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019.忙しメイドの憂鬱-04

※本日(3/17)2回目の更新です。

 ヨシノは男の頬を張った手を押さえた。

 チェインコイフで護られている上から叩いたためか、手のひらが熱く痛む。


「出逢ってすぐにビンタだなんて、ほんと、お約束だなあ」

 男はズレたコイフの下で笑っている。舐めた野郎だ。


「ヨシノのスカートの中を見てもいいのはわたくしだけですわ。反省なさい」

 こっちもちょっとおかしい。

「ところで、あなたとどこかでお会いしたことがありまして?」


 フロルが訊ねると、鎖帷子(くさりかたびら)の男は「何度か」と答える。


「それと、先週にギルドでもお見かけしました。トラベラーギルドの勇者、フロル・フルールさんですよね?」


 男は手を差しだした。

 フロルも手を伸ばそうとしたが、ヨシノは肘をつかんで制止した。


「なぜ、わたしたちの背後にいたんですか? 何が目的で?」

「まあまあ、ヨシノ。そんなにつんけんしないで。この人って、この前パーティーリーダーに怒られてた新米トラベラーさんでしょう?」


 フロルが言い当てると、男はコイフを脱いで照れくさそうに笑った。

 眩しい金髪と蒼い目、ずいぶんと整った顔立ちの青年だ。


「あら? やっぱりどこかでお会いになったことがございますわね……」


 フロルの態度が変わった気がする。

 こんな失礼な男に会ったことがあるなんて。ヨシノは彼を睨む。


「連盟の行事や王城のパーティーで何度か。ぼくとは直接、挨拶はしていないと思いますけど」


 そう言うと彼は鎖帷子の中から、翼の家紋の入ったメダルを取り出して見せた。


「まあ! ブリューテ家の!」


 フロルが両手を合わせて声を弾ませる。

 ブリューテ家はアルカス王国の名だたる貴族の一門で、代々聖騎士を輩出してきている。フルール家ほどではないが、血脈的にも破壊の女神の恩寵を受けやすく、破壊のアーティファクトを使った活躍もよく耳にする。


「お嬢さま、ちょっと待ってください」

 ヨシノはあるじを引っぱり、青年から背を向けさせた。

「ブリューテ家の若い男子が、騎士じゃなくてトラベラーなのは妙ですよ」


「言われてみればそうね」

「騙りかもしれませんよ」

「どうかしら? あそこはご令息が七人、ご令嬢が三人の大所帯だし。全員が金髪の青目だし、全部おんなじに見えるのよね。彼も似た容姿だから……」


 ふたりそろって青年を振り返る。

 居心地が悪そうに頭を掻く青年。


「えっと、名前を聞いたら分かると思います。ぼくの名前は“キルシュ・ブリューテ”です。ギルドでは頑固者のキルシュって呼ばれてます」


 青年が名乗ると、ヨシノとフロルは声をそろえて「あー」と言った。


 頑固者のキルシュは、落ちこぼれで有名だ。

 ブリューテ家の末息子で、見習いとして騎士団に入団したものの、基礎訓練すらも終えぬままに追放処分を受けている。

 原因は実力不足だけでなく、上官への反抗的態度などもあったらしい。

 ブリューテ家では前代未聞の出来事で、これに憤慨した当主が彼を勘当したという話は、酒場での酒のつまみになっている。


「トラベラーのパーティーも追放されて回ってるって噂です。本物でも、ろくでもないやつに違いありませんよ」


 そんな輩をうちのお嬢さまに近づけてたまるか。

 ヨシノはフロルの前へ出ると、野良犬を追っぱらうように、しっしと手を振った。


「ろくでもないって酷いなあ。実力不足は認めますけど、悪いのは士官やリーダー、父上たちのほうなんですよ」


 柳眉を逆立てて語る表情は真剣だ。

 ヨシノの耳元で「あら、すてきなお顔……」などと聞こえた。


 ――お、お嬢さま!


 ヨシノの脳裏で、恋愛小説がぱらぱらとめくられる音がした。

 心なしか、フロルの瞳が星空のようにきらきらしている。


「きっと、何か誤解がおありになったのね。お話を聞かせていただいても?」


 マズい。完全にご令嬢モードだ。


「騎士団の訓練で体罰が横行していたんですよ。ぼくは平気ですけど、仲のいい奴がやられて。女性入団者の頬まで張るんですよ」


「まあ! ビンタだなんて、最低ですわね」


「パーティーリーダーは、呪物指定のアーティファクトを隠し持っていたのを注意したのを根に持っていたんですよ。だから小さな失敗で追放したがったんです」


「キルシュさんは、正しいことをなさってたのね」


 確かに呪物指定の神工物は法に触れうる品だ。だが、然るべき管理法のもと、一般の目に触れないようにしていれば、おとがめはない。

 いのちの危険と隣り合わせの異世界旅行者たちが、呪物のメリットを活用するために所持するのも無理からぬことで、フロルも似たような品を保管している。


「お父様とは何が?」

「父上は、ぼくの……いえ、こればっかりは! 信じてもらえないでしょうし」


 キルシュは強引に話を切った。

 ところが、どこぞのお話好きの頭の中ではまだ続いているらしく、思案顔でぶつぶつ言っている。どうせ悲劇のストーリーだろうが。


「キルシュ様個人の話はけっこうです。それより、わたしたちをつけていた理由をお教えください。偶然に居合わせただけなら、お話もこれまでです」


 ヨシノはガーターリングにつけたナイフホルダーを意識しながら言った。


「あの、メイドさん。本当にごめんなさい。黒い下着を覗く気なんて、これっぽっちもなかったんです」


 殺すぞこの野郎。

 フロルが吹き出しながら、ヨシノの手が腿のナイフへ伸びるのを止めた。


 キルシュ・ブリューテいわく。

 つけていたのはふたりのことではなく、ふたりを案内していた戦鎚のおやじだ。

 リーダーの不正の疑惑をパーティー古参のおやじに相談し、ついでに稽古もつけてもらって、リーダーを見返して追放の撤回をさせようというつもりだったらしい。


「迷子になって、やっと追いついたと思ったら、おやじさんだけ帰ったあとらしくて。そしたら、有名な勇者で、フルール家の当主のかたがいたから……」


 キルシュは付け加える。「お若いのにご立派ですよね」

 フロルは慎ましやかに。「それほどではございませんわ」


「ぼくは、みんなのことを見返したいんです。乱暴な士官も、危険な呪物を持ち歩くリーダーも、ぼくを信じない父上も」


 キルシュの黄金の頭が勢いよく下げられた。


「フロル・フルールさん! ぼくをあなたのパーティーに加えてくれませんか!?」


 ――ダメに決まってるでしょうに。

 ヨシノは、これまでで一番上手に不快感を表情に現した。


「よろしくってよ」「お嬢さま!?」


 キルシュは「ありがとうございます!」と言い、無遠慮にフロルの手を取った。


 お嬢さまは手を握られながらも、にこにこしている!

 ああ、なんということだ。

 ヨシノの目の奥から、熱いものがこみあげてきた。


「わたくしの試験にパスできたら、という条件つきでよろしければ」


 ぺろり。お嬢さまの舌がくちびるを湿らすのが見えた。

 涙が引っこむ。何か企んでいらっしゃる?


「ぼくは身体が頑丈なのが取り柄なんです! タンクでも椅子でも踏み台でも、なんでもやりますよ!」


 ヨシノは鼻で笑う。「本当に役に立つんでしょうかね」


 お嬢さまのパーティーメンバーは、わたしひとりで充分だ。


 頑丈さでいったら、自分の右に出る者は存在しない。

 戦闘能力だって、ルヌスチャン仕込みだ。

 わざわざ外から人を雇わなくったって、フルール邸の私兵には騎士団経験者もいるし、逆にフルール邸の私兵を経験したのちに騎士をこころざし、聖騎士まで上り詰めた者だっている。

 顔がいいだけの見習い騎士以下なんて、不要だ。


「メイドさんにも、きっと認めてもらえるように頑張ります!」


 青年のさわやかな笑顔。白い歯がきらりと光る。



 次の瞬間、大地が揺れた。



 爆発のような轟音を聞き、発信源を探せば、祭壇の上で女神のげんこつを白壁に叩きつけている巫女の姿があった。


 またも祭壇が崩れ、こちらの足元にまで大地の亀裂が伸びる。

 亀裂も単なる衝撃によるものではなく、幽かに赤黒いもやを吹いていた。


「すごい威力だわ。さすがに壊されちゃったかしら?」

 フロルは心配顔で望遠鏡を覗きこんだ。

「あーあ、痛そう! 巫女の腕が折れたネギみたいになってるわ」

 にやにやとくちびるのあいだから白い歯を見せるお嬢さま。



 ……そんな彼女の姿が、とつじょ大きな影に覆われた。



「危ないっ!」


 危険な橋を渡るのをいくども手伝ってきたヨシノには、異常事態に感覚を限界まで引き上げる癖がついていた。

 またたきよりも早く脚部の筋肉が膨れあがり、ガーターリングがはじけ飛ぶ。

 リングが落ちるよりも早くヨシノの姿はその場から消え、大切なお嬢さまの身体を安全圏まで運び去った。


 そっと降ろし、砂煙が晴れるとともに目を丸くしたフロルが現れる。

「危ないところだったわ。ありがとう、ヨシノ」

 驚き顔が、ぱっと笑顔に変わる。


 ――この顔は、わたしだけのもの。


 いっしゅん抱いた独占欲を恥じつつ、ヨシノは背後を振り返った。


「キルシュさんは……」


 フロルが言葉を詰まらせる。

 自分たちがいた場所は、崩れた岩が山積みになってしまっている。

 チェインメイルに振り回される落第者が逃げのびたとは思えない。


「マズいことになりましたね」


 キルシュは追放された身とはいえ、名家の末息子だ。

 事故死の現場に居合わせたとなると、いらぬ噂が立って両家の関係にも摩擦が起きてしまうだろう。

 もっと悪いことに、少し離れたところには、貴族たちの失敗を舌なめずりして待つような連中がうようよいる。


 いまだに研ぎ澄まされたままの感覚が、フロルから発せられた憐れみのにおいと、こちらを察知した神官の遠い声を天秤に掛けさせ、「死体の始末」という答えを導きだす。


「お嬢さまは、すぐにこの場から立ち去ってください。わたしはキルシュ様の遺体を回収します。見られてもバケモノのふりをすれば、いくらでも誤魔化せるでしょう」


 ヨシノの白い腕が膨張し、赤と青の血管を不気味に際立たせる。

 伸びる爪はオーガのように、唾液したたる牙はグールのように。

 不死の女は、おのれの肉体にもっと醜くと命じた。


「ま、まだお亡くなりになったとは」「お嬢さま!」


 怒鳴りつける。

 同時に、研いだ聴覚が神官の言葉にフルール家の名が混じったのを拾った。

 だが、まだいける。フロルにバケモノとなった自分を斬らせれば、悪評を悲劇の英雄譚に書き換え可能。


 ――でも、そうしたら。


 彼女はきっと傷つくだろう。嫌われるのは自分のほうだろう。

 身体はことわりを無視して自在に操れるのに、こころのほうはなんと不自由なのか。


 従順なる下僕が命じる。お願い、消えてなくなって。わたしのこころ。



「いやあ、びっくりしましたねえ」



 岩山がなんか言った。

 がらりと音を立てて、金髪の頭が生えてきた。


「キルシュさん! ご無事でしたの!?」

「いや、驚かれたでしょう。ぼくって本当に頑丈でして」


 ヨシノは慌てて肉体の変異を戻した。

 キルシュは、どっこいしょと岩のあいだから這い出て、ほこりを払っている。

 にわかには信じがたいが、とにかく今は……。


「お嬢さま、彼を連れてこの場からすぐに離れて……っ!?」


 フロル・フルールは、キルシュ・ブリューテを見つめていた。


 頬を染め、瞳をうっとりと潤わせ、蜜でしめった二枚の花びらからは甘美な吐息を漏らしながら。


 そんで、「本当、頑丈なお殿方ですわね……」と、なぜか鞭に変形している腰のつるぎを愛おしそうに撫でて笑ったのであった。


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