002.わたくし、手加減は苦手でしてよ-02
ご機嫌麗しゅうございますわ。
アルカス王国の名門貴族、フルール家当主のフロルでございます。
本来でしたら、わたくしの華麗なる夜の活動をお目にかけてからのご挨拶の予定でしたが、少々イレギュラーなことがございましたため、お恥ずかしいところをお見せすることとなってしまいました。
すでにご存じでしょうが、わたくしの暮らす世界は、今この物語を紐解いていらっしゃるあなた様とは違う理に律された世界でございます。
ほかの世界のかたがたは、わたくしたちの世界をこうお呼びになられます。
“女神の枕”と。
破壊と創造、二柱の女神の「願い」によって創られた世界はあまたにございますが、この世界はその中でも、もっとも彼女たちに近いとされております。
ゆえに、この世界の住人たちは、ご寵愛くださる女神の命に殉じるのが道理とされております。
よその世界のかたは、魔導ですとか科学ですとか、ほかの理に従っていらっしゃるようでございますわね。
あなた様の世界では、魔法のほうきで空をお飛びになられたりするのかしら?
さて、本日お話しいたしますのは、女神の枕において屈指の名家である、わたくしフロルの擁するフルール家の日常でございます。
こちらをお話しすることで、あなた様と少しでも打ち解けられればさいわいかと存じますわ。
また、お恥ずかしいところをお見せせずに済めば、よいのですけれど……。
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花模様を織りこんだカーペット。白塗りに金縁の装飾が煌めく衣装ダンス。
ベッドの天蓋とドレープは紅色の生地に金の刺繍で、垂らされた薄いヴェールの向こうには、羽毛布団が夏空の雲のごとくに広がる。
お茶用の小さなテーブルだけはくたびれた木目で、今は亡き父が祖父より引き継いだものを置いている。
壁には、扉よりも大きな鏡。こちらも黄金を縁どった見事なもので、その中にはしおれた花が一輪。
この部屋のあるじフロル・フルールは、純白のネグリジェ姿で鏡の前の椅子に座り、大勢のメイドたちにあれこれと世話を焼かせていた。
怪盗活動によってくたびれた手足のマッサージに、傷ついたハートにしみるハーブティの仕度。魔術の炎で焦げてしまった衣装の補修に勤しむメイドもいる。
焦げたといえば、自慢のプラチナブロンドの毛先もだ。
「切るしかありませんね。指の幅ひとつほどですが」
鏡の中、肩越しに髪とハサミを手にしているメイドが言った。
「構わないわ。消し炭になった“ヨシノ”に比べたらましですもの」
「わたしは元に戻りますから。フロルお嬢さまのおみぐしのほうが大切です」
ヨシノと呼ばれた若い女。
彼女はフルール家の侍女たちを束ねるメイド長で、フロルのお気に入りだ。
十年前に幼きフロル嬢の世話係として買い上げられてから、フルール邸に住みこんでいる。
ショートボブの髪は青く輝く鉄色。瞳は紺碧の海。髪や瞳とは対照的に肌は雪色で、頬やくちびるまでもがまっしろに同化している。表情もまた無色で、不愛想の極みだ。
肌は滑らかで傷ひとつ見当たらない。
昨夜、「フロルお嬢さま」をかばって、骨が覗くほどに身体を焼き尽くされたというのに、だ。
「髪だって伸びるわ。髪は焦げても痛くないけど、あなたは熱かったでしょう?」
フロルは申しわけなさと愛情の混じった瞳で、鏡の中のヨシノを見やった。
彼女は調髪のほうが大事といわんばかりに「多少」とだけ答えた。
「もっと長くして縦ロールというのを試してみたいのだけど、手入れの面倒な髪型は活動の邪魔になってしまうのよね」
ヨシノは返事をしようとしたか、顔を上げ口を開きかけたが、そこへ非難めいた男性の声が割って入った。
「リボンならともかく、髪をひっつかまれては名誉に関わりましょうな」
いつの間にやら、そばには燕尾服姿の初老の男性。
初老といっても、それを示すのは髪色くらいで、毛量は豊かで、張りのある肌と整えられた髭が若々しい。
黒い正装は窮屈そうで、長身に見合った肩幅はいつ見ても頼もしく思える。
「ちょっと、チャン! 声も掛けずに入ってこないでちょうだい!」
乙女は声をあげる。メイドたちも気づかなかったのか驚き、紅茶を携えてそばに立っていた娘に至っては、危うく茶器を取り落としそうになった。
「これが物申さずにいられますか。フロルお嬢さま、昨晩はスリジェ家の宝物殿に手出しをなさったそうですね?」
「気のせいよ」フロルはそっぽを向いた。
「夜のご活動をするにあたって、わたくしめと約束したことがございましたな?」
チャンなる執事の鼻息は荒い。
「狙うのは不正によって入手された品か、所有者の性質が悪であること」
フロルは淀みなく答えたが、執事は「正体を決して見破られないことと、別人というていであれ、フルール家の当主として恥ずかしくないように振る舞うこと」と付け加え、それからも彼の口はあれこれと苦情を垂れ流した。
「ところで、お嬢さま。スリジェ家がどのような家柄かご存知ですかな?」
「知ってるわよ」
フロルはため息をつく。
スリジェ家はフルール家と同様、アルカス王国屈指の名家であり、莫大な財と労力を福祉事業につぎこむ、献身の権化であることで有名だ。
悪どころか、「この世界で清いものは何か」と問われれば、創造の女神ミノリの次に名が挙がるほどである。
「そのうえ、代々フルール家とも懇意。両家ともに王立貴族連盟に加盟しており、
月いちの会合にも欠かさず出席なさっています。
ご令嬢のセリシール様は、フロルお嬢さまと同じ十七歳。
幼少のころにはよくお互いの屋敷を訪ね、まるで姉妹のように振る舞い、
数年前まではごく親しい交友を持たれていたはず、でしたな?」
「はいはい。わたくしとセリスは俗にいう幼馴染ですよ。そんな間柄の、しかも超のつく良家の家宝を盗もうだなんて、言語道断って言うんでしょ?」
「どころか、人間として不合格の烙印を捺させていただきますぞ! 昨晩のような無茶はおやめください。よろしいですな?」
まーた始まった。
フロルがヨシノに目配せをすると、白い手がお嬢さまの耳を覆った。
フロルは紅茶をすする。ここからさき、口うるさい執事が述べる口上はこうだ。
「異世界にて落命なされた先代フロレス様たちのご遺志を引き継ぎ、
フルール家の当主として立派にご活躍できるよう、
その成長を見守るのがこの“ルヌスチャン・イエドエンシス”の役目」
もちろん、うんたらかんたら……と、まだまだ続く。
フロルは耳を塞がせたまま、メイドたちに声を掛ける。
「ねえ、あなたたち。身支度は次から、お風呂でしましょう?」
メイド長たるヨシノが反論した。「わたしの予想では、彼はお湯あみ中でも遠慮なく怒鳴りこんでくると思いますけど」
「同意ね。ほんと、チャンってデリカシーがないんだから。いちいち、お父様やお母様を引き合いに出さなくってもいいじゃない」
お嬢さまは胸に手を当て、まつ毛を伏せてつぶやく。「わたくしは、わたくし」
「調髪が済みました。本日も唯一無二にお美しくてお可愛い、でございます」
ヨシノが一歩下がり、やうやうしく頭を下げた。
フロルは礼を言うと席を立ち、表情を引き締め執事の顔を見上げた。
「さて、ルヌスチャン。無礼も承知で花園へ踏みこんで来たのは、ただお説教をするためかしら?」
あるじにフルネームを呼ばれた男は口を閉じ、直立に直った。
「約束を破られたご理由をお聞かせ願いたく存じます」
「またも不穏な気配が強まったのです。ゆえに、強力な創造の力を持つとされるスリジェ家の家宝を欲しました」
「くだんの破滅の予感の、でございますか?」
「お疑いになって?」
「フロル様の勘に疑いなど。ですが、わたくしめになんのご相談もなく……」
「それについては謝るわ。でも、急がないとまずい気がするの」
破壊の女神がじかに語りかけてくる。
そのうえ、意識が途切れることも増えていた。
短時間だが、眠っているわけでなく、なんらかの行動をしているらしい。
「記憶喪失、でございますか?」
「誰か、あれを持ってきてちょうだい」
メイドの一人が金属の小箱を持ってきた。
オークションにて手に入れた、異界製の冷気の満ちる箱だ。
箱が開けられると、霜に覆われた黄色い小鳥が現れた。
小鳥は原型を為しておらず、翼を折り胴もひしゃげ、くちばしからは中身がはみ出している。
「気づいたときには、わたくしの手は温かないのちに濡れていました」
フロルは手のひらを見つめた。
ほんの一瞬、鮮やかな赤の光景がよみがえる。
執事は息を呑み、窓際に視線をやる。住まうものの居なくなった、鳥かご。
「ほかにも、茶器や壺、窓ガラスが割れていたことがあります。メイドの話によれば、わたくしは普段通りに振る舞いながらも、唐突に恐ろしい行為に手を染めるのだとか」
ヨシノが口を挟む。「今のところ、怪我人はおりません」
悲愴に満ちた顔で叫ぶルヌスチャン。「ああ、おいたわしやフロルお嬢さま!」
「チャン、フルール家の系譜に同様の症状を持った者は?」
「わたくしめが知る限りは。お母上様のお血筋には詳しくありませんが……」
「そうですか。どうあれ、恐らくこれは破壊の女神サンゲの干渉によるものだと考えています」
フロルは胸に手を当て、豊かなまつげを重ねた。
「わたくしは恐ろしいのです。この身が女神の願うままにされ、大切な何かを破壊してしまうことが。あなたたちやフルール家はおろか、王国や女神の枕をも越えて、すべての世界に害をなしてしまう。そんな気がするのです」
記憶はないとはいえ、自覚が無いわけではなかった。
ときどき、何かを「ぶち壊したくなる」時がある。
しかも、アーティファクトの力を引き出す「宣誓の文言」を女神の口から賜ることで、その症状はさらに強くなるのだ。
両親もフロルと同じく、「第三宣誓」まで賜っていたが、その力を世のためになることに上手く転化し、フルールの名をより輝かせていた。
「ですが、わたくしには上手くやる自信がない……」
若き当主の弱音。
メイドたちは立ち尽くし、中にはすすり泣く者もあった。
普段は黙って従うヨシノも、「わたしたちをもっと頼ってください」と語りかけ、ルヌスチャンもまた、口を結びこちらを見つめている。
先代夫妻が無言の帰宅を果たしたときに匹敵する悲しきしじまが満ちていた。
ふいに、フロルの胸の中に、抗いがたい衝動が起こった。
――とってもまじめな雰囲気ですわ。ぶち壊したら、どんなに気持ちがいいかしら?
フロルは爪が食いこむほどにネグリジェの胸元を握り、こらえた。
それから深呼吸をし、家臣たちに願いを伝える。
「わたくしは、わたくしのさだめが世に害をなさぬように、この身と心を捧げるつもりです。未熟なわたくしのことを、これからも支えていただけるかしら」
周囲からは、愛と哀に満ち満ちたうなずきが返される。
それらがフロルの胸に注がれるほど、破壊の衝動はさらに強くなった。
視線が、ベッドの横に立てかけた破滅のつるぎへと吸い寄せられる。
――絶対に、いや。
この手を愛する者の血で濡らすなんて。
乙女は願う。破壊の女神よ、どうか見逃して。
「そうだわ……!」
お嬢さまはひらめいた。
抗いがたい欲求に抗する手段。
望みのものに手の届かぬ場合は、代替を用意するのがベター。
身内を斬り殺すくらいなら、罪に塗れしおのれへ罰を与えよう。
「せいっ!」
掛け声一発。びりびりと布地が破れる音が響く。
フロルは自身のネグリジェの胸元を両手でつかんで、かっ開いていた。
一同はどよめき、あるじの奇行に目を丸くした。
――みんながわたくしを見ている……。
集った視線によって呼び起こされた感情は恥辱か、はたまた別の何かか。
「おやめください、お嬢さま」
ヨシノが至極冷静にあるじの胸元を直す。
メイドたちはひそひそと、変態だとか気が触れたなどと言っている。
この行為により、フロルは色々とぶっ壊れたのを感じた。
しかし、彼女は胸をなでおろす。これでいいのだ。
少なくとも、胸中に漂っていた邪悪な衝動は去ってくれたようだから。
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