125.結界
金曜日5時間目。
魔術実践はいつもより広い演習場だった。
「はい、着いたよ」
「ありがと、スライゴ先生」
この帝立学園はとても広大で、リリアーナは未だに迷子になる。
「たまには授業でも見ていくかな」
どうせ帰りも迷子でしょ。とスライゴは笑う。
そんな事ないと言い切れない自分が悲しい。
演習場の前方にいたレオンハルトがリリアーナに気づいて手を振ってくれた。
魔術実践の先生から配られたプリント。
スライゴにオマケ問題だと渡された入学テストだ。
スライゴの方を振り返ると、ニヤリと笑われた。
きっと今日やると知っていたのだろう。
グループごとに実施のため、リリアーナはレオンハルトの所へ向かった。
「ではグループで10分相談。その後はトリで実践します」
先生の合図でグループごとに相談が始まる。
「このグループはこれをやってくださいね」
先生がリーダーのレオンハルトに1枚の紙を手渡した。
リリアーナの答案用紙だ。
他の答案用紙は点数がつけられて返ってきたのに、これだけ返って来こなかったのはオマケ問題だからだと思っていたが違ったみたいだ。
「リリー、これ……できるの?」
レオンハルトもレオンハルトの友人もリリアーナを見た。
「ええ~、結界がまだ作れないんだけど、どうしよう」
魔道具を使ってやった事はあるけど。
グループには水も火も土もいるので結界さえできれば試す事は可能だが、肝心な結界ができていない。
別邸でノアールと結界の練習をした時は凍って失敗したのだ。
ノア先生と。
……思い出したらダメだ。
リリアーナは胸がえぐられるような思いに駆られて思わず俯いた。
グループは自分たちで4月に決めたグループ。
人数も属性も種族もバラバラ。
今年は5個のグループに分かれたが、特に何個のグループと決まってはいない。
各グループ、それぞれの特徴を活かして実践をしていく。
面白そうな方法もあれば面倒な方法もあったが、エスト国の特別講座とは違う発想の新しい方法ばかり。
リリアーナは夢中で他グループの実践方法を見た。
最後はレオンハルトのグループだ。
とりあえずやってみるしかない。
演習場の1番後ろでスライゴががんばれと手を振ってくれた。
「リリー、出来るだけ頑張って」
レオンハルトに励まされ、リリアーナは頷いた。
手を前に出し、深呼吸する。
よし! と覚悟を決めたところで演習場の扉が開いた。
授業中だというのに学園長ともう1人が入室した演習室は少しざわつく。
「……嘘……」
リリアーナは小さな声でつぶやいた。
綺麗な緑髪。
見間違えるはずがない。
長い緑の髪をサイドで束ね、眼鏡に黒のローブ。
リリアーナの大きな黒い瞳からボロボロと涙が溢れた。
「どうしたのリリー?」
溢れる涙を拭きもせず、学園長ともう1人を見続けている。
「知り合い?」
レオンハルトの言葉にリリアーナは答えることもなく、レオンハルトの背中に隠れた。
止めどなく溢れる涙を袖で拭き、レオンハルトの背中にしがみつく。
「10月から臨時講師となるウィンチェスタ先生です。せっかくなので最後のグループを指導して頂きます」
魔術実践の先生がノアールを紹介し、みんなが拍手をするとノアールは優しい笑顔で微笑んだ。
「よろしくお願いします。では最後のグループの方法を教えてもらえますか?」
レオンハルトに近づき、リリアーナの答案用紙を受け取る。
ノアールはレオンハルトに隠れきれていないリリアーナを切なそうに見つめると、グループメンバーに微笑んだ。
土属性、水属性、火属性を確認し、火属性のレオンハルトに話しかける。
「魔術の時差発動は可能ですか?」
ノアールの論文の内容だ。
リリアーナの方法を実践するには必要になる。
「火属性以外のみなさんも自分の属性でぜひ試してください」
ノアールは火を出し、手の上で待機させる。
そのまま2つ目の火を出すと、演習場から歓声が上がった。
「すっげー!」
「嘘だろ?」
真似してやってみる者も数人いたが、1つ目しか発動しない。
レオンハルトが小さな火を手の上に出すと、ノアールはそのまま火に集中して維持するように指示を出した。
「そう、上手ですよ」
ノアールの優しい声にリリアーナが嗚咽をあげる。
レオンハルトの集中が切れそうな絶妙なタイミングでノアールはレオンハルトに話しかけた。
「そのまま、こちらに集中して。もう片方の手に火を」
レオンハルトが言われたままにやってみると2つ目の火が手に乗った。
「レオ、すげー!」
グループメンバーが興奮する。
1番驚いているのは成功させたレオンハルト自身だ。
こんな事ができるなんて知らなかった。
「今できなくても大丈夫です。10月からやり方を教えますので安心してくださいね」
ノアールの柔らかい笑顔に、クラスメイトが盛り上がった。
すごい先生が来たと大喜びだ。
学園長も納得の様子で頷いている。
「では始めましょうか。リリー?」
レオンハルトに隠れているリリアーナにノアールが話しかけると、リリアーナの身体がビクッと揺れた。
「さぁ出てきてください。授業中ですよ?」
声をかけながら、優しい緑の眼が覗き込む。
「……ノア先生……」
リリアーナはゆっくりとレオンハルトの背中から離れた。
久しぶりに会うのに涙でぐちゃぐちゃになった顔は見られたくなかった。
俯きながら姿を見せるリリアーナにノアールは困った顔で微笑んだ。
ノアールはリリアーナの後ろに立ち、別邸の魔術演習のようにそっと手を握る。
左腕にするっと通される腕輪。
以前ウィンチェスタ侯爵がジークハルトに見せていた腕輪だ。
赤いラインは魔力を吸い取る方。
「では水属性の君、トリの足を凍らせてください」
ノアールの指示でトリが動きを封じられる。
「土属性の君は、トリから30cmほど離れた位置に深さ10cmの穴を4ヶ所。そこへ水を5cmほど入れてください」
細かい指示にレオンハルトの友人達が従った。
リリアーナの答案用紙にはそこまで細かく書かれていない。
「火属性は少し待ってくださいね」
優しく微笑みながら、ノアールはリリアーナの手を前へ出した。
「さぁ、リリー。集中しましょう」
涙が止まらないリリアーナの耳元でノアールの声が響く。
異様な光景にクラスメイトは息を呑んだ。
「風魔術でシールド」
リリアーナは頷き、風の壁を出す。
「みんなに見えるように色をつけましょう。フォード家の水色。別邸のリビングの壁紙の色にしましょう」
リリアーナは泣きながら水色をイメージする。
薄い水色の壁にレオンハルトの友人が、すげーと声を上げた。
「では丸く」
指示の通りに丸くなる風のシールド。
「次は箱型に。ショコラの箱ですよ」
誕生日にウィンチェスタ侯爵からもらったショコラの箱をイメージすると、風のシールドは綺麗な四角になった。
ノアールは指先を確認し、左腕の腕輪を赤ラインと青ラインの半々に切り替える。
魔力を吸い取るのをやめたのだ。
「そのまま維持しましょう」
優しい声にリリアーナは泣きながら頷いた。
「では火を。水の入った穴の上に30cmほど浮かせて置いてください。2ヶ所行けますか?」
ノアールの指示に従い、レオンハルトが2ヶ所に火を飛ばす。
残りの2ヶ所はノアールが火を置いた。
何が起こるのか知らないクラスメイトはじっとトリを見つめる。
「リリー、結界をトリの上に。少し大きくしながら被せましょう」
トリにちょうど良いサイズで水色の結界が被されると、ノアールはレオンハルトに火を落とすように指示をした。
タイミングを見計らい、ノアールも火を落とす。
「上手にできましたね、リリー」
耳元で優しく誉めながらノアールは左腕の腕輪を青ラインに切り替えた。
魔力がリリアーナに戻っていく。
ノアールは指先が暖かくなった事を確認すると、手をゆっくりと離した。
結界の中ではトリが蒸し焼きにされる。
クラスメイトも先生もトリに釘付けだ。
ノアールはリリアーナを後ろから抱きしめ、首元に顔を埋めた。
「リリー、会いたかったです」
強く抱きしめるノアールは少し震えている。
「……ノ……ア先……生」
リリアーナの涙がノアールの腕に落ち、ローブに水滴がついた。
「……リリー」
切ない声がリリアーナの耳に届く。
ノアールの声、ノアールの腕、ノアールの香り。
別邸で過ごした頃と同じだ。
リリアーナはボロボロと溢れる涙を止める事ができなかった。
バタンと音がすると一斉に歓声が上がった。
リリアーナの結界も消え、倒れたトリが見やすくなる。
ノアールは名残惜しそうにゆっくりとリリアーナから離れた。
何事もなかったかのように学園長と魔術実践の先生の元に戻り、終わりましたと報告する。
「具体的な距離がなかったのと、少し技術が必要なので、彼女の点数は95点あたりでいかがでしょうか?」
ノアールが緑の眼を細めて微笑むと、学園長が同意しリリアーナの答案に点数がつけられた。
「……大丈夫? リリー?」
泣き続けるリリアーナにレオンハルトが声をかける。
リリアーナは袖で顔を拭きながら首を横に振った。
授業の終わりを告げる鐘がなる。
学園長と演習場を出て行くノアールとうずくまって泣くリリアーナ。
レオンハルトは友人との約束を延期し、リリアーナを今すぐ連れて帰ることに決めた。