039.戦場を照らし出す乙女たち-02
セリシール・スリジェは、不安をもてあそび、胸の奥をじりつかせていた。
王城のワインセラー、アルカス王との密談でのことだ。
「しかしのう。内政干渉はともかく、わしはフロルちゃんが心配なんじゃよ」
「内政干渉はともかくって、陛下ったら。わたくしは平気ですわ」
「だって、戦地じゃよ? もちろん、荒事となるとセリスちゃんはなおさらじゃ……。おぬしたちに何かあったら、わしはもちろん、息子や娘のハートもブレイクじゃよ」
おひげの君主は、ふたりをじつの娘のように気遣っていた。
フロルは王の心配に対して、ルヌスチャンやヨシノ、落ちこぼれとはいえ騎士の名門の末息子をともなうことを説いた。
「それでも、心配は心配じゃよ。むろん、可愛い娘たちの心配という意味合いもあるが……。わしは女神様の声も聞けぬとはいえ、この国を治める義務があるし、寵愛を深く授かりし名家の当主をおもんばかるのは当然じゃろう?」
王はちくりと付け加える。「まだ跡取りもおらんしのう」
「王陛下のご心配も、もっともかと存じます。わたくしが死ねばフルール家は断絶。そうなれば貴族連盟と神殿派閥の力関係が崩れ、この世界の安定に差し支えるでしょう。ですが、神々も、それを承知の上で命じておられるのですわ」
王は最後まで眉を寄せたままだったが、けっきょくは許可を下ろしてくれた。
女神の名が後押ししたのも大きいだろうが、やはりアルカス騎士団の戦争への加担も捨て置けない状況になっていたからだ。
「じつは、シダレくんの率いる隊が消息不明になった報が届いてな」
国境付近のゲートの遺世界開拓に向かったはずの彼らが、いつまで経っても到着しないと、エソール共和国から使いが来たのだ。
「該当二世界とのゲートを通った報告はないんじゃが……」
文明世界とのゲートは、王直属の配下や騎士団も管理に参加している。
いっぽうで、観光や探索用の遺世界ゲートはトラベラーギルドに一任だ。
キルシュが怪しいと教えたギルド員を尋問すると、明言には至らないものの態度に不審な点が現れたという。
「シダレくんは第二十遺世界を経由して戦地へ向かった可能性があるのう」
あの巨大な植物と虫の世界は、汚濁の罪の管理下にある。
そこを大手を振って通り抜たということは、汚濁側の協力もあるということだ。
武器の横流しだけならともかく、騎士たちが直接的に介入したとなれば、好戦的な獣人の世界は黙っていないだろう。
そうなれば、女神の枕としては戦争を強制的に回避するために、汗と鎖の世界と繋がるゲートを閉じる手を打つこととなる。
閉門には、創造のアーティファクト“世界を縫う針”が用いられる。
糸も無しに物を縫い合わせられるという便利な針で、宣誓を用いれば空間の裂け目すらも縫ってしまえる代物だ。
この神工物は、重要度の割に現存数が把握しきれないほどに多いのだが、縫う長さに比例して、求められる宣誓や適正もより高いものとなる。
虫が出入りする程度のごく小さなゲートなら、第一宣誓で塞ぐことができる。
人間の出入りができる程度の大きさでも、第二宣誓とゲート所在地の管理者の許可があれば可能だ。
だが、汗と鎖の世界と女神の枕を繋ぐゲートは「破城鎚を乗せた車」くらいなら容易く出入りできる規模で、閉じるには第三宣誓が求められる。
王がセリスのほうを見た。
「誰かがゲートのそばで待機せねばならんのう……」
現在、創造の第三宣誓を扱えるのは、セリスと神殿関係者の数名のみ。
両親は女神の声から遠ざかり、滅びと巻き戻りの輪の内にある。
適任者はセリシールのみだが、もちろんゲートの向こうに旅立つ気だ。
フロルが誰かと結婚するなんて、断固として阻止しなくてはならない。
『もし、ケモノさんたちが攻めてきたら、神殿の子たちに塞いでもらいましょ~』
創造神ミノリは気安く言ってくれる。
しかし、ミノリの声は王には聞こえない。
貴族と反目する神殿に世界を任せる決断を促すには、セリスは両親の不能、つまり彼らの容態の事実と、杖の禁じられたかたちでの使用を包み隠さず王に話す必要があった。
「国王陛下様、折り入ってお話が……」
アルカス王は、スリジェの次期当主のおこないを責めなかった。
どころか、「セリスちゃんの悲しみは、わしの悲しみじゃ」と泣いてハンケチを噛み噛み、ワイン樽に手を伸ばして、ヨシノに「今はお控えください」と止められた。
そして優しき王は、「戦地にてスリジェ家の使命を果たすように」と、娘の背中を押したのだった……。
この一連のやりとりが、セリスを正気に戻し、強く揺さぶっていた。
――当家初めてのこと、だなんて。
スリジェ家は代々、世界をまたいでの慈善事業に精力を注いできた。
しかしそれは、すでに争いが去って久しい地や、意思疎通が図れない魔物や自然災害が原因で窮する地に限られていたのだ。
今回は、人と人が殺し合う戦時世界における人命救助。
それも、汚濁の罪の側に立って救っていくことになるだろう。
いのちを救うことについて貴賤はないと考えるのがスリジェの家訓だが、セリスは自分が救った者が、また誰かを殺すだろう事実に身を震わせた。
しかし、みずからこの件に与することを決めた手前、泣きごとは言えなかった。
汚濁の罪へのゲートを越えると、向こうのゲート管理者に歓迎された。
彼らは通信機を使って上と掛け合い、ほとんど待たせず遺物のある世界へと通り抜けることを許可した。
「すでにシダレ様の一団は戦場に向かわれております。女神様のご眷属様がたのお力添えで、なにとぞ、この永きに渡る戦争に終止符を!」
期待まで掛けられた。
この様子だと、シダレが両陣営に援助をしていたことも知らないだろう。
シダレの目的はなんなのだろうか。
最悪、汚濁の罪との関係も悪化するのではと、不穏な想像を膨らませる。
案内された大型の車――バスという乗り物らしい――の中は静かだった。
加速するときにだけ何かが唸る音が聞こえる。
引率の軍人も口を利かず、運転席でも透明な人間がやっているのか、ひとりでにハンドルが回っているのが見えるばかりだ。
セリスは沈黙に耐えかね、視線で助けを求めた。
つるぎを床について目を閉じたままのフロル。
バトルドレスに身を包み、頭を結い上げた隣人の横顔は凛々しくも、どうにも声を掛けづらいオーラを放っていた。
ほかの面々も、静かに座して武器や道具の検めをおこなっている。
――フロルさんは……。みなさんも、どういうおつもりなんでしょうか。
キルシュの記憶復活への協力は自分が言い出したことだが、戦地に行くという危険なことを、フロルが自分に許すとは思わなかったのだ。
破談に任せた熱が冷めてからは、止めてもらえることを期待する自分がどこかにいたと思う。
現状、自分が死んでしまえば、フルール家と同様に、スリジェ家も断絶。
王様だって止めてくれればよかった。
ミノリ様だって、有力な慈愛の伝道師を失うことなるだろうに。
言いわけだった。遊び気分を引きずりすぎていた。
セリスは先日、哀れな転生者を救うべくとフロルを説得したが……。
ぶっちゃけ、その直前にキルシュと約束した、「フロルさんの私生活の隠し撮りオーダー」と「カメラのレンタル」が目当てだった。
このあたりではまだ、親友と背中合わせに敵兵を倒す自分の勇姿や、逆に自分が王子様に守られる姫となる妄想すらしていた。
――わたくしの、おバカ。
後悔先に立たず。
誰にも止められなかったのは、自分がスリジェの次期当主として、創造の眷属として信を得ているということなのだろうか?
セリスは、大樹に住まう人々の、飛ぶには未熟な大翼を思い浮かべた。
自分の背にも、翼が宿っているのだろうか。
大空には届かずとも、羽ばたくくらいはできるようになったのだろうか。
よぎるのは、開かぬまま死を迎えた蝶の翅。
セリスは腕で宙を抱いた。
不安になると杖をかかえるくせがついたことに気づく。
今回は時戻りの杖は屋敷に置いてきている。
「はあ……」
こういうときは「ダメな奴」が慰めになる。
セリスはくだんの成長しない金髪の青年を見やった。
キルシュはぼんやりと窓の外を見ている。
セリスの思い出し作戦が当たり、科学文明の発達した世界に足を踏み入れてから、前世のことを思い出すことがあるようだった。
高度な技術を指差しては「電話」だの「タブレット」だのと言い当て、鎧姿の自分たちがバスに乗りこむ段には「コスプレ会場に行くみたいだ」なんてはしゃいで、フロルに叱られていた。
「でも、ぼくの世界とは違うようです。ここまで酷い状況じゃなかったはずだ」
窓の外には巨大な箱やチューブ状、おわん型の立派な建造物が並んでいる。
空は緑色のガスで淀んで、押しつぶされそうな気分を起こさせ、屋外に出ている僅かな人も“防護スーツ”というもので全身を覆っていて異様な光景だった。
「ポストアポカリプスっていうのかな。それともディストピアか。ぼくの世界は、こうならないようにって努力はしていたけど……」
「抗うことは大切ですわ。この世界を見習い、過ちを繰り返さないことも」
フロルの言葉尻には厭味はなかった。
だがキルシュは、「ぼくはどうせ成長しませんよ」と悪態をつき、また窓の外を眺める仕事に戻った。
「気を悪くしたのなら、ごめんなさい。あなたの記憶、早く戻るといいわね」
珍しくフロルがしおらしく謝っている。
普段、いじられているキルシュはもちろん、メイドや執事も目を丸くした。
彼女は特に弁解もせず、「この世界も、よくなればいいわね」と続けた。
「汚濁の罪が遺世界に手を出しているのは、遺物を好戦的な獣人たちに取られないためだけでなく、その世界の“自然”が目的だとささやかれていますな」
ルヌスチャンが解説する。
「遺物争いは土地を得るための大義名分なのでしょう」
「汗と鎖のほうは、なぜ戦うんでしょうか。侵略が目的とは思えないんですが」
キルシュが質問をする。
騎士団でも、よく疑問の声が聞かれたという。
汗と鎖の世界は好戦的だが、騎士団や戦士に試合を申し込んだり、向こうでやっている武術大会に誘う程度で、女神の枕に攻めてくる様子は今のところはない。
「戦いそのものを人生の享楽としていると、当事者に聞いたことがありますな。遺物については、獣王も破壊したがっているらしいですぞ」
どちらも壊したがっている? 一同は首をかしげる。
キルシュが「それなのに何千年も戦争を?」と声をあげ、慌てて前方を見た。
ガイド役の軍人は素知らぬ顔で座っている。
「本当の戦争の原因なんて小さなことで、とっくの昔に忘れちゃったってことかしら」
フロルが言った。
――喧嘩の原因。
セリスはまたも、自分が弱く矮小な存在に思えてきた。
この期に及んで、幼き日のフロルが自分の絵を切り裂いた理由が気になりだしたのだ。小さなことと切って捨てた彼女へ、いら立ちすらも沸いた。
こんなときに訊けるはずもない。
それができるのなら、とっくに大きな不安のほうを打ち明け、暮れの竹林のときのように甘えているだろう。
「セリス?」
ピンクダイヤの瞳がこちらを覗いている。
「大丈夫? ずっと黙ってるけど」
彼女は心配とともに、身体を少し傾けて肩をくっつけてきた。
甲冑に守られた部分が当たると硬かったが、こちらも体重を預けてみる。
するとフロルはこちらを向いて、息を耳に吹きこむように、こうささやいた。
「心配しなくても平気よ。わたくしもあなたも、絶対に死なないから」
――気楽な。どうしてそう言えますの?
返事はせず、胸の内で悪態をつく。
「ただの勘だけどね。でも、わたくしって、前向きなほうがわたくしらしいでしょ?」
彼女はそう言って、前を向いた。
セリスもまねをして、姿勢を正す。
前方の大きな窓の向こうに、錆びた鉄門が現れた。
この向こうの施設の地下に、人と人が殺し合う世界があるのだ。
煙った中を、どこかユーモラスな防護スーツがふたつ現れて、鉄門を引く。
ぎりぎりと錆びついた音が、密閉されているはずのバスの中まで聞こえてきた。
毒霧のような気持ちを胸に抱えたままのセリス。
彼女たちを乗せたバスは、音もなく門を越えていった……。
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