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093.星をかける少女-07

 宇宙船は家のようなものだ。

 星屑号の髭もじゃの大男“クルーザ”船長は語る。

 船がおふくろで、船長がおやじで、船員と乗客はみんな子どもだ。

 宇宙の旅ってのは危険でな。人の頭くらいの岩くれがぶつかるだけで、みんなそろってスクラップになっちまうんだから、いつだって力を合わせなきゃならねえ。


 と、シリンダがモップにあごをつきながら、船長の口真似をしてぼやいた。


「だからって、お金払ってるお客さんに床掃除させる?」

「お掃除ロボットはいらっしゃらないんでしょうか?」

 アコも雑巾で座席のひじ掛けを磨くように言いつけられていた。

「やっと座れると思ったのになあ」

 小太りのレクトロは大真面目に、小型の掃除機で座席の下を吸っている。

「ダーリンはもうちょっと動いて痩せたほうがいいよ」

「この前は太ってるほうが好きって言ったくせに」

「太ってるのが好きなんじゃなくて、身体から湯気があがるのがいいんだよね。今度、あたしの世界に来たら外でマラソンしよう」

「ぼくはマラソンは苦手だなあ」

「あたしもマラソンは嫌い。白い息が好き。毛皮のコートを着て走ったあとに脱ぐと上がる蒸気が好き」

「シリンダは、ぼくよりも蒸気のほうが好きらしい」

「ダーリンのことのほうが好きさ。でも、湯気を上げているダーリンのほうがもーっとだね」

「ぼくを機関車か何かと思ってない?」

 と言いつつも、レクトロは肉付きのよい頬をより膨らませ、にやけている。


 アコはカップルのやり取りを横目に、ため息をついた。

 みんな誰かを好きになるものなのだろうか。

 マギカの貴族界では、結婚においてはラブよりも、マネーやパワーが大切だった。

 アコと付き合いの深い異界の女性陣は、色恋の話にうるさいのが多い。

 自分と同類だと思っていたシナン王女の恋文も、竜革のバッグの中で今か今かと出番を待っている。


 ――付き合って、結婚して、子どもを産んで……。


 いまいち、ぴんとこない。家族になっても役目が増えるくらいだ。

 役目が欲しいのなら恋愛じゃなくても構わないし、結婚しなくてもできる。

 今だって、こうやってひじ掛けを拭いているし。

 シナン王女はトリノ・ディラックのひじ掛けを拭きたいのだろうか。


 ――はあ。シナン様も、なんだか遠くに感じちゃうなあ……。


 ふと、通信機のことを思い出し、技術者カップルに通信ができない理由を訊ねてみた。


「これは圏外だね。越界通信機は、ゲート通過時のゆがみを補正している以外は、普通の電波仕掛けの通信をおこなってるだけだから」


 レクトロいわく、距離が離れすぎて電波とやらが届かないせいだという。


「お互いの電波強度をあげるか、中継用の回線を使うかしないと、アースアーズでは地上と宇宙の交信は難しいんだ。どうも電離層が特殊みたいでね」

「でも、あたしの端末は検索や通話ができるみたいだよ」

 シリンダが手のひらサイズのパッドを振ってみせる。

「きみのは、ぼくの名義でキャリア登録してあるからね。この星は三本ある軌道エレベーターで電力と通信網を補ってるから、野良の通信機と登録機とじゃ天地ほどの差が出るよ」

「あたしの端末を使わせてあげたら、アコは王女様と通話できる?」

「ぼくらは一応、汚濁の罪の人間としてこの世界で活動してるから、女神の枕と通信してるのがバレると、ややこしいよ」

「そういえば、界交断絶になったのもフロルが一枚噛んでるって聞いたなあ。アコは何か知ってる? あたしはいいんだけど、ダーリンが汚濁の罪の出身だから、結婚式に呼ぶとなると困るかなって」

「噂の範囲では一応……。お姉さまがしたことなら、悪いことではないと思いますけど」


 アコはレクトロを、ちらと見る。彼は相変わらずにこにこしている。


「お偉いさんの問題だし、ぼくも別に構わないんだけどねえ。そもそも、古代兵器がなくなってから、戦争に行って死んだり、帰ってから苦しむ人も減ったし、技術提携の見直しも始まって、シリンダにも出逢えたんだからね。フルールさんの仕業だったら、感謝するくらいさ」


 おしゃべりは共通の友人のことへと移り、掃除の手が止まった。

 直接会ったことのないレクトロは相づちを打ったり感心するばかりだが、シリンダはその反応のひとつひとつを楽しんでいるようだった。

 おおらかな性格の小太りの技術者。

 見た目もどっしりとしているし、シリンダの世界とは技術的な上下関係もある。

 冗談を飛ばしても怒らないし、彼は意見をしても、やんわりとしたもの言いだ。


 アーコレードは、座席に腰かけ頬杖をついて、自分と関わってきた男性どもを思い浮かべる。

 父、兄、淫魔の女が化けたおひげの商人、十把一絡げのマギカ貴族たち、それから同い年の異界の王子に、なぜか半裸のもじゃもじゃ筋肉の巫女男。


 どれもキツイ。キツイの意味は色々だが、なるほど彼らとは正反対ということか。

 王女のお相手のトリノ・ディラックも「優しい年上のかた」だそうだし、そういうタイプを好きになるものなのだろうか。


 ――そういえば、お父様は厳しいかただったけど……。


 アコの両親は政略結婚ではなく、恋愛結婚だったと聞いている。

 母親が異界の平民の出だったためにかなり揉めたらしいが、愛とやらでそれをひっくり返したらしい。


 ――優しいことが愛情を生むのかしら。でも、恋愛とは何か違うような。


 などとおしゃべりの片手間に考えていたら、優しいとは正反対の顔が現れた。


「おめえたち、掃除をサボっておしゃべりたあ、いいご身分だな」

 船長のクルーザだ。髭もじゃの顔にパイプをくわえて、だみ声で文句を言っている。


「あっ、こら船長! またお客さんに掃除させて!」

 続いて船室へとやってきたのは、船長とそろいのだぶついた宇宙服姿の若い女性だ。

「みなさんちゃんと料金を払ってるんですから、仕事なんてさせちゃダメですよ」「乗組員は全員家族だ。いざとなったら働いてもらうこともある」

「今のどこか、いざなんですか。どうしてもさせたかったら、運送プランに掃除体験でも書き加えておいてください」

「んなことしたら客がつかねえじゃねえか」

「んなことさせてるからリピーターがいないんでしょうが。船もいつだってどこか壊れたままなんだから」

 言いつつ、彼女は船長の口からパイプをもぎ取った。

「しょうがねえだろ、うちの嫁は年寄りなんだからよ。圧縮燃料の注入はとっくに済んでるのに機関士のやつが何も言わねえってことは、またアレか?」

「奥さん、へそ曲げてますよ。お客さんへ返金どころか、掃除の給料を払う羽目になりそうです」

 船員の女性は、申し訳なさそうにこちらを見た。


「船が動かないの?」シリンダが訊ねる。

「はい、エンジンの調子が悪くて。この船に積んであるのは、なんと第三世代型超限界圧縮質量エンジンなんです」

「第三世代? 詳しくないけど、今は第七世代が開発中なんじゃないの?」

「そう、だからオンボロ」

「ひとの嫁をボロだとか言うんじゃねえ。そのぶん、運賃だって格安にしてやってんだ」

「船長、嘘はいけませんよ。そもそも、何もない試験宙域まで彼女たちを運ぶのを引き受けたのだって、私たちもディラックさんにエンジンをタダで診てもらおうって魂胆があったからじゃないですか」

「セコいなあ」シリンダが苦笑する。

「ふふ、シリンダもひとのことは言えないけどね。休暇の宇宙体験ついでに、あわよくば天才科学者の講義をタダで受けようって企んでたんだから」

「ダーリンだって乗っかったじゃん。それに、汚濁の技研にディラックさんとのコンタクトをほのめかして旅費のビットを揺すってたし……」


 一同は顔を見合わせて笑い、ため息をついた。


「あ、あの。船は出ないってことですか?」

 アコは、船長の顔が怖くなくなった隙をついて訊ねた。

「あたくし、手紙を届けなくてはいけなくて、その、差出人のシナン様の余命もわずかで……」


 アコが事情をかいつまんで話すと、クルーザ船長の顔に再びしわが寄った。


「ああん? じゃあ、おめえは、もうすぐくたばっちまう王女様の恋文を届けるためだけに異界から宇宙の果てまで行こうってのか?」

「は、はい……」


 しわがさらに深くなり、オニのような顔となる。

「ロマンティックじゃねえかあ」

 おやじは鼻をすすった。


「おい、機関士に船をさっさと動かせと伝えろ。通信機もうちの回線を使え」

「動かないから私が船長に伝えに来たんですけど。スターターがとうとう重力波も出さなくなっちゃったみたいで。取り外して修理に出さないとダメだって」

「んなことしてたら、王女様が死んじまうじゃねえか! ディラックだって予定じゃ、三日後にはワープ試験に入っちまうんだぞ!」


 おやじが女性船員の両肩をがしっとつかみ、身体を反転させる。


「そんなこと私に言われても、無理なものは無理です」

 船員は船長に背を向けたまま言った。


「つっても、あんなへんぴなところには宇宙海賊でも近寄らねえしなあ。どこかに修理できるヤツがいたらなあ……」


 おやじはちらっ、ちらっと、シリンダとレクトロを見た。


「乗員リストに技術者で登録したヤツが、いたよーないなかったよーな?」

「悪いけど、あたしは蒸気機関専門だよ。電気や電子もかじってるけど、レンチでバルブ絞めてオッケーってわけにはいかないでしょ?」

「ぼくも、エンジンの仕組みはなんとなく分かるけど、分かるだけにお手上げだねえ。そもそも、うちは宇宙開発を諦めて異世界に資源や居住区を求めてるし」

「なんだよおめえら。可愛い妹分がロマンティックしてるってえのに、冷てえな!」

 ふたりを怒鳴りつける船長。


「あ、あの。シナン様も今日明日で亡くなるというわけでもありませんし、一度、地上に戻ってほかの手段を探しますから……」

 アコがおやじをなだめると、シリンダのほうから「あー」と困ったような声が上がった。レクトロからも笑顔が消えてしまっている。


「アコ。ディラックさんがワープ航行に入ったら、会えなくなっちゃうんだよ」

「どのくらいですか?」

「どこまで飛ぶかによるけど、時間の流れがゆがむから、彼が遠くへ行って戻ってくるあいだに、こっちで何年も経ってる、なんてこともありうるんだ」


 アーコレードは固まった。

 夜中まで弾ませたおしゃべりの中で、シナン王女が口にしていた「もしも、思ったより長く生きられたら、ディラック様とまた会ってみたい」というセリフが、凍った花を握りつぶしたかのように粉々になった。


「つーわけだ。嫁のこと蹴飛ばしてくる」

「問題発言ですよ船長! そもそも、スターターが壊れてるんです。仮に動いたって、ドックを離れた途端に船内重力の供給も無くなってしまいます!」

「そのためのシートベルトだろうが。おい、嬢ちゃん。おれがなんとかしてやる。豆粒みてえなブラックホールよりも、ロマンティックの引力のほうが百倍強えんだ」


 船長は請け負うと機関室へ向かい、ハッチを開けてパイプやらケーブルやらがごちゃごちゃした部屋へ降り、言葉どおりにキックをお見舞いした。

 アコも一緒に降りて蹴りを見届けたが、エンジンは返事を返さず、機関士たちのボスへの苦情だけが飛び交った。


「蹴飛ばすだけで済むなら、あたしらの世界もとっくに宇宙に飛び出してるよ」

「でも、きっかけひとつで変わることもあるかも。第三世代エンジンは焚き火みたいなもので、種火の重力波だけ確保できれば、ほかのエンジンよりも仕組みはずっと単純で、コストパフォーマンスも高いものだから」

「精密機械でしょ? キックは種火に水を掛けるようなもんだと思うけどね」


 シリンダはため息をつくとアコの肩を叩き、「いっしょにほかの船を探そうよ」と言った。


 ところが彼女の親切は、アーコレードの耳を素通りした。


「あの、重力の魔術が使えるのですけど、これでなんとかなったりしませんか?」

「まあ、重力つったって、引力でも慣性でもハンマー投げでもいいんだけどよ」


 アコは床に置いてあるエンジン部のふたを指差し、宙に浮かせてみせた。


「うお!? 魔法か、それ」

 おやじが宙に浮いたパネルを見て目を丸くする。

 機関士たちもこぞって目を細めたり、小型の機械を向けたりしている。


「魔力で反発させてるのかな。計器で力場の確認はできてるけど、エンジンに必要なのは、もっともっと小さい、一点に集中した強力なものじゃないと」

 機関士のひとりが言った。


 アコはパネルの下に展開していた魔力の帯を畳み続け、どんどんと小さくしていった。素のままならともかく、負の魔導を維持したまま力を収束させるのは難しい。

 バランスを失ったパネルが落ち、赤い光の点にぶつかって弾かれ、勢いよくおやじの顔面に当たった。


「いってえ!」「ごめんなさい!」


 謝った弾みに魔導が乱れ、周囲にいた機関士やシリンダたちも引っくり返り、術を行使していたアコも前へと引っぱられた。


 おやじはすごく怖い顔だ……が、彼はその顔を機関士に向けた。


「で、どうだ? 今のラブ・パワーで充分か?」

「いけますね。今のをスターターの内部でやってもらえば、きっと動きますよ」


 ラブは知らない。だが魔法使いの少女は、友のために祈りを捧げた。

 お願い、動いて。機関士たちの指示に従い、スターターの内部を目掛けて、全身全霊を懸けて力を集中させた。


 ――大きな星が、ちっぽけなひと粒になるイメージで。


 願いかなってエンジンはあっさりと動き出し、船員たちが歓声をあげる。


「それじゃあ、出航だ。ドックから離れると同時にこの船は重力を失う。シートベルトをするかどこかにつかまるか、誰かと抱き合うなりしときな!」


 座席についてしばらく待てば、合図代わりに身体がふわりと宙に浮き、隣で見守っていたシリンダが「無重力だ!」と興奮して笑った。

 宙に浮かんだ彼女の身体をレクトロが抱きとめ、目が合ったふたりが恋人同士の挨拶をして、アコは慌てて顔をそらした。


 天井からぶら下がったモニターは、ゆっくりとステーションが遠ざかっていく様子を映している。


『進路上の安全を確認。これより高速航行に入る。総員着席だ』


 クルーザのアナウンスを聞きながら、初恋も知らぬ若き魔法使いは、王女の恋をしたためた手紙を胸に、小さくなっていく異界の星を見送った。


 ――待っててくださいね、シナン様。


 と、まじめ顔でシートベルトを握るも、となりの席で遠慮なくいちゃつくカップルの気配に頬を染め、モニターを見つめて知らんぷりに努める。


『あー……っと、すまん』


 ふいに、船長の謝罪が飛びこんできた。

 彼の声の向こうで、女性船員が誰かと言い争う声も聞こえる。


『船が補足されちまった。宇宙海賊からのラブ・コールだ』


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