147.Hello, world
ただっぴろい空間だ。
いや、広いとか狭いとか、概念自体がないのかもしれない。
とにかく、一面のまっしろに、パソコンを乗っけたデスクとチェアが置いてあり、白衣を着た一人の男性が座っていた。
眼鏡を掛けていること以外、あまり特徴のない男だ。
年齢もおとなということが分かるくらいで、まったくの不詳。
男は何やら、ぶつぶつと独り言を言っている。
「セカイが創造し直されるとは、予想外だったねえ!」
彼はキーボードを叩くと、背伸びをした。
「でも、創世のプロセスが分かった。面白い。じつに面白いねえ。これで、セカイは私のものになったも同然。でもねえ、ようするに、この次元のことが、ぜーんぶ分かっちゃったわけだし、また退屈になっちゃうよ。次元のどこかに、ひびでも入ってないかなあ」
彼は残念そうに言っていたが、ふいに笑顔になった。
「仕方ない、今度はセカイ全部を手玉に取って、遊んじゃおっ♪」
何かを始める気か、彼は着席するとキーボードに向かってピアノでも弾くかのように両手を構えた。
「そこまでよ!」
女の声が響く。
男は腕を上げたままの姿勢で、椅子を回転させた。
闖入者は三名いた。
三人とも、同じポニーテールをして、肩を出した衣装にミニスカートという出で立ち、顔にはそれぞれ、隠す部位の違うマスクをしている。
「へんてこな格好。ちょっと下から覗くと、スカートの中身が見えそうだね」
呆れたような声をあげた男は、椅子に座ったまま身をかがめた。
「きゃあ!」「おやめくださいまし!」
悲鳴がふたつ上がる。
一名は何も言わずに、堂々と構えていた。
「さーて、黒幕さん。あなたからセカイを盗み返させていただきますわよ」
女は、鞭をぱちんとしならせた。
うしろでは、ほかのふたりが杖の素振りを開始する。
「念のために言っておくけど、私を殺すことはできないよ」
「存じておりますわ。ですが、こうしておかなくっちゃ、気が済みませんの」
「ふーむ。お約束ってやつだねえ」
「おっしゃる通りですわ。さ、お覚悟なさってね」
フロル・フルールはにっこりと笑って言った。
「それでは、さようなら。追放の先では、異次元の神々からも追われることになるかと思いますけど」
まっしろな空間に、血の花が咲いた。
* * * *
* * * *
ハロー、ディア! 女神の枕のフロル・フルールでございます。
わたくしたちの華麗なる活躍、お楽しみいただけましたでしょうか?
イレギュラーの連続で、あなた様には、お恥ずかしいところをたっぷりとお見せすることとなってしまいました。
一度は滅びてしまったセカイ。
ですが、わたくしたちの暮らすこのセカイは、再び在るべき形へと戻り、それぞれの歩調で進み始めました。
女神様たちは再び手を取り合い、あまたの世界を見守る仕事へと戻りました。
厳しすぎるさだめや法則を与えた世界には、謝罪と訂正をおこない、甘やかしすぎた世界には、ちょっとした試練や刺激が与えられるようです。
これらすべての世界には、共通したひとつの大きな変化がありました。
世界同士を繋ぐゲートがたくさん、一斉に花開いたのです。
これは、世界を修復したさいに、わたくしの力がほんのちょっぴりだけ強かったせいだと、女神様たちはおっしゃっていました。
女神に反抗する勢力が滅びたとはいえ、誰しもが手を取り合うのは簡単な話ではございません。そんな世界たちが縦横につながってしまえば、どうなるか。
これまた、わたくしのせい。あちらこちらで諍いが起こりそうで……新たな友情やドラマが生まれてきそうで、なんだかわくわくしてきませんこと?
世界のことばかりではなくって、わたくしたちのこともお話しなくっちゃ。
わたくしの親友のひとり、シリンダ。
彼女は太っちょの技術者レクトロさんとご結婚なさいました。
技術者コンビということで、おふたりは今日も機械いじりでしょう。
彼女たちの結婚生活についてはよく存じませんけど、シリンダはちょっと太って、レクトロさんは反対にお痩せになったようです。
次に、フルール家の領土が少し減ったおはなし。
インファさんとボッコーさんは、念願の農場を手に入れました。
うちで働いていたあいだに彼らを慕う人が増えたみたいで、彼らの領土に移住していった領民もいらっしゃいましたの。
なんだか村がひとつくらいは作れてしまいそうな人数ですけど……、ウサギの領主さんとネズミの農場主さんは、果たしてスローライフを送れるのかしら?
次に、お城。
九十二代も続いてきたアルカス王家は、存続の危機に立たされております。
なんと、長男であるベンジー王子が行方不明になってしまわれたのです。
同時に、創造の神殿の巫女が代替わりしたという噂も流れてきました。
いっけん無関係そうなふたつの事柄ですけど、わたくしの頭の中に積み上げた小説たちがぱらぱらとめくれ、ロオマンスのページを開いてますわ。
あ、余談ですけど、破壊の巫女は相変わらずです。
さて、第一王子とくれば第二王子。
エチル王子は、マギカ王国との交換留学生を終えました。
終えて帰界なさったはずなんですけど……彼はどこに?
まあ、彼の性分ですわね。
そうなれば、アルカス王はひとりぼっちでしょうか?
いいえ、あなた様には報告しておかなくてはなりませんね。
調和の眷属として、再創世を担ったひとりの少女。
わたくしたちの可愛い妹アーコレードには、神々からひとつのご褒美が与えられました。
お亡くなりになったはずのシナン王女が、セカイと共に蘇られたのです。
ミノリ様が、彼女のたましいをこっそりと確保していたそうです。
もちろん、王様とアコは泣いて喜びました。
あまたの世界と女神様をも巻きこんだ、連日連夜のパーティーの開催です。
わたくし? わたくしは泣いておりませんわよ。嬉しいのはもちろんですけど。
本当よ? だって、驚きのあまり気絶した相方を介抱するのに忙しかったし。
王女はすっかり健康になられて戻られましたけど、これはこれで王様の新たな心労の種になっているご様子。
なんといっても、失踪なさる兄と弟を持ったかたですもの。
わたくし、王女と妹分に、「異世界の宇宙の旅」なんてものを相談されたのですけれど、さてはてどうなることやら。
その妹分。アーコレード・プリザブ。
彼女はスリジェ領から引き揚げて、故郷へ……。
魔導の世界から名を変えた、“人魔の世界”へと帰ってゆきました。
かの世界は魔族の王と人の王、そして“仲立ちの王”の三人が治めるそうです。
新たに立てられた仲立ちの王がたいへん美形らしくて、人魔両方から好評で、彼のとなりの席を巡って新たな人魔戦争の時代が迫っている模様です。
もちろん、兄と同様に容姿に恵まれたアコも、異世界外交官としての再スタートを切ってからは、あまたの異界人からお誘いを受けている様子。
暇を見つけては、こちらの世界で友人たちとお茶をして、ため息をついています。
彼女は、出逢ったころはわたくしもびっくりの跳ねっ返り娘でしたけど、今ではわたくしたちの中で、いちばんおしとやかでしたたかで、一途になりました。
そう、あの子はずっと待っているのです。
キルシュ・ブリューテこと、アキラ・スメラギさんは、女神様たちの力を借りて、次元の壁の向こう、別の神々の領域へと旅出つこととなりました。
もともと別次元から迷いこんだ存在ということもあり、生まれ故郷や生き別れたお姉さんは、この次元にはいらっしゃらないのだそうです。
同じ世界から流れてきたユリエ・イヌヤマさんは美少女の肉体を手に入れ、どこぞの世界で獣人と奴隷を従えてもふもふライフを送ってるのですけど、人それぞれでしょうね。
ところで、そのアキラさんなんですけど……ついこのあいだ、うちの屋敷の庭をうろついているところをチャンに発見されました。
彼いわく、「もう過去にこだわるのはやめにした」とのことですけど、アコに会うための口実をわたくしに相談しにきただなんてぬかすのものでしたから、鞭打ちの刑に処しておきました。
そういうのは、ご自分でなんとかすべきでしょう。これはわたくしの、ちょっとした意地悪です。
本当に旅立ったのは、わたくしの唯一の家族であるヨシノ・フルールです。
彼女は本当の生まれ故郷を探して、屋敷を出ました。
今ごろ、どこかの異世界で、わたくしも知らない景色を眺めていることでしょう。
元気かな、ヨシノ……。
まあ、週末ごとに、お土産と新しい茶葉や茶器を携えて帰ってくるのですけど。
今や彼女の部屋が、家人たちの中で、いちばん散らかっていますわ。
わたくしの周りで、多くのものごとが変わってゆきます……。
いっぽうで、わたくしと盟友セリシール・スリジェは相変わらず、女神の名と家名を背負っての活動を続けております。
お互いに忙しく、会う機会や想い合う回数も、少しづつ減っていっています。
けれども、寂しさは感じません。わたくしたちは確かめなくっても、常に一緒ですから。
とはいえ、彼女の執事が申しわけなさそうに訪ねてきては、某世界の結婚事情を記した調査書やら、婚礼の義に使う道具やらを置いていきますし、部屋の隅にはチャンが持ってきたお見合いの写真が山積みですし、そろそろ何か考えないといけないような気も致しますけど……。
ま、難しく考えるのはやめにしましょう。
わたくしたちはもはや、何ものにも囚われることがなくなったのですから。
ペンを置きます。
わたくしは、したためた手紙を折って、鳥の翼を形作りました。
あるいは、飛行機に見えるというかたも、いらっしゃるかもしれません。
お部屋に開いた、小さな青空のようなゲートに向かって、手紙を送り出します。
どこを、飛ぶのでしょうか。
誰かに、届くでしょうか。
さあ、出かけましょう!
ありのままのわたくしで、ありのままのセカイへと!
……今度わたくしたちが訪ねるのは、あなた様の世界かもしれませんわね?
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おしまい。
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