095.星をかける少女-09
「いくら自由主義だからって、アジトでどんぱちやるのは感心しないね」
シャッターの奥から青年が現れた。
ノーヘルメットの顔面に、左耳には金のイヤリング。
「帰っていたのか“シロバ”。可愛い子がいたからさらってきたんだけど、フラれたうえに、おやじさんにボコされちまった」
答えるラティスはいまだに頭部を砕いたままだ。
傷口が、ぐちゅぐちゅと音を立てたかと思うと、あっという間に元通り。
――やっぱり、あれは魔術じゃない。
魔物か、怪物か。なんにしても、非道で迷惑な海賊のリーダーと副リーダーは、女神の枕と魔導の世界の出身者らしい。
アコのプライドが、安全に立ち去れればそれでよしとするのを却下した。
「確かに美人だけど、まだ子どもじゃない?」
「うちの世界の貴族の子なんだよ。魔導の世界じゃ、あのくらいで結婚は普通だぞ」
「へえ、ロリコンかと思った。ところで、こっちも釣りに出かけたら大物がかかってさ、新造船と技術者チームを丸ごとゲットしたんだ」
無防備に会話をするシロバとラティス。クルーザ船長はふたりから少し離れたところに倒れたままで、クルーたちが囲って救命措置をおこなっている。
クルーたちも無傷ではなく、スーツが焦げている者や、血を流しながらも船長を救う隙を作るために大声を上げて敵の気を引こうとしている者もいた。
「クルーゼ様に何をなさったんですか」
アコはシロバに向かって手をかざした。
「破壊の女神様にお願いして、ほんの数秒だけ電気の流れを断たせてもらっただけさ。知ってる? 生物も機械もみんな、電気信号で動いてるんだよ」
彼は付け加える。「もちろん、心臓もね」
「おっと、ダチに手出しはさせねえぜ!」
ラティスから突風が吹き、アコのコートが激しく暴れる。
互いの足元に魔力の池。両者同時に打ち上げられ、天井に叩きつけられるも、ゆっくりと落ちながら手のひらを向け合った。
「お遊びは終わりだ」「こちらのセリフです」
一瞬、ラティスが何をしたのか分からなかった。
彼は魔力をこちらに注いできてはいたが、アコが魔導を反転させると地面に叩きつけられ、呻き声をあげていた。魔術の不発だろうか。
アコは緩やかに着地し、女神の力を悪行に使うもう一人の青年のほうに向きなおる。
「……!」
――声が出ない。
違う。息が吸えない。
喉を押さえる。空気が肺から外へと、勝手に流れ出ていく。
「空気の流れを呼吸に逆らうようにしてみたんだ。やっぱりあんた、頑丈だね。ふつうなら肺がしぼり出されて血を吐いておしまいなんだけど」
ラティスは床に寝ころんだまま解説する。
「彼女が欲しくてさらってきたんじゃないの? きみは治療魔術は使えないんでしょ?」
シロバが訊ねる。
「肺を潰しても、医療船からかっぱらった呼吸器あるっしょ」
「ええ……。彼女、苦しそうだけど」
「いいよなあ。顔から血の気が引いてくさま。ほら、よだれ垂らしてら。もっと近くで観察しよっと」
「どん引きだよ。なんできみと友人をしてるのやら」
「気が合うからだろ?」
傷のある男は、にやつき、口元を赤い舌で舐めながらこちらへとゆっくり歩いてくる。
――このままやられる気はない!
魔力を高め、一気に膨らませる。周囲に満ちたラティスの魔力を自分の魔力で押しかえせば、空気に干渉できなくなるはずだ。
「おっ、頑張って抵抗してね」
彼は両手を持ち上げ……まるでそこに誰かの首があるかのように、それを締め上げるかのように握った。
アコは自分の魔力が敵の魔力を押しのけるのを感じる。
だが、すぐに相手の力は上回りこちらを押しこめ、押しこめられたかと思えば緩まり、息づかいのようなリズムを作った。
――こいつ、遊んでる!
血の気が引き、身体が冷え、着ているものを何もかも剥ぎ取られたかのような気持ちにさせられる。
これまで恥辱は色々と体験してきたが、人間相手に殺してやりたいとまで思ったのは、初めてだった。
アコはいよいよ立っていられなくなり、両膝をついた。
嗜虐的な魔導士は水槽を覗きこむようにこちらを眺め、少年のような瞳を輝かせている。
悲鳴が上がった。
もうろうとしながら振り返ると、小太りのエンジニアが血の海の中に倒れていた。恋人がすがりつき、彼から血を吹き出す傷を押さえつけ、こちらを見た。
――シリンダさんが助けを求めてる。……でも。
こちらも死の淵だ。そもそも治療魔術だって使えない。
あれだけの血を失っていれば、自己回復を促す治療魔術ではなく、高位の治療術師の使う蘇生魔術でもなければ助からないだろう。
――術式だけなら、読んで覚えたんですけど。
からっぽの胸を押さえ、恋人たちから目を逸らす。
ダメだ。不快な男もホワイトアウトしていく。
彼の口ぶりからして、たぶん自分は殺されるわけではないのだろう。
……最悪なことに。
『ねえ、力が欲しい?』
誰かが言った。頭の中で、はっきりと聞こえた。
ごっこ遊びをする子どものような、はしゃいだ声。
『このセリフ、一度言ってみたかったの。ねえ、アーコレード。力が欲しい?』
欲しい。聞かれなくったって。
家族や姉役たちに追いつけるように、自分をよりよく変えるために、これまでずっと努力を重ねてきた。
たとえそれがあまりうまくいっていないにしても、諦める気はない。
『それじゃダメなんだよねえ。あなたはもう、成長の限界に達してるから。変わることはない、変えられるものはない。運命に従うほかに、ないの』
――そんなのはイヤ。
『でしょ? だったら、あたしに、あなたのたましいを半分だけちょうだい!』
悪魔や魔族のような存在のそそのかしか。アコは思考をとざした。
『まあいいや。ちょっとだけ、考える時間をあげる』
……。
ひゅうっと、肺が空気に満たされた。
視界が戻り、たっぷり大きく胸をポンプさせ、新鮮な空気を味わう。
血の臭気が口内に広がり、アコは咳きこんだ。
「誰だい、きみは?」
シロバの訊ねる声。
アコが顔を上げると、黒色の背中があった。
その男の足元には、ばらばらになったラティスが転がっている。
「あなたは!」
アコが声をあげると、彼は振り返った。
銀髪、鼻から上をマスクで隠し、それからアコの羽織るものと同じ黒いコートを身に着けた青年。
「どうしてここに?」
アコが問うと、彼は答えた。
「きみを守りに来たんだ」
刹那、黒コートの姿が消える。
その向こうにいた海賊のリーダー、彼の首元にはつるぎが突きつけられていた。つるぎの持ち主は、黒コート。
「いつの間に……」
「おまえたちのバックにいる存在に会わせてもらおうか」
「僕の背後なら今、きみがいるでしょ? 何者なんだい? あいにく、星を動かす存在には、僕たちの意志で接触することはできないんだよね」
シロバが、ちらと足元に転がったラティスを見た。
残骸から、生き生きとした魔力の流れ。
「コートのお兄さま! ラティスはまだ生きています。あいつは不死身なんです!」
アコが警告をすると、コートの青年は口元だけ見えた顔で笑顔を作った。
「こっちは大丈夫だよ。アーコレードさんは、自分のすべきことに集中して」
――あたくしの、すべきこと?
「遠慮するな、僕ごとやってくれ!」
シロバが叫ぶと、どこからともなく無数の光線の束が立て続けに彼とコートの男を撃った。
アコも叫ぶ。「コートのお兄さま!」
しかし、どろどろに溶けたのはシロバだけで、コートの彼は静かに狙撃者のほうを見た。
「レーザー・ガトリングが効かねえなんて! お手上げだ!」
重火器をがちゃんと落とし、つんのめりながら逃げていく下っ端。
「死んだと見せかけて、脱出完了ってことで」
粘液と焦げた所持品のかたまりとなったシロバは、泡立つとすぐさま人の姿を取り戻し、どこからともなくカードを取り出すと、破壊の宣誓を口ずさんだ。
――やっぱり女神の使徒だけど、あいつも不死身?
コートの剣士に向かって赤黒く光るカードが飛びかかる。
彼が手で払うとカードは光を失って落ちた。
「効かない!? そんな!?」
立て続けに宣誓。焦げた手袋が黒い炎をまとい、彼は貫手をコート男のマスクへと突きこんだ。
「サンゲ神にはたいして目をかけられていないようだね」
シロバの腕がつるぎに跳ね上げられた。いつの間にかラティスも再生し、赤い光をまとって飛びかかっている。しかし、一刀両断。彼はまっぷたつとなる。
「服は復元しないのか。パトロンに改善要求をしたほうがいいよ」
マスクの下は余裕の表情らしい。
「何やってるのさ! お願いだよ、早く助けてよお!」
アコは肩を跳ねさせ、振り返った。
血の海に座るシリンダと、仰向けのレクトロ。
「でも、あたくし、治療魔術が使えなくって……」
「どうしてさ!? 大魔法使いなんじゃないのか!」
「それは船長が勝手に言っただけで」
「ブラックホールのまねごとができて、なんでなんだよお! あたしらにとっちゃ、あんたの魔法、神様の奇跡みたいなものなのに。レクトロに逢えて、女神様にだって感謝してたのに!」
シリンダに腕を叩かれ、揺さぶられる。
どうしようもない。魔力もほとんど使い果たしている。自分は無力だ。
レクトロはまっさおなくちびるを小さく動かし「大丈夫、大丈夫だよ」と呟き続けている……。
『もう決めた? あなたのたましいをあたしにちょうだい。半分だけでいいから』
――また声。あなたは何者なの?
アコは天を仰いだ。
『あたしは、あまたの世界を創世した女神のひとり』
「女神……!? サンゲ様? ミノリ様?」
『あんなやつらといっしょにしないで』
不機嫌そうな声音だ。
彼女は何者か。信用してもいいものか。
アコは不死の海賊たちを倒し続ける青年を、すがる思いで見た。
彼は剣を振るいながらも、こちらを見てくれていた。
仮面の下、目元は分からない。
だが、その瞳が「大丈夫」と言ってくれている、そんな気がした。
「女神様、あなたのお名前をお教えください」
『あたしは、調和の女神イミュー。サンゲとミノリに無かったことにされた、可哀想な美少女なの!』
なんだか得意げだ。
テンションが気になるが、邪気は感じない。
「分かりました。女神イミュー、あなたにあたくしのたましいの半分を、捧げます」
『じゃあ、あたしたち、友達ね?』
「えっ?」
『違うの?』
「いえ、女神様が望むのなら、是非」
『やった! 契約成立。あなたのたましいの残り半分、いっただきーっ! これであなたはもう、変わろうなんて思わないで済むよ!』
「変わろうと思わない!? あの、話が違います!」
慌てて天井を見上げるアコ。
『安心して。これはレベルマックス、もう成長する必要がないって意味だから! プラス、限界も取り払ってあげたから、今や魔王とだって渡り合えるよ!』
「魔王とも……?」
『あたしは調和の神様。その気になれば、チートもやりたい放題なんだから! ほら、あのでぶっちょ、死んじゃうよ! 友達のカレピッピなんでしょ?』
調和の女神を名乗る割に、調子を狂わせてくる子だ。
アコは不安を抱えながら、ゆっくり上下するレクトロの腹に両手を押しあてた。
――魔導を示す術式は知っている。でも、才がなければ術は発動しない。
アーコレード・プリザブは祈り、願う。
彼を助けてください。ランジュとリンクルにしてやれたように、シリンダたちにも、笑顔を取り戻させてください。
光というよりは、液体のような、かたまりのような赤い力がアーコレードの身体からにじみ出る。それは傷口からレクトロの体内へと流れこむと、流星が燃え尽きるかのごとくのまばゆく美しい光を発して、その場にいた者たちをたくましく包みこんだ。
――これが、蘇生魔術。
弱々しくなっていたレクトロの呼吸が整うのを感じつつも、自分の中から莫大な魔力が吸い出されていくのが分かる。
自分のどこからこんな力が沸いてくるのか、この術を扱う治療術師がいかに高いところに位置していたのか、思うところはたくさんあったが……。
――でもたしかに、使えている。
光が鎮まると、小太りのエンジニアがむくりと起き上がった。
「すごい、すごいよ! 調子の悪かった腰まで治ってる!」
レクトロは笑顔をこちらに向けてきたが、さっそく恋人に飛びつかれ、キスを一発受けるたびに後頭部を床にぶつける羽目になった。
「アコ! すごいよ! やっぱり大魔法使いじゃないか!」
シリンダがアコを抱きしめ頬を寄せれば、彼女から伝った熱いものがアコのものと混じり、流れた。
「大丈夫、大丈夫ですから」
礼を言い泣きじゃくる友人の背を叩きながら、アーコレードは再び天を仰いだ。
「ありがとうございます。女神様」
* * * *
* * * *




