040.戦場を照らし出す乙女たち-03
※本日、(4/1)2回目の更新です。今パートは視点がよく入れ替わります。
ヨシノは大きなリュックの上に腰かけて、ため息をついた。
退屈だし、気に入らない。
「超人」のことも聞いて回ってはみたが、どちらにも味方をしない大剣を持った男というだけで特に情報は増えず、聞く人聞く人に邪険にされてしまった。
消毒液と血のにおいの充満した、テントの下。
呻き声や悲鳴が聞こえたと思ったら、元は白かったろう衣装を着た看護師や医者が、テントからテントへと走り回る。
ここは、無尽蔵の血肉を持つ不死者のヨシノにとって、もっとも無縁な場所だ。
戦場世界から汚濁の罪へと繋がるゲートを守る、絶対防衛線。
そこに設営された野戦病院。
そして、彼女といちばん縁深いはずの主人は、硬いだけが取り柄の男とふたりきりで前線へと出てしまっていた。
――ここで待機してなさい、だなんて。
あるじの意図は理解しているつもりだった。これも大役なのだ。
フロルはキルシュとともに、転生者やシダレの隊を探して戦場を駆けまわり、ルヌスチャンは別方面で同上の任、そしてセリシールはスリジェ家の役目として、野戦病院で情報を探りながらミノリ神の力を振るう。
フロルはセリスの顔を立てつつも、上手く危険地帯から遠ざけておく手を打ったつもりなのだろう。
当のセリスは残されてから「わたくし、キルシュさんのお手伝いは特にしないことになるような……?」と首をかしげていたが、今は両親より習った看護術と、ミノリの神工物を持って、テントを右へ左へと引っ張りだこだ。
「おい、こいつを診てやってくれ! 尻尾がちぎれちまってるんだ」
担架に乗せられて運ばれて行くのは、全身毛むくじゃらの獣人だ。
汚濁の罪側の戦争ルールでは、人道的配慮として捕虜も治療するらしい。
「ズボンの下に尻尾を入れてただけじゃないの!」
運ばれた先の女性の治療者が怒鳴っている。
「トリアージを確認してから患者を回して!」
担架が戻されてくる。獣人は犬猫熊あたりの顔立ちで、性別の区別もつかない。
牙をむいて唸っているのと、血で濡れて毛皮の寝ている箇所があるので、怪我人だということは分かるが。
入れ違いに運ばれていった担架は、揺れるたびにじゃらじゃらと鎖の音をさせている。髪を刈り上げられた人間の男性で、首にはマフラーのように大きな金属質の首輪がつけられて、そこから鎖が垂れている。
――あれは奴隷ですね。
ヨシノも幼少期に奴隷として売られそうになったことがある。
汗と鎖の世界は、奴隷も戦力として投入しているらしいが、忠義の無い者を隣に置いて戦うなんて気が知れない。
奴隷も奴隷で、曲がりなりにも従者だ。仕える者としての精神に欠けるから戦場に放りこまれるのではないか、などと考える。
自分もまた、ある意味では奴隷と同じだ。
屋敷では肉体のしぶとさに任せて仕事詰めで、戦いの場では肉壁となり、あるじのわがままには振り回され、それでもそばにいることを望むのに、置いてけぼりを甘んじて受けている。
本当ならもっとゆったりと暮らしたいし、戦いではフロルと並び、遊びでも振り回されるよりいっしょに楽しみたい。
満足していないのだから、奴隷と同じじゃないか。
――あれ?
ドレスを着た金髪の美女が運ばれている。
彼女も奴隷の首輪をしている。
だのに、髪には宝石をあしらったバレッタ、手には指輪が見えた。
どこかのいいところの娘さんやお姫様が奴隷になって、そのまま戦場へ?
「ヨシノさん、戻しの虹帯の予備をお願いします」
セリシールが戻ってきた。
ほんの小一時間で黒い前髪は汗で額に張りつき、疲れた顔になっている。
キモノの袖やハカマも血を吸いこんで、洗濯も徒労に終わりそうなありさまだ。
「セリシールお嬢さま、お身体の具合はいかがですか? 顔色が優れませんが」
「わたくしは平気ですの。でも、人ってこんなに簡単に亡くなられるものだとは思わなくって……」
帯を受け取る娘の背後で、また新たな怪我人が運ばれる。
汚濁の罪の兵士だ。迷彩柄の作業着姿で、腕には鮮やかな赤のバンドが巻かれている。運び手が彼の名前を呼ぶ声が、周囲の喧騒に呑まれる。
――あの人はダメそうですね。
ずっと眺めていたから、腕のバンドが怪我の重度と治療の優先順位を示していることには気づいていた。
次に運ばれた重傷者は黒いバンドで、腐敗臭を漂わせていた。
そのうち、顔色は黄色くなるだろう。
ヨシノは「人間の残骸」がどうなるかも、よく知っていた。
少し離されたテントには、黒い袋に入れられた人たちが並んでいる。
あちらとこちらを隔てるのは、薄い木の板を立てただけの壁のみだ。
誰かの生き死にを、こんなにも冷えた目で見れる自分はおかしいのだろう。
大切な身内に対しては、小さなことも見逃すまいとするのに。
「あの、ヨシノさん」「どうなさいました?」
セリシールは何か言いたげだったが、言葉を詰まらせた。
ヨシノはうながしもせず、待つ。
ほんの先週くらいまでは、ふたりのあいだでよくあったやり取りだ。
セリシールがフロルとのことで声を掛けるときには、特に。
「お三方、至りませんでしたの」
死なせたということだろう。自責交じりの言い回しに聞こえた。
「持ち直したかたは何名ですか?」
励ましてやろうとする。「あなたが助けたのは」と言うと、きっと今のセリシールには重いと考え、この言い回しを選んだ。
「数の問題ではございませんの。亡くなられたのはネコに似た女性のかたと、クマに似た男性のかた、それから首輪をなさった男性」
「汗と鎖側のかたばかりですね」
「やはり敵は後回しになるのと、ゲートの向こうへは連れられないって」
ここはあくまで応急処置の場で、ゲートの反対側の施設には汚濁の罪の技術の粋が集まったメディカルセンターが併設されている。
「それでも、ここのお医者様がたは懸命に治療なさっている。目の前に来れば、種族や敵味方なんて些細な違いなんですの。お医者様がたは、時間と戦争をなさってるのですわ」
セリシールは明らかな憔悴を見せながらも、血の乾いた手で帯を結び直した。
「わたくし、考えていましたの。
殺し合いに加担する人のいのちを救うことって、本当に正しいの? って。
家訓では、いのちに貴賤はないと語られているのに。
もうひとつ本音を言うと……ここに残されるのも不満でしたの。
それも、単にフロルさんのお見合いが面白くなくって、来てしまった……」
――あなたも……。
ヨシノは、令嬢の告白にほほえんでみせた。
「わたしも、ブリューテ家がお嬢さまに相応しいか疑問です」
「ですよね!?」
「ふふ、フロルお嬢さまラブなんですね」
「はい、お恥ずかしながら」
頬を染めるセリシール。
本当なら、彼女もフロルの隣に居たかったのだろう。
前線でもスリジェ家としての使命を果たすチャンスはあったはずだ。
しかし、戦いでは足手まといだし、願いの力も相殺してしまう恐れがある。
だから、残ることを受け入れたのだろう。
――でも、かえってつらい思いをされている。それに比べてわたしは。
「セリシールお嬢さま、何かお手伝いをいたしましょうか?」
これは忠義か、あるいは同じ者を慕う同士の友情だろうか。
少なくとも、義理ではない申し出だった。
「お気持ち、ありがとう存じますわ」
断られてしまった。メイドは胸に宿っていた気持ちがしぼんでいくのを感じた。
「お話を聞いていただけで満足ですの。今の弱音は、ヨシノさんにしかお話しできないことですから」
スリジェのご令嬢が柔らかにほほえむ。
――わたしにしかできないこと……。
なんと返事をしたものかと思ううちに、「大きな袖のお嬢ちゃん、こっちに来てくれないか」と声が掛かり、セリシールは走っていってしまった。
ヨシノは鼻を鳴らし、ひるがえされた長い黒髪の残り香を感じる。
彼女の香りは少しだけ、この場に馴染んできてしまっていた。
小さいころに、ふたりの令嬢の髪を洗い、背を流したのを思い出す。
あの背は知らぬ間に、少し大きくなったようだ。
そして今も、大きくなっていっている。
――退屈なんて言わず、わたしも、わたしなりにできることをしましょう。
あたりを見回す。困っている人は掃いて捨てるほどいる。
アシスタントでも雑用でもいい、メイドはそういうのが得意だ。
だが、すぐにそれも難しいと気づく。ここは、技術レベルの違う異界だ。
ハサミや小さなナイフは共通しても、極細の針がついた小さな筒や、ケーブルの伸びる箱は、何をしているのかすら分からない。
それらを指す言葉も、聞いたことがないものばかりだ。
ヨシノはメイドの技は、勝手知ったることがかなめなのだと思い知った。
「あの大きな袖のお嬢ちゃんの針と包帯はすごいぞ。魔法みたいだ」
ヨシノはアーティファクトをろくに扱えない。
女神の枕に暮らすが生まれは別か、女神たちに好かれていないため、どちらの領分の宣誓も賜っていない。
ならば、バケモノの肉体を活かして、「血液パックを持ってこい」と叫ぶ医師や、「腹が減った」と唸る獣づらを助けるかと頭によぎったが……。
ずっと昔にフロルといっしょにイヌに「餌」をやったのが当時の当主たちにバレて大目玉を喰らったので、これも却下だ。
医療の知識さえあれば、文字通り何人ぶんもの「人手」にもなれるのだが、たぶんパニックになるだろう。
――ホラーメイドにできることは、ナシですかね。
ヨシノは拗ねた。
「きみはひょっとして異界のかたかね?」
声を掛けたのは、真新しい制服に身を包んだ男だ。
ヘルメットではなく、つばのある帽子をかぶり、肩章や勲章をつけている。
ヨシノは立ち上がり、無言で頭を下げた。フロルに「愛想よくね」と言われていたが、お偉いさんだと分かると、上手にできなかった。
「衣装からして従者かね?」
余計なことは言わぬよう、「はい」とだけ答える。
「あの大きな袖の娘さんはたいしたものだ。うちの家内は、自分の血ですらダメなのだよ。本当なら、こちら側にも本格的な施設を建てたいのだがね、なにぶん、穴が狭くて車一台すらも通らんもので」
彼が言うには、戦争の足を引っ張っているのは、ゲートらしい。
大型の兵器や設備が持ちこめず、ゲートが直接に都市部と繋がっているため、防衛ラインとしても絶対の絶対であるため、戦力の大半をここの守備に当てているのだとか。
「獣人は野蛮で好戦的だ。遺跡だけでなく、防衛線にまで攻めこんでくることもある。我らの真の実力が発揮できれば、奴隷と畜生の世界など、取るに足らぬのだが。なかなか予定通りにはいかないものだ」
それからも彼は一方的にしゃべくり、満足をすると兵をともなってテント群の向こうへと消えていった。
整髪料か香水か、死臭すらも上書きする強いにおいが、ぷんと残る。
――あれがリーダーなのでしょうか?
あの上官が通過するさいには、担架が待たされていた。
獣人や首輪つきだけでなく、身内の負傷兵たちすらも。
女神の枕では、絶対に起こらないことだ。
ヨシノは彼の背中へ、ルヌスチャンから伝授された異界の挨拶「中指立て」をしておいた。
役に立ちたいとは思ったが、あんなのの退屈しのぎに使われるのはごめんだ。
ヨシノは乱暴にリュックへ腰かけた。
がちゃり。
巨大リュックの中で物がぶつかる音。
――すっかり忘れていました。
自分もセリシールと同じで、遊び気分だったのかもしれないと反省する。
それと同時に、自分にもできることをひとつ思いついた。
こういうやさぐれた気分を落ち着かせるには、アレが一番だ。
リュックを開け、タオルで厳重に保護した梱包を解けば、銀器と白い陶器の茶道具たちが顔を覗かせた。
* * * *
* * * *




