004.わたくし、手加減は苦手でしてよ-04
夕暮れ前、打ちこみの汗を流したフロルは、ブラッドレッドのドレスに身を包んだ。
これから馬車に乗り、王城へと向かう。
会話をする相手を失ってしまえば、せっかく打ち負かした退屈と憂鬱が戻ってきてしまう。
気心の知れた相手との会食であれば胸も弾むところだが、どうせ好奇心のための噂話と、地位や金銭に任せた自慢を聞かされるばかりだろう。
セリシールとふたりでテーブルの下に潜りこんだ幼き日が懐かしい。
不仲の件もそうだが、怪盗の正体がバレていないかも問題だ。
確固たる証拠も無しに言いふらしはしないだろうが、気がかりである。
あの冷えた非難の視線が向けられたのは、怪盗ブラッド・ブロッサムへか、それとも旧友フロル・フルールへか。
ところが、いざ王城に到着してみると肩透かしを食らった。
スリジェ家は全員パーティーに不参加だそうだ。
当人が不在であれば、かえってその名を耳にすることになるのが宴の席でのお約束だ。
「フルール様、ご存知ですか? スリジェ家のお屋敷に賊が忍びこんだそうですわ。そう、巷で噂になっている、怪盗ブラッド・ブロッサムらしいですわよ」
参加者たちはこの話題で持ち切りだった。
人の口に戸板を立てられないのは承知だが、フロルは首をかしげる。
警備の不手際を外部に漏らす者はいない。
しかも、異界からの国賓である魔女姉妹が昏倒する大事つきの不祥事を?
――いったい誰が言いふらしたのかしら?
「そうなの! そこで私とお姉ちゃんがさっそうと現れて泥棒に一発お見舞い!」
「ばーん、ぼーん! ってなって、ヘンテココスプレ怪盗は、きゃーってわけ!」
フロルは頬を染め、げんこつを固めた。
誰も見ていなければ姉妹の脳天に一発づつお見舞いしているところである。
――まったく、お子様なんですから。
双子の背後には補佐官らしき年配の女性がついて、料理を取ってやったり、彼女たちの背後で、こっそりとほかの参加者に頭を下げている。
双子は大使の職名を冠してはいるが、実質的にはお飾りなのだろう。
――正体はバレていないようだし、捨て置いてもいいかしら。
「セリシール嬢は私たちのお陰で助かったの!」
「もうすぐ帰るから、自分の身は自分で守るようにって言ってやったわ。私たちも魔王からマギカ王国を守らなきゃいけないからね」
――我慢、我慢ですわ……。
フロルは婦人たちのおしゃべりの相手を務めながら、小娘どもを目の端で睨んだ。セリシールとの件が絡むと、どうしても小憎たらしく思える。
やっぱりぶん殴ってやろうかと考えていると、女神の気配を感じた。
破壊の衝動ではなく、アーティファクトの気配だ。
――あの子たちのしてるイヤリング。
宝石のはまった装飾品。
互いに片方づつ交換しているのか、左右で赤青、違う色を身に着けている。
赤からは破壊の、青からは創造の女神の気配を感じる。
カードよりマシな程度の品だが、宣誓なしでは何の効果も持たないタイプだ。 よその世界の人間では使いこなすことはできない。
――あの子たちに持たせておくのはもったいないわ。
フロルのこころに住み着く怪盗がそわそわしはじめた。
――国王陛下からの贈答品の可能性もありますし、欲しがってはダメ。
マギカ王国が代表を務める魔導の世界は、女神の枕と友好的な関係を築いている。
あちらの世界には「魔族」と呼ばれる異形の危険生物が棲んでおり、魔法の力を悪用する邪悪な存在がそれらを束ねて魔王を名乗り、人間たちと何千年にも渡る戦争をしているのだという。
魔王に対して優位に立ちたい彼らは、当時のマギカ国王みずからがゲートをくぐって来界し、こちらの王に頭を下げ助力を請い、同盟を結んだ。
魔王が倒れた暁には、一般人も含めた文化的交流をする予定となっている。
いっぽう、女神の枕にはよその世界にいるような悪の支配者や侵略者がおらず、精神的にも物質的にも豊かだ。
内政干渉は禁じているものの、アルカス王の気さくな性質と相まって、友好的な世界への援助は惜しんでいない。
この世界の苦労の種といえば、女神の気まぐれの影響を受けやすいことと、異界同士を隔てる壁に、「ほころび」が異様に多いことだろう。
毎日のように異世界へのゲートが新しく発見されているのだ。
通った道を振り返れば、地面に巨大な青い渦が出来ていたり、夏場なのに街の上空から雪が吹きこんできたり、空き家から珍獣が出てきたり。
さっきなんて、便器の底が異界と繋がったなんて話をする者がいた。
繋がる先の世界も、ゲートの規模もまちまちだ。
人が通れないサイズのゲートも珍しくないし、くぐった先に生物の気配がないことも多々。
すでに文明が滅びたあとであることも珍しくなく、そういった遺世界には有用な遺物を求めてのトレジャーハントや、怪物退治に繰り出す者もある。
自世界が平和でも、女神の使徒たちは立派な戦士というわけだ。
そこの保護者つきの双子とはわけが違う。
「セリシール嬢が作ってくれたおまんじゅうっていうの、美味しかったよね」
「美味しかった! でも、あの子は下手に出過ぎよ。パパとママが不在ならもっと、どーんと構えなくっちゃ。お砂糖みたいに甘いんじゃ、私たちの世界じゃやっていけないわね」
そのスリジェ家の当主たちも、異界に足を運んで恵まれないものや貧しいものへの支援に忙しくしているのだ。
フロルは、もう一度こぶしを固めた。
あっ、大変だ! 破壊神のそそのかしが聞こえる気がする。
可愛いお耳についたイヤリングをつかんで、「せいっ!」と勢いよくやれと……。
お嬢さまは首を振った。胸に手を当て、大真面目な顔を作って天井を仰ぐ。
――倫理観の近しい世界との関係は大切にしましょう。
危険な世界を切り拓き、ともがらとなれる世界には手を差し伸べる。
おそらくは、多くの世界共通の願い。そう、信じたいですわね。
お父様やお母様もそうでしたし……。
「フルール様、どうなさったの?」
「少し眩暈が。冷えたのかしら。わたくし、肩を出すドレスって苦手で」
「お身体は大切になさらないと。風邪でもお召しになったら大変ですわ」
意識を戻し、社交と情報収集に戻る。
噂話には貴人たちの心を満たすためだけのものではなく、フルール家の役目や、フロル個人の夜の活動に関わるものが含まれることもある。
嫌々でもこの場に居続けるには、そんな事情があった。
「で、フルール様はもう、先日開いたゲートにはお出かけになって?」
フロルはたまげた。「へっ、お便器の中に!?」
年増の夫人が扇子で口を隠し、「いやですわ、ご冗談を」と失笑した。
話半分だったために聞き落としていたらしいが、便器の底とは別にもゲートが発見されたらしい。
それも、国王が一般人の出入りを禁止し、“トラベラーギルド”に委託するレベルのもののようだ。
「お日様の光の無い、ほらあなのような世界ですって。何やらそこを根城にした、世界のあるじを名乗る不遜な輩がいるとか」
しかも、そのあるじとやらは、こちらの世界の所有権まで主張しているという。
すでにゲートを通じて尖兵が現れ、攻撃を加えてきているらしい。
こちらの耳に入っていなかったのは、ゲートが昨晩に開いたばかりだったからのようだ。
「やっぱり、フルール様もゆかれるんですか!?」
ドレスに着られた幼い女の子が、目を輝かせながら訊ねてきた。
母親である夫人のほうは好奇の目といったところだが。
「ガイコツやゾンビが出るんですって! 前に、城下にできたゲートから出てきたモンスターをやっつけたときみたいに、剣でずばっとやっつけるんですよね!? いいなあ。私もトラベラーになりたいなあ!」
トラベラーギルドは異世界旅行を管理する組合団体で、トラベラーはギルド所属者を指す。
業務内容は様々で、探索や危険生物の退治、ときには観光ツアーを主宰する。
一番重要なのは、遺物を争った仲間割れや、他文明への迷惑を避けるためにゲートの通過者を把握管理することだ。
フルール家の人間も、代々ギルドに登録して武勲を立てており、フロルも両親と同じく優秀なトラベラーが冠する「勇者」の称号を国王より賜っていた。
「え、えっと、どうでしょうか。ほかのトラベラーのかたたちもいらっしゃりますし」
あまり食指が動かない。光の届かない洞窟に、不気味で異形の存在。
アンデッドと遭遇した経験はあるが、ただただ臭かった思い出ばかりだ。
有用なアーティファクトが目撃されたなら話は別だが、侵略されているというのにパーティーも中止にしない程度の相手なら、自分が出張る必要はないだろう。
「と、思うじゃろう?」
柔らかな男性の声が割りこんだ。
女性陣は会話をやめ、姿勢を直して彼へと向き直った。
低い背丈に白いおヒゲ、バターを塗った焼きたてパンのようなほっぺた。
頭には薄い白髪の原っぱに金ぴかの王冠が乗っかっている。
身にまとった赤いマントには白いふわふわのファー。
「これは“アルカス九十二世”国王陛下、ご機嫌麗しゅうございます」
年長の婦人がスカートを持ち上げ会釈をし、ほかの婦人が続いた。
最後にフロルが挨拶をすると、国王は急に眉を下げて手を握ってきた。
「フロルちゃん、お願いがあるんじゃよ~~!」
国王はフロルを婦人たちから引き離し、あたりをうかがってから話を始めた。
「じつを言うと、ちょーっとばかし厄介なことになっておるんじゃ」
異界のあるじの寄こした手紙の内容。その一文。
『吾輩は永遠のいのちを所有しておる。ゆえに絶対の勝利者であり、あらゆる富が吾輩のもとに集まることが約束されておる。つまりは、全世界の王となる資格があるのだ』
永遠のいのち。
生命力を増加したり、病や傷を治療する力は、多くの世界で見られるものだ。
中にはもともと寿命を持たない生物もいるかもしれない。
突出した力を持ったせいで勘違いするバカは珍しくもないのだが、フロルは言い回しの一部が引っ掛かった。
「神ではなく、王。控えめですわね」
「女神の実在を知っている者かもしれぬのじゃ。となれば、永遠のいのちとやらがアーティファクトによるものの可能性がある」
女神の保証付きの永遠のいのちとなれば、国宝級のアーティファクトである可能性が高い。
どの世界、どの時代でも求められる不老不死の力を持つ品の存在が知られれば、禍根となるのは必至。
最悪、それを巡って世界同士の戦争が始まる危険性もある。
「生命力を生み出すということは、ミノリ様のお力が宿っていらっしゃるのかしら」
破壊の衝動に対抗する手段にはなりうるだろうか。
仮に、「何か」を壊してしまっても、それがあれば、元に戻せるのだろうか。
「うむ。じゃが、わしはそのようなものは、すべての世で不要じゃと考えておる。万が一、アーティファクトの存在が確認された場合は、破壊して欲しいのじゃ。それから、こちら以外と繋がっているゲートが存在しないかも調べねばならん」
繋がる先が異世界ではなく、同一世界同士のケースもある。
女神の声を聞ける存在が支配するのなら、ゲートの先はこの世界のどこかか、あるじを名乗る者が女神の枕の出身である可能性が高い。
恥ずかしい輩をよその世界に出さないようにしなくてはならない。
「アーティファクトを破壊できぬ場合は、秘密裏に持ち帰って欲しい。サンゲを祀る神殿に任せるからの」
いつの間にか行くことになっている。が、もはや断る理由はなくなっていた。
「神殿に任せるまでもございません。勅命、奉じ賜りさせていただきますわ」
フルール家の若き当主は王にかしずく。
「亡き父母に成り代わり、わたくしが国王陛下のつるぎに」
「そんなにかしこまらなくてよいよい。多分、アーティファクトはハズレじゃろし。やってくる敵どもも、たいしたことはないし、リラーックスじゃよ」
それに、と王様は続ける。
「フルール家への指令というよりは、フロルちゃんへのお願いじゃし」
「わたくし個人に? どうして?」
「どうしてって、ゲートの出来た位置が、フロルちゃんなら絶対に放っておけない場所だからじゃよ。もう、すっかり噂になっておるじゃろ?」
――まさか、うちのお手洗いからゾンビが!?
いやいや、お手洗いとは別のゲートと言っていた。
そういえば、ゲートの場所を聞いていない。
今日の会場は怪盗ブラッド・ブロッサムの話題が大半を占めている。
双子の失態だとか、宝物殿の壁に「穴」が開いただとか……。
「セリスちゃんとは大の仲良しじゃもんなあ。そろそろ、仲直りはしたかの?」
心臓が縮み上がる。
セリシールがパーティーに参加していないのは、てっきり昨日の始末や警備の強化が理由だと思っていた。
フロルはスカートを持ち上げると、「お暇させていただきますわ!」と、国王に会釈をし、返事も聞かずに駆け出した。酒や料理を運ぶウェイターを驚かせ、会場の扉を力任せに開き、ヒールは石の階段を激しく叩く。
……階段を駆け上がってくる者の姿があった。
見慣れたメイド服と鉄色の髪。
「ヨシノ!」「お嬢さま、大変です!」「何があったの!?」
緊急の連絡は私兵の役目だ。
わざわざ気心の知れたヨシノが自分でやってきた。それはつまり……。
「スリジェ家から使いが来ました。セリシールお嬢さまがゲートの向こうに行かれてしまい、戻ってこないと」
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