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022.忙しメイドの憂鬱-07

※本日(3/19)2回目の更新です。

「警戒を怠るんじゃありませんことよ!」


 後方から聞こえてくる忠告。

 フロルの「お嬢さま口調」は、余裕や皮肉、社交辞令の証。

 ヨシノはどこか冷たさを感じるも、意識は強制的に戦いへと引きもどされた。


 通路を塞ぐように床、壁、天井の隙間から、いばらが伸びる。

 ヨシノは痛みを消してそれらを甘んじて受け、血をほとばしらせるのにも構わずに引き千切った。

 お嬢さまにすり傷ひとつ負わせてなるものか。


 分かれ道に差し掛かった。「まっすぐですか? 左の部屋ですか?」

 強いアーティファクトが眠るというのなら、フロルには気配で正解の道が分かるはずだ。


「そこで止まってなさい」


 ヨシノは凍りついたように足を止める。

 命令というよりは、叱られたような気がした。


 フロルはこちらに向かって駆けながら、燃えるつるぎを二度振った。

 滅びの炎がヨシノの両脇を走り、通路の奥から不気味な叫びを引き出した。


「植物……じゃない?」


 グリーンのつたと葉に覆われた人型の何かが切断されて倒れていた。

 ばらばらだが、見たところ三人ぶん。

 流れるのは赤い血、それが一斉に泡立ったかと思うと、切断面で血管が踊るのが見えた。


 ――まだ生きてる!


 ヨシノは右腕を肥大化させ、バケモノの力を操って、敵の頭部を潰した。

 ピンク色の中身や黄色い脂が飛び散る。


 ふと、ルヌスチャンが垂れていた講釈のひとつを思い出す。


「植物の緑色は葉緑素という、植物にとっての血液のようなものが由来です。これが日光を受けることで栄養をうんたら……」


 何か、違和感。

 

 しかし、思索する間もなく残りの人型が炎上。

 ヨシノはスカートの先が焼けているのに気づき、慌てて離れた。

 フロルの剣による滅びの火ではない。


「やっぱり返品ね」


 フロルの左手が銀の筒を握っていた。

 彼女はそれをしまうと、またも剣を空振り、滅びの火を走らせた。


 ヨシノは息を呑む。

 破滅のつるぎの炎は「焼く」のではく、「失くす」ものだ。

 いかに無尽蔵の血肉を持つヨシノでも、あれに全身を覆われたら終わる。

 植物の怪物相手に、なぜそこまで執拗に攻撃するのかと疑問が沸いたが、あるじが第二の誓いを立てる声が響き答えとした。


 頭を潰したはずの個体の顔が、ヨシノの顔の真横でちぎれた顎を元に戻している最中だった。


 ――再生してる!?


 しかし敵は黒く炎上、跡形もなく。


「ヨシノ、痛みを消すのをやめなさい!」


 警告と同時に、視界ががくんとさがった。

 膝をついたヨシノは、身体に命じても感覚が戻らないことに気づく。


()の願いは()の願い!」


 フロルがカードの束を歯に挟み、一枚引き抜いて左の部屋へ、続いてまっすぐ先の通路の向こうへと投げた。


 ヨシノは腕に鈍い痛みを感じた。

 カードが肉に突き刺さっている。


 どうしてと思う間もなく、それぞれのカードが赤と黒の点滅をくりかえした。


 患部から広がるように感覚が戻り、ヨシノはここになってようやく、自身を巡る血の中に無数の異物が入りこんでいたことを知る。


「毒の胞子よ」


 短い答えを与えるとフロルはヨシノを追い抜き直進していった。


 うつむき恥じ入るヨシノ。

 従者をも焼きかねない乱暴な攻撃に、ほんのわずかでも女神の悪意や、破壊的な嗜癖を疑った自分が愚かに思えた。


「ぎゃあああ!」

 露骨な悲鳴。先を走るフロルが、緑の人影を斬っていた。


 先ほどの全身をつるに覆われた人型と似ていたが、こちらには髪の毛があり、緑のしみがついた白衣をまとっているのが見えた。


 ――見たことのある服。でも、どこで?


 確かめようにも、すでにフロルが滅している。


「駆け回るには少々広すぎますわね!」


 彼女は言い切るよりも早くに剣を振り抜いていた。

 切れた壁が倒れて向こうがあらわになる。

 天井にはパイプが張りめぐらされ、光る窓のようなものに文字や数字が並ぶ。

 それから、部屋には人間が入れるほどの巨大なガラスの筒が置かれ、その中には……。


 認識の途中だったが、滅びが部屋を呑みこんだ。

 今日ほど破滅の宣誓を聞いた日はないかもしれない。


「お嬢さま、本当に平気ですか?」

「平気よ。サンゲは味方をしてくれていますわ。それより、もう一度だけ言います」


 帰れとおっしゃるのだろう。

 こればかりはヨシノの舌のほうが早く動いた。


「だったらもう、言いませんわ」


 ――やはり、突き放すよう。


 胸に走る痛み。肉の痛みよりも遥かにつらい。

 いつも主人を支え、昼間は落ちこぼれを嗤った自分が、足を引っ張っている。


 ――でも、引けません。


 ヨシノは骨を鋼のように固くし、筋肉をさらに束ね、身体を走る感覚の糸を増やす。目は塵のひとつまで見分け、鼻はにおいを星の数ほど分類し、耳は植物たちの液の流れまで監視する。


「お嬢さま。左手、壁の向こうに気配です。植物ではない、人間らしきもの!」


 伝えられることよりも、知れることが多すぎる。

 ヨシノは異質な存在を教えると同時に、あるじのそばまで一瞬で飛び、彼女を突き飛ばした。


 眼前の壁が膨れあがり、隙間から髪束のごとくとなったつるが溢れ出て、突撃をしかけてくる。


 悲鳴をあげたのは久しぶりだった。


 左手がつるに包まれたかと思うと、一瞬にしてねじ切られた。

 しかしヨシノは笑っていた。

 本当にここは危険すぎる。でも、今度こそフロルお嬢さまを守った。


 二度目の悲鳴。


 身体が切断されれば、ヨシノの肉体は嫌が応にもそれを補おうとする。

 真新しい腕もすでに、つるの餌食となっていた。

 束となったつるの尖端は鋭い鉤で、二の腕に深く突き刺さり、もっと深く潜りこもうとうごめいている。


 身体が前のめりになった。


 ――引きずりこまれる!


 体重を増して対抗するつもりだった。

 しかし、靴が滑る。潰れた植物の汁がそうさせた。

 落ちこぼれ貴族のいやらしい顔が浮かんで胸がむかつく。


 足が床を離れ視界が転がると、破滅のつるぎを手にした細い手首にも同じようにつるが巻きついているのが見えた。

 悪意のつると乙女の柔肌を隔てるのは、黒いオペラグローブたった一枚。


「お嬢さま!」


 護身よりも、叫び手を伸ばすことが優先されてしまった。

 引きずられる身体は逆にあるじから遠ざかり、床や硬い木の根に打ちつけられ、めくれた壁が刺さり肉を引き裂かれ、焼けるような痛みのコーラスを聞く。


 急速に近づく存在感。自分を引きずりこむのは植物だが、気配は確かにヒト。

 また毒だろうか。

 ヨシノはすでに肉体の自由が利かなくなっていた。


 それでも、感覚はまだ生きている。

 引きこまれた先にいた奇妙なつる人間が、憐れな女を強く抱きしめた。


 ヨシノは青臭いにおいを肺いっぱいに吸いこみ、喘ぐようにむせる。

 つるの噛みつきを受けた左腕はとうに存在感が無く、右もまた曖昧だった。

 だが、脚はまだ生きているらしく、スカートの中で無数のつたが這い上がってくるのを知らせた。

 それらは、目的に適うように粘度の高い液体で濡れており、いまだ研ぎ澄まされたままの素肌を撫ぜ進み、ヨシノの身体に意図せぬ痙攣を誘った。


 マズいと思う間もなかった。

 中に入りこまれた。


 膜が破れ、鋭い痛みが走ると同時に、音が消えた。

 まぶたが舐められたかのようにくすぐったくなったかと思うと、光が消えた。


 それでも、ヨシノはまだ強情だった。

 フロルの警告を無視してでもついてきたのを、正解だと思っている。

 独りで行かせれば彼女がこうなっていたのだから。


 ――お嬢さま、お逃げになってください。


 今更だが、暴力に訴えてでも彼女をこの世界から連れ出すのが正解だったと後悔する。あるじを溺愛するメイドの頭には、決して浮かび得ないことだろうが。


 無数の緑の管に繋がれた身体。

 意図せず、足がしかと床を踏んだ。

 望みもせぬのに身体が緑のヒトへと寄り添い、彼の胸へと頬を寄せさせた。


 ――わたしが、わたしでなくなってしまう。


 自身のすべての血肉に死ねと命じようとしたときだった。


『きみはもしかして……!』

 声がした。誰の声?


 ――お嬢さま? 違う、男の声。


『逃がしてあげたのに、また会うなんて』

 恩着せがましいような、落胆するような。

『せめてきみには、幸せになってもらいたかった。高慢な女神たちに見放された、哀れな子どもたち……』


 ――……。


 問いかけたくも、舌は従わない。

 ただ、善意らしき言葉を放つ存在と、「わたしの中」のすみずみまで根を張ろうとしている存在が、同一であることは理解できた。


 ――こんなものに構っている場合じゃない。早く死なないと。

 この身体で、お嬢さまを害するようなことがあってはならない。



 願うも、意識が溶けてゆくのに抗えず……。



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