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079.恐怖!処女の生き血と吸血鬼の城-05

 セリシールは第一王女フォンテとともに、城の東側の探索へと向かっていた。


「地下から順に回りましょう! 怪物を私たちで絶対に捕まえるんです!」

 吸血鬼の王女は快活に言った。

 枯葉色の毛先をカールさせたショートカットも、彼女の声の調子に相応しい。

 しかし、口を開くたびに覗く鋭い牙と、暗がりでも浮かび上がりそうなほど白い肌が不釣り合いで、なんとなく不安にさせられる。


「地下ですと、フロルさんがいらっしゃりますの?」

「あ……いえ。こっちの地下は牢屋とは別で、今は使われていないんですよ」

 そのためか、階段の前には鎖付きのポールが立てられていた。

 フォンテはポールをどけて、カンテラを掲げて見せた。


 深淵へと延びる石の階段。

 すきま風か、まるで亡者がうなるような音が聞こえてくる。


「かつて地下室では、吸血鬼による陰惨な遊戯がおこなわれていました」


 フォンテは語る。外界にて贄を得る手段は、なにも「狩り」だけではない。

 金貨と奴隷の交換はもちろん、罪人の譲り受けや、誰かにとって消えてもらったほうが都合のいい人物が取引されることだってある。

 そして彼らは、単に生餌となるだけでなく、送り元から「仕置き」が依頼されることも……。


「取引ですから、むごいことと承知で、私たちも応じるのです」


 フォンテはこちらを見て「軽蔑しますか?」と問う。

 セリスは肯定も否定も避け、「断れば、悪評や刺客が」と口にするにとどめた。


「私が今でも忘れられないのは、じつの妹に売られた哀れな令嬢セイラム」


 セイラムはある世界の豪族の娘で、第一王子の側室に入る予定だったという。

 側室入りは名誉であり、家として絶対に失敗できない仕事だ。

 セイラムだって、王子に気に入られれば、ゆくゆくはクイーンもありうる。

 姉妹はどちらも唸るほどに美しかったが、性格は対局であった。

 世間ではふたりのどちらかが選ばれるだろうと、噂もされていた。

 姉は成り行きに身を任せていたが、妹は側室入りの望みを両親に訴えた。

 しかし従順な性格の姉が供出に選ばれ、妹は激しく妬み、僻んだ。

 妹はその世界で狩りをおこなっていた喀血城の住人のひとりを、みずからをおとりにしてわざと誘い出し、穢れた自分は見逃してもらう代わりに、処女であり邪魔者の姉の身柄を渡した。


 かくしてセイラムは吸血鬼の城にて生餌として飼われるという、ある意味での側室入りを果たす。


「餌となったかたは、長く血を吸い続けられるように、健康を維持されます。飼うのが困難な気性だったり、依頼がある場合は肉体ごと食卓に並びます」

「……お仲間にはしませんの?」

「私たちは不老不死ですから、無計画に仲間を増やすと城や世界が飽和してしまいますよ」


 そうなれば餌もさらに必要となる。やりすぎれば他世界が本腰を入れて滅ぼしにかかってくるだろう。少しばかり「狩り」をたしなむ均衡の取れた状況を、ラムス王は、よしとしていたのそうだ。


「同族にするには、私たちの新鮮な血液を、相手の血管に忍ばせる必要があります。直接の吸血行為でも感染しますけど、それはごく稀です。幸か不幸か、そうなったかたは従者として迎え入れます」


 メイドのレミミとフララもそのパターンらしい。

 彼女たちは吸血鬼暮らしを楽しんでいるという。


「そもそもあの子たちは、家畜の身分だったころもあんな調子でしたけど」

「はあ、前向きなかたたちですのね」


 ――でも、囚われの身として血をすすられていたのは事実。依頼だって……。


 見透かされたか、フォンテが不機嫌そうな表情を返した。


「私たちも、自分たちと似た姿の者を苦しめるのは好みません。仮に姿がブタやウシでも同じこと。あなたたちだって、家畜を虐待したりはしないでしょう?」

「お気を悪くなされたのなら、謝ります」セリスは素直に頭を下げる。

「こちらこそ、ごめんなさい。確かに私たちはよその世界の倫理から離れていますが、誤解もあるって分かって欲しくて」


 笑顔に戻るフォンテ。

 しかし、先ほどの発言には疑問が残る。

 正直そうな彼女になら、訊いてもいいかもしれいない。


「ラムス王は牙を通したときの悲鳴がよろしいのだとか、おっしゃってましたけど」

「渇きのときは、みんなそうなってしまうんです。乾いているときとそうでないときは、まるで別人のように……。模造人血がなければ、私だってすでにあなたに飛びかかっていると思います」


 フォンテは爪を立てた両手を持ち上げ、「がお!」とやった。


「まあ、恐ろしい……」

 と言いながらも、口に袖して笑うセリス。

 楽しそうに話すフォンテを見ていると恐怖心は湧いてこない。


「ですが、生来からそういう性分の者がいるのも事実。不運は重なるものです。妹に売られたセイラムは、エイハムに気に入られてしまったのです」


 ラムス王の弟エイハム・ブランストーカ。

 彼は非常に残虐な嗜好を持ち、依頼とは無関係に捕らえてきた若い娘を、あらゆる手段で虐待することを生きがいとしている。


「この地下室は、彼の遊び場だったんです」


 壁に取り付けられた鉄の拘束具。

 人道後進国で処刑に用いられる断頭台。

 部屋の隅にはぎざぎざに鋭く波打った瓦のような物も積まれている。

 フォンテは、あれの上に正座をして、膝に重いものを乗せるのだと教えた。

 作業台の上にはノコギリや鞭、釘などが残されている。

 それだけではない。こんな場には不釣り合いな銀の皿に、ナイフとフォーク。


「叔父は二の腕と乳房の肉を好みました」と、フォンテが言う。


「それから、私たちの一族にしては珍しく、いろごとにもお強いかたで……。ここには、あまり近寄りたくありませんでした」


 座面に穴の開いた椅子が置かれており、床から棘が穴を貫いて光っている。

 男根を模したと思われる木彫りの像や、球体の連なった棒もあり、セリスは慌てて髪を確かめた。

 リボンは外したままだった。ほっと胸をなでおろす。


「こちらの道具はなんですの?」


 四つの足のついた三角形の物体。

 上部は金属で補強されており、そばにはふたつの鉄球が転がっている。


「これにまたがらせて、足に錘を括りつけるんですよ」「まあ!」


 素の想像力でも股が裂けるイメージが沸いた。

 セリスは木馬に染みついた何かの流れた跡を見つけ、唾を飲みこむ。


「最初は悲しげな悲鳴だったのに、セイラムは狂わされて、叔父の所業に悦ぶように変えられてしまった。そして、狂気と興奮の中でいのちを落としました。彼女のあの声と、食卓に上った奇妙な血の味は、永久に忘れることはないでしょう」


 フォンテが表情を沈めて呟く。「憎き叔父、エイハム」


「そういった残虐なことをなさるかたがご親族にいらっしゃるのは、お心苦しいことかと存じますわ」


 思わず見回してしまう。エイハムとやらは食事の席では見なかった。


「ご安心なさってください。叔父はもう、この世界にはいませんから。父と意見が合わなくて出ていったのです。かつての紅き月の悪名には、叔父ばかりが貢献していると言っても過言ではありません」


「そんなかたが、よその世界へ……」

 セリスは震えを感じる。恐怖と腹立たしさの両方だ。

「それもご安心を!」

 フォンテは笑顔で言った。「じゃじゃーん!」

「叔父は最近になって死にましたから!」

 セリスは思わず安堵の息を吐いてしまい、死者の姪に謝罪する。

「いえいえ、私も苦手でしたし。彼の存在がなくなったことで、父も世界を開く決断ができたんです」

「そうでしたの。エイハムさんは、ヴァンパイアハンターがお倒しに?」

「それが……」


 首を届けた監視役は、エイハムは黒い炎で一瞬にして焼き尽くされたと証言した。


「叔父は父のように立派な体格なうえ、武道にも長けていて、異界の魔竜を眷属にして従えてもいました。簡単に勝てる相手だとは思えないのですが……」


 しかし、実行者は不明だという。


 ――黒い炎……?


 セリスは相方の姿を思い描く。

 フロルは「吸血鬼もたまに斬りますわ」と、カジュアルに言っていたことがある。


「なんにせよ、彼の首は、二階の資料室のはく製の仲間入りです」


 フォンテが言うには、王と袂を分かち、よその世界に迷惑をかけた者が死ぬと、剥製にされて城の二階に飾られることになるという。


「どうしてそのようなことを?」

「私たち常夕の月の民が犯した罪を忘れないためです。ゆくゆくはこの喀血城を解放し、外界のかたにこの世界のあやまちを知る手がかりにしてもらう予定です。この拷問具も資料館の一部として来場者に……」


 彼女は続けて何かを言おうとしたようだったが、言葉を切った。


「地下には何もいないようです。探索に戻りましょう」


 またも引っかかりを覚えるが、フォンテに促されて地下室をあとにする。



 あはははは!



「今、何か笑い声が」

 閉ざされた扉を振り返る。

「私には何も聞こえませんでしたけど」

 フォンテは首をかしげる。

「小さな女の子の声でしたの」

「ファニュの霊魂でしょうか? 掃除もお清めも、すっかり済んでますから、ここにはかつての犠牲者たちの恨みだって残っていないはずですし」


 階段をのぼり一階に戻ると、空気が美味しく感じられた。


「東側の一階は、当時の畜舎となってます」


 餌として飼われていた者たちの部屋。個別に割り当てられていたらしく、この長い廊下に並ぶ部屋すべてがそうらしい。

 室内には椅子とテーブル。木のベッド、清潔なシーツ。

 本棚やドレッサーまでも置いてあるのは驚きだが、やはり家畜は家畜、便所代わりの箱や、格子のついた窓、壁に打ちつけられた長い鎖の枷などもある。


「いちおう体験もできますけど? 鍵はすぐそばに掛けてあります」


 フォンテは枷を拾って振ってみせる。それから、「箱」を見た。


「け、結構ですの」

「残念。ニ、三日体験してみて、忌憚ない意見をうかがえたらと思ったのですが」

 冗談なのか本気なのか、フォンテはがっかりしている。

「さすがに地下のほうの体験コースはできないですけどね」


 王女が頭を掻いて「あはは」と笑い、セリスも「おほほ」と続く……。

 それから家畜部屋をすべてチェックし、バケモノがいないことを確認した。


「何もありませんでしたね。次は二階……」

 階段の踊り場、おもむろにフォンテが下を振り返る。


 ぱたぱたとした足音。小さな人影が横切った。


「今のはどなた? フォンテさん、お見えになって?」

「こ、この城に小さな子どもは、居ないはずなんですけど」


 吸血鬼の娘の声が震えている。今度は見えたらしい。

 やはり、ファニュの霊がさまよっているというのだろうか……。



「きゃーーーっ!」



 悲鳴だ。上から。どきりとするも、ふたり顔を見合わせ階段を駆けのぼる。


「誰か助けてーーっ!」

 若い女性の声だ。フォンテが「資料室からです」と先導する。


「きゃっ!」

 フォンテがドレスの裾を踏んだらしく、布の破れる音とともに転倒した。

「私は大丈夫ですから。でも、ヒールが折れてしまって……」


 セリスはフォンテからカンテラを託される。

 わたくしが行くしかない。大部屋の両開きの扉を、勢いよく開け放った。


 ……ぎろり。

 灯りが照らし出したのは、赤い瞳。

 吸血鬼の男と目が合った。

 武骨なしかめづらは、おごそかな怒りを宿し、長い牙を出して今にもこちらへとかぶりつかんとしている。


「ラムス王!?」


 ……彼は、首だけだった。

 その哀れな生首は、ガラスのショーケースに入れられ、


「あっ、違いますの。これは弟のエイハムさんでしたの……」

 胸をなでおろすセリス。

 ともかく悲鳴の出どころを。

 部屋を見回せば、大勢の吸血鬼たちが立ち尽くしているのに気づく。


「ひっ!? ……って、これも剥製」


 まったく、なでおろしすぎて胸がなくなってしまいそうだ。

 ショーケースには納められた吸血鬼や、彼らの使った道具が並べられ、そのそばには生い立ちと罪状を記した立て札がある。

 セリスはその邪悪の歴史の中を進み、悲鳴のぬしを見つけだした。


「フララさん……ですの?」


 やかましメイドの片割れが倒れている。

 駆け寄り抱き上げ、鼓動を確認する。苦しげだが呼吸もある。


「よかった、気を失われてるだけ」


 かっ、と目を見開くフララ。

 瞳は不気味に赤く光っており、彼女は「喉が渇いた」と訴えた。


 セリスは吸血鬼の娘を落っことし、あとずさった。

 すると誰かに肩を叩かれ、ひゅっと息を吸いながら振り返れば、もう一人のメイドのレミミがいた。


「助けて、バケモノに襲われてしまって……」

 血まみれのメイド。

 セリスは思わず叫び声をあげて、彼女を突き飛ばして一目散に逃げ出す。


「置いていかないで!」

「レミミ、あたし喉が渇いたわ」

「ちょっと、何をするのフララ!? あたしたちは同族同士……痛いって!」


 ――フララさんがレミミさんを襲って……?

 思考は動くが、セリスの足は頑として部屋の外へと向かう。


「あっ、指が! そんなところに指を入れないで! やんっ!」

 ぴたりと止まる、セリスお嬢さまの足。


「ああっ! そんなことしたら……」

 ぴくぴくと動くお嬢さまの耳。心配だし、ちょっと振り返ってみようかしら。



「目、が、見、え、な、く、なっちゃうでしょおおおおおおおっ!」



 足元にべちゃり。半熟卵の白身のようなものが飛んできた。

 メイドの絶叫がショーケースのガラスを鳴らし、セリスのハートを握りつぶす。

 間髪入れずに、袴の腰帯が何者かにつかまれ、セリスは恐ろしい力で部屋の外へと引きずられた。


 ――バケモノ!?


 床に投げ出され、扉の閉められる音。

 慌てて身を起こすと、扉の前で座りこんで肩で息をするフォンテの姿があった。


「あれは発作です。人間のあなたには危険だから、離れていてください。私の代わりに、探索の続きをお願いします」


 どうやら、彼女が部屋から引っぱり出してくれただけらしい。


「おふたりは、大丈夫ですの?」

「平気です。普段はレミミのげんこつでフララが気を失って収拾するので。怪我もまあ、ちぎれたりしなければ」


 扉の向こうからはどたばたと物音がしており、血をよこせ! とか、どこ吸ってんのよ!? とか聞こえる。


「ご苦労なさってるのね」

「永遠のいのちとの引き換えの呪いのようなものです。父は模造血液の次は、私たちが太古の昔にそうであったように、人間に戻る技術を探すと言っています」

「人間に戻る技術を……」

「永遠に繰り返す日々には飽きました。私たちも、叶うなら太陽のもとへ出てみたい、そう願っているのです。お願いです、セリシール様。怪物を捕らえ、私たちを救ってくださ……っ!?」


 唐突にフォンテの身体が跳ねた。

 彼女が背にした扉が激しく叩かれている。


「ねえ、血をちょうだい」「開けてよ、そこに人間のお客さんがいるんでしょ?」


 ふたりの声は扉のすぐそばからだ。


「レミミまで発作に……! ここは私が押さえてますから、誰か男性のかたを呼んできてください! できればふたり以上!」


 王女は冷や汗を浮かべている。


「分かりました。……どなたかいらっしゃりませんか!?」

 セリスはブーツを鳴らして、人手を探す。


 すぐに見つかった。


「どうなされた客人。さてはバケモノが出たか!?」


 ラムス王が現れた。大きな胸を張ってのっしのっしと大股で歩き、サイズの小さな衣装は、はちきれんばかりだ。


「レミミさんとフララさんが!」

「もしや、バケモノにやられたのか!? そなたはフォンテといっしょだったはずだが、娘はどうした!?」

 王の怒鳴り声が石造りの城をびしびしと震撼させる。


「い、いえ、おふたりが発作で。フォンテさんは扉を押さえていて」

 恐る恐る伝えると、王はぽかんと忘我の表情を見せたあと、「がはは!」と豪快に笑った。


「吾輩に任せるがよい。フォンテでは荷が重かろう。小娘どもなら吾輩ひとりで充分だ。先ほどの仕置きも含めて二発づつ……」

 げんこつを固めて息を吐きかける王。

 セリスは思わずふたりを想い、お手柔らかにと頼んでしまう。


 そこへ、慌ただしい足音が近づいてきた。


「お姉さま!」

 アーコレードだ。


「どうなさったの? まっさおな顔をなさっ……て」

 妹分の額には大量の汗。瞳にもいっぱいの涙。

 そして、頬には血が跳ねたようにこびりついていた。

 

「血だ……血のにおいだ。同族の! わが娘の!」

 ラムス王が叫び、こちらを睨視する。「ローラはどうした……?」

 彼が一歩踏み出すと、石の砕ける音がした。


「ロ、ローラさんは……」

 アコはセリスにすがりついたまま尻もちをつく。

「ロ、ローラさんはバケモノに食べられて……」


 王がこぶしを叩きつけた。

 硬いものの砕ける、いやな音。


「そなたが、そなたらがついていながら」


 王は瞳に怒りをたぎらせ、自身の牙でくちびるを噛み切り、血を流す。

 片手は苦しげにおのれの髪をつかみ、もう一方の手は石壁を砕いていた。


 赦さぬぞ。


 静かなひと言は、乙女たちの骨肉と喀血城のすべてを揺るがせた。


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