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026.羽ばたけ振袖、芽吹けよ大樹-03

※先日(3/21)は2回更新しています。

 女神の枕は、異世界と結ばれたゲートをあまたにいだく。

 通常は、新たなゲートには騎士団かトラベラーギルドが探索に当たるが、中には彼らもなかなか手の出せないものもある。


 アルカス王国城下町上空、青空に溶けるようにたたずむ大渦。


 数年前に出現したさいには、敵対文明が空から攻めてくるのではと、他国巻き添えての騒ぎとなったのだが、何も現れず、杞憂のまま時は流れていた。

 アーティファクトや異界の力を借りて調べさせるも、ゲートの先もまた空で、そこには一本の大樹が宙を漂うばかりだったという。


 しかし、先日になって、かなた空の向こうより舞い降りた来訪者があったのだ。


 セリスはアルカス王に手を引かれ、王城の来賓をもてなす部屋の前を訪れた。


「セリスちゃんもお客さんを見たら、絶対にびっくりするぞい!」

 王様はうっきうきで、ドアをノックした。


 男の声で返事があり、扉が開けば、絨毯の敷かれた応接間の景色が広がる。

 ドレープに身を包んだ筋骨たくましい男が直立しており、王へとやうやうしく礼をした。


 彼は背中に「大きなもの」を背負っていた。

 本来ならば人ではなく、別の生き物が持つはずのもの。


 まっしろな鳥の大翼。羽根の一枚一枚が窓からの光を受けて輝いている。


 ――なんて美しいんでしょう。


 若きおとめは、うっとりと男を眺めた。

 亜人を見るのは初めてではない。パーティーで獣人やエルフに会うことは珍しくないし、自世界で暮らせなくなった亜人をスリジェ領や領内の遺世界ゲートの先で保護もしている。

 しかし、この初めて見た、自分たちと変わらぬ身体に鳥の大翼を足しただけの姿は、若きおとめが耽溺(たんでき)する夢を体現しているかのようだった。


 男は意図を汲んでか、くるりと背を向け、翼がよく見えるようにしてくれた。

 翼が邪魔らしく、ドレープは背をあらわにするように巻かれており、殿方の背中にはっとしたセリスは、思わず頬を染めた。


「し、失礼いたしました」


 男も「お気になさらず」と言いつつも、照れくさそうに歯を見せ笑っている。

 王様が彼の脇腹を肘で突っつき、「セリスちゃんに見つめられて羨ましいのう~」なんてからかった。


 さて、ゆるりとした雰囲気で引き合わされたものの、使者が持ってきた案件は一刻の猶予もない緊迫したものだ。


 ゲートの向こうには、一本の大樹が浮かんでいる。

 アルカスの城と城下をまるまる乗せられるほどの巨大樹で、樹の中に人や動植物が暮らしているのだという。

 世界はその木いっぽんと雲ばかりで、なんと大地すらもないのだ。


「こちらの世界を見下ろしたときは驚きました。こんなにも巨大な木が存在するのかと」


 空の大樹に暮らすひとびとは、ゲートの存在に気づいてはいたものの、こちらへと訪ねてくることはなかった。彼らの生活は大樹で完結しており、幸福で、余分な欲や争いを知らぬ純粋な者たちばかりだったからだ。


 ところが、悠久の平和に亀裂が生じる。


「大樹が枯れ始めたのです」

「まあ、それは大変!」

「大樹は数百年ごとに代替わりをするのです。次代の大樹を育てながら、古い枝葉が枯れるのを見送る、われわれはこれを繰り返してきたのです。ところが……」


 次の大樹の種が、まだ発芽すらしていないという。

 枯れ始めるころには、内部で育てた種がもとの大樹を破らんばかりになっているもので、住人もそちらに引っ越して始めているのが普通だそうだ。


「このままでが大樹が朽ち、住まう者みなが空へと放り出されてしまいます」

「どのくらいの数のかたが暮らしていらっしゃるの?」

「千人足らずです。ほかの生き物は、人よりも少ないのではないでしょうか。この世界は本当に人や生き物が豊富で驚くばかりです」


 セリスは国のあるじを見やる。


「わしも提案はしたんじゃ。温厚な異界人を受け入れるのに誰も反対はしないじゃろうて。ところがどっこい!」


「申し出はたいへんありがたかったのですが……」

 男の背で翼が広がった。片翼だけでも両腕をいっぱいに伸ばしたほどに大きく、ふわふわの羽は見ているだけで温かくなってくる気がする。


「これだけのものを持ちながら、我々はほとんど飛べないのです。ゲートは大樹の枝から離れた宙にあります。そこへ届くほど飛翔に長けた者はひと握りで、鳥がたまに紛れこんでくるばかり。私もここまでは来れたのですが、戻ることができず、アルカス王陛下からのご厚意を伝えることもまならないのです」


 なんとかして空のゲートを経由してあちら側へと行き、移住の提案を呑んでもらうか、なんらかの方法で大樹の種を芽吹かせなければならないということだ。

 発芽後は、本来よりもずっと早いスピードで成長させる必要があるだろう。


 セリスの知見でも、手段にはいくつか思い当たるものがある。

 アーティファクトにも時を進めるものがなくはないし、助力を求むる手を異界へ伸ばせば、空の旅だって無理な話ではない。


「ゲートの往復については、ちょうどよい客人が来るゆえに、心配は要らんぞい」

「マギカ王国のかたですか?」


 空飛ぶ魔法のほうきを思い出す。

 あの小さな魔女姉妹だと、ちょっと困るが……。


「今回はまた別の世界の力を借りることになるのう。わしの個人的な……わしの友達の個人的な知り合いじゃ」

「でしたら安心かと存じますわ」

「そうとも言えんのじゃ。どのみち、いっぺんに運べる人数は少ないし、見つかったら国民から苦情が来そうだしの」 


 苦情。陛下はお戯れらしい。それはおいて、ひとつの疑問があった。


「あの……種を育てる必要があるのなら、わたくしは適任ではないのではありませんか?」


 ミノリの作った奇跡の道具にも、植物に有用に働くものはあるが、微々たる変化に留まるものばかりだ。

 それに、「誕生に向かって時を戻す力」をつかさどるミノリの眷属よりも、「死に向かって時を進める」サンゲの眷属のほうが適任だろう。

 

「たとえば……破壊神を祀る神殿のかたに頼むとか」

「神殿はダメじゃ。連中がよその世界に興味がないのはセリスちゃんも知っておるじゃろ? もし、頼むのじゃったら、貴族出身の破壊の眷属の者となるが……」


 王様が、ちらりとこちらを見た。もの言いたげな顔だ。


「わたくしは……構いませんわ。お仕事ですし。フルール家の当主様でも」


 不安はあるが、本心だ。

 女神が両親に救いの手を伸ばしてくれた次に、王が友情を結び直す手助けをしてくれるのなら、僥倖(ぎょうこう)も僥倖。


「ま、フロルちゃんに頼むかは置いて、翼持ちし民たちの意思を確かめねばならぬ。文明のある異世界との交流は、まずは創造の眷属からというのは、わしらの習わしじゃし、まずはそなたに使節を任せたい」


 王は「十年前のパーティー会場のようにされても困るしの」と付け加えた。

 昔、ちょっとした火事があったのだ。

 セリスの頭の中でもすでに、炎上する大樹から有翼のひとびとがこぼれ落ち、その頂きで、おほほと高笑いをする破廉恥怪盗の姿を描いていた。



 旅立ちの日は、よく晴れた日だった。

 王城の裏庭には、王様に加え翼の使者、それから、毛皮姿の人が数人とメイドが一名いた。


 彼らが城の陰でこっそりと仕度をしていたもの。

 それは熱い空気でたっぷりと満たされた球体。気球だ。


「セリシールさん、やっほー!」

 気球のバーナーを弄っていた技師がゴーグルを外す。

 コーヒー色の髪とコーヒーで汚れた欠け歯がトレードマークの蒸気娘、シリンダだ。


「シリンダさん。先日はどうもお世話になりました」

「いえいえこちらこそ。兄貴がご迷惑をお掛けました」


 シリンダはフロルを通じて、アルカス王と知り合いになっていた。

 祝い好きの王は、ピーストンとレリオの結婚、それからお腹の中の新しい命をだしに賑やかなパーティーを開く予定だという。

 シリンダはそのお礼と称して、王のお願いをひとつ聞いていた。


「お願いしたのはあたしのほうだったりするんだけどね。こんなに広い空を貸してもらえるなんて、たまんないよ。しかもこの空の旅が、困ってる人たちを助けるっていうじゃないか!」


 シリンダは満面の笑みで巨大な球体を見上げた。

 この中には空気だけでなく、みんなの善意と願いが詰まっているのだ。

 そう思うと、気が引き締まると同時に、心強くも思えた。


「ご出発はいつごろですの?」

「いつでもオーケーなんだけど……」

 シリンダは懐中時計を取り出し、文字盤を見るとため息をつき、近くにいたメイドの名を呼んだ。


「ヨシノさーん」


 呼ばれた無表情なメイドは首を振ると、「ダメそうです」と言った。

 彼女がいるのなら、ひょっとして……と思ったが、ひょっとしなかったようだ。


「申しわけありません、陛下にも誘い出すように言いつけられていたのですが、魂胆がバレてしまったようです。最近のお嬢さまは、いやに勘に鋭くなられてて」

「うむ、そのようじゃな。空の旅で仲直り大作戦は失敗じゃ」


 とほほと頭を掻く王様。

 何やら自分の知らないあいだに、ふたりが暗躍していたらしい。


 以前は誰もセリスとフロルの不仲には触れようとしなかったが、ここ最近になってからは周囲が気を揉むようになっていた。

 ふたりを赤子のころから知るアルカス王はもちろん、フロルのお目付け役であるヨシノに至っては、こっそりとスリジェ邸を訪ねてはあるじの無礼を謝ったり、実らぬ努力への励ましをくれている。

 

「セリシール様、先日頂いたお茶とお茶菓子、とっても美味しかったです。ルヌスチャンも、よろしく伝えるようにと申していました」


 ヨシノがぺこりと頭を下げる。


「ジュウベエ様のためにご奔走頂いたことに報いるには、足りないくらいです。ルヌスチャン様には重ねてお礼と謝罪を申し上げます。うちのザヒルにもようく言い聞かせておきますので」


 セリスは出立前に屋敷のお手洗いを検めてきたが、ぴかぴかであった。


「あ、そうだ。うちのチャンからザヒルさんに伝言がありまして」


 ……ヨシノはおもむろに手の甲を向けると、中指を立てた。


「なんですの、それ?」

「異界のコミュニケーションの一種だとか。ザヒルさんに対してこれを伝えてくれとだけ……」


 中指を立てたヨシノは首をかしげている。

 よく分からないが、執事同士で通じるものがあるのだろうか。

 セリスは今の動作をザヒルに対して必ずしておきますと約束した。


「さあ、乗った乗った! 空の旅へご案内だよ!」


 セリスと翼の男がバスケットに乗りこみ、操縦士の娘が縄のひとつを引くと、気球が地面から離れる。

 小さな王様が両手を振って跳びはね、メイドは眩しそうに手をかざした。


「すごい、本当に空を飛んでいる!」

 翼の男が恐る恐る下を覗き、目を丸くしている。

 シリンダは彼を見て「変なの」と言って笑った。


 セリスは黒きまなざしで遠くを見やった。

 太陽がまぶしい。かざす手、振袖が激しく風にはためく。

 狙ったわけではないが、視界にフルール家の領地が映る。

 心の中で「きっと、あなたに追いつきます」と誓い、景色から視線を外す。


「ところで、気球でしたら、わたくしも仕組みを知っているのですけど……」


 城の裏から上昇を始めた気球だが、ゲートは町のやや西の上空に位置する。

 風向きからして、遠ざかってしまうように思えた。


「説明してなかったね。この気球は、ただの気球じゃないんだ」


 シリンダはいくつかの縄から、青い印がついたものを選んで引っぱった。


 すると、風任せのはずの気球が急に進行方向を変え、向かい風がセリスの黒髪をさらった。


「プロペラがついてるのさ。原動力は魔導石! じつはゲートも一度通っててね、向こうにも問題なく行けることは確認済みなのさ」


 シリンダが小難しい仕組みを語り始める。

 いつか、この気球の拡大版の空飛ぶ船を作りたいという。


「複合技術の平和的利用。これがあたしの目指すところよ。いつか鳥おじさんの知り合いも、みんなでこっちに連れてきてあげるよ」


 翼の男は「鳥おじさん」と苦笑した。


「平和といえば、お兄様とは仲良くやってますの?」


「ん……ぼちぼちね。あたしも叔母さんになっちゃうしね」

 頬を掻くシリンダ。

「鎧熊もさ、どうやらフロルが最後のを倒しちゃったらしくて、市長に頼んで山狩

りして貰っても一匹も出てこなかったんだ」

「まあ、それはけっこうなことですわね」

「そうだね。でもなんか、山の中で変なのが見つかってさ」

「変なものですの?」

「そ、雪よりも白いすべすべした壁? みたいなもの。山に埋まってるからよく分からないんだけど、とにかく硬くて……」


 ――白い壁。


 異界において、過去にいくつか発見例のある謎の構造物だ。

 つい最近でも、第七遺世界にて発見されて話題になっていた。


「もしも、その壁に煩わせられるようなことがございましたら、連絡をくださいね」

「ん? まあ、ただの壁だと思うけど。了解」


 先日に発見された白い構造物の中には、異界へのゲートがあった。

 その向こうには滅びた施設があり、破れた壁にはすべてを吸いだす危険な穴が存在したため、創造の巫女たちによってゲートは閉じられた。

 調査はそこそこに終わったため、推測に過ぎないのだが、その世界には何か危険なものがあった(・・・)ようだ。

 大事に至ることもなく無事解決なのだが、これに納得しない勢力がいた。


 破壊の神殿の神官たちはいう、「箱の天井に穴など開いていなかった」と。


 つまりは誰かが神官たちを出し抜き、彼らでも破壊できなかった白壁を突破し、ゲートの向こうで何かを成した者がいるということだ。


 ――そんなことができるのは、あのかただけ。


 最初によぎったときは、また火種を作ったのかと頭を抱えた。

 だが、ミノリより第三宣誓を賜ってからというものは思考も前向きになり、フロルの怪盗や隠密は、人には言えぬ大義のためなのだと考えるようになっていた。

 なんらか必要が生じれば、フロルに白壁を壊してもらい、共に問題に立ち向かえばいいだろう。


『セリスちゃん』

 ミノリの声だ。


「は、はいっ!?」

『白い壁には関わっちゃ、ダーメッ!』

「な、なぜですか?」

『ナイショ。約束を破ったら罰を与えますので、そのつもりでいてね』


 気球よりも軽い口調だったが、大地に引きこまれるような圧を感じた。

 セリスは消沈すると、「かしこまりました」と、こうべを垂れる。


「あっはっは。そんなにしおらしくしなくったって、大丈夫だって!」

 シリンダが笑った。

 うっかりして彼女たちの存在を忘れていた。


「フロルから聞いてるけど、ふたりは姉妹か恋人かって感じだったみたいじゃない? あの子も仲直りしたがってたし、そのうち上手くいくって!」


 肩をばしばしと叩かれた。

 どうやら、ミノリに意識を向けているあいだに、友人との不仲に話がうつって勘違いされたらしい。

 喧嘩はよくないぞと、兄を殺さんばかりだった人に言われるのはなんとも。

 使者も、「私の世界とあなたがたが手を取りあえるのだから、絶対に上手くいきますよ」と励ましてくれていた。


「さ、高度は充分だ。スピードを上げて一気に突っこむよ!」


 シリンダが勢いよくロープを引くと、頭上でかちりと音がした。

 衝撃を受けた魔導石が青く光り、プロペラが異界の門へと気球を導く。



 ……。



 重ね合わせの青。空の向こうには、空が広がっていた。

 セリスの知るものとたがわぬ雲が浮かび、そのそばには、どの世界にも見られる一本の樹木が、大きな大きないのちのかたまりが、宙に浮かんでいる。


 翼持つ者が暮らす世界。空の世界。

 その住人たる男が、口を開いた。


「た、大樹がほとんど枯れてしまっている……!」


* * * *

 * * * *

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