑むリリアーナに、クリスもレオンハルトも困った顔で微笑んだ。