表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/147

015.うら若き乙女は湯気がお好き-07

「ドンマイ、お嬢さま」


 ヨシノの手がフロルの濡れた肩を叩いた。

 気安いメイドの顔を見るも無表情。心の中ではどれほど同情しているやら。


 今回もセリシールとの仲直りは成らず。

 フロルは、ルヌスチャンに傷心のセリスのサポートを命じ、彼女がジュウベエの遺体とともに、熱き霧の世界から引き揚げていくのを見送った。


 怪盗趣味のチャンスもなかったし、張り切っていた兄妹の仲裁に関してもヨシノと、ほか一名に功を譲ってしまっていた。


「はあ……何がドンマイよ」


 フロルは湯の中へとぶくぶく沈んだ。


 ここはヘロン市西側の山間にある天然の湯どころ、つまりは温泉だ。

 粉雪の舞う夜。きっちりと整備された設備に、うら若き乙女たちの姿があった。

 太陽の舌盗難事件のかたがついたのち、とある人物から裸の付き合いの誘いを受けたのだ。


「フロル様はお友達想いなんですね。みなさんのおかげで命拾いをしました」


 東の工房のかしらボイランの姪、レリオである。

 彼女は豊満な身体を湯になかば沈めながら、金の濡れ髪をフロルに向かって下げた。


「頑張ったのはセリシールですわ。わたくしは見ていただけ」

「ウシの怪物をまっぷたつにしていらしたのを見た気がしたのですけど」


 レリオは顔を上げてくすくすと笑う。

 なんだか、何もかもお見通しという感じがする。


 彼女はジュウベエに人質に取られていたさいも敵を睨む胆力を見せ、解放されたのちも悲鳴ひとつあげずに状況を見守っていた。

 シリンダがピーストンに対して、ボウガンやらバットやら、研究用に置かれていた異界の熱線銃やらで大暴れをしていたのにも、まったく動じていなかった。

 それどころか、仲裁に入っていたヨシノの心配のほうに熱心だった。


 フロルがそのことに言及すると、彼女は「あれはシーちゃんの愛情表現ですよ」と、温泉のすみっこで背を向けている当人を見て笑った。


「愛情じゃないやい。兄貴のやったこと、まだ(ゆる)してないからね!」

「あらあら。シーちゃんは、私たちのことを祝福してくれないの?」

「そ、そんなことはないけど。いつかはこうなるって、分かってたんだし……」


 シリンダの怒りの根っこ。それは、彼女が幼少時からじつの姉のように慕っていたレリオと、実兄の婚約だった。

 彼女の父親が酔って窓から落ちたのも祝い酒が原因で、酒盛りに同席していたピーストンに対して、八つ当たり的なものを燃やしていたのであった。


「最初はお祝いしようと思ってたんだよ? でもさ、そのうちに腹が立ってきて、あたしらをほっといて、あいつだけ幸せになると思ったら、我慢できなくってさ!」


 兄と姉役の両方と離れて暮らすことと、父の事故死。

 フロルも、両親に先立たれたさいに置き去りに怒りを覚えたことを思い出す。


「あら、私も幸せになるのに。でも、シーちゃんがお祝いしてくれないなら、誰も幸せにならないかなあ」


 レリオはわざとらしく眉を下げた。


「お兄さんをうっかり殺してしまわなくてよかったですね」

 ヨシノが口を挟む。


「あいつはゴキブリ並みにしぶといから平気。小さいころからいつもあんなふうに喧嘩しててさ」

 シリンダは苦笑いだ。

「それより……。ほんと、よかったよ。ヨシノさんを殺してなくて」


 シリンダがピーストンへの攻撃をやめたのは、メイドの身体を張った仲裁……というよりは、事故だった。


 スチームバットの一撃がヨシノの頭を直撃したのだ。


 殴られ慣れた兄ならいざ知らず、さしものシリンダもそこで攻撃を中断し、倒れた友人の従者を前に頭を抱えて涙した。


「軽く打っただけですから」

「いやいや!? 血の海だったし、心臓も止まってたよ!?」

「慌てていて勘違いをしただけでしょう。心臓は動いてますし、血も持ち歩いていたトマトジュースがこぼれてそう見えただけです」

「トマトジュース?」

「こちらの世界にトマトはないのですか? 赤くて甘酸っぱくておいしいですよ」


 メイドは無表情で言った。

 誤魔化す気なのだろうが、「トマトジュースは雑でしょ」とフロルは小声で言った。


「ところで、さっきゴキブリって言ってたけど、この世界にもゴキブリがいるの?」

「いるいる。フロルのところにも? やっぱり黒とか茶色で、てかてかしてて?」

「そう! かさかさ走り回ったりして、気持ちの悪いあれですわ!」


 女子たちは悲鳴をあげ、ヨシノすらも「台所の敵」と表情を変えた。


 ゴキブリはどこにでも現れる害虫である。

 もともとは女神の枕には生息していない生物だったのだが、ゲートを通じてどこかの世界からやってきて繁殖したのだ。

 ほかの多くの世界にも進出しており、人のいなくなった遺世界ですらあの姿は確認されている。

 生態系への適応はもちろん、中にはその世界特有のルールに適応するゴキブリもいて、魔導の世界では魔物化したゴキブリが魔法を使ったなんていう話までもある。

 さいわい、女神もゴキブリのことが嫌いらしく、アーティファクトが反応するということはないが。

 人間やその近似種よりも、よっぽど多世界を股にかけるトラベラーなのだ。


「どうせならネコやヒツジみたいな、もふもふしたのが増えればいいのに」

「ネコとヒツジも女神の枕にいるの? うちから伝わったのかな?」

「あら? こちらからじゃ? だって、ゲートが開き始めるずっと前からいる動物らしいですし……」


 ふたりそろって首をかしげる。

 女神の枕では、二柱の女神があまたの世界を創造したと言い伝えられている。

 同じ存在が作ったものなら、被っても不思議ではないのだろう。


 ――でも、ちょっと待って。


 ゴキブリのように、世代を重ねると変化する動植物だってある。

 ネコは最初からネコで、ヒツジは最初から毛むくじゃらだったのだろうか?

 生き物だけではない。シリンダが語ったように、文明にも段階がある。

 石の時代から鉄の時代に、それから熱応用、電気、電子。

 フロルの世界は鉄と熱のあいだに位置する。それで充分だからだ。

 シリンダの世界は電気を拒んでいるために蒸気が盛んらしいが……。


 ――わたくしたちって、いつから「今の暮らし」をしていたのかしら?


 自分たちの世界も遥か昔には、未発達な異世界のように、石槍と皮の腰巻の蛮族が支配していた時代があったのだろうか?

 君主のアルカス王は九十二代目だが、彼らの前はどうだったのか?


 記録は残されていない。


 昔、興味本位で王に訊ねたところ、

「だって、本棚が足りんじゃろ? それにネズミがかじるし、おいぼれメイドが薪にしちゃうし……」と、適当に返されたのだった。


「フロル様、ぼーっとなさってどうしたの? のぼせてしまった?」


 レリオの心配に「少し考えごとを」と返し、疑問へと思考を戻す。

 戻すも、すぐさま邪魔が入った。


 ――気配。こっちの問題も忘れてたわ。今度は油断しないわよ。


 お嬢さまは温泉の木枠に置かれたレイピアを手にすると、第一宣誓の呟きとともにやいばを抜き放ち、湯から飛び出した。


 赤黒き炎が毛皮を舐め、悲鳴ひとつあげさせずに獲物を絶命させる。


「鎧熊だ! 温泉の周りは鉄の壁で囲ってあるのに!」


 シリンダは水の中をじゃぶじゃぶと移動し、今更ながらレリオをかばうようにした。レリオはやはり動じることもなく、「フロル様はやっぱりお強いですね~」なんて言っている。


「ねえ、シリンダ。このクマはどこから来るの? 最初からこの世界にいた?」

「いいや、ここ最近だよ。どこの誰が作ったのやら。あんまり疑いたくないけど、こういうことができる人って、限られてるから」


 シリンダは沈んだ表情になり、レリオから離れた。


「ピーストンさんやボイラン様なら作れるの?」

「多分ね。やろうと思えばあたしもできるかも?」

「わたくしとしては、ゲートを通してどこからか来てる可能性を推すわ」


「そうかもしれないけど、理由が分からないんだよなあ」

 技術者が唸る。


「こんなでかいクマを眠らせて手術したってことでしょ? 異界の技術でもっとパワーアップするとかならともかく、もともと頑丈なクマに単に鎧が埋めこんであるだけなんだ。手間も掛かるし、兵器としても微妙だし、侵略するにしたって、そんな技術のある世界が、うちの世界に欲しいものなんてある?」


 言われてみればそうだ。仮に征服を目論んで送りこんでいるのだとしても、やり方が非効率すぎる。

 

「でもこいつら、規格品っぽいんだよね」

「規格品?」

「そう。部品の大きさがそろえてあるんだ。妙なことに、クマ自体もみんな同じ大きさなんだよ。だから、何か意図されて造られたものだとは思うけど」

「ふうん?」


 それにしても大きくて立派なクマだ。

 フロルがぶった斬った断面からは大量の血が流れている。

 放っておくと湯を汚しかねない。


「ヨシノ、これを片づけるの手伝ってくれない?」


 メイドに頼むと、シリンダのほうから意外な返答があった。


「ヘーキヘーキ、ほっとけば消えるよ」

「消える?」

「そ、湯気みたいにね」


 シリンダの言葉と重なるようにして鎧熊は徐々に透明になり、完全に消えてしまった。


「魔物のたぐいってことかしら?」


 魔物と称される存在には、死すると今のように消滅したり、霧になって散るものがある。


「不思議ね。気配までもすっきりなくなってる気がしますわ」


 フロルはクマの死体のあった場所を四つん這いになって調べるが、血の一滴も残っていない。


「お嬢さま……!」ヨシノがこちらを見ている。

「何か気づいたの?」フロルも真面目な顔をして見返す。


「そろそろ湯の中にお戻りください。破廉恥ですよ」


 全裸である。


「これはしょうがないでしょ! まったく……」


 立ち上がれば、湯で火照った身体に雪山の風。

 刺すように冷たいが、意外と悪くない。

 もっとのぼせてから、そこの雪のかたまりに飛びこんだら気持ちがよさそうだ。

 熱い寒いを抜きにしても、誰も見ていない山の中でなら、服を着ていなくても平気かしら?


 ……などと考えながら、フロルはタオルを手に再び湯の中に戻った。


「ともかく、ゲートの捜索を本格的にやったほうがいいわね。アーティファクトで閉じれるから、見つかったらわたくしかセリスに連絡をして」


「ありがと。市長と軍に掛け合ってみるよ。クマを殺す武器を増やすよりも、元を絶ったほうが手っ取り早いしね。そしたら、ボイランさんたちも、ちょっとは違う研究に目を向けるかな」


「シーちゃん、その話なんだけど……」

 レリオが割りこんだ。

「叔父様は武器開発から手を引くって。軍に提出したサーモバリック砲のプランも撤回するっておっしゃってるの」


「なんで急に!?」

 勢いよく立ち上がるシリンダ。


「それはね……」

 レリオも湯からあがり、木枠に腰かけた。


 彼女の手は自身の胎のあたりに当てられている。


「叔父様、自分の孫みたいに喜んじゃって。戦争の道具なんて危ないものは遠ざけるって。言うの遅れて、ごめんね」


 微笑むレリオ。


「まあ、おめでたですの!? おめでとうございます!」「おめでとうございます」

 フロルは思わず手を合わせて歓び、ヨシノも続いた。

 めでたい話には世界代表の貴族として、たっぷりとお祝いをしなくては。

 祝いごとの好きな王様が聞きつければ、城の広間くらいなら貸してくれそうだ。


 ……だが、しかし。


「あ? なんか順序違くね?」

 義妹は眉間にしわを寄せていた。

「結婚式もまだだってのに義姉さんに手を付けたな! フロル、ちょっとその剣貸して! 兄貴のことまっぷたつにしてくる!」


 シリンダはマジで破滅のつるぎを引っつかんで湯から飛び出そうとした。

 慌てて取り押さえるフロルとヨシノ。


「おやめなさいって! 産まれる前からお父様がいないなんて寂しいでしょう!?」

「じゃあ、殺すのはやめて、兄貴と義姉さんの家では兄弟喧嘩の心配が無いようにしたげるよ!」

「それもおやめなさいって!」

「離してフロル! ぶった切るのは先っちょだけだから! ……って、わーっ! ヨシノさんに刺さった!? 血が! 血が!」

「あらあら、大丈夫?」

「平気です。トマトジュース」


 ……。


* * * *

 * * * *


 こほん。

 今回の一件でも、謎は増えるばかりです。


 魔導の世界の魔王は、女神様を敵視している様子。

 それは単に邪悪な支配者にありがちな不遜な態度なのでしょうか?


 回避され続ける戦争や終わらぬ戦争、変化しない文明、同じ生き物が住まうという共通点と、見えぬ歴史の底……。

 これらが有識者たちのあいだで議題に取り上げられたことはございません。


 しかし、この疑問にまとめて答えられる存在に、わたくしは心当たりがございます。


 そう、世界を創造した神々の一柱、破壊神サンゲです。


 牛人の魔物を切り捨てたさい、わたくしは故意に第三宣誓を用いていました。

 セリスのことを傷つけたおバカさん相手には、手加減は不要です。

 もちろん、洞窟を崩したときのような失敗はしないよう、力はセーブさせていただきましたけど。


 けれどわたくしは、せっかく助けた彼女に手を払われてしまいました。


 えっと、それは重要ではなく……いえ、重要なんですが、女神サンゲがそのときに生じたわたくしのこころの隙に忍びこもうとしましたでしょう?


 ルヌスチャンに課せられた忍耐の課題のおかげか、はたまた友情の力か、わたくしは、これを一蹴することに成功しています。

 つまりは、おのれの衝動を制御する力を高めたことに他ならないでしょう。


 干渉による脅威が減るのであれば、もしかしたらサンゲともまともに会話ができるかもしれません。

 そうすれば、立ち並ぶ多くの疑問への答えが得られるのではないかと存じます。


 今はまだ、あの子の悲しい背中がまぶたの裏に焼き付いて、そんな気分にはなれませんけど……。


 セリスも祝いごとには手を抜かないタイプですから、ご婚礼や新たな命の誕生を知れば、きっと笑顔が戻り、わたくしも同席する機会に恵まれるはず……。


 そのときこそ、再び手を取りあうことができる。

 そうすれば、わたくしの滅びへの心配も消え去り、何もかもが上手くゆき、世界の謎さえも紐解かれる。そんな気がするのです。


 あなた様も、そう思いになられませんこと?


 ……へっくち!


* * * *

 * * * *

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ