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046.戦場を照らし出す乙女たち-09

「この植物をやったのは俺じゃねえ。森の精霊たちだ」


 ひげづらぼろマントの大男が「おまえら、出てこいよ」と促すと、戦士たちを搦め取っていた枝の横の地面が、次々と盛り上がり始めた。


「木でできた人間?」


 フロルの前に現れたのは、確かに樹木だった。

 ただし、幹の湾曲やこぶが人間の胴の凹凸を再現しており、枝で腕を、根で脚を、頭部ではつると葉が髪を表していた。

 たいていは女性を模した形状をしているようだ。

 彼女たちは、静かにたたずみ、樹液のような瞳でこちらを見ている。


「俺はドライアドと呼んでいる。こいつらは森を傷つける者を攻撃するんだ」


 ドライアドたちはこの世界の森や大地に潜んでおり、姿は滅多に見せないものの、遺物目当ての人間たちよりも遥かに多い数が生息しているという。

 彼女たちは草木を癒し育てる不思議な力を持ち、同時に草木と土に頼って生きている。


「いくさが長い割に森が無事なのは、彼女たちが直していたからですのね」

「まあな。こいつらは現代兵器を使ってるほうのことは、特に嫌ってる」


 男は地面に倒れた兵士の首に触れると、「やっぱダメか」と言った。


「獣人たちのほうはしぶといし、勘弁して貰らえたっぽいな。こいつらは俺が止めなきゃ、どっちのことも殺しちまいやがる。文明人相手にそんなことを続ければ、森を焼き払われかねないってのに……」


 あきれ顔でドライアドを眺める男。

 彼女たちは分かっているのか分かっていないのか、首をかしげて彼の顔を覗きこんだり、枝や根で倒れた者をつついたりしている。

 なんとなく甘いにおいが立ちこめており、それを吸いこんだフロルはあくびをかみ殺した。


「ずいぶんと懐かれてますのね?」

「こいつらは俺と同じ女神様の眷属だからな」

「女神様の? どちらの女神なんですの?」

「どちらのって、女神様は女神様だろ?」


 フロルは破壊神や創造神の名を出したが、男は分からないという。

 そもそも、彼の知る女神は一柱のみで、固有名も聞いたことがないという。


「俺が元の世界でくたばったあとに、この世界に転生させてくれた女神様だよ。無数の世界を創り、あまねく世界の久遠(くおん)の平和を願う美少女だ」


「美少女? お会いになられたことがございまして?」

「姿は見たことはねえ。声だけがたまーに聞こえる。美少女は自称なんだよ」


 性格と性質からしてサンゲは無関係そうだ。

 セリスから「ミノリ様は冗談も多くて気のいいおかた」と聞いている。

 創造神の眷属ということなのだろうか。


「キルシュは、女神様の声は聞こえないっておっしゃってましたわよね?」


 枝から解放されてからずっと黙っていた彼は、何やら頭を抱えている。


「何か思い出しになって?」

「色々なことが、一度に押し寄せてきて……。頭が割れそうだ」


 苦悶の表情を浮かべながらも、キルシュは転生者の男を見据えた。


「さっき、ドライアドと呼んでいる、と言いましたよね? 彼女たちが名乗ったわけでも、誰かにその呼称を聞いたわけでもない?」

「もともと俺がいた世界で、こんな感じの木の精霊をそう呼んでたんだが……」


 キルシュは転生人の言葉を遮り、こう言った。「でも、それは想像上の存在だ」


「おお!? そうなんだよ。伝承やファンタジーだけの存在なんだよな。ひょっとして、おまえも俺と同じ世界から来たのか? ニホンとかアメリカって分かるか?」


 とたんにキルシュは大きな悲鳴をあげ、うずくまってしまった。

 彼の叫びのせいか、たてがみの獣人の喉が音を鳴らすのが聞こえた。


「ここでおしゃべりしてるとややこしくなる。ねぐらに案内するから、ついてこい」


 男はキルシュを肩に担ぐと駆け出した。

 常人ならざる速さだ。フロルもそれを追う。


 森の奥へ奥へと進むのに、不思議なことに枝や根が邪魔をすることがない。

 ドライアドが関係しているのか、女神様とやらの加護なのか。


 森の湖畔に、木で編まれた(・・・・)小屋がたたずんでいる。

 ドライアドたちが彼のために作ってくれたものだという。

 彼は普段はこの湖のほとりで、獣を獲ったり魚を釣ったりして暮らし、森の精霊が騒ぐのを聞きつけて、争いを平定しに行くのだそうだ。


「戦争をやめさせられればいいんだがな。女神様からのギフトでチートな強さになれたのはいいものの、前世に暮らしてた国じゃ、殺人はおろか人を殴るのも犯罪だったから、どうも戦いは苦手でな」


 彼は背負った白い大剣――女神より賜ったというつるぎ――を親指で指す。

 やはり妙だ。剣からサンゲやミノリの気配は感じない。


 フロルは振る舞われた樹液の湯割りを口にしながら、転生者を観察した。

 口ぶりには嘘はない。湯を注ぐ仕草や、歩き方などを見ても、ひげづらぼろマントから連想する粗暴さも見当たらない。


 ――信用してもよさそうですわね。


 女神の存在だけは引っかかったが、ここは腹を割ってすべてを打ち明けるのがベターに思えた。


「へえ、騎士様がねえ。っていうか、俺もそっちの世界がよかったな。ここじゃ会話ができる相手がいねえからな。こぶしか鉛玉で語り合おうって連中ばかりだ。戦争が止められれば、ゲートをまたいでよその世界にも行けそうなんだが」


「率直に申し上げて、あなたの行為はいくさを長引かせるだけかと存じますわ」

「痛いところを突くな。俺も、戦争の原因になってる遺跡には行ってみたんだよ」


 ところが、遺跡の中央部、遺物を封印していると思われる部屋へと至る階段の途中に、大きな障害が立ちはだかった。


「白い床で階段が塞がっててよ。殴っても蹴ってもびくともしねえ。俺は爆弾も魔法も無効、素手でライフルを曲げられて、ジャンプで森を見渡せるところまで飛べるチート人間だってのによ」


 加え、白い床はもともとは無かったものらしく、ここ最近で出現したのだという。


「白い床……。まっしろで、つるつるしていて、繋ぎ目もない」

「知ってるのか? あれが壊せなきゃ、どっちかが滅びるまで戦争は終わらねえ」

「わたくしなら、その床を断ち斬れるかもしれませんわ」

「マジか! じゃあ、遺物を奪うか壊すかすれば、それでもう戦う理由は消えるな」


 彼は嬉しそうだ。フロルもつられてほほえんだ。


「俺、戦争が終わったら、獣人の国に行ってライオン男をもふもふするんだ」

「あら、あなたも? わたくしも機会があれば、もふりたいと思ってましてよ」

「はあ……さっきの獣人も、こっそりもふっておけばよかった。いいなあ、獣人」


 男の口調が変わった。


「ふかふかの毛皮に、その下にたくましい筋肉! あの子たち、ドライアドの花の香りに弱いんですよ! 濃い香りを浴びせると、とろっとろにとろけた顔をするんです! 何度、襲ってやろうかと思ったことか!」


 じゅるりと口元を拭うひげづら。


「そ、そうですの。わたくしはそこまでは……」


 彼もちょっと変わった性癖をお持ちらしい。

 これ以上掘り下げず、ないがしろにされていた基本に立ち返ることにする。


「自己紹介がまだでしたわね。わたくしは、フロル・フルール。女神の枕と呼ばれる世界から参りましたの」


「私の名前はユリ……じゃなかった。俺の名前はユリ、ユリ……ユリシーズだ。よろしくな、嬢ちゃん」


 ふたりは握手を交わした。

 すると、背後から笑い声が聞こえた。


「あはははっ! 分かったぞ! あなた、前世では女性だったんでしょ?」

 キルシュだ。

 目覚めたらしく、木編みのベッドに腰かけ、今度はお腹をかかえて苦しそうだ。

「ユリコですか? それともユリカ?」


 髭男の顔が見る見るうちに赤くなっていく。


「“ユリエ”です! 名乗る機会もなくて、名前も決めあぐねていたんです!」

「決めてなかったって、今世での親とかは?」

「分かりません。あっちで死んで、気がついたらこの姿になってたんですから!」


 両手で顔を隠すおっさん。彼女(?)はこちらに来てまだ一年足らずだという。

 キルシュは「デカいおっさんに転生!」と大爆笑だ。


「自分はイケメンに転生できたからって、ひとのことを笑って! まあ、湖に映った顔を見たぶんじゃ、けっこう私もイケオジっぽいんですけどね。前の身体はぶすだったんで、こっちのほうがよっぽどマシです」


「確かに髭を整えれば面構えは悪くないですよ。でも、ぼくはぼくで、転生した先は赤ちゃんだったんだ」


「えっ? じゃあ、おっぱいを吸ったり? 前世の男の記憶を持って?」


 ユリ……ユリエは軽蔑した表情になった。


「し、仕方ないでしょう!? 赤ちゃんなんだから! ユリエさんだって、男の身体になってから、何かイヤらしいことをしたんじゃないんですか?」


 キルシュは軽く握った手を上下してみせた。


「し、ししししししてへんわ! セクハラだよそれ!」


 楽しそうだ。フロルは自分も転生したら、フルール家の看板もなくなるわけだし、もっと自由に羽目を外せるだろうと考えた。


「すみません、調子に乗りました。ところでユリエさんは、どうやって死んだんですか?」


 すみませんの直後に死にざまを聞く。

 やはりキルシュは失礼だ。フロルも一周まわって吹き出してしまう。


「そ、それは……」

 言葉に詰まるユリエ。といっても表情は沈まず、恥ずかしげだ。


「お約束で、トラックに撥ねられて、とか?」

「わ、悪いですか!? 就活でミスって、酔っ払ってアパートの階段を上ってたら足を踏み外して、ごろごろと転げ落ちて道路に飛び出して、そこにぷっぷーって!」


 また大爆笑だ。フロルとしては知らない単語も出てくるし、どこが面白いのかさっぱり分からないが。


「そういうあなたはどうやって死んだんですか!? 本棚? トラクター? 自販機?」


「ぼくは……」キルシュは笑うのをやめた。

 彼のはこめかみに手を当てながら、ゆっくりと噛みしめるように語り始めた。

「神経接続型のVR機のテストの最中に、フィードバック異常が発生して……」


「それって、ひと昔の前のダイブ型のゲームの? 死者が続出したから禁止になったって聞いたことがありますけど」

「ぼくは赤ん坊から始めたので、二十年くらいは差があるんでしょう。そっか、二十年、二十年経ってるんだ……」


 青年の青い瞳からは涙がこぼれ始めた。


「む、人の死因を嗤っておいて、それはないかと思いますけど」

 ユリエが口を尖らせる。


「失礼、ユリエさんは関係ないんです。フロルさんに訊ねられて、ぼくは色々なことを上手く答えられなかったでしょう?」

「そうですわね。記憶が曖昧で」

「じつは、それだけじゃなくって、この世界がリアルなのかバーチャルなのか、区別がつかなかったからってのもあったんです」

「どういうことですの?」

「ぼくが死んだ瞬間はゲームと接続した状態だったから、まだゲームの続きかと思うことがあって」


 フロルはカードゲームやボードゲームをイメージしたが、首をかしげた。

 ユリエが「いうなれば、夢の中だと思ってたってところかな」と補足する。


「ゲームの中の世界かもと疑っていたから、みんなのことをぞんざいに扱ってもいいと思ってたんだ。だから格好をつけたり、調子に乗ったり。自分のことばかり考えていた。本当に、ごめんなさい」


 キルシュは両手と両膝をつき、額も床にこすりつけて謝罪した。


(ゆる)しますわ。わたくしのほうこそ、あなたにつらく当たってごめんなさい」


 お嬢さまは膝をつき、青年の肩に優しく手を乗せる。


「あなたにはあなたの苦労がおありになった。わたくしはそれを尊重いたしますわ。さあ、お顔をお上げになって!」


「……できません」

「なぜですの?」

「だってぼく、ゲームならいいかと、あなたの寝込みを襲おうと考えたことが」


 フロルは彼の頭をめいっぱい踏んづけた。「このやろ!」


「冗談ですよ! ゲームならゲームマスターが監視してるんで、そこまでエグいことはできませんって!」

「ひとが真剣に謝ってるときに!」

「ごめんなさい! だって、いつもぼくにばっかりキツく当たるのに、急にデレられたから恥ずかしくなっちゃって!」

「デ、デレ!? デレてなんておりませんわ! だいたい、おとめの盗撮コレクションを作った前科があるのだから、冗談に聞こえるわけがないでしょう!?」


 フロルはもういっぺん踏んづけた。

 遠慮なく、ぐりぐりとかかとをねじこむ。


「あれは姉に似ているかどうかの調査書だって言ったでしょう!? ……あっ!」


 何か思い出したらしい。ぴたりとフロルは足を止めた。


「姉は行方不明になったあと、異世界から写真をよこしてきたんです」

「あら?」

「剣と魔法っぽい世界で王子様と結婚したらしくて、とても幸せそうでした」

「まあ! ロマンティックですわね。お写真はどこかにお持ちになって?」

「いやあ、無いですよ。だって、貰ったのは転生前ですし」

「それって……?」


 彼が転生前の時点でも姉と認識できていることからも、姉は姉のまま、つまりは「転生」ではなくゲートを通った「転移」で異世界に行ったことになる。

 それから二十年ほど経っているのならば……。


 キルシュは頭を掻いて苦笑いだ。「若い子の盗撮、やっぱり意味無しでした」


「もっと早くお気づきになって!」

 フロルは彼の頭をひっぱたき、痛みに手首を押さえたのだった。


 ……。


 それから転生者たちは、前世の話題に花を咲かせた。

 お嬢さま的には知らない内容で盛り上がられるのは寂しかったものの、キルシュがこれほどに楽しそうにしているのを見るのは初めてだったし、ユリエも感極まって途中で泣きだすシーンもあり、そっと見守るだけにしておいた。


 陽もすっかり沈み、本日はここに泊めてもらい、明日からはユリエも加えて遺跡を目指すこととなる。

 彼女(?)はすっかり乗り気で、「遺物を破壊して戦争を止めましょう。それから最強もふもふスローライフ!」と息巻いていた。


 シダレを追う目的はまだ残されたままだったが、同じく遺物を狙っている可能性も考えられる。


 迷うことはない。目指すはいくさの火種たる古代遺跡。


「えーっ、いいじゃないかケモミミ!」

「ケモミミは大正義ですけど、耳と尻尾だけというのは却下です!」

「ぼくはディープなのは苦手なんですよ。ケモホモとか言うんですっけ?」

「ケモホモは別ジャンル! 私は、たくましい美獣人にとろけるほどに甘やかされたいの! 出来ればオスのアルファがいいけど、私のハートはあくまでも女!」

「じゃあやっぱり、男の身体なのは不純だなあ」

「そそそ、そんなことありません!」


 フロルは、同胞をからかう青年の横顔を見つめる。

 姉の幸福を思い出し、焦りも消えたからか、彼の顔は輝かしく晴れている。


 ――キルシュ・ブリューテ、あなたはお気づきになられて?


 感じる世界が真となった今、これから先、目の前で散るであろういのちや、争いの意味もまた深くなり、そのこころをえぐるであろうことを。


 そして、この旅の最後に待ち受けるであろう長兄シダレ。

 本物の兄となった彼と対峙する未来、あるいはこのフロル・フルールとも袂を分かつ未来もありうることを。


 一抹の不安をいだき、フロルはそっと女神のつるぎを撫でた。

 女神は語らず。


 歓談の夜は、少女を置き去りにしたまま更けていった……。


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