053.うふふ、素敵な世界で妖精さんとスローライフですわ-03
永遠に続くように折り重なる丘が、陽の光を受けてきらきら輝いている。
風に揺れる色とりどりの草花たちは、まるでおしゃべりをしているようだ。
その景色の中にたたずむ、白塗りの小屋や牧場の柵は涼しげで、白黒のウシが尻尾を振りながら、ひっきりなしに口をもごもごとやっている。あ、何か吐いた。
向こうに見える、思わず飛びこみたくなるような、ふっかふかのヒツジの群れの中に紛れているのは牧羊犬……ではなく、オオカミのようだが、彼らは野生の掟など最初から知らないように、手を取り合ってダンスをしていた。
そして、それらをぼんやりと眺めるお嬢さまの肩に、小さな黄色い鳥が舞い降りると、「いらっしゃい、素敵で可愛い女の子」と、彼はさえずったのだ。
「鳥が、喋ったわ」
呆けていたフロルも、さすがにこれには驚いた。
黄色い小鳥は片方の翼を持ち上げ、もう片方を胸元に持っていきながら会釈をし、「ここでは花や動物も、みんなおしゃべりをするのさ」と続ける。
それを証明するように、フロルの靴の下から「足をどけて!」とお花の悲鳴があがった。
「そう! ここではみんながおしゃべりをするの。あなたもおしゃべりは好き?」
声を掛けてきたのは、小さな女の子だ。
昼下がりのカーテンのようなワンピースを着て、その背中からは透き通った虹色の翅を生やしている。
「すごい、本物の妖精だわ……」
「思ったより大きいでしょ?」
「ええ、まあ」
手のひらサイズではなく、童女くらい。人並みの大きさだ。
妖精はまっしろな髪を風に躍らせながら、その場でくるくると回った。
「思った通りに可愛いでしょ?」
「そうね」
「あたし、美少女なの。あなたもなかなかの美少女ね」
「あ、ありがとう……」
「でも、もっと笑ったほうがいいと思う。そのほうが美人だと思うよ!」
「……」
ここは、ブリューテ領で最近に見つかったというゲートの向こう。
妖精たちの遊ぶ、“秘密の花園”だ。
フロルはしばらく屋敷から離れることを決めたさい、キルシュの勧めに従ってこの世界にやってきていた。
彼いわく、まるで絵本の中のように平和で幸せな世界なのだという。
「あたしの名前は“イミュー”! あなたの名前はなあに?」
「わたくしの名前はフロル……」
つっかえ、家名が出てこなかった。
妖精は「フロル! ふわふわくるくるとした名前で素敵だね!」と両手を合わせ、カップにたゆたう紅茶のような瞳でこちらを見上げている。
「あなた、あたしのお友達のキルシュのお友達なんでしょう?」
イミューはそう言うと、フロルの手を取り駆け出した。
ここ最近は身体を動かしていなかったせいか、つんのめりそうになる。
「ねえ、フロル。友達の友達の友達は、友達になれると思わない?」
問いかけは、フロルが捕まえる前に風に紛れて消えた。
ふたりは緑の原っぱを駆けた。
足元をくすぐるの葉っぱたちが、「踏まないでくださぁい!」と合唱をした。
「葉っぱからも声が聞こえるわ」
足のやり場に困る。
「平気よ。踏まれて喜んでるのよ」
イミューは立ち止まると、少し目立った大きな葉を持つ雑草を裸足の足で踏んづけてみせた。やっぱり悲鳴があがる。
「葉っぱさんが可哀想ですわ」
「へーきへーき! この世界のお花や葉っぱは、死なないから」
「死なないからって踏むなし! イミューちゃんは飛べるでしょ!」
葉っぱからの苦情だ。
「飛べるの忘れてた!」
妖精のスカートが膨らみ波打ち、草の汁で汚れた足が宙に浮かぶ。
背中の翅は、特に震えることも羽ばたくこともせず、ただ彼女は浮いていた。
フロルが自分はどうしようかと思案していると、急につまみ上げられたかのように身体が浮かんだ。
「わたくし、浮いてますわ」
「妖精の魔法よ! 妖精の魔法はね、とびっきり不思議なのよ!」
イミューが人差し指を立て、くるりと宙に這わせると、光の粉が円を描いた。
軌跡を描く指が「えいっ!」と、こちらを指差すと、指先から魔法の光がやってきて、フロルの背中に妖精と同じひとそろいの翅を創り出した。
「さあ、あたしのお友達のお家へ行きましょう!」
妖精は空を泳ぐように進みだした。
フロルも、ついていかなければと思うだけで身体が宙を流れていく。
ラクチンだが、なんだか頼りなく……ふいに屋敷のことが心配になった。
「この世界ではね、なーんにも心配することはないの!」
先を飛ぶイミューがこちらを振り返り、見透かすように言う。
「気の向くままに、好きなことだけをやればいいの!」
好きなこと。自分が好きなことはなんだったろうか。
何をしてもいいと言われると、突き放されたようで、かえって心細くなる。
風を冷たく感じ、もっと厚着をしてくればよかったと思った。
「お友達にご挨拶を。お友達はどこにいらっしゃるの?」
「あっち。あの小屋よ」
妖精が指差したのは、進行方向の逆だ。最初に見かけた牧場の中の白い家。
フロルが「反対に飛んでいるわ」と指摘すると、妖精は肩をすくめて、やれやれと言った。
「ここではどこでもここで、あそこもここなのよ」「え?」
首をかしげると景色が変わった。
いつの間にか椅子に座っている。
なんの変哲もない部屋。窓の外は丘。壁で掛け時計がこちこち。
テーブルを挟んだ向こう側には、顔立ちの整った少年がいた。
「わ、びっくりした。綺麗な女の子だ」
言葉で表明するほどには、たいして表情が動いていない。
少年は薄ら笑いともいえるほほえみを浮かべたまま、こんにちはと挨拶をする。
――これってもしかして……。
夢ではなかろうか。
最近は昼寝も多いし、覚醒しているのかどうか曖昧なときもある。
椅子やテーブルに触れ、硬さを確かめてみる。
ニスややすり掛けのない、ざらついた木目の感触。
隣の席にはイミューが座っている。目が合った。にこり。
彼女はこちらに手を伸ばし、お嬢さまのほっぺたをつねってねじった。
「いだだだだだ! ゆ、夢ではございませんのね!」
「そう? まだ分からないよ? 夢の中で夢かもって確かめてる夢かも」
イミューは反対側のほっぺにも手を伸ばしてきた。だから痛いって。
「こら、イミュー。お客さん相手にいたずらが過ぎるよ」
言いながらも少年は笑っている。
たしなめられたイミューが手を離した。頬に触れると熱っぽくなっていた。
「ぼくの名前はイデア。この世界に転生してきて、のんびりやっています。
キルシュくんの言ってた、フロルさんだね?
この世界、すごいでしょう? 最初は戸惑うと思うけど、そのうちに慣れるよ」
少年のほほえみが笑顔に変わり、お嬢さまは少しきゅんとした。
しなやかで長い指を持った手が差し出され、フロルは握手に応じる。
手と手が触れあうと同時に、意識がはっきりとしてきた。これは現実だ。
世界ごとにルールが違うのは常識。
優しい世界で療養には持ってこいだと言われてはいたが、異世界は異世界。
――わたくし、フロル・フルールは、あまたの世界を駆けるトラベラー。
郷に入れば郷に従うも、決しておのれの信念を忘れない。
「握手が長い!」
イミューが声のトーンを上げて、ふたりの手を引っぺがした。
「あら、焼きもちかしら?」
フロルは頬を釣りあげ、妖精を笑った。
しかし、妖精は期待していた反応は見せず、こちらを睨んで唸っている。
「ところでイミュー、あなたはどうやって、わたくしが来たのを知ったのかしら?」
紹介があったわけじゃない。
キルシュが勧めたから、パーティーが終わった足でそのまま来ただけだ。
そして、フロルはそのゲートをくぐるまでの記憶が曖昧だった。
勘当されたキルシュが、ブリューテ領内でゲートを見つけた?
最近大きな不祥事を起こした名家の領地に開いたゲートが、ギルドに報告されずにほったらかし?
「あなた、いったい何者なの?」
この妖精からは神威をびしびしと感じる。
こいつはきっと、この世界のあるじだ。
死体を従えるケチな王などではなく、本物の神――。
「そんなこと、考えなくってもいいの! あなたも、わたしのものになっちゃえ!」
疑惑の妖精は、椅子をがたりとやってテーブルに飛び乗り、光の粉をまき散らしながらコマのように回った。
すると、フロルはまた頭がぼんやりとしてきて、急にケーキが食べたくなった。
「わたくし、ケーキが恋しくなりましたわ」
「オッケー! ケーキを作りましょ! みんなーーっ!」
イミューが両手を振りながら周囲をぐるりと見回すと、どこからともなく子どもの笑い声や元気な返事が聞こえてきた。
赤い服を着た、赤い髪の女の子。
青い服を着た、青い髪の男の子。
黄色、緑もやってきて、最後には豊かな毛を持った大きなイヌの陰に隠れながら、紫カラーの女の子が現れた。
どいつもこいつも、背中には透き通った翅。
妖精たちは「ケーキを作りましょー」と合唱すると、フロルやイデアに抱きつき椅子から降ろし、両手をとってダンスを始めた。
「あたしたちは妖精、妖精なの! 妖精は堅苦しいのが、だいきらーい!」
イミューはそう言って、わたしのほうを向いて、もう一度魔法を使いました。
すると、どうしたことでしょう。楽器もスピーカーもないのに、楽しくってのりのりの音楽が聞こえてきました。
これで堅苦しいのとはおさらばです。
妖精たちは翅をぱたぱた、お尻をふりふりしました。
フロルちゃんやイデアくんも、いっしょに踊ります。いえーい!
「ウシを搾ってミルクを出して、ニワトリを叩いて卵を貰いましょうよ!」
赤い妖精が声をあげます。
「でも、バターはどこから持ってこようかしら?」
「それは簡単! 木の下でトラたちに鬼ごっこさせればいいのさ!」
青い妖精が教えてくれました。
「でもでも、困ったことに、トラなんていないし知らない!」
黄色い妖精はショックを受けて両手をほっぺたに当てます。
もちろん、お尻はしっかりとふりふりしたままです。
「もうひとつ問題があるよ! ダンスをしながらじゃ、ケーキを作れないよ!」
緑の妖精は踊りすぎて息もたえだえです。
「私、やんない……」
紫の妖精は大きなイヌの背中に抱きついて、あくびをしました。
「踊ってると、ケーキが作れないよお~」
イミューは困ったと言いながらも、満面の笑顔です。
だって、ダンスは楽しいものですから。
「そんなときは、踊るのを休憩したらいいよ」
イデアくんが提案をします。彼はステップを踏むのをやめました。
「いい考えね! さすがは、あたしの友達!」
イミューはイデアくんと両手を繋いで、右に左に大きく揺れながら踊ります。
「素敵なイデア。あたしたち、ずっとずっと、一緒ね?」
「そうだね。ぼくとイミューは、いっしょだ。まだ踊ってるけど……」
イデアくんは困ったなというふうに笑います。
すると、イミューはぴたりとダンスをやめて、腕を組んで考えました。
「分かった! 踊りながらケーキを作る方法!」
イミューはあたりをきょろきょろと見回します。
何を探しているのでしょうか? お目当てのものが見つかったようです。
「お手伝いをしてもらえばいいの! そうすれば、みんな一緒にケーキが作れる!」
イミューはそう言って、あなたのほうを見て、にっこりと笑いました。
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