071.わたくしの言うとおりにすればよろしいのですわ-03
一行は、ゲートのあるアルカス北東部のカンガル領へと向かった。
山間部を多く含むカンガル領は、地形が複雑なせいで新規ゲートの発見が遅れがちで、領主は代々苦労人で有名だ。
フロルのような破壊の眷属や騎士団などには、この地で異界の危険生物の退治をした経験を持つ者も多い。
「おほほほほ、お待ちしておりましたわ」
カンガル当主夫人こと、通称“ご苦労夫人”が何やら高笑いをしながら登場。
フロルは首をかしげながら挨拶をする。夫人って、こんなキャラだったかしら?
「くだんのゲートはあちらでよろしくって?」
牧草地の丘の上に、けっこうな大きさの青い渦が輝いている。
おおよそ真円で、直径はおとなの人間四、五人ぶんはありそうだ。
周囲には甲冑マントの騎士たちがいるようだが、彼らは兜を外して休憩をしたり、談笑をしている。
念を入れてバトルドレスに着替えてきたが、杞憂だったろうか。
「聞いていたより暇そうな感じね?」
「人払いをしておきましたから! さあさ、フルールさん、みなさまお待ちですわ」
夫人に背中を押される。
「なあ、ご苦労夫人よ。どうしてさっきから頭上を気にしておるのだ?」
エチル王子が何やら指摘した。
――上?
フロルは見上げる。なんのことはない、秋晴れの空だ。
遠くには紅葉した山々が折り重なって見えており、すがすがしい。
「というより、ご夫人は気分が優れないのでは? 顔色が悪いです」
アコも心配の声を上げた。
「べ、別になんでもございませんわ。さ、殿下もプリザブ様もお急ぎください」
「別に急ぐ必要などないだろう?」
夫人はドレスが草露で汚れるのにも構わず牧草地を駆け、女神の枕でいちばんふかふかなカンガルヒツジたちを追っぱらって道を開けさせた。
その入れ替わりに道を塞いだ甲冑青マントがひとり。
聖騎士が兜を脱ぐと、なんとなく誰かに似た顔が現れる。
「フルールさん、お久しぶりです。少し前に愚弟がご迷惑をかけたようで」
金髪の美青年なんとか・ブリューテだ。キルシュの兄のひとりだろうが、フロルはよく憶えていなかったので、適当に愛想よくしておいた。
シダレの件については、国王とブリューテ家の次男とキルシュ以外には、単に異界での殉職だと伝えられている。
「今回もあなたには頭が上がりません。あれだけ騒いでいた観光客が嘘のようにいなくなりましたよ。あわやドラゴンに踏んづけられる騒ぎだったんですから」
「はあ……」
手を取られながらも首をかしげる。
もちろん、フロルは何もしてない。
「さあ、ゲートをおくぐりください。あとは任せましたよ!」
なんとか・ブリューテに押し出され、ゲートへぴょんと飛びこむフロル。
結門先はどこかの都市らしく、ビルやら宮殿やら家屋やら妙なドームやらが視界内で折り重なっており、遠景には花が咲き乱れるカラフルな山が見える。
地面は黒く、おそらくは汚濁の罪で見たアスファルト製か何かだろう。
そしてゲートの周囲には囲うようにポールが立てており、さらにその先にはずらーーっと、人垣ができていた。
「おっ、出てきたぞ!」「人間の女の子だな」「着飾ってるからお偉いさんだ」
ひとびとの服装はじつにさまざまだ。
鎧を着た戦士や、ローブを着た魔法使いもいれば、獣の耳をくっつけた獣人らしき者もいる。それから、のっぺりとした金属の顔を持つのはロボットだろう。
背が低く血色の悪い亜人はゴブリンに似ており、妹分が呻いた。
「なんとも賑やかな歓迎だな。父上のパーティーでもこうはいくまい。あれは大きなイヌか? 獣のくせして、ずいぶんと行儀がよいな」
王子が指摘する。人垣の向こうでは、巨大なわんこが目を細めて舌を出し、尻尾を大車輪させて風を起こしていた。
「ひいいっ!」
今度は悲鳴だ。
「お、お姉さま、ドラゴンです!」
フロルも思わず剣の柄に手を伸ばしかけていた。
気づいた王子も同様の動作を取る。
大抵の世界では、竜は超危険生物だ。
だが、緑の鱗を光らせた怪物は、巨大イヌと同じように並んでおり、「やっぱり驚いたね」と口にして笑った。
竜にたまげていると、今度は空で轟音だ。
見上げると大きな白い鳥のようなものが、滑空の姿勢で空を横断している。
そいつの立てる、きぃーーんと耳をつんざく音が、ギャラリーたちのおしゃべりを掻き消した。
「あ、ヤバい。あれは落ちるパターンだ」
竜はそう言うと、大翼を開いて飛び上がった。
彼が白い鳥に向かっていくと、よそからも青い竜と赤い竜がやってきて、白い鳥を捕まえてしまった。
「まだ飛行機で遊んでる奴がいるのか? 竜王さんに危ないしやめとけって言われたのに」
誰かが言う。
「どうせすぐに飽きるって。事故があるのは車も似たようなもんだろ? あっちは何人轢き殺してんだ」
「おれは車に飽きるなんてことはないね。毎晩一緒に寝てるくらいだ」
反論を期に、あちらこちらから飛行機や自動車の是非が噴出しだす。
いや、よく聞くと議論ではなく、単にあれは面白いだのスリルがあっただの、肯定的な体験談ばかりだ。
歓迎の最前列にいた魔法使い然とした老人も、両手を伸ばしてハンドル操作のジェスチャーをしている。
「ほらほら、ちょっと通してください!」
人やら獣やらの群れをかき分けて、誰かが出てきた。
まっかな身体にトカゲチックな顔。衣装は白い布を簡単に巻いたドレープだ。
いっけん爬虫類型の亜人かと思ったが、珍しいことに彼の頭には黒い角があり、背には翼があった。
「どうも異界の客人さん。私がこの世界の代表にさせられた“ジャノヒゲ”です。竜と人間のハーフでしてね。目玉が横にくっついてるから、こんな姿勢で失礼」
彼は首を曲げて、顔の側面を見せながら握手を求めてきた。
竜のツラに合わせた専用の眼鏡をかけており、目を細めたのか、薄い白膜のようなものが黒い瞳を覆った。
三人がひと通り挨拶をすると、竜人は「うんうん。まごうことなき人間のお嬢さん」と、もう一度フロルを見つめてうなずき……。
こともあろうか「なんとも面白みのない」と付け加えた。
絶句するフロル。挨拶に厭味や皮肉がくっつくのはよくあることだが、面白くないと評されたのは初めてだ。
「フロルが面白くないわけなかろう!」
「お姉さまを侮辱なさって! あなた、この世界の代表なのでしょう!?」
子分たちがいきり立った。
「いや失礼。そちらの世界で道を塞いでいらっしゃった人たちが、とっても面白くて珍しい人間が来るとおっしゃったものですから」
フロルはゲートを振り返り唸った。どうやら自分たちを餌にしたらしい。
『ま、わらわがあの女に言ってやらせたのだがな』
サンゲ神の声だ。
「あの女って、カンガル卿の奥さんの?」
『声を掛けてやったら、捨てネコのように震えて愉快であったな』
夫人も破壊の眷属で、第二宣誓まで使えると公言しているが……。
「彼女ともやり取りができるの?」
『できるようになったのだ。そなたのおかげで封印は徐々に解けてきている。今はそんなことはどうでもよい。さっさとわらわのありがたみを布教せよ』
「どうでもよくないわよ……」
「なるほど。そういうタイプのかたでしたか」
ジャノヒゲが黒い爪の先で眼鏡を直して言う。
「そういうタイプ?」
「ひとりごとを言う、頭の面白いタイプ」
「またフロルを侮辱したな! 確かにいたずら好きで愉快な女だが!」
「お姉さまは女神様と交信していらっしゃったんです!」
ふたりが声を荒げると、周囲からどっと笑いが起こった。
「わっはっは。いや、こりゃ失礼。最近は多いんですよ。何々の神を信じなさいとか、宇宙から毒電波が降り注いでくるとか、そうおっしゃるお客さんが」
ジャノヒゲは長い舌を長い顎からこぼしながら、眼鏡を持ち上げて涙をぬぐう。
反論できない。じっさい、女神を布教しに来たわけだし。
「われらを下賤なやからと同じにするでない。われらの信奉するのは、本当に世界を創造された、ありがたーーい女神様たちなのだぞ!」
「はいはい。みなさまいつもそうおっしゃります。さ、講堂にご案内いたしましょう」
代表の竜人は背中の翼を広げ、群衆の頭上まで飛ぶと、「ほらほらみなさん、道を開けてくださいよ」と言い、フロルたちを待たずに進みだした。
「なんだか、夢の中を歩いてるみたいだわ」
賑わってはいるものの、建物の意匠や文化レベルが、てんでばらばらだ。
汚濁の罪で見たような立派なビルもあれば、自世界でも見られる木造建築もあり、遺世界でお馴染みの石を組み合わせたものもある。
しかも、それぞれが好き勝手な色に塗られており、たいていは極彩色で、見ているだけで目が痛い。そこに加えて同じくカラフルな住人たち。
幼少時に風邪を引いて高熱を出して見た夢が、こんな感じだった。
――そういえば最近、夢の中みたいな異世界に行ったような……?
行き交う人の中に、夢の切れ端を見つける。
「あれは妖精?」
「らしいが、作り物のように見えるな」
王子は鼻で笑った。
「わっ、あちらの亜人の耳が外れましたわ!」
アコが指差す先では、ネコっぽい耳を取り外す若い女性がいた。
彼女は耳だけでなく、肉球のついた手までも取り外した。
その下からは普通の人間の指が現れる。
「変装しているだけなのか? なあ、フロル。サンゲ神にこの世界について訊ねてみてはどうだ?」
『いいだろう。教えてやろう』
返事もしないうちに声が聞こえた。
『この世界はわらわとミノリが、“イミュー”から隠れて作った世界だ』
「イミュー?」
どこかで聞いたような……。
『そうか。名を教えてなかったな。創世神のひとり、調和の女神ことイミューだ。そなたは会ったことがあるはずだ。もっとも、それは真の姿ではないだろうが』
ずきん、と頭痛がする。
思い出そうとしても、頭が霞がかったようにはっきりとしない。
『この世界は、わらわとミノリだけ、イミュー抜きで創られておる。ゆえに、この世界ではなにごとも流動的に変化をし続け、調和や安定とは縁遠くなっておる』
サンゲは続ける。
『簡単に言うと、ここの連中は新しいもの好きで、飽きっぽくて忘れっぽい』
遠くで誰かが怒鳴った。「車泥棒ーーっ!」
直後に建物のあいだを縫うようにして、大きなドラゴンが頭上を通りすぎていった。
「見たか? 今、ドラゴンが自動車をかかえておったぞ」
「この世界では、人間とドラゴンが特に栄えております。お互いによい隣人なのですが、ドラゴンは少々手癖が悪いのが玉に瑕で」
「共存しているなんて、素敵ですね」
アコはぼそりと「乗ってみたいな」と付け加える。
「ところで、ジャノヒゲ殿はどっちなんだ?」
「先ほども言ったように、私は両方。ドラゴンと人間のハーフです」
「ほう。つまりは、あのバカでかいドラゴンと人間が子づくりをしたということか」
若き王子は鼻息が荒い。
「これだから男の子は。やれやれですわ~」
アコは肩をすくめてため息だ。ちょっぴり頬が赤いが。
「われのくらいの年齢ならば、興味があって当然だ。そもそも、そなたも女の子だろうが」
「あたくしは十四です!」
「なんだ、われと同じ歳ではないか」
「マギカ王国では十四で成人なんです! アルカス王国では十七でおとならしいですね~」
「法の上の話だろうが。こちらから見れば、そなたも立派な子どもだ。それとも、おとなである証拠でも見せてくれるのか?」
王子はにやつきながらアコの顔から視線を下げていく。
「お姉さま! 殿下がセクシャルハラスメントを! 環世界人道連盟ではセクハラの撲滅を推奨しているんですよ!」
「王子に品定めをされて怒る娘なんて初めて見たぞ」
「王子的にアコはどうなの?」
「アリよりのナシだな。顔は満点、肝が据わっておるのもヨシ。だが、お国がどうだのお姉さまがどうだのとうるさい。フロルより、ちょっと下くらいの評価だ」
「あたくしは世界を代表して来たんです! その評価だってハラスメントです! お姉さまも殿下に諫言のひとつもなさるべきです!」
「エチルの性格は直らないわよ。いっそ狙ってみたら? 姉妹国の王子と結婚なんて、アコの任務的には大手柄だし、魔族の女と契るよりはマシでしょ?」
「そんな、お姉さま~!」
「お姉さまから許可が出たな。いよいよ追放されたら考えてやってもいいぞ。ま、われは結婚しても、たっぷりと遊ぶつもりだがな」
「そんな浮気者はごめんです!」
「お堅い奴だなあ」
ふたりはまだまだ言い合いをやめる気はなさそうだ。
賑やかで結構。フロルは案内人へと向き直る。
「で、どっちなんですの? 女性とオスの竜? 男性とメスの竜?」
「お姉さま!?」
「まあまあ、いいじゃないの」
フロルお嬢さまも興味津々である。
「うちは珍しく父親が竜なんですよ。どうやってヤッたのかは、聞いたことありませんな……おっと!」
ジャノヒゲは不意に前方に手をかざした。
「汝の願いは吾の願い!」
彼が宣誓の文言を口にすると、指にはまっていた指輪が薄っすらとプリズムを見せ、前方に光の壁を創り出した。
「俺のダチの車を盗んだヤツはどこだーっ!」
やおらに進行方向から火の玉が飛んできて、結界がそれを掻き消し、続いて大きな竜が口の隙間から舌のように火を見せながら通過した。
「今のは守護の指輪!? ジャノヒゲさん、宣誓がお使えになるの!?」
訊ねると、竜人は「わっはっは」と笑った。
「だったら、最初のやり取りは……」
「そんなに睨まないでくださいよ、サンゲ様のお気に入りのフロル・フルールさん。ちょっと遊んだだけですよ。ここは“女神のアトリエ”。我々も、女神様がたに近しい存在なのですよ」
「どういうことなの?」
フロルは睨む。今度は笑う竜人ではなく、神の気配のある頭上を。
『そのままの意味だ。この世界は、わらわたちから見て、女神の枕よりもさらに近い位置にあり、誰しもが宣誓を使える。創造と破壊、両方のな』
「なんですって!?」
『ただし、第一宣誓しか与えておらぬ。まじめに作ったそなたらの世界とは違い、
ここはわれらの創世の腕がなまらぬように遊んでいた場に過ぎぬゆえ、
ルールに関して非常に粗雑な作りで、住人たちも眷属としては信が置けぬ。
最初こそは、われら二柱の信仰をさせていたのだが、
こやつらの性分のせいで、ずいぶんと適当なことをされて、
あっというまに、よその世界の信仰などとごちゃまぜになってしまったのだ』
「ちょっと待って、ということは……」
『その通りだ! さすがわらわの愛娘よ』
「まだ何も言ってないっての!」
サンゲいわく、調和の女神による世界の不変に対抗するため、いちばん大事に育てていた女神の枕も、もっとも不安定なこの世界と繋げることにした。
しかし、信仰が正しくなければ、イミューが干渉してきたさいに住民や世界が取りこまれる可能性があるため、信仰を是正するためにミノリがセリシールを宣教師として遣わそうとしたのだが……。
『わらわが穴をヘンなところに開けてしまったせいで、そなたに出番が回って来たということだ』
くくく、と笑う女神。
「笑うところじゃないでしょ。自分たちが作った世界なのに狙って繋げないの?」
『皮肉なことに、その安定のかなめをつかさどるのがイミューなのだ。
ミノリのやつも穴を塞ぐのには力を消耗するゆえ、やたらと試すこともできん。
ともかく、あまたの世界たちを永久の不変から解放し、
健全なる成長の道へ戻すための鍵は、そなたの舌の上というわけだ。
ま、せいぜい上手くここの連中を信じさせてやってくれ』
などと宣う神。
「ええーっ……」
フロル・フルールは露骨にイヤそうな顔してやった。
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