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009.うら若き乙女は湯気がお好き-01

 こんこん。フロルの私室の扉がノックされる。


「お嬢さま、いらっしゃりますか?」


 ヨシノの声だ。

 フロルはティー・テーブルから書物を手に取り、扉を開けた。

 今日も無表情なメイド長は、何やらリボンで飾られた木箱を持っており、箱からは果実の甘い香りが漂ってきた。


「贈り物? わたくしの誕生日はまだまだ先よ?」

「スリジェ家からの御礼の品です」


 フロルはヨシノの脇から廊下を覗いた。

 はたきを持った召使い以外見当たらない。


「“ザヒル・クランシリニ”さんから伝言です。私有地にできたゲートの始末という大煩わせを被らせたため、本来ならば代表がみずから参るべき案件ですが、両者ともに不在のためご容赦を、と」


「ザヒル?」「最近入れ替わったばかりの執事だそうです」


 セリシールの隣にいた若い執事か。

 顔はずいぶんとよかったが、彼からはかなりの無礼を受けたのを思い出し、フロルは「ふん」と鼻で返事をした。


「それから、個人的に謝罪をしたいと。先日はセリシール様のことで頭がいっぱいで、多大なる無礼を働いてしまい、まことに申しわけございません、だそうで」


 フロルは「あっそ」と返事をした。


 興味がない。どころか、一緒にゲートの向こうへ行っていたということは、彼はセリシールを守れなかったということだから、「あいつは嫌い嫌いの大嫌いだわ」と、お嬢さまは思ったし、口にも出した。


「ヨシノ、借りていた本を返すわ。わたくしが貸した本はもう読んだ?」

「まだです」


 フロルは日ごろ、読書をたしなんでいる。

 少女が主役の物語を好み、悲劇や切ないストーリーを大好物としている。

 物語は、作り話とはいえ、異世界との交流多き世では何かと役に立つ。

 怪盗に扮して神工物を穏便に手に入れるアイディアや、怪盗の衣装もマンガなる異界の文書から着想を得たものだ。


 本を受け取ったヨシノはメイドを一人捕まえ、果物を地下の涼しい保管室に持って行かせた。

 それからエプロンのポケットから、小ぶりで薄い書物を取り出す。


「お嬢さま、この物語はやっぱり、グレゴールは最後……」

「あらヨシノ、ネタバレをご所望? というか、まだ読めてないのね」

「わたし、可哀想な話は苦手なんです」

「無表情で言われても」


 注文を付けるとヨシノは眉を寄せて涙をぬぐう仕草をした。

 フロルは「わざとらしいわね」と不合格を告げる。


「わたくしはその本、けっこう好きよ。確か、妹のグレーテが甲斐甲斐しくって、お兄ちゃんラブなのよ」

「そんな話でしたっけ?」

「そんな話よ、多分。最後まで頑張って読んだら、次のを貸してあげるわ」


 ヨシノは心の内側では感情豊かなようだが、どうも顔に出すのがへたくそだ。

 これが原因で、部下のメイドや屋敷に出入りする人間に避けられがちだった。


 ――もっと、自然と笑ったり泣いたりできる助けになるような本……。


 恋愛小説あたりがいいかと考える。

 結ばれぬ男女が名を呼び合ったり、自殺し合ったりするのがあったはずだ。

 身内に邪魔をされて誰かが死ぬようなのも捨てがたい。


「悲しいのはやめてくださいね」

「おっけー、おっけー。分かってるわ。じゃ、仕度の続きに戻るわね」


 適当に返事をして引っこもうとするが、ヨシノはまだ立ち去らない。


「もうひとつ、伝言がございまして」


 フロルは聞き流し、異界探索用のバトルドレスのチェックを始めた。

 おしゃれさを損なわないデザインと、急所を守るプレートの融合。

 あら、ここのレースが外れかかってるわ。


「セリシールお嬢さまは、お買い物へ出かけられるほどに快復されたそうです」

「それはよかったわね」


 そっけなく返事をし、身分証に欠けが無いか確かめる。

 国王陛下から賜った胸章に、フルール家を象徴する花が描かれたメダル、それから、ふたりの女神が刻印されたメダルは女神の枕の出身を示す。


「ザヒルさんは、ここのところセリシール様がお寂しそうだと言っていました」

「だったら、慰めてやればいいじゃないの。新しい執事なんでしょ」


 投げやりに言ったが、その様子を想像したら腹が立った。


「ご自身が描かれた、幼きころのフロルお嬢さまの肖像画をご覧になって、ため息ばかりをついているそうです。快復祝いは、ちょうどいい口実になりますよ」

「あっちから会いにくればいいのよ。わたくしは忙しいの」

「またそんなことおっしゃって」


 せんの事件から日が経つと、意固地な自分が戻ってきてしまっていた。

 会いたいのは山々だが、じっさい、このあとトラベラーギルドへ赴いて手続きをし、その足で“熱き霧の世界”へ向かうことになっている。

 平和的関係を結んでいる世界への旅行は国王の許可が要るし、今回はルヌスチャンも仕事を部下たちに振って協力してくれるし、いまさら予定は動かせない。


「お嬢さま」「しつこいわよ」


 イラつきとともに振り返ると、ヨシノはうつむいていた。

 切りそろえた前髪が白い肌に影を落としている。


「おふたりには、昔のように仲良くなってもらいたいのです」


 従者の目尻に光るものひとつ。フロルは胸を打たれた。


「戻ったら、会いに行くから」「約束ですよ」


 フロルは「約束よ」と力強く請け負った。


「……言質(げんち)、頂戴いたしました。わたし、上手にしょんぼりできてましたか?」


 ヨシノは無表情……いや、口角をあげてごく自然に、にこりとやった。

 あるじが怒って名前を呼ぶも、自分の準備を言い訳にすばやく逃げていった。


 お嬢さまは、ふかーいため息をついたのであった。



 ……。



 アルカス王国城下町、王城を中心に八方向に伸びる街道、中でもひときわ馬車や人の往来の多い南道、その中腹の宿場街にトラベラーギルドはある。


 フロルたちが訪ねると、()世界の探索パーティーが手続きをしているのに出くわした。


「これは勇者様。ご機嫌麗しゅう」「あら、おじ様。ご機嫌麗しゅう」


 バカ丁寧にあいさつをしたのは、戦鎚使いのマッチョ親父だ。

 武器も禿頭も手入れに余念がないらしく、今日も眩しく光っている。


 フロルは出立前かと思い、おやじに応援の言葉をかけた。

 ところが、彼のパーティーは帰還して来たばかりだという。


「妙なもんを見つけちまいまして、いったん戻って本式の調査チームを組もうって話になって」


 おやじいわく、知的生命体の存在が確認されていない第七遺世界の、しかもすでに地図も作られた場所に謎の構造物があったのだという。


「まっしろでつるつるした建物でしてね。窓もドアもないんですよ。俺の自慢のハンマーも歯が立たなくって、傷ひとつつきやしねえんです」


 おやじは肩をすくめ、「あれで鎧や鎚が作れればいいのに」と言った。

 横で話を聞いていたヨシノが「加工ができないのでは?」と真面目に返す。


 ――また白い壁。


 その中には何があるのだろうか。

 予定が詰まっているが、前回のようにアーティファクトがあるのなら、是非ともパク……破壊の衝動への対抗策として拝借したいところだ。


「貴様、ホントに分かっているのか!?」


 怒鳴り声だ。カウンターで手続きをしていた探索パーティーのリーダーが、チェインメイルを着こんだ人物を叱り飛ばしている。

 彼が危険な野生生物に察知されてしまい、パーティーを危険にさらしたかどでご立腹らしい。


「あのぶんじゃ追放でしょうな。ネコに似た大きな動物で、すぐに対処できたんですが、これが初めてじゃないもんで。うちのリーダーは短気でしてね」


 おやじが肩をすくめる。


「お若いんですし、もう少し大目に見てさしあげたらいいのに」

「あいつは若いくせに進歩しないことで有名なんですよ。あっちこっちのパーティーを追い出されて回ってましてね」

「ふうん……」


 謝罪の声を聞くぶんには、若い男性のようだった。

 着こなせていないのか、低頭を繰り返す首が、頭を守るコイフに振り回されるようになってしまっている。


「パーティーがぎすぎすしているのはイヤね」

「その点、わたしたちは仲良しなので問題ナシですね」

「今日はチャンがいるけどね」

 ヨシノに向かって肩をすくめてみせるフロル。


 ルヌスチャンは知識、戦闘力、異文化コミュニケーションにおいて頼りになるが、口うるさい。同行を買って出たのも、恐らくはフロルが勝手な振る舞いをしないように監視するためだろう。


「ま、楽しめる範囲で楽しみましょ」

「遊びに行くのではないのでは?」


 ヨシノからツッコミを貰う。

 彼女の言う通り、これは仕事でもある。

 国王の許可のもと、異世界の技術者に多世界の技術複合について訊ねる。

 フロルが白壁の向こうで見たものに関して、アルカス陛下も懸念を示していた。


「でも、楽しみなのは仕方ないじゃない。せっかくの機会なんだし」


 未調査世界や遺世界には、トラベラーとして赴くこともあるが、文明を持った世界を来訪するには、それなりの理由が必要だ。

 両親が没してからでは初めてのことだし、何よりこれから行く世界は初めて足を踏み入れる。


 白い壁の向こうから持ち帰った歯車をルヌスチャンに見せたところ、“熱き霧の世界”の技術ではないかという意見を貰った。

 熱き霧の世界は、熱と蒸気を使った仕掛けを使った道具の溢れる世界だ。

 もっと複雑な技術を持った世界も多くあるが、ルヌスチャンは熱き霧が異世界との物品交換を盛んにおこなっている点に着目していた。


 お嬢さま的には蒸気、湯気といえばお紅茶とお食事、それから温かなお風呂くらいしか縁がない。

 ぶっちゃけると、温泉旅行のような気分である。


「わたしも楽しみですけどね。向こうのお茶やお茶菓子はどんなでしょう?」

 ティータイムの研究がヨシノの趣味だ。

 彼女はでっかいリュックサックを背負っていて、うしろから見るとリュックに足が生えているみたいに見える。

 本来は厳正な荷物検査があるのだが、フルール家は特例でスルーだ。

 あのリュックの中には、着替えなどの日用品はもちろん、折り畳みテーブルや椅子を含んだティータイムセット、アーティファクトがいくつか、それから怪盗の衣装なども入っている。


 フロルはヨシノの趣味を手伝い、自分も美味しいお茶を頂きたいと思う。

 アーティファクトがあれば入手する必要もあるし、ブラッド・ブロッサムに扮したついでに、鞭打てる悪人でもいれば嬉しいな、などとも考えていた。


「すごい荷物ですな、勇者様の召使いは怪力で?」

 おやじはリュックメイドを見て、目を丸くしてる。


「まさか。ほとんどドレスで埋まってますの。衣装ってかさばりますから」

 フロルは「おほほ」と誤魔化しておいた。


 お説教が終わるのを見届けるとカウンターへと向かい、特に名乗ることもなく王からの書状を見せて手続きを終わらせた。


 さあ、いよいよ熱き霧の世界に……。


 とはいかない。ここからゲートまで馬車で三時間だ。

 馬車で待たせていたルヌスチャンと合流し、ヨシノとおしゃべりに花を咲かせては彼に言葉遣いをつつかれ、窮屈な時間を送ることとなった。


 森深くにある、高い石の壁に囲われたゲート管理施設に到着するころには、フロルはすっかりくたびれてしまっていた。


 番兵のお辞儀を通り抜け、青き渦の向こうへいよいよダイブ。


 熱き霧の世界。

 ゲートの向こうはその名の通り、白いもやが立ちこめ、風がびゅうびゅうと吹き肌を刺すようで、右を見ても左を見ても一面まっしろだ。


「さっぶ! ファッキンコールドですわ!」


 一面、銀世界。しかも吹雪である。


「お嬢さま、言葉遣いにはお気を付けください」

「お寒いでごぜえますわね! っていうか、どこが熱き霧の世界なの!?」


 女神の枕側のゲートは石造りの建物に保護をされていたが、こちら側は完全に露天にむき出しだ。

 ゲートに接近した際にひんやりとしたので、フロルももしやとは思っていた。

 こうして喋っているあいだにも、髪や服が雪に覆われていく。


「この世界の住人は蒸気技術に誇りを持っていますからな。マギカ王国のある世界が、魔導の世界とみずから名乗るのと同じでしょう。熱き霧は世界の大半が雪に覆われる気候だそうで、温かな蒸気による技術が発達したのも……」


 執事の長々とした解説が入り、その間にヨシノが「忘れていました」と毛皮のマントをリュックから引っぱり出した。


「チャンは寒くないの?」


 ルヌスチャンはいつもの燕尾服だ。手袋も薄手の白絹。マントも遠慮をした。

 おひげに雪がくっついてはいるが、すまし顔である。


「無論、冷えております。忍耐でございますな」

 執事はそう言うと、何やら手のひらをこぶしで打った。


「よいことを思いつきましたぞ」「絶対いいことじゃない!」


「今回の任務では、フロルお嬢さまにひとつ課題を課しましょう。

 フルール家の当主として学ぶべきことは、まだまだたくさんございます。

 テーマは忍耐。我慢することを覚えていただきます。

 サンゲ神からのそそのかしに抗するにも、きっと役に立ちましょうぞ」


 それでもフロルは、イヤそうな顔をした。

 可愛いお顔で、精一杯の抗議を表明した。

 もちろん、執事は若き当主の顔が見えないふりをした。

 横でメイドが何か言っている。「お嬢さまは表情豊かですね」


 ――やれやれ、先が思いやられるわ。


 お嬢さまはマントの前を合わせ、がっくりと頭を垂れたのだった。


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