119.補佐官
「遅刻するぞ」
頭を優しく撫でながら、ジークハルトはリリアーナを起こした。
昨日眠るのが遅かったのだ。
起きれないのは当然だが。
遅刻……?
リリアーナはゆっくりと目を開けた。
時計を見ると今日も30分遅い。
嘘でしょ!
リリアーナは飛び起きた。
今日も急いで身支度し、白いローブとカバンを手に取った。
侍女のミナに朝食を包んでもらい、昨日と同様ジークハルトに抱えられて馬車へ向かう。
ミナの顔が赤かったがどうしたのだろうか?
学園のローブを早く着た方が良いと言いながら朝食を渡してくれた。
寒いから早く着ろって事?
リリアーナは首を傾げた。
「今日は授業が終わったら図書室には行かずに帰ってこい」
昨日のように馬車へ乗せられると、昨日は揶揄ってきたラインハルトが真っ赤な顔で口をパクパクしながらリリアーナを指差した。
「行ってきます」
馬車が動き出し、昨日のようにリリアーナは朝食のパンを咥えた。
今日はトリの照り焼きサンドだ。
「食べたいの? ライ」
昨日と違い、真っ赤な顔のままラインハルトが首を横に振る。
「……まだ早くない?」
一応さ、まだ子供じゃんとラインハルトがごにょごにょ言う。
照り焼きサンドは食べたらダメだったのだろうか?
トリが生焼け?
見た感じでは焼けてそうだけど?
リリアーナは照り焼きサンドの向きを変えて眺めてみたが普通に美味しそうだ。
「……気づいてないの?」
ラインハルトがリリアーナを指差すがリリアーナは首を傾げた。
照り焼きサンド?
再び照り焼きサンドの向きを変えるリリアーナを見たラインハルトは、通じないと思ったのか人差し指を自分の首の横に押し当てた。
首から段々下に、順番に指を押し当てる。
鎖骨の上にも鎖骨の下にも。
リリアーナは目を見開いた。
まさか。
慌てて下を確認すると、左胸の上辺りに赤い痕が見えた。
服にぎりぎり隠れない位置だ。
リリアーナは照り焼きサンドを持っていない方の手で首を押さえながら真っ赤になった。
ミナが早くローブをと言った理由はこれだったのだ。
少しでも隠せと。
リリアーナは照り焼きサンドをラインハルトに持たせると、慌てて白いローブを羽織った。
「ま、まだ見える?」
鏡がないので確認できない。
リリアーナがラインハルトに尋ねると、首は見えるけど髪があるから気にしなければ見えない。と教えてくれた。
今日は髪は縛らない。絶対!
ラインハルトから照り焼きサンドが戻され、馬車は気まずい雰囲気のまま学園へと向かった。
「おはようございます。ジーク様」
今日の予定を伝えにきたクリスを、珍しくジークハルトは待ち構えていた。
聞きたいのは建国祭にいた騎士の事だ。
今日の公務はどうでもいい。
「ウィンチェスタ侯爵が言っていた隣国の姫の騎士ですか」
姫は非常識、騎士も剣を持ち込んで変な2人でしたねとクリスは困ったように笑った。
「覚えている事を全部話せ。あと、護衛だった2人も呼べ」
クリスとエスト国へ行った護衛2人に、当時の様子を覚えている限り聞きだす。
隣国の騎士は初めからリリアーナを見ていた事を第1騎士団長から聞いたジークハルトは眉間にシワを寄せた。
「どこだ! とか返せ! とか騒いでいたような」
茶髪の騎士が当時を思い出す。
3ヶ月ほど前の話で記憶はだいぶ曖昧だ。
「ジーク様のお嫁さんになるとか言っていましたね」
変な姫でしたねとクリスが苦笑した。
「その者たちが何か? 先日のウィンチェスタ侯爵の話では行方不明でしたよね?」
クリスが眼鏡の鼻当てを押さえながらジークハルトに尋ねた。
「……リナの昔の男だ」
自分と出会う前とはいえ、口づけまでした相手を刺そうとするような男に1度でもリナを独占されたのだ。
剣を蹴るだけでなく、本人も蹴ってやればよかった。
「いえ、元婚約者はウィンチェスタ侯爵の御子息なので、緑髪の方ですよ?」
クリスが説明すると、第1騎士団長は絶句した。
護衛がいる事を許された扉からは会話はあまり聞き取れず、何か揉めている事しかわからなかった。
人物関係もよくわからなかったが、想像以上に壮絶な現場だったのだ。
「その前だ」
「ですが、リリーは5歳から御子息と」
その前とはどういう事だろうか。
「もし、この国であの騎士を見たらすぐに知らせろ。来る可能性がある」
悩むクリスを横目に、ジークハルトは第1騎士団長と護衛に指示をした。
顔を知っているのはお前たちだけだ。と護衛を睨む。
絶対に見逃すなと言うことだ。
「わかりました」
赤髪の第1騎士団長はため息をついた。
茶髪の騎士は、顔は覚えてます! と頑張るアピールをする。
2人はそのまま退室し、執務室はジークハルトとクリスのみになった。
「クリス、創世記の女神の服装はわかるか?」
急な話の切り替えにクリスは一瞬「は?」となった。
お前の方が詳しいだろう? とジークハルトは言う。
「えーっと、確か……」
クリスは持っていた手帳に軽く絵を描いた。
絵はあまり自信がないが、雰囲気だけでも伝わればいい。
こんな感じだった気がします。とクリスはジークハルトへ見せた。
「巫女、袴、この言葉に聞き覚えは?」
「いいえ、ありません。何ですか?」
たぶんその服の名前だ。とジークハルトはクリスの手帳の絵を指差した。
「白いセカイで、白い少女が川・海・草原を作って、動物・種族を出したそうだ」
ジークハルトは昨晩リリアーナから聞いた白いセカイの話をクリスにした。
創世記の第3話。
犠牲になり女神となった初代ドラゴニアスの妻が作ったセカイは、詳細の記載はない。
研究者向けの本も、こども向けの本もすべて一緒。
『白いセカイに新しい世界を作りました。』の1行だけだ。
川から作ったという記載はどこにもない。
誰も知るはずがない出来事。
「どう思う?」
ジークハルトの言葉にクリスは心当たりがあった。
創世記の白いセカイについて記載されたのはたった1冊。
「……初代、ドラゴニアス皇帝の手記だと思います」
クリスが思い出したように呟くと、ジークハルトは満足そうに微笑んだ。
やはりお前は優秀だとでも褒めてくれそうな顔だ。
「あと、白いゴハン、トーフノミソシル、サケ、ダシマキタマゴ、パリパリのノリはわかるか?」
暗号のような言葉に、クリスはもう1度! と聞きなおし、手帳へメモをした。
「同じものかはわかりませんが、ウエスト大陸のどこかの国にミソという変わった調味料があったと思います」
ミソ、ミソシル。
一緒かどうかはわからない。
「調べてくれ」
ジークハルトの言葉に、クリスは頷いた。
「あと、寝室の隣の部屋を改装する」
ジークハルトの急な思いつきにクリスは再び「は?」となった。
「リナの誕生日プレゼントだ。急いで手配しろ」
リリアーナの誕生日まであと5日。
急いでと言われてもかなり無理がある。
「本気ですか?」
クリスが眼鏡の鼻当てを押さえながら確認すると、ジークハルトはニヤリと笑った。