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034.光差すガーデン、ふたりの怪盗!?-03

 自室で私服に着替え直していると、セリスが髪を結うのを手伝ってくれないかと頼んできた。

 庭球のためにふたりそろってポニーテールにしていたのだが、今日のセリスのヘアアレンジは独りでは難しいのだという。


 フロルはふと気づく。


 ――これって、わたくしと同じハーフアップですわね。


 セリスは直毛で、自分は少し癖のある髪質だから気づかなかった。

 偶然だろうか。嬉しくなって指摘をすると、セリスはさっきまでつけていた大きな蝶のようなリボンを見せた。


「普段のおろした髪ですと、これがつけられませんの」


 臙脂(えんじ)色のリボンからは、ありがたい気配が漂っている。

 どうやら神工物らしい。


「ミノリ様のお造りになられたものなのね」


 その名も“夢想の蝶”で、着用者の想像力の助けをする効果があるのだとか。

 創作活動や、不測の事態の起こりやすい異界での活動時に使っているらしい。


 つまるところ、今日もそれだけ気を張ってやってきたというわけで……。


 ――やっぱり可愛い子!


 フロルはセリスの健気さとリボンを褒めちぎり、髪に取りかかった。

 さらさらと指のあいだを流れる黒髪は、くすぐったくて気持ちいい。

 気まぐれにヨシノやメイドたちの髪で遊ぶこともあるが、彼女たちの髪よりも遥かに指通りがいい。

 整えてやるふりをして、ちょっと頭を撫でてみたり、嗅いでみたりした。

 髪油をつけるようになったらしく、原料の花の香りがする。

 いい香りなのだが、これはセリス自身の香りではない。

 髪の奥まで鼻を潜りこませれば、かげるのだろうが、さすがにやめておいた。


 ――小さいころは遠慮なしにやったものだけど。


 盗むようにおこなうことに、少しの寂しさを感じる。

 フロルはおとなになってしまったのねと、幼馴染の髪へとため息を編みこんだ。


「疲れちゃった?」


 セリスは先ほどからひと言も発さず、じっと黙ってヘアメイクを受けていた。

 鏡に映る表情はほの赤く、どこかぼんやりとしている。

 終わって声を掛けても、返事をするまでにたっぷり数秒を要した。

 庭球で動き回ったせいかもしれない。


「今日はもう帰る?」「か、帰りません! 元気です!」


 セリスは勢いよく席を立ち、振り返る。

 目と鼻の先で向かい合う形となったかと思うと、彼女は座りなおした。


「でしたらこのあと、わたくしに付き合ってもらいたいのですけど」


 セリスの後頭部で休む大きな蝶を見ていて、かねてから行ってみたい場所があったのを思い出していた。


「付き合う……」また固まっている。


 キルシュのことをまだ考えているのだろうか?

 フロルはリボンを指でつまみ、「ぱたぱた」と言いながら引っぱった。

 鏡に映ったセリスの頭の向こうで、ひらひらと蝶が舞う。


「お花畑さん、聞いてる? 蝶を見にいかない?」

「蝶々、ですか?」

「そう! とびっきりすごいのが見れるわよ」



 ……。



 フルール家の領地を馬車で走ること半時ほど。

 隣接するハイドランジア家の土地の中にも、異界へのゲートがいくつもある。

 その中のひとつ、簡素な柵で囲まれ、申し訳程度の警備兵の詰め所のそばにたたずむ渦の向こうは、“第二十遺世界”と呼ばれる、緑あふれる異界である。


 こちらは少し珍しいケースで、初めに繋がったのが女神の枕ではない。

“汚濁の罪”とみずから名乗る、科学技術が高度に発達した異界と繋がっており、その世界の管理下に置かれている。

 トラベラーギルドも、この世界でのトレジャーハントは禁止していて、その代わりに観光ツアーが開かれているのだ。


 ゲートを出るとまたも車――馬ではなく電気で動く自動車――に乗りこみ、観光の許可された区域までの移動となる。


「この世界には来たことある?」

「いいえ。うちは観光目的の異界活動はしませんの」


 ですから、嬉しく存じますわ、と友人はほほえむ。


「じゃあ、あなたの初めてはわたくしがいただきね」


 品のない言い回しをすると、「もう!」と怒られてしまった。

 言っておきながらフロルも頬を熱くする。

 付き合い直しの匙加減が悩ましい。

 これでは、ヨシノに偉そうに人付き合いについて説教が垂れられない。


 あのころらしく振舞おうと思えば思うほど、おとなになってしまった自分が現れて、歯車を狂わせようとしているかのようだ。

 この自動車の車輪ように、滑らかに静かには回ってくれない。


 同型の車のたくさん並ぶ駐車場に入り、降りればすでに観光施設内。

 壁は特殊な硬質ガラスでできていて、安全に外の様子を眺めることができる。


「料金は信用通貨は不可。銀貨三枚から査定をおこないます」

 文明スーツ姿の髪の短い女性が近づいてきて言った。

 中世的な顔立ちで、声を聞いてやっと性別の区別がついた。

 そのうえ、係員はみな似たような格好をしている。

 汚濁の罪の出身者には公私ともにこういう風貌の者が多いと聞く。


「金貨って便利よね。どの世界でも通用するんだから」


 フロルが巾着から女神の横顔の描かれた黄金のコインを二枚取り出すと、係の女性は慌てて「一枚でけっこうです」と言った。

 それから彼女が棒状の物体を金貨にかざすと、赤い光のラインが金貨を撫で、困り顔が「おふたりさま、ですよね?」と訊ねた。


「そうよ、ふたりっきりのデートですわ」

「こちらの金の比重ですと、特待コース百人ぶんほどの価値がございますが」

「へえ、良心的価格ですのね。通常コースとどう違いますの?」


 訊ねると、係員が長々と説明を始めた。

 通常コースはただ順路通りに歩いて終わり。

 特待コースになると、動植物の専門家がついて、この世界の生き物と環境保全についての説明をしてくれるらしい。

 それから、食事もついて、クローン培養とやらをされたこの世界の動植物を利用したスペシャル体験セットが楽しめるのだとか。


「通常コースでお願いいたしますわ。わたくしたち、蝶を見に来ただけですし」


 フロルが「お釣りは好きにして」と付け加えると、係員は「環境保全への寄付の名目で」とサインを求めてきた。

 肩をすくめて電子パッドとやらにサインをし、連れ合いと目線をかわしてくすくす笑う。


「ほかの世界では、黄金は希少なんですってね」

「そうなんですの。確かに綺麗ですけど、わたくしは金より銀のほうが好きです」

「わたくしは黒や赤のものが好きね。宝石や貴金属でなくってもいいわ」


 女神の枕では、よその世界では貴重とされる鉱物や金属が豊富に採れる。

 数代前の話だが、スリジェ家の領地で孤児の待機施設を作ろうとしたら、金脈が邪魔をして困ったのでフルール家の者に破壊を頼んだのは語り草だ。


 ふたりは矢印の案内板に従って歩きはじめる。

 ガラス越しに見える世界は森だ。ただし、よその世界とは違って、少し特別な。


「すごい、あれはお花ですの?」


 セリスが指差す先には、巨大な花弁を垂れ下げた白い花の群れがあった。

 小さなものでも帽子にできそうなくらいで、大きなものになるとドレスのスカートにそのまま使えそうだ。


「この遺世界はね。なんでもスケールが大きいのよ」


 一般的な世界のサイズの数倍から数十倍。

 見つかった遺跡も、“巨人”のものと推測されている。

 見物するふたりの背後には遺物の展示スペースがあるが、腕骨並みに大きい指の骨や、針山のようなブラシ、防壁代わりにできそうな斧の破片などが並んでいる。

 これらの持ち主は遥か昔に滅んでしまっていて、今はなぜか特大サイズの虫と植物だけがこの世界を支配しているという。


「ハチみたいな毒虫とか、肉食の虫がとっても危険なんですって。気をつけないと卵を産みつけられちゃうかも」


 フロルが脅すと、セリスはぶるりと震えた。

 ちょうどそのとき、窓の外を巨大な羽虫が横切り、(はね)のさきをガラスにぶつけたものだから、いたずら娘がチャンスとばかりにセリスの腕へ人差し指を刺してやると、悲鳴と共に抱き着かれてしまった。


「もう! ご冗談が過ぎます。虫が入ってきたのかと思いましたの」

「もし入ってきたら、ぶっ飛ばしてあげる」

「罰せられますの。科学の発達した世界では、既存の環境を荒らさないために厳しいルールを設けられるようなんですの」


 汚濁の罪の本世界は、燃料の出す煙や排出される廃棄物のために森や海が荒廃してしまい、屋外で人が暮らせなくなってしまっているらしい。


「悲しいことです。自戒の意味をこめて、ご自分たちの世界を罪と呼ばれるらしいんですの」

「便利な技術があっても、ずっと建物の中だと息が詰まっちゃうわね」


 見物を進めていると、ガラスよりもずいぶんと手前に仕切りが立てられ、髑髏(どくろ)マークの看板が立てられているエリアに来た。


 貝のように閉じた葉を持つ奇妙な植物が林立している。

 連中(・・)は、風もなさそうなのにゆっくりと揺れていた。

 ここを提案したのはフロル自身だったが、最近は植物に苦労させられる場面が多いのを思い出して苦笑する。


「見て、セリス。蝶よ! 本当に大きい!」

 ステンドグラスのような翅を持った巨蝶が羽ばたいている。

「素敵ですの。背中にとまったら、羽の生えたようになりそう」

 セリスが感嘆の声をあげる……も、それはまたもの悲鳴に変わってしまった。


 植物たちがいっせいに伸び上がると葉を開き、ぎざぎざの歯を使って蝶を咥え、取り合うようにして八つ裂きにしてしまったのだ。


「ここの植物は狂暴らしくって、そのせいで巨人が滅びたんじゃないかって話よ。世界によっちゃ、こんなところ焼き払っちゃうんじゃないかしら」

「焼き払うなんて、どうかと思いますわ」

「ちょっとくらい減らしたほうがいいわ。一番強い種族が勝手を続けてると、いつか全部滅びちゃうでしょ」

「でも、一番勝手なのは、やはり人だと思いますわ。フロルさんは、“汗と鎖の世界”のお話をご存知でして?」

「獣人が人間を奴隷にしてる世界でしょ? 戦い好きの種族で、よそに喧嘩を吹っかけたり、遺世界もずいぶんと荒して回ってるそうね」

「ああいったかたがたとの付き合いは難しいんですの。環世界人道連盟のお話も、聞いていただけませんし」

「価値観の違いはどうしようもないわ。その手の話なら、わたくしはエルフが悲劇的に思えるわね」

「ああ、あのかたたち……」


 魔法世界のいくつかには、エルフなる種族がいる。

 人に似た姿をしており、男女ともに風貌は美しく、耳の長い特徴のある種族だ。

 魔導の力も身体能力も、ほとんどの人種を差し置いて優れるのだが、「妙に運が悪い」らしくて、常に迫害されているんだとか。


「見て、逆転してるわ」


 さっきと同じ種類の蝶が、群れて飛んでいる場面に出くわした。

 翅から輝く鱗粉が散り、鱗粉を浴びた食虫植物がのびてしまっている。

 蝶が降り立ち、巻かれたストローの口を伸ばし植物に挿して、食べ返している。


「こうして見ると、可愛くはないわね」

「でも、よこしまなことでもないと思いますの」

「人よりは純粋ね。虐げられてる人も、反撃してやろうとは思わないのかしら?」

「望んではいらっしゃるようですけど。協定を結んで奴隷を廃する法を作った世界もおありになりますが、やはり上手くいかないようですの」


 フロルはふと、つねづね疑問に思っていたことを口にする。


「セリスは、どこかの世界で長く続いていた大きな戦争が終結したり、奴隷や種族の立場が逆転したような話は聞いたことがある? よその世界の技術を取り入れて大きく変わった、とかでもいいんだけど」


 連れ合いはしばらく考えたようだったが「存じませんわ」と返した。


「やっぱり。ヘンだと思わない? 良くも悪くも、どこも変化がない気がする。うちも大きな戦争なんてないし、シリンダのところだって同じでずっと準備中で、上位の科学技術の取入れも拒んでるって話だったわ」


「それは、わたくしも感じておりましたの」

 セリスは大樹の住人たちも、移住に対して消極的だったことを口にした。

「父や母も、異界で人を助ける事業をしておりますけど、悪化を食い止めれはしても、すでに悪くなっている状況を改善するのは難しいと言ってましたの」


「うちのほうも似たようなものだったわね。いくら危険な世界だからって、滅ぼすわけにもいかないし、けっきょくは落としどころを見つけて上手くやっていくか、ゲートを閉じてもらって関係を断つかしかないのだもの」


 フロルは、何か大きな変化を起こせないものかしらと考える。

 例えば、この前一撃で斬り捨てた魔族は、長年魔導の国々と戦争をする魔王の腹心のひとりだった。自分がその気になれば魔王も倒し、数千年続くと語られる人魔の戦争に決着がつけられるのではないだろうか。


『興味があるのか? そなたが望むのであれば、わらわは喜んで力を貸すぞ』


 頭にサンゲの声が響く。妙に好意的だ。

 そそのかしに乗る気はない。文明世界のことは、その世界に任せればいい。


「きゃあ!」


 悲鳴の多い友人が腰を抜かし、「ミノリ様、お戯れはおよしくださいませ!」と天井に向かって文句を言っている。


「どうしたの?」

「ミノリ様があれを見て、っておっしゃるから驚いて……」

「うわ……」


 フロルも思わず声をあげた。

 でっかい芋虫が無数の足をうねらせ、苦しそうにもがいている。

 節のひとつから身体が破けており、産みつけられたらしい無数の卵が溢れてこぼれ出ていた。


「可哀想だとは存じますけど、助けはいたしません。あれは自然の理ですの!」


 ミノリ神がなんぞ語りかけているらしく、創造の眷属は喧々と文句を言っている。


 フロルは水を差す神々に不満を覚えた。

 ふたりきりのつもりだが、二柱はしっかりと覗き見をしているらしい。

 自分の両親はどうだったのだろうか、神の声に悩まされたのだろうか。


 ――今日だけは、子どものころに戻ったつもりでしたのに。


 だが、女神を差し引いても、自分たちだって歳相応、立場相応の会話をしてきたことに気づく。


 ――これが、おとなになるってことなのかしらね。


 お嬢さまはガラスに手を触れ、おセンチに息をつく。


 透明な壁の向こうには、死にゆく幼虫と、誕生を待ち望む無数の卵がある。

 卵から生まれる虫たちも、成虫になれるのはほんの一握りだろう。


「お嬢さまがた!」


 呼びかけられた。振り返ると、さっきの係員だ。


「おふたりのデートにぴったりなシーンが見れますよ! 急いで急いで!」


 連れられた先には、巨大な葉の裏にくっついた、さなぎがあった。


「ナマの羽化なんて特待コースでも拝めませんよ! 人払いはしておきますから、ぜひぜひロマンチックなひとときを!」


 係員はそそくさと去っていった。


 さなぎの背はすでに割れて、半身が外へ出ている。

 まだ翅は色もなく丸まったままで、柔らかで白みがかった胴体が、ゆっくりと、ときおり早く膨らんだりしぼんだりしている。


 ふたりは声をそろえて言った。「苦しそう」


 羽化は何時間も掛けておこなわれるのだろう。

 日の出ているうちに飛翔を拝むのは難しいかもしれない。そそっかしい係員だ。


「本当に、そそっかしいわね」

 フロルは悪態をつく。


「わたくしも、デートには向かないかと存じますわ」

 セリスも不満げだ。


 ――でもある意味、ぴったりかもしれないわね。


 丸まった翅は、片方が完全に癒着してしまっているのが見て取れた。

 開かぬ翅。それでも蝶は、最期まで諦めなかった。


「美しいと思うわ」

 フロルはついに飛ぶことのなかったいのちを見て言った。


「それは、はなむけですの? わたくしは悲劇だと存じますわ」

 友とたがえる意見。


 ほかの生き物に(たお)されることと、生まれながらの宿命では何が違うのだろう。


「悲劇でも、美しいものは美しいわ」

「ご趣味はお変わりありませんのね」

「あなたこそ、悲観的だと思うわ」

「悲劇をお望みになるよりはマシです」


 批判的だ。


「望んでなんてないわ。悲劇が悲劇たりうるのは、さだめに身を任せるのではなく、抗う気持ちがあってこそ。望んで生んだ悲劇なんて、お笑い種よ」


 フロルが悲劇を好み追い求めるのは、妄想や創作でのこと。

 現実においては、抗うほど美しく思う。


 同意も反論もなく、ふたりはただ蝶の亡骸を見続けた。

 巨大アリが嗅ぎつけ、そこでセリスがこちらを向いた。


「フロルさん、わたくしの父と母に、会っていただけませんか?」

「お加減、よろしくないの?」


 問うも娘はうつむき、ただ「いえ……」と、たおやかにつぶやいたのであった。


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