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072.わたくしの言うとおりにすればよろしいのですわ-04

「講演はこちらのビルの二十八階講義室でおこなってもらいます」

「あまり広そうには思えないけど……」

 見上げる。ガラス張りの角ばった(ビル)は、空と雲が反射していてまぶしい。

 左右の建物との間隔から推測するに、フロアごとの面積は自宅の玄関ホールくらいの幅しかない気がする。


「受講者は二、三十人ですからねえ」

「少なっ!? さっきの人たちはなんだったのよ!?」


 フロルが振り返ると、ゲートでの歓迎者は誰一人ついて来ていなかった。


「飽きられちゃったんでしょう。あなたたちは普通の人間にしか見えませんからねえ。この世界の住人は、ただの人間には興味がありません!」

「あっそう……。こんな調子で講演して、意味があるのかしら?」


 ちら、と女神の気配を見やる。


『小さなところから、こつこつとだ』

「らしくないことを言うわね」

『仕方なかろう。ミノリの眷属なら、流行を創るとか、信仰心を植えつけるなどできただろうが。そなたもあらかじめ受講者の猜疑心くらいは破壊しておけよ』

「それって、ほとんど洗脳。あの子、よそでそういうことしてないわよね?」


 相方の顔を思い出す。彼女はアーティファクトの扱いが器用だ。

 カード一枚をとっても、フロルより効果的に活用するが、たまに調子に乗っている気がして危なっかしい。


「ちょうどエレベーターが来てますね。さあさ、みなさん早く乗って!」

 ジャノヒゲはビルの中の小部屋から催促している。

「なんだ、この小さな部屋は?」「わっ、勝手に扉が閉まりましたよ!」

 小部屋に入り、驚く少年少女。

「あなたたちはエレベーターは初めてなのね」


 フロルはこの電気仕掛けの昇降機の仕組みを説明してやった。

 といっても、物知りな執事の受け売りをそのまま口にしただけだが。


「ほう。このような塔は登るのが骨だと思っていたが、こういう仕掛けがあるのなら話は別だな。上下の移動が手軽になれば、狭い土地も有効活用できるだろうな。農耕地の確保の手間や土地の取り合いも減るのではないか?」


 おやおや、ご令嬢が語る王子を見つめている。


「どうしたのアコ?」

「あ、いえ。殿下も意外にちゃんと考えてるんだなって」

「無礼な。われは確かに兄上の予備に過ぎぬが、世の中何が起こるか分からぬ。もしもに備えて、国民の事情はひと通り理解しておかねばならぬのだ」


「お見逸れしました」と、頭を下げるアコ。

 王子は「分かれば結構」と、尊大に胸を反る。


「われがくたばったあかつきには、千階建ての墓標を立てさせることにしよう。デカいと目立つしな」

「なっ!? 謝って損した!」

「王子はこういう奴なのよ。昔っから変わらないんだから」

「バカめ。われは自由人なのだ。はっはっはっ……は!?」


 がくん! とエレベーターが停止。

 顔を見合せ、しばらく待つも動き出す気配はない。


「また、ですねえ」竜人がため息をつく。

「またって、ここのエレベーターはどこの世界製よ」

 クレームをつけてやるわ、とフロルは唸る。

「ここのエレベーターはここ製ですよ。ガワだけマネてるんです。ちょっと呼んでみますね」


 ジャノヒゲはそう言うと、呼び出しボタン……ではなく、壁についたハッチを開け、箱の外へと身を乗り出して「エレベーター係!」と大きな声で言った。


「わりい、すぐに動かす! しょんべん行ってたんだわ!」


 何やら返事が響くと、エレベーターは再び昇りはじめた。


「どういうこと?」

「ここのエレベーターはドラゴンが手動で動かしてるんですよ」

 ワイヤーを引く仕草をする竜人。

「へえ、変わった仕組みですのね……」


 とか言ってるとまた、がくん! ……それから、浮遊感。

 四人そろって悲鳴を上げる。


「落ちてる落ちてる!」


 かと思ったらまた、がくん!


「びっくりした? 遊園地ってやつのマネ。あっはっは!」

 外から竜の笑い声が響いてくる。


 エチル王子とジャノヒゲが、ハッチから身を乗り出して苦情を言う。

 どうやらアコのほうは可哀想に、腰を抜かしてしまったらしい。


 ところが、これで終わらず、昇降係の竜はたっぷりと悪乗りを繰り返した。


「や、やっとついたわ……」

 なんだか身体がふわふわする。

「おい、われはちょっと便所に行く……うっぷ。アコもとんだ災難であるな」


 妹分はすっかり泣きじゃくっている。フロルは待ちあいの椅子に座らせ、背を撫でてやった。


「いや、申しわけないです。ビルの責任者にクレームを入れておきます」

「ほんと、法が許すならぶった斬ってるわよ……」

「別に構いませんよ。法律ってやつは、うちの世界にはありませんし。仲間からの復讐にだけ気をつければ問題ないでしょう」

「ええ……」


 女神はこの世界はルールが粗雑だと言っていたが、まさか本物の無法地帯だったとは。

 フロルは破壊神を呼び、「こんな世界から観光客が来るのは、さすがにまずいんじゃなくって?」と苦情を入れた。


『んん? わらわがこの前見たときには、法律はあったがなあ? 枕よりも高度な文明世界からの輸入ものだったぞ』


 ジャノヒゲに聞いてみようかと思ったが、「飽きましたから」と返されそうなので、フロルは黙ることにしておいた。


 竜人は何やら、腕にはめた時計のようなものを操作している。

 ずいぶん高度な技術が使われているらしく、彼の手元の空間に文字や数字のようなものが浮かび上がり、何かを示しているようだ。


「重ねて申し訳ないのですが」

「もう講演の時間かしら?」

 王子はまだ戻ってこない。

「その反対なんです。講義室に先約がいらっしゃって、そちらのほうのセミナーが長引いているようでして」

「雑ねえ。まあ、少し休んでからのほうが都合がいいか」


 アコはすっかりトラウマになってしまったらしく、まだぐずぐずやっている。

 そのうちにエチル王子が戻ってきて、泣き虫をからかい始めた。

 フロルは止めようかと思ったものの、アコは気丈に言い返し、すぐに元気づいたので好きにさせておくことにする。


 喧々と賑やかにやるふたりを尻目に、フロルは周囲を見回す。

 エレベーター前の待合いの空間は広く、いくつもの背もたれのない長椅子が並んでいる。

 外で見かけたのと同じような、さまざまな人種や変装者たちも腰かけており、おのおのの手の中の物に夢中だ。

 小さなコンパクトのような機械、革張りの書物、情報の詰まった大きな紙――確か新聞、中には編み物をしている者もいる。

 ここで何かを待っているということは、彼らは女神布教の聴衆となる者たちだろうか。


「ふふん」

 これから、彼らに注目されるのだと思うと、ちょっとにやけてしまう。

 布教活動は気が重いが、それとこれとは話は別だ。

「ね、ジャノヒゲさん。先約のセミナーって、どんなものをやってるのかしら? わたくしたちみたいに、どこかの異世界のかたが?」

「そのようですねえ。セミナーのテーマは……外宇宙からのギフト! ~すべてはエネルギーに変えられる~ とあります。申請時のデータがあるので見ます?」


 竜人が腕の装置を操作すると、宙に描かれていた講義室利用のタイムラインがセミナーの詳細に変わった。


「魔法のない世界出身のあなたにも、じつは魔力がある! ~死蔵した魔力の有効活用法~ ですって。ホントかしら?」

「同じ魔法アリでも、世界ごとに法則が違いますからねえ。こっちの、合体しようぜ! ~異なるものの融合はすべてを肯定し、我々を神に押し上げる~ なんてのも面白そうですね」

「いや、怪しいし物騒ですわよ。……あれ、これって?」


 最後の項目の「身近なエネルギー源、煩わしい感情を資源に! ~永遠に持続可能な多元世界に向けて~」というものには、聞き覚えがあった。


「盗み聞きしても怒られないかしら?」

「どうぞご自由に」

「愚問よね」


 フロルは講義室の扉へと耳を当てた。

 何を言っているか分からないが、感情のこもった女性の声が、金属製の冷たいドアをびしびしと鳴らしている。


「覗いちゃお」


 扉を少し引き隙間を作ると、声が鮮明になる。


「やっぱり。あの赤いスーツには見覚えがありますわね」


 フロルは睨む。

 聴衆たちの席の並ぶ最奥の檀上で語る女。

 高度文明に見られるスーツ姿で「感情をエネルギーに換える」ことについて熱弁をしている。

 彼女はマギカ王宮でも見かけた、愛と憎しみのエネルギー研究会の女だ。

 パーティーでは有力者たちに声を掛けて回っていて、特にセリスのふところを当てにしていたのか、彼女には何度もアタックを仕掛けていたようだった。


 ――怪しい活動をしているに違いないわ。


 覗きの高揚感も相まって、相方を煩わせた不審者の正体を暴かんとお嬢さまは舌なめずりをした。


「さて、最後はみなさまがたに感情エネルギーの便利さを体験いただきたく思い、便利なアイテムをご用意いたしました。今なら、この家庭用小型感情蓄電池をなんと!」

 女は背後に積まれた白い釜のようなものをひとつ取ると、壇上に乗せた。


 ――どうせ高値で売りつけるんでしょ。


「無料でみなさまにお配りいたします!」


 ――なんですって!?


 お嬢さまは驚愕した。タダならうちにも一台置こうかしら!


「マジかよ!」

「あたしにもちょうだい! 元カレに腹が立ってしょうがなかったのよ!」

「俺、ちょうど自動車愛が溢れすぎて困ってたんだ!」


 室内が騒がしくなり、どたばたがっちゃんとテーブルをひっくり返して部屋の前方へと聴衆が詰めかけている。


「大人気ね。っていうか、竜まで室内にいるんだけど、どうやって入ったのよ」

「身体が伸び縮みするマジックアイテムか何かを持ってたんでしょう」

 ジャノヒゲが答える。彼もフロルの上から覗きだ。

「つまり、ジャノヒゲの親父はそれを使って、ジャノヒゲをこしらえたわけだな」

 王子もいっしょに覗きである。

「またそんなこと言って。アコが怒るわよ」


 振り返ると、アコは待合の椅子で膝の上で手をそろえてちょこんと座っていた。


「アコもこっちに来たら? 中の取り合い、見てて面白いわよ。講義も、この前のパーティーに来てた研究会の人がやってたみたいよ」


 勧めるも苦笑いを返される。


「あたくしはあの場で醜態をさらしましたし。それに、覗きをするのは、はしたないかと……」

「気にしすぎよ。別にお手洗いやお風呂を覗いてるわけじゃなし。それに、この世界は無礼講の無法地帯らしいし」

「放って置けフロルよ。あやつはビビりなのだ」


 ぴくり。アコの顔が短く痙攣する。


「ビビりではございません!」


 令嬢は口を尖らせると、縦ロールの髪を揺らして駆けてきた。

 覗きができるようにとフロルとジャノヒゲがどいてやり、アコは扉の隙間に顔をくっつける。


「おい、あまり隙間を開けると見つかるぞ」

「あら殿下、おビビりになりまして?」

「誰がビビッて……ぎゃっ!」

 王子が顔面を押さえてうずくまる。

「なんとか装置が飛んできたぞ……」

「あら殿下、とんだご災難で」

 おほほと笑うアーコレード。


 次の瞬間、王子の顔が、きっと鋭くなり、彼は令嬢を思いっきり突き飛ばした。


「アコ!」フロルは彼女を受け取り(・・・・)、ドアから素早く離れる。


 扉が大きく開かれると同時に、白い釜を抱えた聴衆の群れが飛び出してきて、逃げ遅れた王子を押し倒した。


「よっしゃ! さっそく帰って使おう!」

「このわくわくもエネルギーになるかな?」

「くっそー、あとで俺にも貸してくれよ!」


 鎧やら竜人やらイヌやらロボやらドラゴンやらが駆けぬけ、彼らのさまざまな足が踏みつけ、蹴飛ばし、その隙間から王子の身体が何度も跳ねるのが見えた。


「殿下!」「エチル王子!」

 ふたりは群衆が過ぎ去ると同時に駆け寄る。

「アコ、治療の魔術を!」

「ご、ごめんなさいお姉さま! あたくし、治療の魔術は使えません!」

「よ、よいのだ……。か弱き乙女を護れずして王者は名乗れ……ぬ……」


 がくっ。

 なんということ! アルカス王国第二王子が踏み殺されてしまった!


「あたくしが、素直に殿下に従ってマギカに帰っていれば……」

 哀れアーコレード嬢。瞳からたくさんの宝石をぼろぼろとこぼす。

「あたくしをかばって。ああ、殿下……」


 物言わぬ王子にすがりつく令嬢。

 かの王子の死に顔は穏やか……というか、にやにやしている。


「ちょっと女神様、よろしくって?」

 フロルはため息まじりに神を仰ぐ。


『正解だ。エチル王子も調和の女神イミューの眷属だ。王子も、というよりは、アルカス王家の血が濃い者は、ほとんどヤツに愛されておる。アルカス王家が長きに渡って統治を続けられるのも、調和の女神の影響が濃いせいだ』

「そういう大事なことは早くお話しになっておいてよ……。アコ、泣いても損みたいよ。王子もせっかくカッコよかったんだから、冗談はおやめなさい」


 フロルがアコを引きはがすと、王子はどっこいしょと立ち上がり、服についたほこりを払った。


「王子、お怪我は?」

「ああ、口の中をちょっと切ったくらいだ。まったく無礼な連中だ。文句を言ってやらねば……」


 王子が不満顔で群衆の飛びこんでいったエレベーターを見ると、「どーん!」という音とともにビルが揺れた。


「うわ、乗り遅れてよかった」「危うく死ぬところだ」

 残った者たちが青い顔になっている。


「本当に落ちちゃったのね……」

「ま、まあ見逃してやるか。帰りは階段だな。ぺしゃんこになりたくはないしな」

 王子も顔を引きつらせた。

 しかし、すぐににやけ顔に戻り、「そなたもぺしゃんこにならなくてよかったな」と、アーコレードのほうを見やった。


「あたくしがどんなに心配したかと……!」


 魔力の気配。泣き顔の娘が、めらめらとまっかな魔法の光をまとい始めた。


「お、おい? よもや、いのちの恩人に手をあげぬよな? フロルも、あやつになんとか言ってくれんか?」

「あなたはちょっと反省したほうがいいわね」

 フロルはそっけなく言い、竜人とともに王子から離れた。


「ぺしゃんこになりなさい!」


 王子を指差すアーコレード・プリザブ。

 びんびんと魔力の波動を感じる。ラムマートン戦以上だ。

 うんうん、レベルアップしたのねと、お姉さまはうなずく。


「ぬおっ、身体が重たい!? ……ぐえ!」


 こうしてエチル王子は、ぺしゃんこになったのであった。


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