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044.戦場を照らし出す乙女たち-07

 フロルの前には氷柱に閉じこめられたキルシュ・ブリューテがいた。


 騎士を殺された憤怒に任せて飛び出した彼だったが、耳の長い奴隷の圧倒的な魔導の力の前に氷漬けにされてしまっていた。


「さすがは僕のチルチルだ。きっと血の一滴まで残さず凍ったことだろうね」

 黒いウマの獣人は肩に座る奴隷を褒めながら、ぶるりと震えた。

 奴隷のほうは右の手のひらを眺めながら首をかしげ、左手で短い黒毛を撫でている。


「キルシュ!」

 フロルは大きな氷の岩に閉じこめられた青年に駆け寄る。

 ガントレットで叩くと、それは容易くまっぷたつになり、中に閉じこめられていた青年は「死ぬかと思った」と、掻きこむように呼吸をした。


「驚いた。ご主人様、あの男は私の魔術が効いてません」

「効いてない? チャージしておいた魔力を放出したのにかい?」

「凍ったのは彼の周囲の空間だけで、彼自身にはまったく魔術が通っていません。あっちの娘も、なんらかの加護を受けてるのか、抵抗力が高い」


 黒い馬人の肩に乗った耳長の奴隷は、さも恐ろしいものを見たというふうにキルシュから視線を外し、主人の頭に鼻をうずめて深呼吸をした。


「よくもやってくれたな! 騎士たちの仇は必ず討つ!」

 キルシュは再び剣を構える。

「待ちなさい。騎士たちをやったのが彼らとは限らないわ。わたくしたちは、汗と鎖の世界のかたがたとことを構えるために来たのではなくってよ」


 注意は受け入れられ、キルシュのつるぎが下ろされる。

 それを見て、たてがみの豊かな大男が前に進み出て言った。


「両者とも、なかなかの戦士と見た。不意打ちをした非礼を詫びよう。我らは重要な任に向かう最中ゆえ、汗の掟は故郷に置いてきてしまったのだ」


 彼もまた、枷と首輪をした人間の男をともなっていたが、男も主人に負けないほど筋骨隆々だ。

 だが、奴隷らしく上半身裸で毛皮の腰巻だけという出で立ちで……よくよく見ると主人のほうも似たような格好をしている。


「ふん、気づいたか。俺とご主人はペアルックだ」

 腰巻の奴隷がなんか言った。


「キルシュ、気をつけて」

 フロルは青年に耳打ちをする。

「たぶん、こいつらも変態よ」

 キルシュは頷く。

「なるほど。さっきの全裸の男の仲間ですもんね」


「全裸男……ネイキ・ドゥーか。彼と一緒にはしないで欲しいね。彼はヘアリーお姉様にデコってもらっても、すぐに脱いでああなるんだ」


 そう言ったのは、残るペアの奴隷――これまた美青年で、彼は小綺麗な衣装をまとい、手にはなんらかの弦楽器。アルカス王国でも見かける吟遊詩人に似ている――だ。

 だがやはり、よく観察してみると、美青年の首輪から伸びる長い鎖は主人の首輪と繋がっているし、主人の獣人は、いまだに四つん這いで彼を乗せたままうろうろして、しきりに地面のにおいを嗅いでいる。


 ――主人も変態ということかしら。


「ヘアリーさんの()は、無傷でここを通ったみたいだ。彼は服を着ていないからにおいがよく残る。この土臭さは例の精霊たちの仕業だね」


 獣人というだけあって、鼻や耳も優れているのだろう。

 四つん這いの彼も、どことなくイヌっぽい風貌だ。


「誤解は晴れたみたいですし、ここを通していただけないかしら? わたくしたち、汚濁の罪のかたがたとは別の世界から参りましたの。身内の問題で、騎士たちを追っているところですわ」


「騎士って、ここで死んでる連中みたいな? 彼らは()用の武具を売ってくれるいい取引相手だ。バトルにも応じてくれるし、みんな彼らが好きだよ。さっき、鉄砲と爆弾の軍隊とは違うにおいは確かに嗅いだね。音もがちゃがちゃさせてたし、あれは騎士だったと思う」


「お会いになられて?」

「無視したよ。僕らは今から、身内を取り戻しに行かなきゃいけないし」


 奴隷を含めて六人だけで防衛線に突っこむ気だろうか。

 獣人に加え、エルフの女魔術師やたくましい男もいるようだが……。


「いやいや。ここはバトルだろうがよ!」

 たてがみの獣人が言った。

 イヌ男は彼のほうを見ると、ため息をついた。


「……だよね。僕らの汗と鎖の掟だ。お互いの汗を交わらせ戦い、敗者は勝者に従う。強い奴とはやり合わなきゃね。どうせ遅刻組だし、行っても仕事が残ってないかもしれないし」


 フロルがことを構える気はないと言うも、彼らはすっかりやる気で、仲良く輪になって相談している。


「あの金髪の奴隷をやらせてくれませんか? 私の魔術が通用しなかったなんて、エルフの名折れです」

「チルチルの魔法が効かないほど頑丈なら、俺だってやりてえぜ」

「女の子のほうに興味があるな。ネイキ・ドゥーと似たにおいがする」

「僕はいつも通り演奏でバトルを盛り上げるよ」


 汗と鎖の世界の獣人が戦闘狂という話は有名だ。

 だが、奴隷の扱いは、聞いていたのとはどうも様子が違う。

 フロルが率直に疑問をぶつけると、イヌの獣人が丁寧に答えてくれた。


「誤解されてるんだよ。鉄砲の連中が勝手に言ってるだけじゃない?

 確かに僕らは主人である“汗”と、従者である“鎖”でペアを組むけど、

 決してお互いを粗末にはしていない。

 主人の方針や従者の希望にもよるけど、友人か、ペットみたいな関係かな?

 鉄砲世界の捕虜に聞いたけど、どこの世界もペットには餌を欠かさずやるし、

 傷ついたり病気になったら、看病するものなんでしょ? 服も着せたりさ。

 そんな感じ。よその世界の奴隷や、食べるための家畜とは違うんだよ」


「汚濁の罪のかたは相当に悪くおっしゃってましたけど」

「戦争ってそういうものでしょ? 僕らがいくら言っても聞いてくれない。過去には進んで僕らの鎖になってくれた捕虜もいるけどね」

「彼らが戦争をする理由は、遺跡にある遺物の悪用を防ぐためとおっしゃってましたわ。あなたがたが遺跡から手を引けば戦争は終わるのではなくって?」

「遺跡には“とっても強いヤツ”が眠ってるって言い伝えなんだ」

「それだけが理由で戦争を?」

「価値観の違いだね。反対者もいるけど、キングに勝てる人なんていないし。それに、僕らだって相応に殺されてるんだ」


「その通りです」

 エルフの女が進み出る。

「あの世界の人間どもなど、オークのように道義にもとる愚物!」

 彼女はキルシュをびしりと指差した。

「仲間を取り返すために、私たちはあなたがたを打ち破らねばなりません!」


 魔術でキルシュを倒せなかったことを相当根に持っているらしい。

 フロルはあくびをかみ殺す。気を張っていたのがバカらしくなってきた。

 ところで、ひとつ気になる点があった。

「ねえ、エルフのあなた。粗末にしないって話なのに、どうしてぼろを着てるの?」


「お嬢ちゃん、いい質問だよそれ。もっと言ってやって!」

 答えたのは飼い主である黒い馬人だ。

「チルチルはね、そのぼろが、屈服する者の正装だ、って言い張るんだよ!」


 フロルは頷く。なるほど、彼女も変態ですのね。


「私のことは放っておいてください。さあ、金髪の人間! 勝負です!」

「いや、別に通ってくれてもいいけど……。なんなら降参しますよ?」

「それでは私の気が済まない。あなたと私、どちらが優れた奴隷であるか決着をつけましょう!」

「ぼくは奴隷じゃないですよ! フロルさんも言ってやってくださいよ!」


 キルシュがこちらを見た。


「似たようなもんでしょ」

「あんまりだ! もういいや、怪我しても知らないからな!」

 観念してつるぎを構えるキルシュ。


 すると、吟遊詩人チックな奴隷によって弦楽器がかき鳴らされ、腹の底から奮い立つような曲が演奏され始めた。

 キルシュが「ボス戦のBGMじゃないんだから」とため息をつく。


「お嬢ちゃんのほうは俺が相手だ」

 たてがみの獣人が腰のつるぎを叩く。

「あら、あなた剣術をたしなまれて?」

「体術のほうが得意さ。俺たちの手は剣を持つには向いてないんだが、剣ってのはカッコイイからな」


 彼の手の指は短く、肉球もついている。


「でしたら、わたくしも女神の力には頼らずに、純粋に剣術のみでお相手いたしますわ。わたくしが勝ったあかつきには、その肉球をぷにぷにして、たてがみをもふもふさせていただきますわよ」


 フロルが宣言すると腰巻の奴隷がこちらを睨み、激しく主人を応援し始めた。


「こいつは負けられねえな」

 笑っているのか、片側の牙を剥くたてがみ獣人。


「よーし、それじゃあ、お互いに汗の掟に乗っ取ってフェアプレイでね」

 馬人が腕をあげ、試合開始の合図を取る。


 そして、彼が手を振り下ろした瞬間、破裂音が立て続けに響いた。


 たてがみの獣人の身体から、いくつもの血しぶきがあがる。


 ――銃撃!


 どこから撃ったのかと周囲を見回すも、相手の姿は見えない。

 続いて、大きな爆音が遠くで鳴ると、笛の音のようなものが接近してきた。


「フロルさん! さがって!」

 キルシュの警告に従い後退すると、彼らのそばで何かが炸裂した。


 ――砲撃!


 ぱらぱらと土砂が降り、きぃーんと鼓膜が震えて音が消えていく。


 土煙の中から、光の壁に守られた獣人たちの姿が現れた。

 エルフが障壁の魔術を行使したらしい。


「連中に見つかったか!」

 撃たれたはずのたてがみの獣人は、流血こそしていたが、彼がひと唸りして力むと、身体から弾丸が押し出されて、ぼとりと地面に転がった。


「銃撃が途絶えた。リロード、今です!」

 エルフが防壁を解除すると、六人は一斉に飛び出した。

 たてがみが先陣を切り、腕で顔面を守るだけの無防備な格好で駆ける。

 それを盾にするようにマッチョの奴隷が続き、イヌ男は楽器奴隷を乗せて木々の茂るほうへと回りこむ。

 馬人はエルフを首にしがみつかせたまま跳躍し、木の幹や枝を蹴って進む。


 六人の姿は、あっという間に消えてしまった。


「彼らを助けましょう!」

「何言ってるのよ。相手は汚濁の罪の兵士よ。わたくしたちが介入してはダメよ」

「この戦争はきっと誤解が重なってる。彼らは悪い人たちじゃない!」


 止めるも聞かず、キルシュは駆け出した。


「待ちなさい、この頑固者!」

 悪態をつき追いかけるお嬢さま。速度を求めてサンゲに誓いを捧げる。


 鋼鉄のブーツの中に夜の女王を忍ばせておいたのだが、思いのほか速度が上がらなかった。

 歩く練習はしておいたが、ヒールに重ね履きはマズかったか。


 ――バランスは取れているはずなんだけど……。


 やっと追いつき説得するも、頑固者は鎖帷子をがちゃがちゃさせるばかりだ。


「止まって!」

 止めたのはキルシュのほうだ。彼は急に抱きついてきた。

「ちょっと! 何をなさるの!」

「流れ弾が来る! 顔を出さないで!」


 ふたりは木立の中に退避して、戦いの様子をうかがった。


 圧倒的。ほとんど虐殺と言ってもいい。


 鉛玉の雨の中を駆けるたてがみ男が兵士の隊列に飛びこみ、腕をひと薙ぎするだけでヘルメットが跳ね、頭部が地面に落ちた果実のごとくにひしゃげる。

 黒い風が兵士の前を通り過ぎたかと思えば、彼らは炎上して倒れた。

 大砲はすでに射手とともに巨大な氷の柱に封じこめられており、魔術を行使した当人は、馬人から飛び降り、障壁の中で傷ついた腰巻の奴隷を癒し始めた。

 反対側の茂みからは、先ほどとは違う音楽が聞こえている。

 曲が聞こえてくるほうへも銃撃は向けられていたが、妙なことにイヌ男と楽器をかき鳴らす奴隷は、別の茂みにいるのがここから見える。


 獣人組六人に対して、兵士は三十ほど。

 兵士のうちの半数は、すでに血だまりに倒れている。


「いちおう敵なんだけど……心配はいらないみたいね」

「残酷すぎる。これじゃ、どっちが悪役か分からない」

「あんた、どっちつかずねえ。戦争にどっちが悪もないんじゃなくって?」

「分かってますよ。だけど、じっさいに見ると気分が悪い」


 キルシュの蒼い瞳は燃えているようだった。

 甘い男だとも思ったが、悪い気はしない。


「これじゃ、例の転生者も来ないかしら?」


 戦いはすぐに終わるだろう。そう思った矢先であった。


「エルフの子が!」


 腰巻奴隷を治療していたはずの彼女が脇腹を押さえ、くちびるから血を流している。何が起こったか理解していないらしく、血に染まった手のひらを見て長い睫毛をしばたかせるばかりだ。


 それから彼女は、障壁の中にいるにも関わらず、額を砕かれて崩れ落ちた。


「とっておきの魔導徹甲弾だ。弟の仇め、ざまあみやがれ!」

 射手は口を歪ませたまま胴体と頭を分離させ、追撃で頭を踏み砕かれた。

 やったのはたてがみの獣人だ。彼はすさまじい雄たけびで木々を揺らしている。


 エルフの飼い主の黒い馬人はすでに彼女にすがりつき、中身の覗く額を舐めてやっていたが、その間にも身体からたくさんの血しぶきを上げていた。


 フロルは全体重を掛けて相方を引っぱったが、無駄だった。

 キルシュが撃たれるたびに鎖帷子が火花を上げて弾けるのが見える。

 銃弾も砲撃も、暴れるたてがみ獣人の腕力すらも彼には通用していなかったが、彼の和平への願いもまた、誰にも伝わらないようだった。


「やめろ! やめてくれ!」

 叫ぶ青年。声は銃声と咆哮に掻き消される。


 フロルはただ黙って見ていた。

 無力ながらも戦いを止めようと延々ともがく彼を見つめていた。


 ふと、周囲を見回す。


 ――女神の気配?


 無粋な破壊神が水を差しにきたかと思ったが、サンゲやミノリとは違った、けれどもどこか似た気配を感じた。


 ――下から何かくる!


 飛び退くと、地面が盛り上がり、唐突に何本もの枝が生えてきた。

 戦場でも同じことが起こっているようで、兵士や獣人たちが次々と地面から生えてきた枝に絡めとられている。枝は彼らをすっぽりと覆い尽くし、絞め殺さんとしているようだ。


「待て待て。殺すな。俺が見てないと、すぐにこれだ」


 いつの間にか大男がいた。

 ぼろマントで身体を覆っており、背中に巨大な剣を背負い、堂々と戦場のまんなかに立っている。


「この枝は!? おまえか! 騎士たちをやったのは!」

 キルシュは枝に絡めとられながらも暴れわめく。


「騎士? なんのことは知らねえが……」

 男はキルシュを覗きこむと「ほう」と声をあげ、無精ひげを撫でた。

「俺と同類か」


「同類……転生者か! 平和の使者だと聞いたのに、とんだ間違いだったな!」

 吠える青年。

 決めつけんな。大男はそう言うと、キルシュをこぶしで殴った。


 ――!


 お嬢さまは息を呑んだ。

 殴られた当人も、自身の鼻から垂れる血を見て唖然としている。


「硬ってーな。骨が砕けるかと思ったぜ」

 転生の大男はこぶしを開いてぶらぶらさせ、

「まあ、俺の話を聞けや」と、不敵に笑った。


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