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085.ティー・タイムは事件のあとで-05

 ヨシノの耳は、女子がニカクの遺体を見つけるたびにダメージを受けた。

 続々と使用人や客が駆けつけ、少し遅れてアーコレード嬢とラヒヨ嬢が到着する。ほらまた悲鳴。


「ニ、ニカクさんが死んじゃってる。いったいどうして……」

「胸を押さえていらっしゃりますわ。ご病気かしら?」

 ふたりの令嬢は、抱き着かんばかりにくっついて、手を取りあい怯えている。


「屋敷の中で、医療の心得があるかたはいらっしゃりませんか? 現場の保持の必要があるので、誰も部屋へ立ち入らないでください」


 自分が取り仕切る立場ではないのは分かっている。

 しかし、この屋敷のあるじであるラヒヨはあの様子だし、待ってもカラズもアイドラも姿を現さない。屋敷の中にいないのだろうか。


 ヨシノは汗がにじむのを感じる。

 半鬼半人の男の断末魔の表情は、内側からの苦痛を抑えこんでいるというより、外からの脅威に怯えているように見えた。


 ――まさか、殺された?


「私が視ましょう。亜人を診た経験には乏しいですが」

 現れたのは三、四十代の男性。

 ボタンのついたシャツにジャケットを羽織り、ドレスパンツにきっちりしたバックルのベルト。縫製の細かさが、女神の枕よりも高い産業レベルを示す。


「あ、“マナセ”さん!」

 ラヒヨが声をあげる。

「彼はハイドランジア領に暮らす異界の医師で、うちのかかりつけ医なんです」

「ラヒヨ様、お身体に障りますから、ご友人と別室で休まれたほうがよいかと」


 ラヒヨは医師の進言に従おうとしたようだったが、手を握ったままのアコが動かなかった。アコの表情は険しい。


「アコ、行きましょ」

「あたくしは、ここで仕事をしなくてはなりません」

「仕事?」

「ニカクさんはフーリュー国のご出身です。あたくしは留学生ですが、女神の枕と魔導の世界との橋渡しのお仕事も任されていますので、この件について正確に知って伝える義務があります。外交問題になってしまうといけないので」

「へえ、アコったら、あたしより若いのに、もうそんなすごいことしてるんだ……」


 感心。またも好意的な視線を向けるラヒヨ。

 彼女はくちびるをきゅっと結ぶと、「あたしも残る」と言った。

 捜査の足しにはならないだろうが、見習いメイド時代と比べればずいぶんな成長だとヨシノを感心させた。


 人払いを済ませると、またも女性の悲鳴。

 今度はドアの前で短いのが一発。

 手の甲を額に当てたアイドラが、カラズとザヒルに支えられていた。


 ヨシノは状況を説明し、まずは夫人を休ませ、次に(本当は自分だけで充分なのだが)男手に頼んで、大柄なニカクの遺体を別室へと運ばせた。

 検死をすべきだろう。全員一致の意見。


「夫人はカラズが看てくれている。彼が屋敷から出たのは、夫人が外の空気を吸いたいと言って出たのを追いかけたかららしい」

「ザヒルさんも検死に立ち会ってくれますか?」

「いや、そっちはヨシノさんに任せる。私はこの隙にニカクの私物を調べる」


 お互いにうなずき合う。


「あの、ザヒルさん」

 アーコレードが割りこんだ。

「ニカクさんの商品には気をつけてください。呪いの掛かっている魔導具もあるかもしれません。故人を悪く言うのは気が引けるのですが、彼はどの種族からも差別対象となる魔族と人間のハーフです。それでも商人として身を立ててこられたのは、きっと呪術に長けるオニの血を引いているから」

「分かった。ありがとう」


 ザヒルと別れ、ニカクの解剖が開始される。

 顔と局部を布で隠された大男の裸体が、テーブルの上に仰向けに横たわり、小さく鋭い刃物――メス――を持った白衣のマナセ医師が、それに相対する。


「先に断っておくけど、解剖は転移前の世界で研修医をやっていたころ以来だから自信がない。亜人を扱うのも初めてだ。とはいえ、人型をしている以上は身体構造はおおよそ同じだと思う」


 ヨシノは医師の横についてサポートに回る。

 新鮮な血肉のにおいやグロテスクな内臓には慣れている。

 準備の最中にアーコレードに「ニカクがおばけになる可能性」も否定して貰っているので、恐れるものはない。


「表情だけで見ればショック死という感じがするが……。まずは胃の内容物を調べよう」


 小さな銀のやいばが鬼人の胸に沈み縦に走ると、人間と同じ色の血が、ぬるりとあふれ出た。


「皮膚も脂肪も筋肉も分厚過ぎだ。医療用じゃないけど、こちらを使わせてもらおう」


 マナセ医師はメスを置き、桶で手を洗うと、バッグから白いナイフを取り出した。

 刃渡りは手のひら一杯くらいのポピュラーなサイズだが、柄もやいばも磨かれた大理石のようにまっしろだ。

 彼は体重を使って両手でナイフを突きこみ、半ば強引に開腹をおこなった。


「中が血浸しだな……。これが胃袋か」

 現れた胃は、ぱんぱんに膨れ上がっており、バケモノの卵のようにも見える。


 ナイフが入れられると、ぱっと内容物が弾けた。


「ちょっと、これだと分からないな……」


 ヨシノも研ぎ澄ました鼻が寄こしてくる大量の情報に混乱しかける。

 血、胃酸、アルコール、何より無数の食事が混ざったにおい。

 会場で料理をもりもり食べていたのだろう。

 あまり噛まないのか、原形をとどめているものもある。


「でも、毒のにおいはありませんね」

「きみは分かるのかい?」

「百パーセントではないですが、この世界でポピュラーな毒物は憶えました。フロルお嬢さまの毒見役を務めようとしたことがあるので」


 務めようとしたこと。

 毒見役は従者としての大事な役目だと思ったヨシノは、幼少のころに自分の身体の頑丈さに任せて毒物を口にした。……不死とはいえ、散々苦しんだ。

 それでも意地を張り、ある程度は学んだつもりだが、毒見の必要な場面には一度も遭遇したことがないままだったりする。

 というか、あるじの「毒見なんてしなくてへーきよ、へーき!」のひと言で、完全に無駄となっていた。


「オーガ族は毒に耐性を持ちますし、毒殺の可能性は薄いかと思います。ニカクさん自身の魔力の残滓は感じますが、別の魔力は感じません。呪殺の可能性も薄いかと」


 解説するアコは、解剖台から離れた壁際のソファに待機している。

 ラヒヨのほうはアコの手を握って目をつぶり、もう片方の手で鼻を覆っている。


「身体がこれだけ大きければ、相当な量が必要になりそうだしね。胸を押さえていたから、次は心臓。肋骨を外さないと」


 巨体にまたも苦戦するマナセ医師。

 ヨシノは躊躇なくニカクの肉体へと手を差しいれ、こっそりと怪力を発揮して肋骨を退けるのを手伝った。

 医師が「すごいな」と口にしてバレたかと思うも、「肝が据わってるんだね」と続いた。ヨシノは異界の戦場で医師を手伝ったことがあると言って誤魔化した。


 肉が水っぽい音を立て、骨がごきりと耳慣れた音を発する。

 何か音がするたびに、視界の隅の少女たちが、びくりと身体を哀れに痙攣させるのが見えた。


「妙だな。心臓が見当たらない。人間とは別の位置に格納されているのか? ずっと気になっていたんだが、腹の中が血で満たされているのはなぜだ? そういうものなのか、どこかから大きな出血があるのか……」


 マナセが、ぶつぶつ言いながらニカクの腹を探る。

 ぐちょぐちょぴちゃぴちゃ。

 ラヒヨ嬢は今や涙目で口を覆っており、アコが背を撫で気遣ってもらわねばならなくなっていた。


「心臓にあたる器官が、無い。まさか胴体全部が心臓で、筋肉や横隔膜の力で押し出しているとか? オニの怪力はそうやって作られているのか?」

「オニにも心臓はあるはずです。闇のブローカーが強壮剤として売り買いしているくらいですから。人間とオニのハーフなら、なおさら無いとおかしいと思います。……ラヒヨさん、無理をなさらないで休まれては?」


 何を意地を張っているのやら、ラヒヨは手で制して大丈夫とアピールした。


「しかし、無いものは無いんだ。肋骨は無事。外傷もナシ。なのに心臓だけが消えてなくなるはずがない。魔法か何かだろうか?」


「魔導の世界の魔法は、魔力をエネルギーに物理現象を起こすものですが、

 直接大量の魔力を送りこめば、それ自体で破壊もできます。

 でも……人体でいちばん魔力の集中する心臓だけを破壊するとなると、

 かなりの魔導の使い手で、実力差も大きく開いてなければ不可能ですし、

 そもそも使い手の魔力が残りますし、この館内の犯行であれば発動時にあたくしが気づくかと」


「そんな魔術師は客に……おえっぷ!」と聞こえた。

 ラヒヨのために桶を引き寄せるアコ。

 何かに気づいたか、アコは息を呑み、「もしかして」と青ざめた。


「……ニ、ニンジャ! フーリュー国のニンジャの仕業かもしれません!」


 アーコレードいわく、ニンジャは闇に紛れて活動する優秀で恐ろしい暗殺者である。だが、その姿を実際に見たものは誰もいない。

 彼らが隠密に優れるからというだけではない。目撃者は全員殺されるからだ。


「ニカクが何かマズい取引をしていて、幕府に目をつけられていたのかもしれません。アルクビヨンの涙も、ニンジャが持ち去ったのなら、見つかりっこない! ……ああっ! ニンジャの存在に感づいたあたくしたちも、殺される!?」


 アコは絶望的な表情だ。ニンジャとやらは、そんなに恐ろしいものなのか。


「オニやらニンジャやら。懐かしい気分になってきた。いつかフーリューを旅してみたいものだね。気だとか発勁(はっけい)だとかが使われたにしたって、心臓の残骸くらいはあるはずだと思うのだけど……」


 ――残骸すらも残さず……?


「マナセさん。腹腔から血をすべて取り除きましょう。心臓がどんなふうに無くなったのか見ておきたいんです」 


 ヨシノの提案によりポンプが持ち出され、赤い液体が取り除かれる。

 桶に数杯分という大量の血液が除かれると、心臓のあったはずの場所にぽっかりと何も無い空間が現れた。


「ふむ、やはりここには心臓があったらしい。肺静脈や大動脈は無事だが、心臓だけ鋭利な刃物で切除したみたいに、きれいさっぱりだ」


 ――やっぱり。

 ずばり、破壊の眷属に仕えるヨシノは言った。

「これは、破壊のアーティファクトによる消滅です。何者かが願いの力を使って、ニカクさんを殺害したようです」


 壁際で音がした。

 ラヒヨ嬢が立ち上がっている。


「まさか、お母様が……?」

「落ち着いてラヒヨさん。破壊の眷属が犯人だとしても、アイドラ様とは限らないでしょう?」

「知ってるぶんじゃ、ハイドランジア領内の破壊の眷属は、うちの血縁者だけよ。異界の行商人と取引が持てるのも、本家のうちくらいだわ!」


 ラヒヨが部屋を飛び出す。アコも立ち上がり、いっしゅんニカクの遺体を見るも、友人を選んで追いかけていった。

「待ってラヒヨさん。お母様に問いたださないと」


「領主の奥さんが殺人か。ここを辞めてフーリューへ旅する日も近いかな」

 マナセ医師は力無く笑った。


 遺体を元に戻し、医師に防腐処理を任せ、ヨシノはいったん部屋をあとにする。

 令嬢たちも気にはなったが、報告も兼ねてザヒルのもとへと急いだ。


「やはりニカクは殺害されていたか。確かにアイドラは、破壊の第一宣誓の使い手だ」

「第一だと、カード程度では殺人は難しいですね」


 心臓だけをくり抜くという願いを女神に認めさせるには、フロルくらいでなければ不可能ではないだろうか。


「カードでは無理でも、そういった性質に特化したアーティファクトなら話は別だ。スリジェ家の宝物殿を整理していたときに、恐ろしい破壊の神工物を見たことがある」


 ザヒルが見たというのは“内なる掌握”と呼ばれるサンゲ神の作りし手袋で、その手袋をはめた手は、自在に物体をすり抜けられるという。

 そして、すり抜けた内部のものをつかんだり、そのつかんだものだけを消し去ることができるというシロモノだそうだ。


「破壊と相反する私が試しても、すり抜けの効果を発揮する強力なアーティファクトだった。破壊の眷属が扱えば、心臓を握って消しさることも可能だろう」


 余談だが、スリジェの先代たちはこの手袋を封印目的で保持していたらしい。

 しかしセリシールは、平和や治療目的で使用できる可能性を見いだし、正当な使い手を探しているという。


「下手人はあれと同じ品を持っている可能性がある。ちなみに、あの手袋をセリシール様が見つけるきっかけになったのは、宝物殿に怪盗なんとやらが侵入して暴れたのが原因だ。あそこには家宝や呪物も封じられているので、気軽に窃盗に来ないで欲しいのだが……」


 スリジェ家の従者がこちらを見る。ヨシノは目を逸らした。


「その話はいずれゆっくりするとして。問題は動機だ。ブローチの件とも関係があるのだろうか? カラズやラヒヨなら、何か知っているかもしれないが……」


 ザヒルは言いながら、懐へと手を入れた。

 彼が差し出す白い手袋の手の上には、ひとつの鍵。


「これは?」

「こちら側の収穫だ。ニカクの私物の中に紛れていた。メイド長が言うには、盗難の話をした部屋にある引き出しの鍵だ。あの引き出しの下段のほうに、アルクビヨンの涙を納めたケースが入っていたらしい。ニカクが黒だと思ったが、アイドラが鍵を忍ばせた可能性が出てきたな」


 言いつつもザヒルは、安堵ともとれる表情でため息をついた。


「いや、すまない。兄のことも疑わなくて済むと思うと、ついな」

「カラズさんのことも本当に疑っていらしたんですか? ご兄弟、ですよね?」

「兄弟だからこそだ。芯のところでは似ているんだ。私がセリシール様に一心にお仕えするのと同じように、カラズのアルクビヨンへの愛も、一途だったに違いない。正直、事件が窃盗だけだった時点では、兄が犯人だと決めつけていた。ヨシノさんには、姉妹兄弟はいらっしゃらないのか?」

「わたしはその、フロルお嬢さまに買われた身分ですから。それ以前の記憶も無くって……」


 ヨシノはなんとなく申しわけなさを感じ、弁解した。

 しかし、向かい合った青年は、頭突きかという速度で頭を下げ腰を折った。


「申しわけない。あなたに不快な思いをさせるつもりはなかった」

「気になさらないで。お顔を上げてください」


 促すとザヒルは顔を上げた。

 謝罪していたはずの彼は、どこかほほえんでいるように見えた。


「しかし、今のあなたは素敵な家族に囲まれて幸せだ。そうだろう?」

「おっしゃる通りです」


 ヨシノもほほえんでみた。

 上手にできているだろうかと心配になる。

 気持ちを汲んでくれた彼へは、ハイスコアな笑みをあげたい。


「でも、何かが家族への愛よりも優先されるということは、しばしば起こります」

「同意見だ」

「今回の事件も、きっとそういう話です。ニカクさん殺しも、アルクビヨンの涙の消失も……」


 ヨシノは思った。ザヒル・クランシリニは信用できる、いい従者仲間だ。

 よって、持て余していた疑問と秘密を形にし、彼に明かすことを決めた。


「呪いの品を娘さんたちに持たせたのもハイドランジア夫人で、この三つはすべてが繋がっているんだと思います」

「さっき言っていたおまもりの話か。しかし動機が分からない」

「動機はわたしにも分かりません。もしかしたらわたしたちは、もっと深い闇に触れるかもしれません。湖よりも深くて、昏くて悲しい物語に……」


 そんな予感がするのだ。


「ヨシノさん! ザヒルさん!」

 アーコレードが戻ってきた。肩で息をしている。

「ラヒヨさんと夫人が言い争って外へ行ってしまいました。広間もパニックです」


「またか! パニックの原因はなんだ?」

「夫人が広間にいた人たちに事件のことを話してしまったんです。そしたら、泥棒や殺人犯と疑われたと怒るかたが出て、人殺しと同じ屋敷にいられるかって、出ていく人もたくさんいて」

「あの夫人はまったく!」ザヒルが沈痛な面持ちで額を押さえた。

「アコさん、ラヒヨさんを追ってください。それと、彼女は夫人と引き離して!」

 ヨシノが頼むとアーコレードはうなずき、ぜーはーと苦しそうにしながら、よたよたとした足取りで出ていった。


「私たちも追わねば」

「待ってください。その前に、あなただけに見せたいものがあるんです」


 ザヒルの腕をつかみ制止する。

 それから素早く扉を閉め、戸を背に胸へと手を当てた。

 ホンモノだが、偽り盛った乳房が苦しい。


「なんだ、見せたいものとは?」

「あなたに見せたいものは、ホントウのわたし」

「なっ……」


 ザヒル青年の顔が赤くなった気がしたが、それはまあいい。

 その直後、彼の表情が驚きと恐怖に「ぐにゃり」と歪んだ。


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