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021.忙しメイドの憂鬱-06

 ヨシノとフロルは、全裸落第貴族をゲートの向こうに放り投げたあと、時間を空けてから、さも無関係というふうを装って元の世界へと戻った。

 それから、まっさきに仕立て屋の在庫を訊ね、ヨシノの焼け焦げたメイド服を普通のものに取り替え、腹ごしらえをすることにした。


「ギルドの受付に頼んで記帳を見せてもらったんだけど、神殿の連中は一週間も滞在許可を取ってたわ」


 賑やかな夜の宿場街。

 フロルは甘辛いタレのついた骨付き肉をつまんで割くと、それを口へと運んだ。


「お嬢さま、できればナイフとフォークを使って頂きたいのですが」

「チャンがいないのに硬いこと言わないの。このお店じゃ、これが流儀よ。その世界の流儀に従うのがトラベラーの鉄則」

「そんな中でもご自分を見失わないのがフルール家の家訓で、フロルお嬢さまはこうもおっしゃっています」

「わたくしはわたくし。でしょ? だから、ヨシノとふたりきりのときまでご令嬢なんてやらないもん」


 フロルはソースで汚れた口を突き出した。

 ナプキンで拭いてやるヨシノ。


 周囲は仕事あがりの酔っ払いだらけだ。

 鍛冶屋、大工、商人もいれば、物々しい装備をした傭兵やトラベラーもいる。

 普段なら、フロルは注目の的だが、今は酒と料理には勝利を譲る。


「ね、ヨシノ。例のアーティファクトは持ってきてくれた?」

「もちろんです」


 ヨシノはリュックを開けて、中身を見せた。

 この中には破壊の神工物がふたつ入っている。


 ひとつは太陽の舌で、シリンダたちにスリジェ家へ返すように頼まれたものだ。

 これがまだここにある理由が、お嬢さまがネコババをしたためか、セリシールに会いづらいためかは不明である。


 もうひとつは、可愛いらしい赤のローファー。

 単に“赤い靴”と呼ばれている。

 それほど珍しくないアーティファクトだが、呪物認定をするかどうかで議論が分かれている、いわくつきの品だ。


「本当にこちらを履かれるんですか?」

「監視の目を突破するのに便利だし。今ならコントロールできるはずだわ」


 これはフロルの両親が旅先で手に入れたもので、一度フロルが履いたきり宝物庫に封印されていたものを引っぱり出してきたのだ。


 赤い靴の効果は、脚力や足さばきの向上。

 宣誓や寵愛の深さに応じて、その程度も増すのだが……。


「以前のように鼻を折らないでくださいね」


 スピードが増しても、頭のほうが追いつくとは限らない。

 初めてこれを試したとき、フロルは両親が見守ってくれているのをいいことに、第二宣誓の文言を口にしていた。

 彼女は屋敷の壁に激突し、可愛いお顔を血まみれにしたのだった。


「ま、シリンダの暴走そりよりはマシでしょ」


 フロルはそう言うと、次の肉の塊に取りかかった。

 ヨシノも頼んだスープで胃を温めるが、胸の中には心配が居座って食事の邪魔をしていた。

 黙っておくべきかとも思ったが、忘れているだけだと土壇場で困るかと思い、それを口に出す。


「あの、今日は例の衣装を持ってきていないんですけど……」

 リュックの中を見せて、怪盗の衣装が無いことを教える。

 だがフロルは、「ん、へーきよ」と鞄の中身を見もしないで飲み物を呷った。


 ――そりゃ、鎧を着ているほうが安全ですけど……。


 バトルドレス姿はトラベラーとしての彼女のトレードマークでもある。

 神官たちに見られれば、すぐさまフロル・フルールだと知られてしまうだろう。

 当初こそは露出よりはいいと考えていたが、昼間に一度、目撃されている。


 ――まあ、そのために赤い靴で速攻を決めるおつもりなんでしょう。


 ヨシノはそう納得しておいた。


 食事を終えたふたりは、ゲートの管理所まで戻り、フロルがカードで見張り番の「注意力」を破壊して第七遺世界へと忍びこんだ。


「ヨシノ、ちょっとこっちに来てくれる?」


 フロルはあたりをきょろきょろを見回すと、ヨシノを岩陰へと呼びつけた。

 お手洗いを手伝って欲しいのかもしれない。

 文明のない地域で大仰なドレス型の鎧を着ていれば避けられないことだ。


「この腰の出っ張りを上に引き上げてちょうだい」


 フロルが背中を向ける。

 こんな出っ張り、ありましたっけ。思いながらもメイドは従った。


 がちゃん! がらがらがら……。

 出っ張りが操作されると、唐突にフロルの鎧がばらばらになって脱げた。


 あらわとなったボディライン。黒の繭糸に包まれ、肩は滑らかな素肌のままに。

 異国のメイド服よりも切り詰めた深緋色のスカートは花びらのよう。

 腰からは可愛いと褒めた記憶のある、とっても長くて大きなリボン。

 フロルはさっと頭の団子をほどくと、ポニーテールに結び直した。


「鎧の下に着てたんですね。というか、なんで鎧がばらばらに?」

「すぐに脱げるようにシリンダに仕掛けを考えてもらったの。ね、腰のリボンがゆがんでないか見て」

「いつの間に……」

 と、言いつつもリボンの形を直してやる。


「すごいでしょ? 敵の前とかで、ぱっと変身できたらかっこいいと思わない?」

「それだとブラッド・ブロッサムの正体がお嬢さまだとバレますよ」

「そうよね、残念」


 言いつつもフロルは楽しげだ。執事に念押しをされていたマスクで顔の右半分を覆い、少し笑う。

 靴だけは鎧の下に仕込めなかったらしく、脚具を脱ぎ捨てたおみ足が赤いローファーの中に収められた。


「赤い靴はやっぱり似合うでしょ? いつか合わせようと思ってたの。ホントはヒールの高いほうが好みなんだけど。今度、オークションを漁ってみようかしら」


 フロルはつま先で地面を叩くと、ぴょんとジャンプをした。

 願うまでもなく神の靴は応え、ひとっとびで屋敷の屋根よりも高い大岩の上へと彼女を運んだ。


 ヨシノが岩棚を見上げると、この世界のとても大きくて眩しい満月の中に、影となったお嬢さまが立っていた。


 フロルはおもむろに両腕と脚を広げた。

 まるで、自分を世界に見せびらかすように。

 欲張りに、月をもわがものとしようとしているかのように。


 よく似合っている。ヨシノは呆れ半分に呟く。

「本日も唯一無二にお美しくてお可愛い、でございます」



 ……。



 さて、ふたりはなんの苦も無く、白い構造物に取りつくことができた。


 フロルは第一宣誓とともに荒野を駆けぬけ、監視の穴を縫って白い壁に接近、跳躍でその上にのぼった。

 監視の目もさすがに天面までには及ばない。

 ヨシノも脚部の筋力をいじり、長いスカートを持ち上げてあるじに続く。


()の願いは()の願い。弱火でじっくりでお願いね」


 フロルが手にした口紅のような銀の筒に願いを掛ければ、筒から小さな炎が生えてきた。

 小さくとも、なんでも焼き尽くすという触れこみの炎。

 お嬢さまの腕が白いキャンパスに大きな円を描く。


「……ダメ。焦げるだけね。第二でやってみましょう」


 フロルが付け足された宣誓を口にすると、炎のサイズはそのままに、熱気だけが増した。願いを操る力が増したというのは本当らしい。


「よし、切れた!」


 ぐるりと溶断された白い天井は中へと落っこちていった。

 大きな音を立てるかと心配したが、無音だ。


「……って、あっつい!」


 宙に舞う太陽の舌。

 ヨシノが慌ててキャッチすると、手のひらに高熱が伝わり、お嬢さまと同じリアクションを取る羽目になった。


「もうっ! このアーティファクト、欠陥品じゃなくって? 筒まで熱くなったら、わたくしまで火傷しちゃうじゃないの! ちょっとサンゲ、聞いてるの!? 返品よこれ、へんぴーん!」


 騒ぐお嬢さま。

 ふと、ヨシノの耳が見張りの神官たちの声を拾った。


「気づかれました」


 警告に両手で口を覆うフロル。しかし、ヨシノは首を振る。


「サンゲ神の気配がどうこうと言っています。早く仕事を済ませましょう」


 宣誓に馴染んだ者は、アーティファクトの使用に敏感だ。

 フロルほどの眷属が破壊の神工物を行使すれば隠しきれないのだろう。


 ふたりは穴の中に飛びこむ。

 すると、明かりをつけるまでもなく、中の様子がはっきりと分かった。


「当てが外れましたわね」


 お嬢さまの声は硬い。巨大な箱の中身はアーティファクトでも、それを組みこんだ装置でもなく、青色に光る渦だ。


「向こうは森かジャングルでしょうか?」

 ゲートから緑のつるがぶちまけたように伸びており、床や壁にまで届いている。


「行くわよ」


 長いリボンがさも当然のようにゲートの向こうへと消えた。

 ヨシノも続き、渦をくぐれば景色が塗り替わる。


「廃虚でしょうか?」


 どこかの部屋の中らしい。

 正面には破られた扉。床は踏んだ感じは硬いが、石や金属ではない気がする。

 そして、こちら側でもつるや根っこ、葉の作る茂みが一面に跋扈していた。


「高度そうな文明ね」

 フロルは部屋を見回している。

「それにご丁寧に、部屋のまんなかにゲート」


「ゲートの周りに施設を立てたのでは?」


「白い構造物はあとから現れたのよ。ゲートだって、もともと無かったでしょ?」

 フロルは口に手を当て思案を始める。

「何者かが、この場所から故意に第七遺世界へゲートを開いたけど、別の何者かがあの頑丈な壁で封じたってところかしら」


「ですが、この世界は……」


 すっかりぼろぼろだ。壁には何かの機材たちが配置されているが、それも破損が見られ、内外を植物の住処にされている。


「天井を見て。この部屋を照らしてるあれは、電灯ってやつじゃない?」

 指差す先には長い管が、ちかちかと光っている。

「調子が悪そうだけど、電力の供給が途絶えてないってことよね」

「こうなってから間がないということでしょうか?」

「おそらくね。施設の外がどんな世界かも気になるし、少し歩き回ってみましょう」


 フロルが一歩踏み出し、つるを踏んだ。

 するとその瞬間、部屋中に無数の気配が生じた。

 ざわつく植物たち。


「お嬢さま、足元です!」


 フロルがレイピアを振るい、足にすがりつくつるを切断した。

 しかし、茂みがさざめき、周囲から何本ものつるが彼女に向かって這い寄る。

 そのうちのひとつが蛇のように頭をもたげ、空気を斬る音とともにフロルの背を打った。


「痛ったいわねえ! ()の願いは()の願い! 鞭ならわたくしのほうが得意でしてよ!」


 目にも止まらぬ早業、怪盗娘の周囲に黒い渦が見えたかと思うと、周囲に青臭いにおいが広がった。

 部屋中の植物がずたずたに引き裂かれ、もともと壊れていた機械類もガラスを砕き、ボディをひしゃげさせた。


「どうかしら?」


 フロルは肩に掛かったポニーテールを払い、にこりと笑ってみせた。


 ヨシノは思わず拍手をしていた。単にあるじを持ち上げるお約束ではない。

 これだけの打擲(ちょうちゃく)をぶちまけておきながら、ヨシノの身体にはかすりもしていない。

 そのうえ、天井の植物も排除されたが、電灯もちかちかと仕事を続けている。


「……しつこいわね。ここがダメになった理由は分かったわ」


 植物たちはまだ死んでいない。

 鞭で叩かれたぶんを補うかのように伸び、枝分かれをし、壁を覆い始めた。


「こういう生物か、それとも何かの影響を受けているのかしら」

 フロルは呟くと宙を見上げ、「サンゲ!」と女神の名を呼んだ。


 それから目を閉じ、しばらく黙ると、こちらを見てこう言った。


「ヨシノ、あなたは帰って」


 無論、承服できない。ヨシノは首を振る。

 サンゲ神から何を聞いたのだろうか。


「すごくイヤな予感がするの。屋敷に戻って、チャンの判断を仰いで。場合によっては、陛下やギルド……スリジェ家の力も借りてちょうだい」


 お嬢さまはちょっとおセンチに、呟くように言っている。


「それだけ危険だと感じられるのなら、おひとりで残られるのは危険です」


「わたくしの女神様がね。ここを滅ぼせっておっしゃってるのよ」

 肩をすくめるフロル。


「破壊神のことばにお耳を貸すことはありません」

「ここを壊さないと、もっと大きな破壊が生じるぞって」

「破滅の衝動を誘っているだけですよ」


 フロルは首を振る。


「でも、ここの外壁だけは絶対に壊すなって言うのよ。この建物は、“何も無い場所”にあるんですって。空気すらないところにあるから、壁がなくなれば、おまえは息もできないって」


「どういうことですか? でも、ここを滅ぼせって……」


 フロルは再び鞭を振るい、迫りくるつたを払った。

 ヨシノの腕にも何かが巻きついたが、それも一瞬のことだった。


「こいつらを外に出すなってことでしょ。白箱の天井に穴を開けちゃったし、第七遺世界はわたくしたちの世界にもつながっているし」


「つまり、スリジェ家を頼れって……」


 いざとなればゲートを塞いでしまえということだ。

 ここが危険だというのなら、フロルもいっしょに引き揚げ、さっさとゲートを塞いで、無かったことにすればいいだけの話だが……。


「あの、悲劇がどうのっていうのならやめてくださいね。シャレにならないですよ」

「あはは。そういうのじゃないわ」


 フロルは笑った。

 いつものようなお嬢さまチックな誤魔化しのない、少女然とした笑い。


 ――何を考えていらっしゃるのでしょうか?


「そんな不安そうな顔をしないで。わたくしは、壊すのには自信があるのよ」


 ふいに、ヨシノの鼻へと、甘ったるい香りが届いた。


 気づいたときには、あるじの背後に巨大なまっかな花が咲いていた。

 花弁の中には獣のような歯列が並んでいる。


 従者の警告よりも早く、あるじの手の中の鞭が黒鉄のやいばに変じた。


「この奥には、わたくしにとって役に立つものもおありになるそうでっ!」


 フロルが腕を振れば、巨大な花が散る。

 続いて第二の宣誓を唱えて燃えるフランベルクを目覚めさせ、ひしゃげた扉を壁ごと切断した。


「それを頂戴してから、ここを滅ぼさせていただきますわ」


 道が開かれ、緑はびこる通路が現れる。

 通路の天井にも電灯がついているようだったが、奥のほうは暗い。


「じゃ、ぱぱっと行ってくるわね」

「やはり、おひとりでは行かせません」

 ヨシノはスカートをたくし上げナイフを手にした。


「わたくしの言うことが聞けなくって?」

 咎める口調のあるじ。

 彼女が遊びで言っているわけではないのは、長年連れ添った勘で分かる。


 しかしヨシノは譲らない。

 フロル・フルールを守るのは彼女の価値であり、生きる理由そのものだ。


 もしも、万が一があるとしたら、そのときはいっしょに終わらなければならない。

 仮に自分が不死で朽ちぬとも、どことも知れぬ異界にあるじの肉体をひとりぼっちで置き去りにすることなど、あってはならない。


 ヨシノは「フロルがたまにやる手」を使った。


 既成事実、やったもん勝ち。

 迫りくる植物を力任せに引き千切り、ナイフで断ちながら部屋を飛び出した。


「あっ、こらヨシノ! 待ちなさい!」


 あるじの声があとを追う。

 廊下はむせ返るような青い香りが充満していた。


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