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024.羽ばたけ振袖、芽吹けよ大樹-01

 スリジェ家が総領娘、セリシール・スリジェでございます。

 僭越ながら、本日はわたくしが語らいのお相手を務めさせていただきます。


 お初にお目にかかったばかりの卑しい身ではございますが、さっそくわたくしの悩める胸の内をあなた様に打ち明けましょう。


 わたくしには盟友がいます。

 いえ、盟友というには身の丈が足りません。

 わたくしには、「憧れのきみ」がいるのです。


 貴族として付き合いの深いフルール家の当主、フロル・フルールさん。

 わたくしたちの道が交じりあったのは、年端もゆかない五つのころ。

 両親が旧友だった縁からのことでございます。


 当時のわたくしは病弱で、あまり陽のもとへ出ることもなく、窓から眺めた景色をキャンパスに写し取るか、かごの中の鳥のように小唄を口にするかの侘しい日々を送っていました。

 対して、フロルさんはご活発で、朗らかでよくお笑いになり、身体をよく動かし、目上のかたや異性、異種族に混じるのにも怖じない性格をお持ちでした。


 フロルさんが初めて訪ねていらした日も、わたくしは自分の世界に引き籠って筆を取っていました。

 ご挨拶は済ませていたのですが、人見知って逃げてしまい、じつを申し上げると、「同じ性、同じ歳でありながらも、こうも違うのか」と、幼心に悋気(りんき)を覚えキャンパスに八当たっていたところでした。


 わたくしは驚きました。

 ふと顔を上げると、可愛らしいお顔が隣にあるのですから。

 白金のおぐしに、ふたつのつぶらな桜色の宝珠。

 同じく桜花のひとひらの如しの麗しきくちびる!


「お上手な絵ですわ~」


 あの瞬間の、夏の日差しを受けた花のように輝くお顔は、今でもはっきりと思い出せます。


「でも、お外に出たほうが、もっといいと思います、ですわ」


 フロルさんは、嫌がるわたくしを引きずって庭へと連れ出しました。

 それから、先程まで窓越しに見ていた景色の中で両腕をいっぱいに広げて、こうおっしゃったのです。


「ね、あなたの描いた絵よりも綺麗でしょ!」


 なんだこいつは……おほん! なんですのこのかたは、と思いました。

 はっきりと申し上げて、苦手だと感じました。

 それから彼女は、手足を泥で汚すようなお外での遊びに巻きこみ、そろって衣装を汚して叱られ、翌日わたくしは熱を出して寝込むありさまとなりました。


 こともあろうか、彼女はわたくしのことを気に入ったらしく、ご両親も抜きにメイドたちを引き連れて、屋敷を訪ねるようになりました。

 ですが、両親のお付き合いの手前、邪険には扱えません。


「セリスの絵、やっぱりお上手ですわ」

「あなたのお歌、本当に素敵ですわ。また聞かせてね、ですわ」

「まあ! このハンカチのお花、ご自分でお縫いになったの? ですわ!」


 ですわですわと、わたくしにまとわりつくフルール家のご令嬢。

 ほとんど毎日です。ご所用で訪ねてこない日があったとしても、理由は貴族連盟の集まりがほとんどですし、そんな日も、子どもが退屈な社交場でカーテンや両親の陰に隠れるわたくしを見つけ出して、手を取って駆け出すのです。


 迷惑でした。


 スカートを踏んづけて転んで泣くわ、

 テーブルクロスを引っぱって大惨事を引き起こすわ、

 よそ様の庭をうろついて番犬の尾っぽを踏み、私兵が出張る大ごとになるわ、

 国王陛下の冠を取ろうとしてよじ登って、髪をつかんだらつるりと……。


 とにかく、あの子のゆくさきざきには必ず、破壊や混乱が付きまといました。

 巻き添えを受けて叱られたことは数えきれません。


 それでも、わたくしが表立って拒絶しなかったのは、いつでもわたくしを「セリス」と愛称で呼んでくださったからです。

 両親を除けば、みなさまがたは「セリシール嬢」か「スリジェ家のご令嬢」とお呼びになります。

 両親はわたくしの芸術の才能を褒めてくださりますが、「創造の女神ミノリの眷属」であることを付け加えることを忘れません。

 でもあの子は、いつだって「わたくし」を褒めてくださったのです。


 わたくしはフロルさんのおかげで狭い部屋から外へ出て、多くの人と関わりを持つようになりました。みずから何かを発言することも覚え、興味の幅も大きく広がりました。

 いつしか、こちらのほうからも彼女を求めて出掛け、あの夏に咲きほこる一輪の大花に少しでも近づきたく思い、不慣れな運動や武術にも手を出すようになりました。

 とうとう、弱かった身体が壮健となり、日向に向かって枝葉を伸ばせるようになった日には、両親も喜びの涙を流したほどでした。


 長くなりましたが、本題――わたくしを煩わす悩み――に入りましょう。

 その恩人であり、憧れのきみであり、親友であったフロルさんとの仲が、仮止めを忘れた縫物のようにほどけてしまったのです。


 今でもなぜ、フロルさんがあのようなことをなさったのか、理解できません。

 あれは十二歳のときです。

 絵画コンクールのための見本絵を仕上げていたときのことでした。


 わたくしは、珍しく筆先が宙をさまよっていました。

 今一度、被写体を見つめようと顔を上げると、彼女は定位置におらず、キャンパスのそばに立っていました。


 彼女の手にはパレットナイフが握られていました。

 それが持ち上がり、窓からの光にきらりと反射します。


「せいっ!」


 剣術の大会で聞いたような掛け声とともに、やいばが突き立てられました。

 ちょうどキャンパスの、被写体のお顔のまんなか。

 そして作品をびりびりに破いてしまうと、「おほほほほ!」と高笑いをし、そのまま帰ってしまいました。


 あまりの出来事に、わたくしは忘我となり、口も利けませんでした。 


 じつを申し上げますと、彼女がわたくしの作品を壊したことは初めてではありません。でもそれは、乾ききっていない絵の具に袖が触れるとか、スカートの裾を踏んで転んでのことだとか、決して故意ではなかったのです。


 フロルさんのおこないは、わたくしを酷く傷つけました。

 普段なら、壊されても怒ったりはしません。

 わたくしは集中し過ぎると、創作の過程を忘れることもしばしばでしたから、作品への思い入れは薄いほうなのです。

 知らないうちにアトリエに実物かと見紛う彫像が増えていたり、歌いはじめのブレスを吸ったかと思うと、観客が立ち上がり涙と拍手の雨を降らせることもしばしば。


 ですが、あの作品に関しては、思い悩み、何度もやり直しを重ねていました。

 そのうえ、そのコンクールは通常の貴族連盟主催のものとは違い、募集対象を子どものみにしぼり、一般のかたもお招きしたもので、賞金や賞品を渡す大役をわたくしがいただいていた大切な舞台だったのです。


 しかも、提出期限を数日後に控えていたというのに!


 その絵は『親友』という題で、フロルさんご本人を描いたもの。

 彼女はモデルという退屈なお仕事を、長い時間を耐え忍んでくれました。

 動き回るのが好きなかたですから、ご苦労のほどは知れません。

 わたくしの至らぬ描写が、彼女の誇りに傷をつけた可能性もあります。


 わけを話して欲しかった。

 翌日、わたくしは早朝にフルール邸に馬車を走らせました。


「ほえ? わたくしが? 何を仰ってるの?」


 おとぼけになられるのです。わたくしがあの絵の重要性を説いても、「こんな朝早くからモデルとか無理……」などと、知らんぷり。


 言った言わない、やったやらないの大喧嘩です。

 なじったりなじられたりしたのは、生まれて初めてのことでした。


 このときを最後に、わたくしたちは個人的な付き合いを一切断ってしまったのです。


「形あるものはいつか壊れるって、女神様がおっしゃったというのは本当ね」


 フロルさんが残した神話のフレーズは、長くわたくしのこころに居座りました。

 創作に打ちこんでも、意味を問う雑念が生まれて悩ませるのです。


 こうして、乙女がいちばん多感であり、香り華やぐ時期を、わたくしたちは別々に過ごしました。

 この空白の五年にあったはずのことに想いを馳せれば、ため息が止まらなくなります。

 たとえミノリ様のお力をもってしても、失われし青春を取り戻すことは叶わないでしょう。


 わたくしがまごついているあいだに、親友だった彼女は遠くへゆかれました。

 いのちの危険を顧みないトラベラーへの登録、その頂点たる勇者の証。

 早過ぎるご両親の夭折により双肩にかかった、名家主君としての重責。

 女神サンゲの眷属としても、最高峰である第三宣誓まで賜ったという噂。


 離れてみれば、いつも隣にあった彼女の凄さを改めて思い知る……。


 あのかたに追いつきたい。もう一度、おそばに。

 願いこそすれど機会には恵まれず。雌伏のときは長く続きました。


 そして先日、父母が異界に長く留まるために、わたくしへスリジェ家の代表代理を務める大役が与えられたのです。

 わたくしは奮起し、この重い袖と袴をひるがえして、うつしよと異界を駆けまわりました。

 しかし、鼻の曲がる世界では死者操る賊に敗北を喫し、あわや足を失いかけ、熱き霧の世界では誤解で支援先に御迷惑を掛ける大失態を犯し、忠義に篤き侍のいのちまでも儚く散らせてしまったのです……。


 懐かしき日であれば、友に慰めを求むることもいとわなかったでしょう。

 求めずとも、あのかたならわたくしの苦しみに気づいて、肩を抱きに来てくれたことでしょう。


 しかし悲しいことに、その資格は失われたままなのです。

 お互いに手を払い合い、張り合ってしまった罪はうずたかく重なり、今や塔を成しています。


 この塔を越えるためには、わたくしはもっと高くはばたけるようにならねばなりません。


 ……ああ、自信がない! 次の失敗を思うと、足がすくんでしまう!


 なんと哀れなひな鳥なのでしょうか。

 ですが、次のわたくしの挑戦は、あなた様にお見守りいただけるということ。

 わたくしを見つめるその瞳に、お頼り申し上げてもよろしいでしょうか……?


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