070.わたくしの言うとおりにすればよろしいのですわ-02
窓の向こうのエチル王子は、こちらを見て、にたりと笑うと、肩で風を切ってティー・ルームの入り口へと向かった。どうやら城から従者たちもくっついてきたらしく、兵士やらメイドやら大臣のひとりやら、果ては小遣い目当ての街の小僧までが立て続けに入店し、ドアベルを忙しくさせた。
「やあやあみなの者、ご機嫌麗しゅうぞ」
王子が手をあげ機嫌よく挨拶をすると、その場にいた全員がかしずいた。
もちろん、フロルもフルール領の自治権を持つとはいえ、アルカス王国の傘下であるからして、支配者の次男坊の前に片膝をついて挨拶をする。
「そんな低くならんでいいぞ、フロル姉ちゃん」
「いえ、そういうわけにも参りませんわ」
「そなたは君主に名を連ねてからつまらんくなったな。パーティーにもあまり顔を出さんくなったし。昔みたいにまた会場を騒がせようぞ」
「領民の前です。わたくしにも立場というものができましたので」
エチル王子は「寂しく思うぞ。まあ、これも上に立つ者の宿命か」と言うと、セリシールのほうへも挨拶をした。
「ふたりも仲直りをしたことだし、またそろってセリス姉ちゃんに叱られるのも一興だと思うんだがな」
さも惜しそうに言う第二王子。
エチルは幼きころにフロルと共謀して城を騒がせていた弟分で、彼はフロルとセリスの両名を、姉や友人のように扱っていた。
「“シナン”様のお加減はいかがですの?」
「姉上は相変わらず臥せっておる。ここ最近はもうひとつ調子が悪い。お陰で面倒ごとを押しつけられたのだ」
王子はそう言うと、もう一人の婦人アーコレードのほうに向き直った。
彼女の前まで歩み寄ってしゃがみこみ、それから背伸びをして、つま先からつむじまでをじっくりと観察した。
「な、なんですかこのかたは」
アコは身を引き、フロルたちの背後へと逃げた。
「なんだ。王子の顔も調べんとうちの国へ参ったのか。さすがはマギカ貴族界を賑わしたアーコレードだ。早速の粗相だな」
エチル王子は令嬢を見下ろし、鼻で笑った。
彼の動作に呼応するかのように、アコの眉も吊り上がる。
「ア、アルカス王陛下のご子息様でいらっしゃりましたか。魔導の世界がマギカ王国、アーコレード・プリザブでございます。お見知りおきを」
ぐっとこらえ(じっさい彼女の口から、ぐっと音がした)、頭を下げスカートを持ち上げるアコ。
ところが王子は身体ごと横を向くと、追っ払うように手を振った。
「帰れ帰れ」「はあ!? 何をおっしゃるんですか!?」
我慢は続かなかったようだ。アコの裏返った大声がティー・ルームに響く。
「魔導の世界へ帰れと申しておる。交換留学は中止だ」
「そ、そんなお話は聞いていません!」
「わたくしも耳にしておりませんの」
セリスも目をぱちくりとやる。
「そりゃ、われが今朝、決めたことだからな」
――久し振りに出たわね。王子のわがまま。
フロルはため息をつくとともに、視線を感じた。
セリスがこちらを見ている。
見返すと「間違えましたの」と手を振られた。
かつて、エチル王子がなんかやらかしたときには、大抵そばにフロルの姿があったものだから、それを思い出してのことのだろう。
「あ、あの……お姉さま」
アコは顔をまっかにして姉役を交互に見た。今にも泣きだしそうだ。
「真に受けなくてもいいわよ。エチル王子にそんな権限はないし」
「われに権限はないが、権限のある大臣に無茶を言うことはできるぞ。そのために城から引きずってここまで来たんだからな」
従者の群れの中にいるおやじが、額の汗を拭いている。
異世界外交担当大臣だ。フロルが睨むと、彼は苦笑いを作った。
「後見人に話を通さずに、そのようなことをなされると困りますの」
語気を強めたのはセリスだ。大臣は首を縮めると、またも苦笑を見せた。
「困るのはわれも同じだ。何が悲しくて異世界くんだりまでいかなねばならぬのか。しかも、マギカは魔族とやらと戦争をしているそうではないか」
「あら。王子が交換留学生だったの」
「そうだ。本当は姉上が任されていたのだが、体調が思わしくなくてな。お陰でこの冬の予定も、ぱあになってしまった」
王子は言う。隣国エソール共和国の有力部族の族長に釣りに誘われているのだとか、各族長の娘や息子たちと合コンがあるのだとか。
「あの、あたくしも一応はマギカの名を背負ってこちらに参ってますので……。なんとかお話を撤回いただけませんか?」
アコは大臣に向かって懇願している。
大臣は、めいっぱいの苦笑と両手の壁を作った。
「無駄だ無駄だ。そいつのタマはしっかり握っておるからな。さっさと従者に荷物をまとめさせて立ち去るがよい」
勝ち誇ったように言うエチル。
アコは彼のほうへと踏みだすと、「従者は連れておりません」と言った。
「単身で参ったのか? さてはそなた、交換留学生とは名ばかりで、厄介払いをされたのではないか?」
アコはひるまず言い返す。「殿下のおっしゃったような側面もございます。ですが、人をつけるのはあたくしがみずから断ったのです」
「ほう、殊勝な心掛けだな。今から身を堕としたときのことを考えているわけか」
「その反対です。何事も家人に任せてしまう精神は、マギカ貴族界の腐敗の原因のひとつを担っていると、お兄さまやお父様も言っておりましたから」
「遠巻きにわれを批判していると捉えてもよいか?」
王子は所狭しと並ぶ従者の群れをぐるりと見回す。
「非難だとお感じになるのなら、殿下もお試しになられればよろしいのです」
「ふん。われとて、ひとりで風任せに遊び歩きたくつねづね思っておる。
しかし、立場がそうはさせてくれぬのだ。エソールへの外遊はいい息抜きだ。
戦時下にあるお堅いマギカ王国へゆけば、多少の視察は許されはすれど、
ほとんど閉じこめられるに等しい扱いになるだろう。
本音を言うと、外遊自体はどこでもよい。自由を奪われるのが嫌いなのだ」
王子は個人都合を並べたが、アコは黙りこんでしまった。
このままアーコレードを追い返すのは忍びない。
もちろん、王子にも少しおとなになってもらうべきだ。
フロルは「はい、そこまで」と手を打った。
「そうだ。そこまでだ。帰れ帰れ」王子が手で追っ払う。
「アコは帰らせないわ」
「お姉さま!」「な!? フロルはこいつの味方をするのか!?」
慌てふためく王子。
アコは勝ったとばかりに、王子へ向かってこっそりと舌を出している。
「どっちの味方でもございません! むしろ、姉役として味方をするからこそ、ふたりにはちゃんと役目を果たしていただきたいのですわ!」
それに、とフロルは続ける。
「あなたには王立貴族連盟における約束事があるでしょうに。
アコの後見人を務めるセリスは、今やスリジェ家の代表よ。
連盟を束ねるアルカス王家が、他家のメンツをつぶすようなことをしちゃダメ」
ぐぬぬと唸るエチル王子。当のもう一人の姉役へと「失礼つかまつった」と頭を下げた。
「む、どうした?」
セリスは王子の謝罪はどこへやら、こめかみに手を当て頭上を見ている。
「ちょっと今、ミノリ様から緊急のご指令を賜りましたの」
アルカスから遥か南方にある小国ウォタリリで、新たなゲートが開いたらしい。
しかし異界の門からは水が溢れ続け、大規模な水害が発生しているという。
「今すぐに塞ぎに行かないとなりませんの」
彼女はそう言うと、大臣と何やら話し、懐からベルを取り出して鳴らした。
「ちょっとセリス。エチル王子に何かひとこと言ってやってよ」
「そちらのことはそちらでお任せしますの。フロルさんにも、お仕事をおひとつ頼んでもよろしくって?」
「へ!?」
ベルで呼ばれたのか、いつの間にかセリスのそばには若執事が立っていた。
セリスたちはフロルはおろか、王子すらも無視してウォタリリ行きについての打ち合わせを始めた。
「ふうむ。スリジェ家当主、か。セリスも忙しい身になったのだな。
小耳に挟んだのだが、同様のゲート災害は今月に入って五件目だそうだ。
今、わざわざ御神が眷属へ直接に交信を取られたのも、
神殿の巫女たちがエソール北部の山岳にまで足を運んでいるからだろう」
「いやに多いわね。わたくしも行くべきかしら?」
「言うて、どちらもゲートが海やら湖やらに繋がっただけだろう?
溢れた水の始末も、“枯渇の壺”か“月の扇”か、治水工事で間に合う。
どちらかの第二宣誓の使い手がいれば、充分な対処ができるはずだ」
王子の指摘通りだが……。
『うむ、ちょっとした失敗作による事故だ。そなたが行くほどではない』
こっちも女神が声をかけてきた。
「失敗作って、どういうことかしら?」
『言葉どおりの意味だ。わらわの意図した位置にゲートを繋げなかった』
「はあ!?」声を裏返らせるフロル。「あなたがゲートを開いたの!?」
『当たり前だろう。封印の力が弱まっているのだ。積極的に異世界同士を繋いで、変革を促さねばな』
「余計なことばっかりして!」
と、食ってかかると正面に目をまんまるとした王子の顔があった。
「す、すまぬ。そんなに怒らなくともよいではないか」
「おっと。ごめんあそばせ。わたくしも少し御神と交信していたもので」
おほほ、と笑うフロル。
『わらわが世界に穴を開けて回っているのは黙っておいてくれよ。
ただでさえ荒神として恐れられているのだ。
この世界でまで邪神あつかいされれば、今後の活動に差し支えるのでな』
勝手なことを言う。眷属の娘は天井を睨むも、がっくりと肩を落とした。
「それではおいとまいたしますの。フロルさん、例のお仕事の件、お頼み申し上げますの」
「例のって、内容も何も聞いてないわよ」
「大臣さんがお詳しいんですの。レジュメもお渡ししておりますし、フロルさんはわたくしの書いたとおりになされば平気かと思いますの~」
セリシール・スリジェは手をひらひらと振って去っていった。
水害の件は本当だろうが、態度が妙だ。
――なんだか面倒ごとを押しつけられたような……。
そのうちの面倒のひとつを見る。
王子はセリスが退店すると、満面の笑みになった。
「よし! セリスは、こらちのことはこらちに任せると言っておったな? アーコレード・プリザブよ。やはり帰るがよい」
「帰りません。セリスお姉さまの顔に泥を塗ることになります!」
「わがたましいの姉上は慈愛の化身だ。笑って勘弁してくれるに決まっておる。
われとフロルが、これまで彼女にどれだけ迷惑をかけてきたか。
セリスが薄化粧でもべっぴんなのは、われらの泥パックのおかげに違いない」
へらへらと言うエチル。彼は従者たちへと向き直ると「というわけで、われの異界行きはナシだ。そなたらも帰れ」と言った。
従者たちは適当に平伏すると、フロルにツッコミの隙も与えずに出ていってしまった。残ったのは、苦笑いのおやじだけ。
「泥を塗るのはセリスの顔にだけじゃないでしょうに。同盟を結んでるんだから、うちから誰も行かないとなるとマギカに失礼。アルカス全体の恥よ」
「恥も何も、留学自体ナシだ。そもそも、ヤツにここにおられると魔族を呼び寄せるやもしれぬ」
エチル王子は「おっと!」と続ける。
「魔族ごときが創世神たちの枕元へ来れるはずもないか。それにどうせ、四天王とやらを退治したのはそなたではなく、フロルなんだろう?」
フロルは聞こえないふりをした。
「おっしゃるとおりです。事実として、あたくしたちの立てた功績は、お姉さまの添え物に過ぎません。ですが、お姉さまがたのご配慮によって、二世界間のために偽られたことなのです。いくら殿下とはいえ、他言はお控えください」
アコは続ける。
「貴世界には大恩がございます。マギカやあたくしが貶められるのは甘んじて受け入れましょう。ですが、フロルお姉さまがそうしろとおっしゃる以上は、あたくしは絶対に帰りません!」
「何がお姉さまだ。フロルも、どうしてこんな小娘に肩入れをするのだ」
王子が文句を垂れてこちらを見た。
しかしフロルは、脳内のエソール大河のほとりで釣り糸を垂れていた。
空を見上げれば、まっしろな雲が綺麗だ。
「なあ、フロル姉ちゃん~」
フロルは「ダメダメ」と甘える王子を適当にあしらう。
恐らくサンゲが声を掛けてきたのは、ゲートの件だけでなく、『アーコレードを帰すな』と暗に釘を刺す目的もあってのことだろう。
「姉ちゃんたちが、われに冷たいぞ。くそう……」
うらめしやとアコを睨む王子。
アコはアコで彼を見返して「ふふん」と縦ロールを払っている。
『小僧小娘は置いて、そろそろ、そこの卑しい顔の男の相手をしてやれ』
フロルは促す破壊神の態度を不審に思いながらも、異世界外交担当大臣に向き直った。
「大臣、スリジェ卿の受けていた任についてのことですけど……」
大臣は不気味な笑みを浮かべると、冊子を手渡してきた。
「女神の教えを学ぶ会?」
首をかしげると、大臣が無言でうなずいた。
あまたの世界の中には、女神たちに創世されたにもかかわらず、神話に詳しくなかったり、存在すら知らず別の神を信仰していたりするものも珍しくない。
それらの無知な世界に、ミノリ神のありがたみとサンゲ神の恐ろしさを伝えるために、創造の眷属が信仰を伝える役目を担っているのだ。
「勘弁して。わたくしは破壊の眷属。そーいうのは創造の神殿の連中にでもお任せになって。出不精の彼らでも、布教は大好きでしょ」
「貴族が神殿に頼るのは恥かと」
やっと口を利いたかと思えば、役に立たないヤツだ。
「それに、現在はほかに適任者もいないでしょうな」
「巫女は出払ってるようだけど、布教するだけなら下神官でも、どこかの創造の眷属の家にでも声を掛ければ充分でしょ?」
「そういうわけにもいかないのです。フルール卿はお耳に挟んでおられませんか? 新しくつながった文明世界の話を」
「ああ、なんかよく分からないっていう噂の。そこに布教に行くの?」
さいきん開いた文明世界のゲートについて、情報がやけに錯綜しているのだ。
魔法があるだのパソコンがあるだのは珍しくないが、車が走っているとか光線銃が乱射されているとか、かと思えば皮の腰巻に石斧の獣人がいるとか、ロボットやドラゴンが人権を持っているだとか。
文明レベルや法則について、ごちゃ混ぜで聞こえてきていた。
「ゆえに、充分な実力と実績のあるかたにしかお任せできないわけでして。ゲート自体も、騎士団の大隊が守るほどで」
「大隊が!? そんなに危ないゲートだなんて聞いてないわよ」
大臣がまた苦笑いになった。
武力や災害として危険なのではないという。
観光客が手続きも何も無しにやたらめったらとやってくるものだから、大人数で物理的に押し返さなければならない混乱が、ずっと続いているのだそうだ。
「ともかく、アルカス王もこれには頭を抱えておりまして、
相手の世界を知らぬまま観光客を受け入れるわけにもいきませんし、
情報収集も兼ねてスリジェ卿に布教をお願いしていたのです。
どうもあちらの世界は、女神の枕以外ともつながっているようですし、
世界をまたいで有名な者のほうが適任かと思われましてな」
「で、代理にわたくしってわけね……」
「やっと取りつけた約束なのです。なにとぞお頼み申し上げます!」
フロルはしぶしぶ了解した。
「それでは参ろうか」
エチル王子が何か言った。
「有名人は多いほうがいいだろう? アーコレード・プリザブ、そなたも来い」
「あたくしも、ですか?」
「そうだ。そなたは外交官を目指すと言っておったな?」
「盗み聞きなさったんですか?」
「まあまあ。ここはわれらのお姉さまの手腕をとくと拝見し、知見を深めるべきだろう? プラス、そなたに才があるかどうか、われが見てやろう」
「偉そうにおっしゃって!」
「偉そうではなく、偉いのだ。われを認めさせることができれば、そなたのアルカス滞在に口を挟むことは、今後一切しないと約束する。われも留学の身となれば、同様の役を担うことにもなるわけだし、お互いに損のない話だろう?」
それに、と王子は付け加える。
「そなたがフロルやセリスの妹分として本当に相応しい女かも、見極める」
「……よろしいでしょう。受けて立ちます!」
ふたりは、ばちばちと火花を散らしている。
フロルはため息をついた。
残念だが、どちらも置いていく。邪魔どころの話ではない。
セリスの作ったレジュメに従って講演をするだけの仕事だが、自分は「ぶち壊しのさだめ」を背負っているのだ。
まったく気が重い。
『心配は不要だ』
ああ……御神もなんか言っている。
「連れていけとおっしゃるの!?」
『これも我らの計画の足しになる。それに、布教をミノリにばかり任せているから、わらわを邪神として忌み嫌う不遜な世界が現れるのだ。たまにはみずから打って出ねばな』
破壊神も付きまとうらしい。
「さあゆこうではないか、わが姉君よ!」
王子が背中をぐいぐいと押す。
「参りましょうお姉さま!」
妹分が腕を取り……というか、ぐいぐい引っ張る。
『今から楽しみであるな、わが愛おしき破壊の娘よ。混沌たる世界に破壊と滅びの素晴らしさを伝えるのだ!』
フロル・フルールは思った。
おうちに帰りたい、と。
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