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076.恐怖!処女の生き血と吸血鬼の城-02

 とわの夕暮れ。暮れ終えぬくれないの空に血色の半月が、ぽかりと浮かぶ。

 ときおり横切る黒い影はコウモリか鳥か、引き裂くような鳴き声は侵入者を責め立てているようだ。

 吸血鬼の王の居城へと続く林道は薄暗く、道を避けるように並び立つのは整然とした針葉樹であったが、血と闇のコントラストが木たちにこちらへ腕を伸ばさせるのでないかという妄想を乙女に植えつける。


「ア、アコさん! そ、そんなにくっつかれると歩きづらいんですの」


 アーコレード・プリザブは、セリシールの腰にがっぷりと抱き着いていた。

 やめろと言われても離す気はない。


 ――だって、セリスお姉さまがいけないんですから!


 アコがスリジェ家創設の図書館で勉強に励んでいると、セリスが急に訪ねてきて、フロルの投獄と救助要請を伝えたのだ。

 フロルお姉さまは、アコにとって目指すべき憧れの星のひとつ。

 令嬢は是非にと同伴を承諾した。


 内容も聞かずに。

 いや、セリスが話さなかったのである。


 吸血鬼の根城へゆくのを知ったのは、経由世界である第二十六遺世界のゲートの防人(さきもり)が、ふたりの乙女の身を案じたことからだ。

 知った当初こそは、自世界にも魔族の一員として名を馳せるかたちで吸血鬼が存在していたことから、「悪鬼からお姉さまを取り返す!」と息をまいていたものの、じっさいに世界へと足を踏み入れたら……まあ、怖いこと怖いこと。


 ――いざとなったら、セリスお姉さまを……!


 当初のアコは、フロルよりもセリスに強い憧れを持っていた。

 しかし、四天王戦の一幕や、女神のアトリエの件などを経てフロルへの信頼を篤くし、いっぽうでセリスとの同居では評価の伸びはいまいちだった。


 フロルが黙っているときは大抵、うしろで状況を睨んでいるときだ。

 アコは好きにして、ただ困難に立ち向かっていけばいい。

 本当に危ないときは助けてくれるという、絶対の信頼がある。


 対して、セリスが黙っているときは、自省中と妄想中が大半を占める。

 前者であれば、アコは慰めるかそっとしておくかだが、後者がいけない。


 セリスがアトリエで手を止めてぼんやりしている場面に遭遇したことがある。

 彼女は急に「フロルさん」と連呼して、よだれを拭って笑いだしたのだ。

 アコは思わず隠れて様子をうかがったのだが、セリスはおもむろに……そこから先は割愛させていただく。


 ほかにも、セリスの部屋の前で書類を拾い、つい内容を読んでしまったことがあったのだが、それは実在の人物を使った小説であり、内容は……やはり割愛させていただく。


 普段の活動で立派な姿を見ているぶん、このギャップはアコの憧れに大きなヒビを入れていた。このままではセリスはフロルに逆転されるどころか、目指すべき星からこぼれ落ちることになるだろう。


 そして、今回の沈黙に関しては、巻きこむ意図があったものと思われるために、アコはセリスに対して少しばかり腹を立ててもいた。


 その立腹が妄想癖に対する呆れと合体し、今日のアーコレードは、断固としてセリスお姉さまを盾にするつもりなのだ。


 ――セリスお姉さまは穢れていらっしゃるから、吸血鬼も退散するはず。


 加えて、アコには歩くことよりも集中しなければならないことがあった。


「アコさん、もう少し歩幅を大きくしてくださいまし。ちっとも先に進めませんの」

「む、無理です! え、えーっと、足がすくんでしまって」


 ホントは「そんなことをしたら漏れます!」なのだが、言えるはずもない。

 お手洗いに行きたい。

 尊敬を欠きつつある姉役に、こんな子どもじみたことを白状するのは嫌だった。

 とにかく、アーコレード嬢は今や、仇敵魔族の類似種の城の特定設備(おトイレ)にもすがる羽目になっている。


「仕方ありませんの……。()の願いは()の願い」


 セリスが宣誓し、絵筆で何かを創り出す。

 描かれたのは車輪つきの板の上に持ち手のついた物体だ。


「おキャリアーを創りましたの。これにお乗りになれば、歩かずに済みますの」


 アコは台車の上に座り、セリスがそれをがらがらと押す。

 そう、がらがら(・・・・)と押すのだ。

 車輪が小石を踏むたびに、アコは股がしびれるような感覚を強くしていった。


 ――恨みます、お姉さま。


 アーコレードは羽織っていた黒いコートの前を強く合わせる。

 自分と王子を救ってくれたという謎の男が残していったコートだ。

 どこで会えるかも分からないし、もしもと思って、礼を言って返すつもりで着てきていたのだが、これにすがるとなんだか心強い気がした。


「アコさん、ご覧くださいまし。前方から誰かいらっしゃります」


 カンテラだろうか。灯りが見える。

 ゆらゆらと上下する光は、持ち主のゆったりとした歩調を教えている。


「これはこれは麗しき乙女たち。お初にお目にかかります。わたくしは、“ポリド”と申します」


 黒いタキシードを着た初老の男。平坦で抑揚のない声。

 姿かたちは人間。血色が悪いのは、どの世界の吸血鬼も共通か。

 “喀血(かっけつ)城”の執事を務めるという彼は、林道の分かれ道で待っていてくれたようだ。ここから先は迷いやすいらしい。


「いちおう、札は立ててあるのですがな」


 ポリドの言う通り、分かれ道には矢印看板が立っている。

 魔族ではないとはいえ、常夕の月の住人は悪名高い。

 案内を素直に受けるのは屈辱……と、アコは気を紛らわせた。


 がたがたの小石の道を進み、耐えることしばらく。


 つと、先導するポリドが歩みを止めると、こちらを振り返り、訊いた。


「その移動方法は、お嬢さまがたの世界ではポピュラーなもので?」


 セリスが「ひ、秘密ですの」と答えた。


「そうでございますか。ところで、あなた様はかつて、人道連盟にて重鎮とされていた家のご令嬢だそうですな?」

「今は当主ですの」

「失礼いたしました。お世継ぎをなされたということは、次はご結婚ですな」

「け、結婚の予定はまだございませんの」


 セリスの返事に対して、吸血鬼の男が笑った。

 結婚前の乙女。ちらりと見えた犬歯は鋭い。


「ところで、われらも最近、連盟の末席に参加させていただき、それに伴い当世界の改革をおこなっておりまして。新たに人道配慮の進んだ設備を設置したのですが、なにぶん勝手が分からず、是非ともあなたがたに見ていただきたいのです」


 横道にそれますがと、ポリドは林の右手奥へとカンテラを掲げる。

 ぼんやりとした明かりが、白い小屋を浮かび上がらせていた。

 本来は清潔な色なのだろうが、この世界では屋外はすべてが赤く照らされる。


「お姉さま、お姉さま」

 小声で呼びかけ首を振る。


 絶対にマズいやつだ。

 セリスは人道が関わると目が曇りがちなのはアコも承知。

 素直に小屋に連れこまれて、がぶり! ちゅー……に決まっている。


「わたくしたちでよろしければ、是非」


 ――お姉さまーーっ!?


 声にならない声は虚しく、台車は方向転換し獣道を進み始めた。

 さっきよりも早いうえに揺れるし、茂みの葉がくすぐってきて、いよいよいけない。


「あっ――!」

 乙女は臀部に違和感を感じた。


 いや、まだ大丈夫だ。

 宣誓の効果が切れて、台車が消えて尻もちをついただけ。

 姉役の謝罪とともに手を借り立ち上がり、なんとか施設へとたどり着く。


「三つに分かれてるタイプですのね。こちらの世界だと、文化的種族は人間型の吸血鬼さんだけですから、充分そうですの」


 セリスは小屋を眺めて何やら評価している。

 聞かせるべきポリドは林道で待っているようだが……。

 まあ、姿が見えないよりは離れているのが分かるほうが安心できる。


「では、わたくしはここで待ってますので、アコさんお先にどうぞ」

「ええっ!? そんなお姉さま! あたくしを生贄に!?」

「いけにえ?」


 きょとんと首をかしげるセリス。

 今度は思案の沈黙だろうか、数秒してから彼女はくすりと笑い、「あちらのマークが女性用を示してるかと思いますの」と言った。


 建物には入り口が三つあり、それぞれにパネルがついている。

 ひとつには赤い人型、反対側には青い人型、扉の取っ手のタイプが違う部屋の入り口には、尻尾のついた人型を示したパネルがついている。


「ここに人外種さんがどれほどいらっしゃるか分かりませんけど、ピクトグラムが旧式仕様なので少し分かりにくい。お空が赤いのに色分けに頼られてるのも減点、亜人のかたは人間種とは色の見えかたも違うかたが多いので、そもそもモノクロ以外のデザインはペケですの」


 ぶつぶつと批評を続ける姉役。

 このままでは一向に吸血鬼城のお手洗いにたどり着けない。

 アコはセリシールを今一度信用することにし、女性用とやらのほうに足を踏み入れた。


「これは、水道……!」


 蛇口と洗面台、鏡。これは自宅や居候先にもある設備だ。

 そして、ずらりと並ぶ個室。

 知っている。あたくしは知っている。

 少し前に、もう一人の姉役や王子と出掛けた世界でも使ったことがある。


 ――お手洗いですわ~~~!


 令嬢は乙女として、というか人としての誇りを失わないで済んだことを、女神と姉役と案内の吸血鬼に感謝した。

 緊張からの解放を震えるほどに堪能したのち、しっかりと手を洗う。

 世界が変われば病も変わる。消毒は欠かさずに。

 石鹸ではなく洗浄液の出るプッシュボトルタイプなのはありがたい。

 それでも室内は石鹸と花を混ぜたような芳香が充満している。

 借り物の技術だろうが、なんとなくこの常夕の月を信用してもいいのではないかという気もしてきた。

 きっとフロルお姉さまも、悪い扱いはされていないだろう。


 姉役の批評をまねしながら、足取り軽くお手洗いをあとにするアーコレード。


 しかし、彼女の気持ちは転落。笑顔は一気に反転した。


 設備の前に立ち、指輪をした手を掲げている姉役の姿。

 入り口の周囲にはうっすらと七色をたたえた光の壁があった。

 別段、何者かの襲撃を受けているというわけではない。


 ――セリスお姉さま。


 彼女だって、手放しで吸血鬼たちを信用しているはずがなかった。

 利用を促したのも、アコの膀胱の限界を察知してのことに決まっている。


 無防備な妹分が安心して用を足せるようにという配慮。

 やっぱり、セリスお姉さまはすごいのだ。


 ――それなのにあたくしは、お姉さまを悪く思って、足を引っ張って!


 アーコレードは瞳に星を湛えて叫ぶ。「お姉さま!」

 背中へと飛びこみ、顔をうずめ、両腕をお姉さまのお腹へと回し、愛情たっぷりに抱きしめる。


「おごぁ!? お、お放しになって……」

「セリスお姉さま、ごめんなさい。あたくし」

「あ、あの、おはなしはあとで聞きますから……ああっ」


 お姉さまはよたよたと逃げてしまう。

 アコはこの場で何もかも打ち明けてしまいたい衝動に駆られている。

 もう一度ハグをしたい。


 ところが、びしっと手のひらが突き出された。

 拒絶? そんな!


「わ、わたくしも……」

「お逃げにならないで! お姉さまはあたくしのことが嫌いなんですか!?」


 どしん!


 アコは飛びこみ、抱きついた。

 セリスお姉さまは温かかった。じんわりと。


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