108.再会
今日の授業を終えたリリアーナはいつも通りジークハルトの執務室へ戻ってきた。
この時間はいつも公務でジークハルトもクリスもいない。
2人が帰ってくる前に宿題をやってしまおうと思いながらリリアーナは扉を開けた。
「おかえり、リリアーナ」
緑の眼を細めて微笑んだ人物は、そこにいるはずがない人だった。
緑の髪の人物がソファーからゆっくり立ち上がり両腕を広げる。
リリアーナはカバンを持ったまま抱きついた。
「おとうさま! おとうさま!」
子供のように勢いよく抱きつくリリアーナをウィンチェスタ侯爵は優しく受け止める。
「少し痩せたかい?」
優しい声。
森のような匂い。
本物のウィンチェスタ侯爵だ。
「いい子にしていたかい?」
ウィンチェスタ侯爵はリリアーナの涙に濡れた頬を両手で優しく包み込むと、顔を上げ、おでこに口付けた。
不安な時にいつもしてくれるおまじないだ。
リリアーナがうんうんと頷くと、ウィンチェスタ侯爵は緑の目を細めて微笑んだ。
「……ジーク様。親子の再会です」
今にもリリアーナを奪い返そうとするジークハルトをクリスが止めた。
大目に見てくださいと説得する。
ジークハルトは奥歯をギリッと鳴らしながら親子の再会を睨んでいた。
ウィンチェスタ侯爵はリリアーナの涙をハンカチで優しく拭くと、リリアーナにもソファーへ座るように促す。
我慢ができなくなったジークハルトは立ち上がり、リリアーナを抱き上げた。
そのままいつも通り、リリアーナは定位置の膝の上に座らされる。
その光景に驚いたウィンチェスタ侯爵がクリスを見ると、クリスは申し訳なさそうに笑った。
「……大切にされているようだね」
息子の初恋を応援してやりたいが、大国の皇太子が相手では手が出せない。
ウィンチェスタ侯爵は困った顔で微笑んだ。
リリアーナが学園へ行っている間に、ウィンチェスタ侯爵は皇帝陛下に挨拶をし、ジークハルト・宰相・クリスと話をさせてもらっていた。
エスト国で起こった事の報告は当然のことながら、建国祭では時間がなく伝えられなかった事を話したのだ。
5歳で魔術が使えた事、7歳の時にフォード侯爵が失踪した事、常にフォード侯爵に怯えて生活をしていた事。
結局自分ではリリアーナを守ってあげられなかったと後悔していることを告げた。
建国祭の日にドラゴニアス帝国のヴィンセント魔術師団長と会っていた理由も話し、リリアーナをフォード侯爵から守ってほしいとウィンチェスタ侯爵は懇願した。
宰相からは、こちらの国での生活の様子、ジークハルトが求婚した事、ラインハルトとの学園での事件、レオンハルトとチョークを共同開発している事など伝えられ、ウィンチェスタ侯爵は養父である宰相へ御礼を述べた。
「リリアーナに贈り物をしても?」
もうすぐ誕生日なのでとウィンチェスタ侯爵がジークハルトへ尋ねると、ジークハルトは少しイヤそうな顔をした。
「もちろんどうぞ」
勝手にクリスが答えると、ジークハルトはクリスを睨む。
ウィンチェスタ侯爵はソファーの横のカバンからリボンのついた箱を取り出し、リリアーナへ手渡した。
「リリアーナ、少し早いけれど誕生日おめでとう」
「ありがとう。おとうさま」
リリアーナはこの箱に見覚えがある。
王宮からもらうお菓子はいつもこの箱だ。
「ショコラ?」
「そうだよ」
ウィンチェスタ侯爵が微笑むと、リリアーナは満面の笑みで喜んだ。
「……何だ?」
変わった匂いにジークハルトの眉間にシワが寄る。
「リリアーナの好きなお菓子です」
ウィンチェスタ侯爵が答えるとジークハルトの眉間のシワは深くなった。
自分よりもリリアーナを理解しているのが気に入らないようだ。
「ジーク様、ウィンチェスタ侯爵はずっと後見人だったので」
クリスの謎のフォローにジークハルトは舌打ちする。
「……あと、まだ完成していないのですが、後日、魔道具の腕輪を渡す事をお許し頂きたい」
「何の魔道具だ?」
「リリアーナの魔力を吸い、必要な時に戻す魔道具です」
ウィンチェスタ侯爵の言葉にジークハルトもクリスもリリアーナも驚いた。
「リリアーナは昔から魔力に悩まされてきました。魔力滞留、魔力酔い、魔力不足」
多い時の魔力を少ない時に回せないかという発想で作り始めたとウィンチェスタ侯爵は言う。
まだ魔術回路を書き込んでいない腕輪を出し、3人に見せた。
青いラインの入った腕輪だ。
ウィンチェスタ侯爵は腕輪の一部をクルッと回す。
すると、青いラインの一部が赤いラインに変わった。
さらに反対を回すと全部赤ラインに。
「赤の時に魔力を吸い取り、青の時に魔力を戻そうと思っています。赤と青が半々の時は何もしません」
通常は半々で腕にはめておき、魔力酔いの日に魔力を吸わせて、魔力不足の時に身体へ戻す。とウィンチェスタ侯爵は赤と青を切り替えながら使い方を説明した。
「贈っても良いでしょうか?」
まだ出来上がっていないんですがとウィンチェスタ侯爵は微笑む。
「ジーク様、リリーの為ですからよろしいですよね?」
クリスがジークハルトへ確認する。
自分以外から装飾品を贈られるのはイヤだろう。
だがリリアーナのためだ。
ジークハルトはイヤイヤながら承諾した。
「ありがとうございます。完成次第、届けます」
ウィンチェスタ侯爵は緑の眼を細めて微笑んだ。
「リリアーナとエスト国について少し話しても?」
ウィンチェスタ侯爵がクリスへ尋ねると、クリスはもちろんですと頷いた。
「リリアーナ、まずはフレディリック殿下の廃嫡却下の署名ありがとう。お陰で混乱もなく事件は収束できたよ」
今まで以上に公務に励まれていると言うと、リリアーナはほっとした表情を見せた。
「心配なのはエドワードでね、アルバートが見てくれているが……」
こんな事を告げてもリリアーナができる事はないのだが、でも伝えておきたかったとウィンチェスタ侯爵は困った顔でリリアーナを見た。
「ジーク様、ちょっと寝室に行きたいです」
リリアーナがお願いするとジークハルトはリリアーナを抱いたまま立ち上がった。
「え? 一人で行けますっ」
リリアーナの訴えはあっさり却下だ。
抱えられて隣の部屋の扉へ移動した。
「すみません。先ほどお伝えした通り、いつも離さないのです」
クリスが申し訳なさそうに笑う。
「竜の血が濃いと言われても実感が湧かなかったが、なるほど。執着がすごいのだね」
ウィンチェスタ侯爵も驚きながらも、帰りにドラゴンの本を買って帰ろうと心に決める。
「……リリアーナは……幸せになれるだろうか」
ウィンチェスタ侯爵の呟きにクリスは驚いた。
「それはどういう……」
ジークハルトとリリアーナが戻ってきてしまい、クリスは尋ねる事ができなかった。
ウィンチェスタ侯爵の表情もリリアーナが戻った瞬間、普段通りだ。
先ほどの一瞬は思い詰めたような顔だったが。
「大きいね」
リリアーナの手には2枚の紙、ジークハルトの手には卵の殻。
ウィンチェスタ侯爵はすぐ視界に入ったドラゴンの卵の殻に思わず驚きの声が出る。
「おとうさま、これをお兄様に渡してください!」
リリアーナは帝立学園の剣術の入学テストを手渡した。
「……37点?」
これを渡すのかい? とウィンチェスタ侯爵が笑う。
「あと、これをドラゴン好きの方に」
ドラゴンの卵の殻と解剖学92点のテストをテーブルに置くとウィンチェスタ侯爵は驚いた顔をした。
「……こんな貴重な物をよろしいのですか?」
ドラゴンの卵の殻なんてエスト国、いやイースト大陸ではお目にかかれない。
「あぁ、たくさんあって困っている」
ジークハルトがそっけなく言うと、リリアーナは嬉しそうな顔をした。
「以前、ドラゴン好きの方に貴重な本を頂いたんです。そのおかげで合格点!」
だからそのお礼ですとリリアーナはテストを指差した。
大国の公爵令嬢から小国の王太子に贈り物では噂になってしまう。
だが、本のお礼であれば貰った側も受け取らない訳にはいかない。
相変わらず賢い子だ。
「必ず渡すよ」
ウィンチェスタ侯爵は緑の眼を細めて微笑んだ。