057.お姉さまと呼ばないで!-03
「何よ、せっかく仲良くなろうとしてあげたのに!」「そーよそーよ!」
双子の魔法使いたちは手のひらでファイアボールをもてあそんでいる。
「どうせお兄さま目当てでしょう? おしめも取れないおふたりは、結婚相手よりも乳母でもお探しになったらよろしいんです!」
対峙する黒のドレス。貴人らしく傲然とするが、どこか子どもじみた声色が隠せていない。齢のころは十四、五といったところか。
彼女の黒ドレスの裾では煙がくすぶっている。なんらやり返す気か、その黒い手袋もほの赤く魔導の煌めきを宿していた。
「引き籠ってたくせに生意気なのよ」
「そーよそーよ! 異界の女の娘のくせに!」
双子の侮辱に娘の顔がゆがむ。
次の瞬間にはふたりに向かって葡萄酒のグラスが投げつけられた。
「服が汚れちゃったじゃない!」「もう勘弁できないんだから!」
双子の手にした火球が大きく膨れ上がった。
セリスは守護の指輪に手をやる。ほかのかたを守らないと。
だが、参加者は入り乱れていて、結界を展開すべき範囲を測りかねた。
「ひざまずきなさい!」
黒手袋の手が向けられると、双子はそろって膝をついた。
彼女たちの周囲の空間が、下へと引っぱられるようにゆがんでいる。
「お似合いよ。そのままぺしゃんこになっちゃいなさい!」
娘が笑うと、たっぷりとした銀の巻き髪が揺れ、妖しく魔法色に光った。
「いい趣味してるわねえ」
いつの間にかフロルが戻ってきていた。
「あの子って、プリザブ卿の妹さんの“アーコレード”さんよね?」
「こんな場所で危険な魔法をお使いになって。喧嘩を止めないと怪我人が」
「もう出てるわよ。それに、止めるのはわたくしたちの役目じゃないわよ」
「けちくさい重力魔法なんて使って!」「それしかできないくせに!」
双子は重そうに腕を持ち上げ、手のひらの火球を相手へと向ける。
「それしかできないですって? 手加減してるんですよ! おふたりに素敵な夢を見せて差し上げます!」
アーコレードの向こうには当然、参加者たちの姿があったが、双子の手のひらの中の得物は膨れ上がり続ける。
「やめんか!」
怒鳴り声のぬしは、ダハーカ・ドゥーだ。
彼が両手をかざすと、ふたつの火球とともに空間の歪みが消えた。
「パパ! あいつがいじわるしたの!」「先に手を出したのは、向こうのほうだよ!」
「嘘をつけ! 父親が娘の魔力を分からぬはずがないだろう!」
ダハーカは怒気を孕ませた歩調で双子へと近づく。
さすが魔導の名家の男といったところだが、彼は自分の尻をさすっていた。
「フロルさん、彼をおぶちになったの?」
「わたくしの相方に手を出したんだから当然でしょ?」
――相方。
響きに胸がときめく……が、暴力はいけないと相方をたしなめる。
「あなたがお父様ですか? おふたりには謝罪を頂かないといけませんわね?」
アーコレードはバカにしたような目で親子を見ている。
ダハーカが「そうだ。おまえたち、謝りなさい」と促すと、双子からは「なんで!?」と苦情があがった。
「確かにアーコレードの悪口も言ったけど」「いつもはあいつが私たちを!」
双子はかたくなに抵抗している。
当の娘は顔を少し横へそらし、目の端で面白そうに観察していた。
「ご迷惑をおかけしたかたたちへの謝罪だ。プリザブ卿の妹君への謝罪ではない。私に恥をかかせるのか」
父親に促され、双子たちは周囲へと頭を下げた。追加で父親も頭を下げると、治療魔法を使ってみずから怪我人の介抱をはじめた。
アーコレードの顔がゆがむ。「あたくしへの謝罪はございませんの?」
問うも、双子もダハーカも応じない。
周囲の参加者――特にマギカの貴族と思われる者たち――からは、アーコレードに向かって冷ややかな視線が注がれていた。
「どうして!? あたくしだって侮辱されましたし、周りに怪我もさせてませんし……。そもそも、家名や財産目当ての色目づかいに文句を言っただけなのに!」
乾いた音が響き、会場が静まり返った。
アーコレードの頬を打ったのは、その兄シャルアーティー・プリザブ。
「恥の上塗りはやめろ」「お兄さま! どうして!?」
「おまえに非がある。私が知らないとでも思ったか。おまえは、プリザブの名を笠に着て、彼女たちへ無礼を繰り返してきただろう」
「でも、亡くなったお母様への侮辱は、お父様やお兄さまへの侮辱で」
「放っておけ。確かに貴族界には悪癖がある。その点に関しては、おまえだけを責めるわけにはいかないだろう。だが、人道を掲げる家として恥ずべき行為だ」
アーコレードはドレスのスカートを握りしめ、うつむいた。
「ごめん、なさい……」「おまえの謝罪は受け取らぬ」「どうして!?」
彼女が勢いよく見上げると、涙の粒が散ったのが見えた。
だが、疑問に染まった瞳孔がすぼむと、彼女は慌ててこちら側へと向き直り、参加者たちへの非礼を詫びた。至極、丁寧な謝罪だった。
しかし……。
鼻で笑う音が聞こえる。爵位持ちだろう男。
扇子で口元を隠し、目を細めたのは貴婦人。
異界の参加者の多くは眉をひそめるか、無関心だった。
「あなたの謝罪はお尻から出るのかしら?」
アーコレードの後方から声があがる。続く嘲笑。
娘はくちびるを噛むと反転し、謝罪を繰り返す。
右から野次が飛べば右を向き、左から「こちらは後回しなの?」とくれば、二度頭を下げた。
「無礼が濯ぎきれたとは思いませんが、この場はこれでご容赦を」
プリザブ卿が頭を下げると、ほうぼうから「お気になさらず」、「あなた様が謝ることはございませんわ」と意見が上がる。
「では、残りの時間もごゆるりとお楽しみください」
卿はそう言うと、ダハーカのほうへと向かい何やら声を掛けた。
彼の手のひらにもダハーカと同様の淡く優しい光が宿る。
参加者たちは、何事もなかったかのようにおしゃべりや食事に戻った。
色なきドレスの少女だけがただひとり、そこに立ち尽くしたままだった。
……。
「あんまりだと思いますの」
客室、セリスはベッドの上で声を荒げる。
隣のベッドの上からは「何が?」と爪磨きに精を出す相方からの返事。
「いくらアーコレードさんが過去に無礼を働いていたとしても、みなさまがたのあの態度はやりすぎかと。それに、人道連盟のかたも多くいらっしゃったのに、ああいった嫌がらせを見逃すなんて。プリザブ卿も妹さんに対して、冷たすぎるかと存じます」
フロルは「そうねえ」と爪の粉を吹き飛ばす。
「でも、セリスだって口出ししなかったでしょ?」
「だってそれは、わたくしが出るのは筋違いだとフロルさんもおっしゃったでしょう? だからって、誰も何もしなかったのは残念かと思って……。やっぱり、わたくしが出るべきだったのかも」
「あなたが指輪に手を伸ばしてたのは見てたし、一度にあれもこれもは無理よ」
フロルはそう言うと、足の爪に取り掛かりはじめた。
「でもね、ああいうのって、どうしようもないものでしょ? 双子の次は彼女に順番が回ってきた、それだけのことよ」
「それは分かってますけど……」
セリスは頭がごちゃごちゃになり、沈黙するほかなかった。
いまだに胸にこびりついたままのあの場の陰険さ、貴人の娘たちの思慮の浅さ、筋を通しつつも娘たちを守ったダハーカへの複雑な思い、それから参加者を守ろうとしていたことに気づいた相方の慧眼。
「セリスは、どうして人助けをしたいんだっけ? スリジェ家の人間だから?」
「それだけじゃございません。個人的にも、誰しもが幸せになるべきだと信じてます」
そういうふうに育てられ、自分もそれを受け入れてきたから。
「そうよね。みんな、それだけじゃないのよ。
環世界人道連盟だけに限ったことじゃないけど、こういった集まりって、
おのおのでほかに理由や企みをかかえてるものよ。
まごころでやってる人もいれば、自分が酷い目に遭っていて、
それを繰り返させたくない人もいるでしょうし、
協力することで味方ですってアピールする目的もあるでしょう。
いい格好がしたいだけとか、寄付金を盗むのもいたりね。
プリザブ卿の妹が標的になったのは半分は偶然でしょうけど、
今のマギカの状況では、他世界に支援をする大家に対して、
世界内へ向けた多少のバランス取りが必要だったともいえるわ」
セリスは再び黙りこんだ。フロルの言う通り。
それに、自分にも下心が無いわけではなかった。
直前にフロルがアーコレードを褒めていたのが理由のひとつだった。
恥じ入り、まつげを伏せる。
「あら? わたくし、余計なこと言った?」
フロルの視線がこちらへと向けられる。
否定するも、見抜かれたことにくちびるをしまいこむと、「その癖でばればれよ」と笑われてしまう。
「わたくしだって、趣味を兼ねた破壊や窃盗ですし」
フロルはこちらのベッドに腰かけ、足を出すように要求してきた。
今日はどちらも、召使いのたぐいを連れてきていない。
セリスは、身支度を他人にやらせる習慣はないことを口実に――じっさいは楽しみを取りあげ自分を罰するつもりで――爪の手入れの申し出を断った。
「遠慮しなくていいのに。暇つぶしにヨシノたちの手入れもやってるのよ」
またも嫉妬が首をもたげる。
フロルはブラシを手にすると無遠慮にベッドを飛び移り、背後に回った。
「じゃ、髪のお手入れで」
断る間もなく主導権を握られると、いやがおうに全身が触覚になってしまう。
背後での一挙一動……髪をすく優しい手つきや、こっそりと香りを嗅ぐ音などを余すことなく感じ取ろうとする。
――わたくし、卑しい女なんですの。
単なる親切や友情の戯れに収まらない気持ち。
白状すれば、「あの夜」も雑念があった。
両親の死を受け入れ、フロルに慰められたあのときにも、忍び寄るむず痒さに難儀していたのだった。
「そういえば、アーコレードの髪型は維持するのが大変そうよね」
くるくるに巻かれた豊かな髪を思い出す。
彼女は取り残されたあと、髪に頼るかのようにしきりにそれを撫でていた。
「わたくしもああいう髪型には興味があるのよね。でも面倒そうで」
嫉妬。いやらしい感情。慈愛を謳うお家柄に不釣り合いな。
これを呼び起こすのは、友だからか、相方だからか。
もしもフロルが小鳥だったら、セリスはきっと鳥かごから出さないだろうと思う。
「ね、やっぱり爪も見せて。まずは手からで」
背後から抱きすくめるように腕を回される。
身体を預ける形となり、頭がフロルの胸へと沈む。
セリスは欲に負け、力を抜いた。
指先を好きにさせ、普段その指がやっているピアノや陶芸が褒められるのを受け入れると、口元が緩んだ。
爪が磨き終わると、一本ごとに息が吹き掛けられ、そのたび、くすぐるような快感に腹の下をすぼませ、腿と腿をぎゅっと合わせなければならなかった。
「感じてるんでしょ?」「はあっ!?」
乱暴に身をおこし、相方から距離を取る。「あはは、嘘よ。この前の仕返し」
続いて足を出すように要求される。断れば淫らな気持ちを肯定するようで、仕方なしに足を差し出す。言った通り、いつぞやの痴漢の仕返しか、わざわざ裾を余分にめくられ、足をかかえるようにして爪磨きが始まってしまった。
――フロルさんは気づいてるのかしら。
からかうのは、お見通しだからだろうか。
いつだったか戯れでくちびるを重ねた夕刻を思い出す。
擦り切れるほど思い返した秘めごとに、色あせる気配はない。
ミノリから第三宣誓の文言を許されてからは、セリスは品性を保つためにいっそう芸術による発散を必要としていた。
そこにフロルへの想いが重ねられると、妙なほうへと欲求が傾いてしまうのだ。
「何、その手。マッサージ?」
指摘されて気づく。無意識に手が架空の粘土をこねていた。
最近は亡き父母の肖像から像を起こそうと躍起になっているせいだろう。
「さては、わたくしのことを揉む気ね?」
意地悪く笑うフロル。
「脱がされないように気をつけなくっちゃいけませんわね~」
彼女はすでにくつろいで、薄いネグリジェ一枚の姿だったが。
――わたくしの劣情がミノリ様のせいだとして、フロルさんにも同じことが?
露出や窃盗の趣味なんて、幼いころにはなかったはずだ。
彼女は楽しんでいるように見える。
他人を殴打するさいに見せる表情は、エロティックとしかいいようがない。
仮に事情が同じだとして、自分の性衝動が創造からくるものとしたら、フロルのそれの中には、何かを壊したくなる欲求もあるのだろうか。
「ね、異界のかたからお化粧品を頂いたのだけど、試してみていい?」
首筋に彼女の指が触れ、恐怖のようなものが背を撫ぜた。
いつの間にか、足の爪の手入れが終わっている。疼きをつま先がいじられる震動のせいにしていたが、その疼きも知らないうちに消えさっていた。
「面倒なパーティーだけど、得することもあるから、そこまでイヤじゃないのよね」
「面倒だとお思いになられるのなら、なぜいらしたんですの?」
「セリスが心配だったからと……」
「執事の部屋に忍びこんで壺を割ったから」と、屈託のない笑い。
宝石のように輝く化粧品の小瓶たちが、くすんで見えた。
――理由はひとつじゃない、か。もっと正直になったほうがよいのでしょうか。
部屋が化粧の香りに支配される前にと、息を吸いこむ。
フロルのにおいがしない。盗み取ったであろう、開け放しの窓をうらめしく睨む。
カーテンが夜風を抱きこみ、優しく揺れていた。
* * * *
* * * *




