017.忙しメイドの憂鬱-02
※本日(3/16)2回目の更新です。
「まったく、フルール家の財産だって無限じゃないんですよ。ただでさえこの紙切れにはお金が掛かっているのに」
ヨシノは拾い集めたティッシュを束ね、ぼろぼろの箱の中に戻した。
「でも、ハンカチやタオルと違って洗わずに捨てられるから便利じゃない。洗濯が減れば、ヨシノたちのお仕事の負担も減りますし、ねえ?」
「どのお口がおっしゃってるんですか。着替えを洗濯室へ持って行くので、お出しください」
差し出した腕に、生温かく湿った衣装が引っ掛けられる。
「どうせなら、ドレスや下着も紙にしたらどうかしら?」
「隙あらば肌を晒そうとなさらないでください。汗でいっぱつアウトでしょう」
「故意じゃないわ。布地は戦闘や探索で使い捨てることも多いし、同じよ」
「紙では防御力が無いでしょうに」
「当たらなければ平気ですわ。機動力を上げるために、布地も減らしましょう」
「……もう! わたしは行きますから、ちゃんと寝ていてくださいね」
叱りつけるも、ヨシノの腕にお嬢さまがまとわりついた。
「もう行っちゃうの?」
一対のピンクダイヤがきらきらと懇願している。
「忙しいのですが」「わたくしは退屈」「でしょうね」
ヨシノは腕に引っ掛けた衣装をドレッサーのほうへ放ると「ちょっとだけですよ」と言った。
「ありがとう。少しお話しましょう」
フロルはベッドのヴェールをいっぱいに開けるとベッドに腰かけ、隣を叩いた。
「陛下に聞いたんだけどね、異界の戦士には下着みたいな鎧を着て戦う女性がいるんですって!」
「まだ露出の話引っぱります?」
ヨシノが洗濯物に手を伸ばし直すと「待って待って!」ときた。
「異界といえば、ヨシノはマギカ王国のメイドさんを見たことあるかしら?」
「マギカ王国の? どこかで見たかもしれませんが、それと意識したことは」
フロルいわく、魔導の世界のマギカ宮殿のメイドのスカートは超短いらしい。
腿を半分隠す程度の長さしかなく、代わりに腿までのソックスで覆い、袖も肩までで、腕はほとんど出しているらしい。こちらとは正反対だ。
「とっても可愛いのよ。うちの屋敷の」「ダメです」
即答である。
ヨシノの頭に年増の先輩メイドの揺れる二の腕や、引退間近の老メイドの震える膝がちらついた。
「じゃあ、あなたのだけ」「わたしのだけ?」
お嬢さまはこちらを覗きこみ、「きっと可愛いだろうなあ」と言った。
そういえば、異界からの流行で、町娘のスカートが短くなった話を聞いた。
はしたないとか、男を煽っているとか眉をひそめる者も多いが、ヨシノとしては興味が無くもない。
普段のメイド服ではなく、何か別の衣装なら、そういうのもいいかと思う。
「でも、スカートが短いと武器が隠せませんね。荒事で困ります」
「じゃあ、ダメね」
照れ隠しまじりに言ったのだが、あっさり引き下がられてしまった。
だが、フロルは「でも、レリオさんたちのお祝いのときのドレスでは逃がさないからね」と笑った。
「異界のかたに女神の枕が誤解されるようなのはよしてくださいね」
「分かってますって。あ、戦闘といえば、風邪が治ったらすぐに第七遺世界に行こうと思ってるのよ」
「例の白壁ですか?」
「そう。面白いこ……マズいことになってるみたいで」
第七遺世界の白い構造物。
フロルは自分が切断したものと同質のものであれば、破壊の女神を祀る神殿の巫女や神官にも破壊できるだろうと踏んでいた。
ところが、数人がかりで挑んでも、巫女が第三宣誓を用いても、白壁はビクともしなかったのだ。
彼らはサンゲの眷属としての沽券に関わるとして、打倒白壁用に上級のアーティファクトの回収を強化したという。
「巫女の第三宣誓でも? 頑丈ですね。神官たちは鍛錬不足なのでは?」
「そうじゃないかもしれない」
フロルは自身の手のひらを見つめている。
「お嬢さまの力がそこまで?」
「わたくし最近、サンゲ神と会話ができるのよ」
「会話が? 女神様と意思疎通だなんて……」
程度の差はあるが、女神の枕の住人の何割かは、サンゲかミノリ、どちらかの女神からメッセージを受け取る経験をする。
だが、神殿にいる熱心な女神信者の代表の巫女ですら、一方的な宣託を受けるだけなのだ。
神からのお言葉は、人の身には重い。
ミノリ神のほうはまだいい。建設的なお告げや芸術のアイディアをくれる。
ところがサンゲ神の場合は「あれを壊せ、これを壊せ」というものばかりで、大抵は無視される。
創世者の片割れとして信奉していても、サンゲの破壊性は嫌われているのだ。
「世界を創ったうちの一柱だし、壁の正体も知っているはずでしょう? だからわたくし、訊ねたのよ。そうしたら、サンゲは……」
見かけ次第、すべて破壊しろと言ったらしい。
「なんというか、やっぱりですね。そこまでおっしゃられるあたり、ミノリ様の創った壁でしょうか? おふたりは仲が悪いですし」
「違うって言うのよ。でも、なんなのか教えてくれない。中身は好きにしろって」
「かといって、サンゲ様のいいなりは不安ですね」
「この前のがハズレだったから好きなようにさせていたけど、そこまで厳重に守られてるのなら、神殿組にくれてやる手はないわ」
余談だが、貴族連盟に所属する女神の眷属と、神殿の神官たちも仲が悪い。
貴族の場合は血筋を重視し、結婚相手に同じ眷属を選び、その恵まれた血を一層濃くしていく傾向がある。
ところが、神官たちは宣誓は女神からのギフトであり、人間の生物的な行為で故意に繋ぐのは穢れたおこないだと考えている。
神官や巫女に選ばれるのも、唐突に宣誓を授かった者だけだ。
活動としても、外世界に対して願いの力を行使しがちなトラベラーや騎士を輩出する貴族と、女神の恩寵のない異世界人を嫌う神殿組では意見が合わない。
表立ったトラブルを起こすことはないが、同じ神工物を欲しがるために、水面下、おもに遺世界の探索やオークション会場では、ばちばちとやりあっている。
莫大な資産を持ち、異界でも活動するフルール家やスリジェ家のような家柄は特に煙たがられているのだ。
「わたくしとしては、たまには花を持たせてあげようと思ったのですけど」
フルールの当主は鼻で笑った。
「でも、陛下が気にしていらっしゃるから、このままだとうちにお話が来るのも時間の問題。わざわざ神殿とことを構える必要もないし、国が絡めば壁の中身も手に入らないし……」
ヨシノは心の中でため息をついた。
悩んでいるふりをしながらも、お嬢さまの脚がぶらぶらと揺れている。
「つまり、またアレをやるわけですね?」
「そう、怪盗の出番! もちろん、チャンにはナイショで」
「ナイショは賛成しますけど」
口うるさい執事は、ヨシノも苦手だ。
なんせ、フロルの小さなころからいっしょに怒られ、しごかれてきた身だし。
「では、準備に取り掛かりますから、お嬢さまはしっかりとお身体を……」
ベッドから腰を上げるも、またも腕を取られた。
「もう少しだけ」
「郵便を確かめておかないと。王城からの書簡ですと、彼も目を通しますよ」
ヨシノは強く引っぱられ、ベッドに戻される。
「お願い、お姉ちゃん」
幼いころに「姉妹ごっこ」と称して遊んだのは、いつのことだっただろうか。
久しく聞いていなかった戯れの呼び名は、酷くぎこちなく、そう呼ばれるのが好きだったヨシノのこころをくすぐらなかった。
ヨシノは知っている、フロルがときおり、用もないはずなのに一族の墓所を訊ねることがあるのを。
ヨシノが腰を落ち着けると、フロルは断りもなくヨシノの腿へと頭を預けた。
「痛っ。何か当たったわ」
妹役が声をあげた。忘れていた。エプロンに本が入りっぱなしになっている。
「この本、悲しい物語だったんですけど」
「そうね、わたくしはそういうのが好きだったから」
「だった?」
訊ねるもフロルは答えず、うつぶせになり腿にあいだに顔を逃げこませた。
「まあ、分かりますけどね」
悲恋が描く様子は、すれ違いの多いフロルとセリシールに重なる。
「不幸なお話を求めるのって、自分が幸せで退屈だからって、誰かがおっしゃってたけど、わたくしはどんどんと好きじゃなくなっていく……」
お嬢さまは続ける。
子どものころには楽しめていたことが、面白くなくなっていく。
わたくしはわたくしだと信じているのに、いつの間にか違う自分になっている。
それは成長や進歩でもあるのだけど、なんだかそれが、怖い。
「わたしは、今も昔もハッピーエンドが好きですよ」
プラチナの髪をそっと撫でてやる。
「ヨシノは不幸ってこと?」
「まさか。わたしは、お嬢さまのそばにいるだけで、超絶ハッピーです」
ヨシノは嘘をついた。
――今は、少し悲しいです。
あるじを撫でる指に、温かい雫が触れる。
「独りでいると、余計なことばかり考えちゃうのよ。セリスがわたくしに何も言ってこないのって、どうしてかしら? 屋敷に忍びこんだのも、バレてるみたいなのに……」
いくらアーティファクトが必要だとはいえ、露見すればお取り潰しもありうるような手段を用いたのは、女神のそそのかしによるところが大きいのだろう。
怪盗を始めたころのフロルは、それを趣味やわがままに見せかけていた。
ほかの眷属とは違う、女神の重い干渉に悩み苦しみながら。
悩みに対するヒントを持っていたはずの両親はもう、冷たい土の下だ。
「わたしには、セリシール様のおこころのうちは分かりませんが……」
フロルも言う。「わたくしも分かりませんわ」と、寂しげに。
「でも、少なくとも、どこかでフロルお嬢さまを信じている。気づいていても、事情があるのだとお考えになってるから黙ってるわけです」
ヨシノは細い肩を手のひらで包んでやった。
「友情もまた、失われていないということですよ」
腕が取られ、手の甲へあるじの接吻を賜る。「ありがとう、ヨシノ」
「気晴らしも大切です。遺世界では、ふたりでたっぷりと羽目を外しましょう」
ヨシノは自分を見上げる少女をまねて、ほほえんだ。
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