115.寿命
今日は木曜日。
午後の授業はない日だ。
「スライゴ先生?」
リリアーナは寿命の事を聞きたくてスライゴの研究室を訪れた。
同じ人族であるスライゴなら相談しやすいと思ったのだ。
「今日はどこの部屋?」
書類の山に埋もれながらスライゴが顔だけひょこっと出した。
どうやら片付けは苦手らしい。
ウィンチェスタ侯爵の友人であるスライゴ侯爵の息子。
学園の入学テストでもお世話になったが、時々、学園のルールがよくわからない時や、困った時に助けてくれる。
よく助けてもらうのは、授業の部屋がわからない時。
この学園は大きすぎて、ちょっとだけ方角に自信がないリリアーナには演習場8と言われてもどこかわからないのだ。
「先生に相談が……」
「いいよー。何?」
バサバサっという音と共にスライゴが立ち上がるのが見えた。
「えーっと、竜族と……人の違いっていうか……」
「あー。もしかして寿命?」
わざわざハッキリ聞かなかったリリアーナの思いはあっさりと打ち砕かれた。
スライゴはそこら辺の紙を適当に1枚取ると、白い方を表に向けて数字を書き始める。
100→17、200→25、500→45、1000→70。
「聞きたい事はこれ?」
スライゴは苦笑した。
自分もこの国で生活している間に思ってしまった事だ。
「俺とクリスはね、友達になって10年経つんだ」
自分の国の高等科を卒業した18歳からドラゴニアス帝立学園へ留学し、もう12年になる。
「俺は18歳から30歳でおっさんになったのに、クリスはずっと変わらず25歳くらいのままなんだ」
スライゴの言葉にリリアーナが顔を上げた。
自分の方が子供だったのに、いつの間にか自分の方が老けて見えるようになった。
もうこのまま差は広がる一方だ。
さっき書かれた数字は、竜族の100歳→人族の17歳という事。
「だいたいだから正確じゃないけど、目安にはなるでしょ?」
スライゴが悲しそうに笑う。
この数字の並びだと、82歳のラインハルトは人の15歳、143歳のレオンハルトは20歳で兄エドワードと同じくらい。
208歳のジークハルトは25歳、ノア先生と同じくらい。
見た目の印象と合っている。
「3年後、君が卒業したら国に帰るよ」
侯爵の勉強もそろそろしないとねとスライゴが肩をすくめた。
これでも闇の一族であるスライゴ侯爵の嫡男だ。
こんな年齢まで自由にさせてくれた父には感謝している。
「国に……帰る?」
リリアーナの黒い大きな目が揺れた。
リリアーナには帰る国はない。
国外追放だからだ。
「……君はどうするの?」
スライゴの質問にリリアーナは回答する事ができなかった。
俯き、スカートを握る。
「……先に逝く者と、残される者。どちらも辛いね」
スライゴの言葉はリリアーナの不安そのものだった。
リリアーナはお礼を言うと、数字の紙をもらって研究室を出た。
次は図書室へ。
竜族やドラゴンの本を探し、時間も忘れてページを捲り続けた。
「……帰って来ていない?」
公務を終え、執務室へ戻ったジークハルトとクリスは侍女のミナからリリアーナが学園から帰って来ていない事を相談された。
「今日の授業は午前だけでは?」
「いつもはお昼ご飯を食べて1時半頃には。」
そろそろ暗くなる時間だ。
研究していないリリアーナがこの時間は遅すぎる。
「メラスで飛ぶ」
ジークハルトはクリスの静止も聞かず、黒竜メラスに騎り学園へ飛んで行ってしまった。
赤髪の第1騎士団長が赤竜で慌てて追いかける姿がジークハルトの執務室から見える。
「すれ違いになるといけないので我々はここで待ちましょう」
クリスの言葉に侍女のミナは頷いた。
リリアーナは図書室で読み終わった本を閉じた。
窓の外はいつの間にか暗い。
リリアーナは慌てて立ち上がった。
どうしよう。
遅くなってしまった。
カバンを持ち、横に積んでいた本を慌てて片付けようと手に取る。
「リナ!」
図書室で聞こえるはずのないジークハルトの声。
思わず手を離してしまい、本が音を立てて机に落ちる。
「……あ」
6冊の本が机の上に散らばった。
「……ごめんなさい」
夢中で読みすぎたのだ。
今まで暗くなっていることに全く気がつかなかった。
「全部読んだのか?」
「これはまだ……あとはだいたい」
リリアーナは青い表紙の本をまだ読んでいないと指を差した。
ジークハルトは青い本以外を手に取り、ラベルの数字を元に本棚へ片付けていく。
リリアーナは残された青い本を手に取り、片付けた。
「借りなくていいのか?」
ジークハルトの問いにリリアーナは小さく頷いた。
空気がピリピリする。
きっとジークハルトは怒っている。
連絡もしないで帰りが遅かったのだ。
心配して探しに来てくれたのだろう。
「……ごめんなさい」
リリアーナが再び謝るとジークハルトは溜息をついた。
ジークハルトはカバンを奪うと赤髪の騎士団長へ渡し、リリアーナを抱き上げた。
図書室を出て屋外へ進む間、ジークハルトは何も言わない。
後ろを歩く騎士団長の困った顔が見えた。
「……メラス?」
暗い広場の中に光る金の眼。
返事をするかのように黒竜メラスはグゥと鳴いた。
そのままジークハルトは黒竜メラスの側へ。
そのまま乗るような体勢だ。
「む、無理です」
リリアーナは目を見開いた。
ドラゴンに乗れるわけがない。
莉奈は飛行機から落ちて死んだのだ。
「大丈夫だ。ちゃんと抱える」
初めてドラゴンに乗る子供はワクワクする子、萎縮してしまう子の2択。
ドラゴンに馴染みのないリリアーナが怖がるのも当然だ。
ジークハルトは気にせずそのまま乗ろうと手綱の準備を始めた。
「ジーク様、無理です。ごめんなさい」
リリアーナは必死で訴えた。
飛ぶのは怖い。
黒竜メラスから落ちる事はないだろうが、でも怖いのだ。
「しっかりくっついていろ」
ジークハルトはリリアーナを子供の抱っこのように抱えると、黒竜メラスに騎り右手で手綱を握った。
「ま、待って! 本当に無理です!」
ジークハルトはリリアーナの背中を左腕でガッチリ抱え込むと黒竜メラスに指示を出し浮かび上がった。
飛行機の離陸のような浮遊感。
内臓がふわっとする感覚。
怖い。
リリアーナの身体がガタガタを震え出した。
飛行機が海の上に落ちた瞬間は覚えていない。
旋回して、窓の外に青い空が見えて、海が見えて、次の瞬間は白い世界だった。
「お……落ち……助け……」
ジークハルトの腕の中で大きく震えるリリアーナ。
「リナ、落ち着け」
いくら初めてでも怯えすぎではないか?
もう上空に上がりきっており、黒竜メラスは安定して飛んでいる。
「怖……死……嫌……」
リリアーナは必死でジークハルトにしがみついた。
身体の震えは止まりそうもない。
「リナ、顔を上げろ」
ジークハルトはリリアーナの背中をしっかり抱え込んだまま、耳元で囁いた。
青白く泣きそうな顔でリリアーナが顔を上げる。
ジークハルトはいい子だと囁きながら優しく口づけした。