075.恐怖!処女の生き血と吸血鬼の城-01
ぶーーーっ! セリシール・スリジェは緑茶を吹き出した。
「フ、フロルさんが投獄!?」
客間のテーブル、向かいに座るのはフルール家のメイド長ヨシノである。
彼女はため息をつき、衝撃の事実を繰り返し話す。
「そうなんです。異界での活動中に捕まってしまったらしくて。
それも、何かを盗んだとか壊したというわけではなく、
公序良俗に反する服装をして、公共の場で活動した罪で逮捕されたそうで」
セリシールは額を押さえた。
世界や国、種族によって、倫理観はまちまちだ。
倫理観は科学技術に比例して平等主義に近づき、不利な状況に置かれがちな女性や貧困地域の住民、主要種族以外の生物への配慮や贔屓が見られるようになっていく。
女神の枕は科学レベルは低いものの、長年の平和と豊かさ、当の女神たちが女性への加護を贔屓しがちな傾向から、環世界人道連盟から良好な倫理観を持つ世界だと評価されていた。
加え、スリジェ家の人道支援の歴史や、フルール家の勇者活動の実績もある。
ゆえに、油断していた。
――フロルさんの本性は、どこの世界のかたから見ても、変態……!
彼女のひとり遊びが増えれば、こうなるのも時間の問題だったのだ。
「そ、それで刑の内容は? どのくらいで出てこられますの?」
落ちつこうと湯飲みに口をつけ、茶を含むセリス。
「えっと、懲役じゃなくて処刑だそうで」
ぶーーーっ! ヨシノの顔に茶が掛かった。
「もっと早くおっしゃってくださいまし! それに落ちつきすぎですの! 法なんてうっちゃらかして、まずは救出にゆきましょう!」
立ち上がり、テーブルをばんばん! とするセリス。
ヨシノは顔をハンカチで拭くと、力無く笑った。
「執行はまだです。済んでいたら、わたしも干からびるほど泣いていますよ。
あちらの世界のかたがたも、フロルお嬢さまの活躍はご存知ですし、
平均的な倫理観から見て死罪は重すぎることも承知していらっしゃるので、
あちらのご依頼を果たせば、免罪していただけるそうでして」
「そういうことでしたの……」
ほうっ、とため息をつき着席をする。
しかし、フロルはどこの世界で捕まったのだろうか。
肌の露出や性的行為に関する規律が厳しい世界は、いくつもある。
異界の神の教えを信仰する“清らなる十字架”や、衣装の統一がシーンごとに義務づけられている汚濁の罪などでは、わいせつ物陳列は重罪だ。
前者は人道連盟の加盟世界だが女神の存在を否定する立場を取っているし、後者とは界交断絶状態。
重要人物のいのちとだと、どんな交換条件が付きつけられるか……。
セリスは恐る恐る、その条件を訊ねた。
するとヨシノは、もったいぶった調子で口元を曲げて、薄ら笑いを浮かべた。
「ずばり、バケモノの捕獲です」
くだんの世界を統括する王の住まう城に、バケモノが住み着いているという。
「王家のかたがたを次々と襲い、死者も出ているという話です」
「では、すぐにでも参りましょう。そのかたたちも心配ですし、先方の気が変わるといけませんので」
セリスは立ち上がる。いとしの相方が心配だ。
「非常に申し訳ないのですが」
ヨシノが言った。出された緑茶をすすり、異界の菓子羊羹に楊枝を刺しながら。
「わたしはパスで」
「パス!?」
「わたしは、フロルお嬢さまを信じてます。だからほら、不在のあいだはお屋敷のこととか、ちゃんとしておかないと……」
「そのフロルお嬢さまが帰ってこられなくなるかもしれないのに! お屋敷のことはルヌスチャンさんにお任せになってはどうですの?」
「ええと、チャンは……」
めっちゃ怒ってるらしい。
普段から口うるさくしている執事は、あるじが露出の罪でしょっ引かれたのを知ると、自分で何とかさせろと柳眉を逆立て、ヨシノにも助太刀を禁じたのだ。
「いつもなら、叱られるのを承知でも行くのですが……」
ヨシノはため息をついた。
「わたしは、おばけとかバケモノとか、怖いのが苦手でして」
目を逸らすバケモノメイド。
セリスはツッコミをぐっとこらえる。
普段から無表情で、怖がっている様子など欠片ほども見せたことないくせに。
おそらく、フルール家の従者たちは変態頭領に呆れてしまっているのだ。
――あのかたをお助けできるのは、わたくしだけ。
ヨシノはバケモノ「退治」ではなく、「捕獲」と言った。
倒せば済む話なら、フロル当人に頼めば早い。だが、生け捕りなら領分外か。
あるいは、フロルですら難儀するほど厄介な相手か、すでになんらか失敗を重ねたあとなのかもしれない。
――ですが、わたくしが参れば、必ずお救いしてあげられますの。
セリシール・スリジェは、ふんす! と鼻息を吐いた。
ここのところ、絶好調なのだ。
四天王ラムマートンを圧倒したことに始まり、新人当主として人道連盟を相手取って意見を通した体験もし、自世界内でも任された仕事をすべて成功裡に終えている。
先月の水害でも、彼女が描いて創造した船や、科学世界から学んだ呼吸の仕組みをもとに水中に酸素を創り出す願いで、多くのいのちを救ったばかりだ。
わが神ミノリも毎日のように褒めてくれるし、自分はもう神の代理人に等しい存在だと自負している。
「それに、万が一お嬢さまが処刑ということになれば、その場に居合わせた人たちを皆殺しにしてしまいそうで」
バケモノメイドが羊羹をもごもごしながら、なんか言った気がするが……。
「承知いたしました。わたくしが引き受けます。それで、どちらの世界に参ればよろしいんですの?」
「ありがとうございます。お嬢さまが捕まっているのは“常夕の月”という名の世界です」
「常夕の月……?」
セリスは首をかしげる。聞いたことのない世界名だ。
「そうでした。セリスお嬢さまが人道連盟を脱退されたあとに加盟した世界で、そのときに世界名が変わったんですよ」
「もともとのお名前は?」
「“紅き月”と名乗っていたところです」
セリスお嬢さまは、お口を半開きに硬直した。
「あの、紅き月とおっしゃると、人間を食血用の家畜として扱い、夜な夜なゲートを潜り抜けては異界の人々をさらう、吸血鬼の世界……。それも、処女の生き血を特に好んで……」
鋭い牙で首元をがぶりとやるらしい。
怪物に抱きすくめられ、牙を立てられる想像が鮮明に浮かぶ。
セリスは顔をぶるぶると振り、夢想の蝶に頼んで、怪物を相方に書き換えてもらって、こころを落ちつかせる。
「最近、人血の代用品をよその世界から提供されたとかで、吸血鬼の王が方針転換をして、これまでの加害への謝罪をして、補填も検討しているとか」
長きに渡って多くの世界で、子どもや若い女性の夜歩きを禁止するために語られてきた怪物たちの世界も、いよいよ大きな変革のときを迎えたらしい。
「はあ、それはけっこうですけど……。でも、吸血鬼の世界が加盟できたなんて」
「不老不死に関する裏取引があったって噂です」
なるほど、幹部連中の汚職か。元加盟家当主は、がくりと肩を落とす。
「でも、そういった事情ですと、信用はできませんの。独りだと、騙されて血を吸われたりして……」
「セリスお嬢さまなら歓待して貰えると思いますよ。先方は協力者を未婚の若い女性のかたに限定されてましたし」
「それって生贄では!? わたくし、やはり不安になってまいりましたの! ヨシノさん、ぜひ一緒にフロルさんの救出に行ってくださいまし!」
テーブル越しにヨシノの肩を揺さぶるセリス。
ヨシノは「おっと」と、湯飲みを支えた。
「わたしはヴァンパイアさんと同じ不死ですけど、こういった身体でしょう?
男性経験がなくても、処女とは縁遠い穢れた身ですし。オトリにはなれません。
それに血肉が無限ですので、万が一餌にでもされると洒落になりませんから」
「洒落にならないのは、わたくしも同じですの!」
「平気ですよ。清らかな乙女は殺されずに、同族にされるだけで済むそうです」
「ぜんぜん平気じゃない! はっ!? フロルさんもすでにお仲間にされてしまったのでは!?」
「どうでしょう? あのかたの血って、マズそうじゃないですか?」
ははは、穢れてそうですよね、と無表情で言う従者。
「フロルさんに男性経験がおありになるはずなんてない! ありませんよね!?」
またもヨシノを揺さぶる。
「いや、知りませんけど。ワンナイト・ラブとか好きそうじゃありません?」
「ひーーっ! 汚らわしい! フロルさんが男性のかたと交わられるなんて、冗談でもおっしゃらないで!」
「あら、セリスお嬢さま?」
バケモノメイドが立ち上がった。
それから、自身の腹部に手を当てたかと思うと、すっと下へ手を滑らせ、こう言った。
「男性が相手とは限らないかもしれませんよ」
妖しく笑うヨシノ。今度は本当に、ちゃんと笑う。
彼女のくちびるを舌が這い、ゆっくり舐めた。
味わうのは、甘い餡か、茶の苦みか。
「……冗談です」
「ホ、ホントですの? ヨシノさんってあまり、冗談をおっしゃらないかただと」
「だからお嬢さまが、ヨシノはまじめすぎるから、もっと冗談を憶えなさいっておっしゃって。セリスお嬢さまなら、からかうのにちょうどいいと勧められました」
「フロルさん!?」
「とにかく、フロルお嬢さまは、あなたをご指名です」
「指名だなんて。ご信頼はありがたいですけど……」
この前の仕返しだろうか。
ミノリ神が命じたとはいえ、宣教師役を押しつけたのは、ぶっちゃけエチル王子と関わると面倒くさそうだと思ったからだ。
フロルも多分、それには気づいているだろう。
「何もおひとりで行けとは言ってませんよ」
「ど、どなたにご同伴いただけますの!?」
「アーコレードお嬢さまです」
「……アコさん?」
わざわざ客分の彼女を危険に晒すようなことを?
魔導の世界には退魔の魔術があり、太陽を苦手とする吸血鬼にも有効だと聞いたことがあるが、アーコレードは未修得だと言っていた。
「では、わたしはお嬢さまの予定の修正と代理の仕事があるので、これで」
ヨシノが一礼し、退室しようとする。
セリスがアコの指名について訊ねようとすると、ヨシノが振り返った。
「万が一……。万が一お嬢さまが処刑ということになったときは、彼女を吸血鬼にしてあげてください。死ぬよりはマシですから。それに、永遠という永い時間も、みんないっしょならきっと、寂しくないでしょうし」
フロルの従者はそう言い残し、去っていった。
――ヨシノさん。
彼女は変幻自在で不死の身体を持つ。
今はまだ若いが、ちゃんと老いるかどうかは不透明だと聞く。
――もしも、わたくしがヨシノさんのような身体だったら。
つらいと思う。相方や主人には、ずっと一緒に生きていて欲しいと思う。
わがままかもしれないが、アコなどの親しい間柄が加われば、むしろ幸せなんじゃないかとも思える。
――でも、ごめんなさい。わたくしはそれを否定しなくてはならないんですの。
セリシール・スリジェは、相方を人間のままで救出することはもちろん、永遠の若さよりも自然と老いることを選択し、肯定する。
誰かの命運を手玉に取り、利己的に生かし続けるという大罪はもう、充分すぎるほどに背負っていたから。
「それでも、此度もおふたりの力を借りる所存です」
母から授かった絵筆を胸に潜ませ、父から授かった時を操る杖を手にする。
袴の帯を結び直し、ゲートに見立てた扉を、きっと睨んで。
「あなたの友が、今参ります」
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