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006.わたくし、手加減は苦手でしてよ-06

「くっさ!」

 お嬢さまの鼻が曲がった。


 飛びこんだ先は湿った土の地面。

 周囲を苔むした岩に覆われ、くっせえ空気の充満している洞穴だ。


「腐肉のにおいですね……」

 普段は無表情のヨシノすらも、眉をひそめて腕で鼻を覆っている。


()の願いは()の願い!」


 フロルは迷うことなく腰のポシェットからカードを取り出し、臭気を滅する願掛けとともに投げた。

 あと一秒遅ければ、お嬢さまの口から虹色の光が創造されていたかもしれない。会食では食事よりも情報収集に集中していて助かった。


「わたしが先行します」


 ヨシノが小さなランプをかざした。

 創造の神工物、“永久のともしび”だ。アーティファクトは品によっては宣誓に頼らずとも、特別な道具として効力を発揮するものがある。

 女神の声が聞けないヨシノや異世界の者でも、このランプに消えることのない小さな灯りを生ませることができる。


「なんだか、腸の内側のような洞窟ですね」


 不気味なたとえをして歩き出すヨシノ。

 洞穴は曲がりくねり、光の届かぬ先は闇一色だ。


 フロルは「ちょっと待って」と呼び掛け、背後を振り返った。

 世界同士を繋ぐゲートは、地面から少し高い空間に浮かんで存在している。


「ゲートの反対側にも道が続いてる。アンデッドたちはどっちから来たのかしら?」


 洞窟とはいえ、支配者が「世界」と呼ぶくらいだ。

 当てもなく歩いて目的地にたどり着けるだろうか。


「僅かですが風を感じます。外と繋がっているのでしょうか」

「そうだわ。においよ。アンデッドのにおいがするほうに行けば迷わないわ」


 消臭したばかりである。

 フロルはヨシノの顔を見て「へへへ」と笑った。


 ところが次の瞬間、お嬢さまは鼻を手で覆った。くさい!

 カードの効力が切れたのではなく、風が新たな臭気を運んできているようだ。


 フロルは再び女神の符を取り出し、それを挟んだ指を風上へ向けた。


「方向が分かれば、この芳香は用無しね」


 取り急ぎカードによる消臭をやり直した。

 ところが、再び風が吹いて、すぐに地獄の香りが戻ってきてしまう。

 もう一度カードを取り出すと、ヨシノに「もったいないですよ」と苦言を呈されてしまった。

 使い捨てのアーティファクトだが、これ一枚で平民がひと月食べていけるくらいの価値があるのだ。


「でも、お鼻がぶっ壊れちゃうわよ」


 鼻をつまみながら不満を垂れるフロル。

 三枚目はポシェットへ返し、ドレスの袖で鼻を保護した。


 洞窟は長々と続いた。ふたりの土を踏む足音が咀嚼音のように反響する。


「においがきつくなったわ。ねえ、ヨシノ。いっそのこと、わたくしたちの嗅覚を破壊したらどうかしら? カードの願いなら一時的なものだし」


「おやめください、お嬢さま。感覚情報を断つのは命取りです。さっきだって、分かれ道でにおいに頼ったでしょう? においは敵との距離の指標でもあります」


 もっともだ。しかし、くさいものはくさい。


「我慢なさってください。帰ったらお茶にしましょう。香りの強い茶葉をたっぷりと使って」

「そうするわ。夕食も食べ逃してるし」

「ケーキを焼きましょう。ふわふわで湯気の立ったスポンジにバターをたっぷり」


 ふたりがお茶会の算段をしていると、嫌がらせのように臭気が強くなった。

 それからすぐに、その「原因」が現れた。


「ううー。うあーっ」

 ゾンビだ。

 肌は緑に変色していたが、比較的原形をとどめており、元は可愛らしい少女だったとすぐに分かる。

 衣装もぼろだが、腰に二重に巻いてスカートを作り、少しだけおしゃれだ。


「どうしましょう。振り切る?」


 アンデッドとはいえ、少女の姿をした存在を斬りたくはない。

 たった一体を相手に第二宣誓を使い女神の干渉を招くのもリスキーだし、破壊の力が影響してランプが消えても困る。


「この子、何かを伝えようとしてますよ」


 少女ゾンビは「うぇい!」と唸って、立てた親指で肩越しにうしろを指差した。


「ついて来いって言ってるのかしら?」「そうらしいですね」


 ゾンビはきびすを返し、のろのろと歩き出す。

 彼女に歩調を合わせるにはつらいものがあったが、分かれ道でも鼻を摘んだままでいられるのはありがたい。


 ふたりはトラップに警戒しつつ、今後の方針を相談した。


「王様には壊せって言われてるけど、高位のアーティファクトならパクりたいわね。でも、壊さないと自称不死身さんは倒せなさそうだし」


「ここは、アーティファクトは見つからなかったふりをして持ち帰り、不死身の王は、ふんじばってこの世界に閉じこめてしまうのがよいのでは?」


 ヨシノの案が妥当そうだ。フロルは鼻声で「採用」と言った。


 どちらにせよ、楽に死なせてやる気はない。

 家名に傷がつくために故意の殺人は避けてはいるが、トラベラーとして活動をしている以上、戦いの末に蛮族や亜人を落命させることもある。


 大切な友人に深手を負わせた侵略者とあれば、なぶっても構わないだろう。

 頭の隅で何者かが笑う声が聞こえたが、フロルは笑わせるままにしておいた。


「相当お怒りのようですね。誰も見ていないでしょうし、付き合いますよ」 

 顔に出ていたか、ヨシノが心を読んできた。

「最近、新入りにぼーっとしてばかりの困り者がいまして、わたしも少々ストレスが溜まっているので」


 フロルは従者へ礼を述べる。

 ヨシノとは十年来の関係だ。私事でもいっしょで、雇われメイドのように入れ替わりも無いため、幼馴染よりもずっと深い付き合いがある。


 彼女との出逢いは、父親に連れられて出向いた異世界の市場だった。

 女神の枕とは違った倫理観を持つ世界では、当たり前のように人型の種族も売りに出されていた。

 父親はそこから娘を遠ざけたがったが、「ある商品」がフロルの目に留まった。


 ――初めはお人形さんかと思ったわ。


 フロルよりも少し年かさの、痩せた少女。

 青っぽく光る黒髪はぼさぼさで、瞳は暗い水底、服は与えられておらず石膏のようなまっしろな肌を晒していた。


「世にも珍しいバケモノの競売だ!」


 売り手は確かにそう言った。人形でないことにはもう気づいていたが、父親の腕を無理矢理に引っぱって競売の席まで連れていった。


 売り口上は確かこんな感じだったはずだ。


 どんなに痛めつけてもすぐ元通り。

 どんなことでもイヤな顔一つせず受け入れます。

 なんなら、ここでご覧に入れましょうか?


 盛りすぎだと失笑する者もあれば、コインを数える者もあった。

 誰しもがその世界ではありがちな、憐れな少女だと思っていたのだろう。


 ところが、売り手の男が背後から何か道具を取り出した。

 四角い金属の箱にぎざぎざの刃がくっついた奇妙な物体。

 箱から伸びた紐が引かれると、やいばがぎゅいんと震えはじめた。


「みなさまがた。先ほどの口上は、戯れではございません」


 男はにっこりと笑い、荒ぶるノコギリを少女の頭上へと掲げると、見物人たちが動揺の声が上がる。


「おやめになりなさい! ですわ!」


 幼いフロルは飛び出していた。

 もしも、父が差し出した女神の芸術品が競売人の目を惹かなければ、奴隷の少女がどうなっていたかは分からない。


 けっきょく、高位のアーティファクトと交換された少女はフルール邸に引き取られ、令嬢の友人となり、教育を受けて世話係を務めることとなった。

 少女は感情に乏しく、自発的な行動も少なかった。当初はフロルが姉役を務めていたが、次第に常識が身につくと、年齢通りの配役へと入れ替わった。


 月日は流れ、今。

 ヨシノは相変わらず表情の変化には乏しいものの、あるじのこころの機微には誰よりも敏くなった。

 家事をはじめ、事務や荒事への対処もそつなくこなす才腕も開花した。

 今やメイドの長となり、フルール家を支える二本柱のひとつとして活躍している。


「お嬢さま、ついたようですよ」「ドアね」


 洞穴のサイズにぴったり気持ちよく収まった両開きの扉がある。

 少女のゾンビは、かりかりかりと爪を立てて木の扉を引っ掻いた。


「ネコじゃないんだから」


 呆れ、思わず頬を緩ませる。


 ――この子はさすがに連れて帰れないわね。においはしっかりゾンビだし。


 ヨシノがゾンビ娘をどかせて扉を押すと、あっさりと開いた。

 向こう側は、石畳の敷かれた天井の高い大部屋だ。

 木の柱や金具で壁や天井が補強されており、壁掛けたいまつによって光源も確保されている。

 岩壁は棚のように削られ、それぞれの段に石棺らしきものが納められていた。


「集合墓地のようですね。わたしたちの国とは埋葬法は違いますが」

「確かに、墓地ではああいったこと(・・・・・・・・・)はしないわね」


 部屋の中央には、長テーブルがひとつ。

 食器やロウソクなどが置かれ、ゾンビやスケルトンのお客さんが座っている。


 その向こうは、元は祭壇だったか階段があり、上では人間らしきものが椅子にふんぞり返っていた。


「吾輩の世界へようこそ。今宵はうら若き乙女の来訪が多いようだな」


 人というよりは、カエルのような顔。

 脂肪のひだは見ているだけでも汗臭く、光沢のある生地の衣装には金の刺繍。

 もちろん、王を気取るだけあって、髪の上には金ぴかの王冠だ。

 右手には金の杯、左手には眼窩に宝石のはまった頭蓋骨を握っての登場。


「吾輩の名は」


 彼がそこまで言ったときにはもう、フロルの手のひらが頬へ迫っていた。


「へぶしっ!」


 ぱちーんという音が石室に反響した。

 右の頬、左の頬。右頬左頬。ぱちん、ぱちん、ばちん、べちん!


「名乗りくらい聞いたらどう……ぎゃっ!?」


 次は鉄拳が眉間に沈んだ。

 折れたのか、もともとひしゃげてたのか、ぺちゃんこの鼻から赤い血がひと筋。


「セリスに何をなさったの?」


 痛むこぶしを振り上げ問いかける。


「セリス? ああ、先ほど来た小娘か。すかした色男を連れて不愉快だったから、ちょいとお仕置きを……」


 こぶしではなく、ヒールが彼の顔に沈んだ。

 フロルは着地すると、女神に短き誓いを述べ、油ガエル男に向かって鞭を振るった。


 汚き絶叫が石室にこだまする。


「わ、吾輩はそのようなものでは殺せぬぞ……!」

「存じておりますわ」


 鞭は止まらない。男は鞭をつかもうと短い手を伸ばすが返り討ちに遭い、会食ごっこのアンデッドに助けを求めたが、死体たちは応えるよりも早くばらばらにされた。


 破壊の黒鞭が肉を裂き、血と脂をほとぼらせる。

 王が壊れる先から、虹色の光が薄っすらと起こり、傷が元に戻る。

 不死の王は何かを言いかけるも、彼のあるのかないのか分からない首に鞭が巻きつき、顔面は一瞬にして赤い果実となった。


「お嬢さま、そろそろ武器を下ろしください。神工物のありかを聞きださないと」


 ヨシノの言葉は右から左へ。

 男は目玉を飛び出さんばかりにしながらも、鞭を緩めようと引っぱった。

 フロルが睨むと鞭にうっすらと黒い炎が宿り、男は歯を剥いて鞭から手を離す。


『ああ、素敵であるぞ。我が娘よ……』


 女神の賞賛が聞こえると、フロルはもっと確かな破壊の感触を感じたくなった。


 得物は赤煙をあげてつるぎに戻り、黒きやいばがきらりと輝く。

 鞭を支えにしていたカエル男は、勢い余って椅子ごと引っくり返った。


「お嬢さま、おやめください!」


 フロル・フルールのまぶたはわずか伏せられ、瞳は潤み、くちびるの隙間からは熱く甘い吐息が漏れる。

 自分でも分かっている。もはや意趣返しの域を超えたことを。


 でも、やめられない。


 奴を打つたびに、胸の奥が切なく締め付けられるから。

 腐臭の中に新鮮な血潮を嗅ぎとれば、胎の中から悦びが沸き上がるから。


 破壊の眷属は笑う。

 わたくしを止めたければ、本能に根づく快楽よりも強きものを寄こすがいい。


「お嬢さま! 可愛いウサちゃんとネズミさんがいます! もふもふですよ!」

 ヨシノがなんか言った。


 ここにいるか、そんなもん。いてもどうせ、ゾンビウサギとガイコツネズミだろう。

 と、思いつつもフロルは、ちらと背後を振り返った。


 ――まあ、可愛らしい!


 入室時は気づかなかった別の扉の前に、ぴんと立った長いお耳に意地の悪そうな顔をした白ウサギと、まあるいお耳とくりくりおめめのネズミがいた。

 二匹は二本の脚で立っており、なんとフロルよりも大きい身体をしている。

 ネズミに至っては特大大男サイズ。

 よく見ればウサギはチョッキとズボンを身に着けており、ネズミも腰巻のような物をしていて、おしゃれかもしれない。


「も、もふもふ……!」お嬢さまはよだれをすすった。


「お、おい。あいつ、こっちを見たぞ」

「きれーだけど、おっかねえ姉ちゃんだ……」


 ウサギとネズミはひそひそと人語で話した。

 さては亜人か。こういった人種が珍しくない世界もある。

 

「“インファ”、“ボッコー”! ご主人様のピンチだぞ! 手伝え!」


 引っくり返った椅子が叫んだ。


「大きなウサちゃんの抱き枕、大きなネズミさんのベッド……」

 ヨシノがささやく。

 するとお嬢さまは、ふらふらと二匹(?)のほうへと引き寄せられていった。


「あぶねえ女にゃ構っていられねえぞ。ボッコー、今がお宝を奪うチャンスだ!」

「お、おだから! おだからが手に入ったら、こそこそ逃げ回る必要は、ねえ!」


 インファとボッコーなる獣人ふたりは、慌てて扉の向こうへと消えていった。


「さあ、お嬢さま! ウサちゃんとネズミさんを追いかけてください!」


 ヨシノに言われるまでもない、フロルはカエル男をほったらかして駆け出した。


 フロル・フルールは可愛いものに目がないのである。

 近所に住みつくネコちゃんはもちろん、ゾンビ娘も欲しいと思ったし、食卓に上がるウサギに似た亜人も、不潔と嫌われるネズミ姿の大男だって、もふもふで可愛い。


 売りに出されていた奴隷少女も、可哀想だからではなく、可愛いから父にお強請(ねだ)りをした。

 今は心が離れてしまっているが、セリシールだって超愛おしく、小さいころに描かせた肖像画はベッドの天蓋の裏に張り付けてある。


「お待ちになって!」


 フロル・フルールは扉をぶった切って退室していった……。



「お、恩知らずな獣人どもめ……。吾輩が親切で拾ってやったのに……」

 太った男は後頭部をさすりながら、ようやく起き上がった。

「さて、先ほどは油断をしたが、今度はそうはいかぬぞ」


「フロルお嬢さまを追わなくてよいのですか?」


「構わぬ。どうせ、あれには近づけまい。なんせ、吾輩にも触れんからな。諦めて戻ってきたところを、がぶり! としてやるぞ。そなたが人質になっておれば、あの女も従うほかあるまいよ」


 太った指がぱちんと鳴らされる。


 すると、フロルに一掃されていたアンデッドどもが復元されだし、無数の石棺からも石を引きずるような音が響いた。


「そう上手くいくでしょうかね」


 ヨシノはナイフを取り出すと、主人に習ってスカートを短く切った。

 白いガーターと見分けがつかない腿があらわとなる。


 メイドは自身を囲うアンデッドをのんびりと見回した。

 先ほどの少女ゾンビもいれば、肥大化した筋肉を持つゾンビもいる。

 スケルトンは兜や盾、槍や剣で武装をしている。


「小娘を捕らえよ、我がしもべたちよ!」


 アンデッドどもがいっせいに襲いかかった。

 メイドが不死者たちの群れの中へと消える。

 ところがどっこい、一匹のゾンビがはじき飛ばされると、それに続いてメイドが飛び出してきた。


「ここからは、わたしがみなさまのご相手をさせていただきます」


 ヨシノは無表情のまま一礼した。


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