031.羽ばたけ振袖、芽吹けよ大樹-08
フロルは観念して手伝うことを約束した。
「ひとつだけ、ダメもとの手段を用意してきましたの」
「ありがとう存じますわ、フロルさん。それで、その手段って?」
フロルは「禁制品なんだけど」と言いながら、腰のポシェットを漁った。
中から取り出されたのは、緑色の小瓶。
「ひいいいいいっ!?」
セリスは小瓶を見止めるなり、尻もちをつき、両手とお尻を使って壁際まで逃げた。
あれは破壊のアーティファクトにして特級呪物“一生の雫”。
ヤバすぎるそれはギルドはもちろん、街中や図書館などでも書き取りが貼り出されており、女神の枕で知らぬものはない。
「だいじょーぶよ! わたくし、あなたが思っている以上に、力のコントロールに長けておりましてよ?」
フロルが言うには、宣誓は力を高めるだけでなく、効能を弱めるほうにも作用させられるらしい。
「うちの農園で実証済みなんですの。これをわたくしが一滴たらすだけで、種はまたたくまに大樹になりましてよ」
ふふんと鼻を鳴らすお嬢さま。
しかし、彼女の当てが外れれば、次代の種は生長しきってもそのまま枯れて、種も残さず朽ちてしまうだろう。
この世界の命運と、両親の延命、スリジェ家や女神の枕の威信をかけた大一番である。
それでも、セリスの憧れのきみを信ずる気持ちが勝り、ゆだねることにした。
ふたりは大樹の胎へと向かう。
フロルが、「あっ」と声を漏らしたのは、苗床の上に雫がどぼどぼと躍り出たタイミングだった。
自信満々だった顔はくしゃりとなり、彼女の口から「どうしよう、セリス」と発せられた。
土から血のような霧が吹きだし、その中でにょきりと木の芽が飛び出した。
「ど、どうなさったんですの?」
「サンゲに掛け過ぎだって怒られた」
つまるところ、コントロールに失敗したというわけだ。
「わたくしって、いっつもこう! ぶち壊しですわ~!」
頭を抱えるフロル・フルール。
にょきにょきにょきにょき。
バカみたいな速度で芽が若木となり、どんどんと太くなり、枝葉を茂らせる。
セリスは、いろいろと思い出してきた。
フロルが何か突拍子もないことや大きなことをするときは大抵、惨憺たる結末を迎えるのだ。
それで、巻き添えを喰らったセリスもなぜかいっしょに怒られ、泣きを見る。
『セリスちゃん、ダッーシュ! 早く杖を取ってきなさい!』
頭の中でミノリが叫んだ。
「杖!? あっ、時戻りの杖! ミノリ様、前もっておっしゃっておいてください!」
創造の娘は神に小言を言うと、階段を駆け上り、すでに根っこやら枝やらでめちゃめちゃになった空洞を飛び出した。
「お待ちになって! わたくし独りで叱られるのはいや!」
フロルは、あっという間に追いついてきた。
「叱られるどころの話じゃございませんわ! 早くしないと、そろって宙に放り出されてしまいますのよ!」
「もうダメよ! おしまいよお!」
フロルは走りながら頭を抱える。
「まだ手はございます! お父様の杖を使えば、一生の雫の効果を相殺できるはずですの!」
古い木の床を突き破って枝が現れ、ゆく手を阻む。
ばりばりと音を立てて天井が割れ、木片やら家具やらが降ってきた。
「危ないっ!」
フロルの声がしたかと思ったら、セリスは抱きあげられていた。
後方で、落下物が叩きつけられる音。
「杖はどこ!? このままあなたを運ぶわ!」
セリスを抱きかかえたフロルは、割れる床を走り、突き出す枝たちを乗り継ぎ、うねるように伸びる幹を駆けぬけた。
「ねーちゃーん! これ、どうなってんだーっ!?」
クルイロ少年が上方で叫んでいる。
「種が急成長してますの! みなさんのご避難はもうお済になって!?」
「誰も避難してないよーっ! 誰も芽が出るなんて信じてなかったからーっ!」
「なんですってぇ!?」
セリスは袖を振り上げ、フロルの頭をべちんと叩いた。
「もっと早くお走りになって!」
「優しくして! わたくしはウマじゃないわ!」
「あなたが蒔いた種でしょうに!」
「蒔いたのはあなた、わたくしは水をやっただけ!」
「上手くいくっておっしゃったのはフロルさんです!」
「助けてって言ったのは、どこの誰かしら!?」
喧々と言い合いながらも、成長と崩壊の大樹を突き進む。
「あのこぶが、わたくしの借りた部屋! お急ぎになって!」
と、頼むもフロルは道を折れ、大枝の先にある気球のほうへと進路を取った。
毛皮を着た娘が落ちかかっているおもりに必死にしがみついている。
「こっちじゃございませんわ! 戻ってくださいまし!」
「どうせもう、ダメよ。わたくしも死にたくないし、あなたも死なせたくない」
フロルの抱く力が強くなる。
「まだ、手はございますから」
「だって……わたくし、調子に乗って第三宣誓でやったのよ? あなた、第二宣誓までじゃない」
「わたくしも、ミノリ様より第三の誓いまで賜っております」
フロルは足を止めた。「本当?」
「本当です。まだ、前借りという形ですけれど。このお役目が上手くいったら、正式にお許しを頂けることになっています」
「そう……。あなたも女神様と会話ができるようになったのね」
「やりましょう。諦めるには、まだ早いかと存じますわ」
見つめ合うふたり。
セリスは友におろしてもらい、みずからの足で立った。
きびすを返し、父が授けた杖のもとへ。
「創造の女神ミノリよ! わたくしと願いを共に!」
古き樹より杖を引き抜き、樹皮の薄い滑らかな幹を目掛けて突き立てる。
叫ぶ誓い。
第三の文言が唱えられると同時に、伸びる樹木に漂う気配が薄まっていく。
だが、新たないのちは伸び続け、古き樹木は朽ち果てるのをやめない。
「そんな!?」「ダメなの!?」
同じ第三宣誓でも、眷属の力量やアーティファクトの性能の差異がある。
まだ賜って間もない娘では、憧れのきみには届かぬか。
セリスはこぶしが砕けんばかりに杖を強く握り、もう一度願う。
――大樹様、ここに暮らすかたがたを、お守りください。
激しき生長、騒ぎ立てる葉、伸びては折れる枝。
どこにいたのか獣が駆け、鳥が飛び立ち、逃げ場のない世界を右往左往。
今や新たな幹は、すべてを押し出し、古き母の胎を喰い破らんとする。
乙女の手の甲のそばでは、ともがらの手がさまよっている。
重ねたくとも重ねられない、破壊の娘のたなごころ。
――もう一度、やり直すチャンスを。
願う。強く願う。
……祈りが届いたか。波が引くように、静寂が訪れた。
時戻りの杖が倒れ、床へと転がる。
どこからか初夏の香りのする風が吹き、はたはたと袖を揺らした。
さざなみのような枝葉の擦れる音が届けられ、セリスはその中に、ふわりとたゆたう祝福のさえずりを見つけだした。
『おめでとう、セリスちゃん』
* * * *
* * * *
結果として、空の世界は救われました。
フロルさんの第三宣誓をともなった一生の雫と、わたくしの第三宣誓をともなった時戻りの杖が作用し、新たな大樹は古い大樹に迫る大きさにてその成長を止めました。
しかも驚くことに、大樹はここで暮らす生き物をいっさい傷つけていなかったのです。彼らが暮らすための新たな洞やこぶも創り出され、暗き闇を照らすための輝く木の実も、以前よりもたっぷりとつけて。
これは奇跡というよりは、大樹に意思があったかのように思えます。
新たな大樹の胎の天井には枝がひとつ伸び、ほかとは違う実がみのりました。
これは近いうちに新たな種を生むということでございます。
ミノリ様は語りました。
『この種はね、私とサンゲちゃんがずーーーーっと昔に作った種の、末裔なの。木の中に住んでる人がいたら可愛いかなって思って、創った世界なの』
種は代を重ねるうちに女神様の手を離れ、神工物ではなくなったらしいのですが、その願いは脈々と受け継がれていたようです。
ですが、創造の裏には破壊あり。
何もかもが上手くいったわけではございません。
いくら人や動物が傷つかなかったとはいえ、居住区はめちゃめちゃ、家具も壊れ、畑は混ぜくりかえされ、あたりには古い大樹の残骸と、枯れ葉や青い葉が散乱しています。
しかも、住まいに向いた穴や枝の位置もすっかりと変わってしまったものですから、住人たちはこれまでの無気力はどこへやら、先を争っていい位置を取ろうと喧嘩を始めてしまったのです!
平和を自慢していた世界だったのに、今や集会では喧々囂々のうえに、乱闘騒ぎまで起こる始末。
王様も引退をお決めになられて、こちらでも一波乱の予感でございますの。
それは、まあ……彼らの問題といたしましょう。
今回の件で唯一いのちを落とされた住人、大臣様のご遺体は、外へと放られました。
彼は捨てられたわけではございません。
この大樹では、獣の死骸は土に還しますが、人の亡骸は空へと送り出されるのだそうです。
翼いとけき姿を求めながらも、ご自身も翼に頼っていたかのかたは、悠久に続く青の中へと溶けてゆかれました。
さようなら、スケベ大臣さん。安らかにお眠りになって。
……さて、この件でわたくしが得たものは計り知れません。
女神の眷属としての最高峰の誉れ、第三宣誓のお許し。
お父様とお母様を病に倒れる前へと時を戻し、救うことができるはずです。
次いで、次期当主としての自信と誇り。
恐れることはありません。わたくしは独りではないのです。
いつか訪れるその日、重き家名をも受け止めることができるでしょう。
そして、何を置いても、あのかたとの友情を取り戻せたこと。
わたくしは、多くを語りませんでした。
秘密を抱えたフロルさんは、語りたくても語れないでしょうから。
わたくしは、ただ、かつてそうであったように自然に振る舞うことにしたのです。
……いいえ。嘘です。
かつてのようにはいきません。
再び手を取り合ったというのに、わたくしの胸の中には、あの名付けがたい気持ちがいまだに巣を張っているのです。
フロルさんは呪物の使用と、怪盗の正体のことをお気になされて、今回の件については素知らぬふりをなさってます。
大樹の住人を招いての王陛下の祝賀会にも姿を現されませんでした。
フロルさんも来てくださればよかったのに。
あなた無しでは成しえなかったこの一件。
祝いの場に、あなたの姿がないのはなんと虚しいことでしょうか。
ああ! フロルさん、フロルさん!
白状いたします。
わたくしは、すっかりと気が変になってしまいました。
淡き黄金を湛えたプラチナの髪。
春に絢爛に咲きほこる花のごときピンクダイヤの瞳。
そして、ときに不敵に、ときに怒りに歪む、にこやかなるくちびる。
わたくしは願ってしまうのです。
このまぶたの裏に、あなたを焼きつけたい。
この肺を、あなたの香りで埋め尽くしたい。
この舌で、あなたの味を確かめたいと。
あのかたという甘い海に溺れ、そのまま朽ち果てたいと!
これは劣情でしょうか? わたくしは、卑しき女なのでしょうか?
そう、わたくしは卑しき女。
卑しきわたくしは、呪いまでもおこなったのです。
ふたりを交わらせぬさだめを与えた、ニ柱の女神を。
生き物として同じ役目の性に生んだ、わたくしたちの両親を。
何ゆえ、創造の極致にある、いのちの営みがあのかたとできないのかと!
……えふん! 取り乱しました。これは気の迷い。まったくの混乱。
ミノリ様はおっしゃっていました。
「激しき創造」への求めは第三宣誓を得た反動であると。
わたくしはこのような性愛をフロルさんに向けてなんていない……はず。
そのはずなのに、間違いだと言い聞かせると、とめどなく涙が溢れてくるのは、いったいなぜなのでしょうか。
ともかく、これを紛らわすために、アトリエにフロル像を乱立させ、怪盗を描いた絵画を並べ、愛を捧ぐ歌を紡ぎ、ノートのページを、あのかたといたしたいすべての事柄で埋め尽くしたのです。
それでも、我が気持ちの治まるところを知らぬことよ!
ああ、あなた様は、どうすればいいとお思いになりますか?
……いや! おっしゃらないで!
わたくし、ホントはもう、すっかり落ちついておりますの。
離れていた時間が、いささか長過ぎただけのことですの……。
わたくしたちは、ただの幼馴染。
貴族連盟の盟友であり、女神の眷属として相反する存在。
節度と領分を守って、お付き合いをしなければなりません。
そう、節度を守れば。同じ国、隣り合った領地に暮らす者同士が、顔を合わせて何がいけないのかしら?
ふたりの世界を隔てる壁はなく、ゲートたる屋敷の門と扉もノブを回せば容易く開くではございませんか?
ねえ? あなた様も、そう思いましょう?
わたくしは所用を思い出したので、ここでお暇させていただきとう存じます。
では、ごきげんよう……。
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