014.うら若き乙女は湯気がお好き-06
――早い!
開幕直後、ジュウベエはすでにセリシールからひとまたぎの距離まで迫っていた。彼の刀が円を描き、宙に炎の軌跡を残す。
「傷を焼き塞ぐ拙者の剣は、治癒の法術でも癒せぬぞ」
しかし、同じくいつの間にか。
セリシールの短刀は虹色の結晶のようなものをまとい、尺を大きく伸ばして斬撃を受け止めていた。
「匕首も神工物か。理を無視し、世を玩具のように弄ぶ腹立たしき女神め」
鍔迫り合う剣士の顔は悪辣そのもの。彼は、はたと刀の異変に気づく。
「むっ、結晶が伝染して」
短刀がまとった結晶が増殖し、ジュウベエの刀まで呑みこもうとしていた。
「降参なさってください。いのちを奪う気はございません」
「生意気な小娘め!」
互いに細腕とはいえ、名家のご令嬢と剣士の差がある。
ジュウベエは癒着した刀をセリシールごと持ち上げ、がら空きになった彼女の胴へと掌底打ちを見舞った。
――まだよ。こらえなさい。
フロルの手が剣の柄を固く握る。
手加減をしなければ、セリシールでも異国の戦士におくれを取ることはない。
ジュウベエの言う通り、女神の願いは、理論や理屈を無視する。
火を熾すのに魔力も燃料も不要で、砂漠に氷の城をも建てられる。
だが、心配だ。お人好しの足はまだ治ったばかり。
フロルはもぞもぞした。
セリシールは苦悶の声をあげながらも、刀を手放さない。
そのうちに虹色の結晶が刀身のなかばまで到達して圧し潰し、鋭い金属音とともに刀をまっぷたつにへし折った。
――よっしゃい!
「ぬう、銘刀強勇絶倫が!」
「今度こそ降参なさってください」
脇腹をかばいながらの通告。
ジュウベエは後方へ大きく飛び、退きざまに腕を繰る。
光の筋が彼とキモノの娘を結ぶように煌めき、彼女は短刀を取り落として両手で首を覆った。
『やつはテグスでセリシールの首を掻く気らしいぞ。よいのか?』
女神サンゲの問いがフロルの胸の底を撫ぜる。
『細く美しい首だな。あれをそなたの手で締めるさまを思い浮かべてみよ』
フロルは、胎の下あたりが熱くすぼまるのを感じた。
錯覚だろうか、手のひらが温かい。友人の首筋に手を触れている気になる。
――何考えてるのよ……。
プラチナの髪を激しく振り、女神の誘惑を遠ざける。
しかし苦しげな親友の表情。その苦悶のくちびるが何かを呟いた。
ふいに、セリシールを虹色に光る半球状の膜が覆った。
彼女が肌身離さず身に着けている“守護の指輪”の力だ。
バリアに遮られたためかテグスが切れ、セリスは尻もちをついて咳きこむ。
「結界か。しかし、籠城するだけでは拙者は倒せぬぞ!」
ジュウベエは輪を作った両手の指を結び、「ニン!」と叫んだ。
キモノ男の背から炎が立ちのぼり、影のごとくに伸びて結界を包みこむ。
「蒸し焼きにして進ぜよう!」
恐らくは通じないだろう。
放たれた火術は、彼の世界ではポピュラーな魔力を使ったものだ。
今、フロルが察知した気配が魔力なのだとしたら、宝物殿を守っていた魔女姉妹が扱ったものの半分以下といったところだろうか。
――それよりも、別の気配がある。
ふたりの戦いを見守りながら、周囲に充満する気配を細かに嗅ぎ分ける。
セリシールに手を貸す女神ミノリの気配。嘲笑い煽り立てるサンゲの気配。
「いつでも動けますぞ」という執事と、そのうしろで身を寄せ合う博士と姪。
背後ではもう気配というか、研究室にある武器を片っ端から使って兄を攻めるシリンダを止められずにヨシノが困り声をあげているのが聞こえる。
待ちに徹することで、視えてくるものがある。
ジュウベエからは魔力とは別に、「別の存在」を感じ取っていた。
それも、自分がサンゲのそそのかしに乗せられたときに似た違和感に近い。
「強固な結界よ! 憎し隔たりよ! やはり世界を隔てたのは女神。世界を停滞させるのは、よこしまなる女神!」
ジュウベエが歯を剥き、目を血走らせた。
反撃する気か、結界がほどかれた。
セリシールが袖を振ると、虹に光る複数のやいばが敵の脚へと飛び掛かった。
無から生まれた願いの結晶は、確かに肉へと深く沈みこんだ。
しかし、ジュウベエは負傷をもろともせず飛びかかる。
「セリス、そいつは魔物よ!」
忠告が届いたか、セリシールがしゃがみ、床にカードを持った手をつく。
宣誓をつぶやく友の顔はいつかの侮蔑を宿し、床から生えた巨大な虹色の結晶がジュウベエの腹を容赦なく叩いて、彼を天井近くまで打ち上げた。
砕け塵となる結晶。その中を落ち、背中から、どうと叩きつけられるジュウベエ。
「……女神の手先め、見抜きおったか。だが、魔物というのは間違いだ」
ジュウベエの身体が痙攣すると、口の中から紫のもやのようなものが這い出てきて、筋骨隆々の大男の形を成した。
その顔は雄牛と瓜二つで、黒光りする角が逞しく、長く爪を伸ばした剛腕と、蹄の脚を持っている。
それから手が高くかざされ、その中に巨大なバトルアックスが現れた。
「我が名は魔王軍が四天王、カルビタウロス。ムサシノジュウベエの身体を奪い、将軍トクヤマイエミツを抹殺せよと、魔王様よりご命令を賜った。将軍は殺す必要もない腑抜けだったため……」
四天王を名乗った魔物はべらべらと状況説明を始めた。
やっつけるチャンスだ。
だが、隙を見逃さなかったのは四天王とやらのほうだった。
セリシールの視線は、血を吐き苦しむ剣士に釘づけだ。
戦斧が空振りされると、暴風が巻き起こり、作業台や瓦礫を吹き飛ばした。
キモノの娘も紙切れのように飛び、壁際の蒸気器具のタンクに叩きつけられる。
「お遊びはここまでだ、人間ども!」
カルビタウロスが再び斧を振り上げる。
やいばが妖しく光り、その場からでも追撃を加えられることを教えた。
「さ、させぬ……! 逃げるのだセリシール嬢!」
蹄の脚にすがりつく者あり。ムサシノジュウベエ。
しかし彼は蹴り上げられ、鋭い爪によって腹を裂かれて倒れた。
その弾みで、ふところから何か転がった。盗まれた破壊のアーティファクト。
「愚かなりジュウベエ! そなたも憂国の剣士であろうに! 本来ならば、そなたら人間も慈悲深き魔王様の軍門に迎え、世界を隔て弄ぶ邪神どもに抗するともがらとするはずだったものを。勇者という才ある存在を刺客に向けては無駄にし、聞く耳も持たず……」
ふいにウシ男の演説が止まる。
頭頂部から股下へかけ、一直線に血色の筋が走っていた。
彼は断面を黒く燃やし塵に帰しつつも、一撃を放った相手を睨んだ。
多世界を股にかけるトラベラー、女神の枕において勇者と称される女。
「わたくしの友人に怪我をさせましたわね」
カルビタウロスの口はなんぞ呟いたが、滅びの炎に包まれ永遠に消え去った。
「セリス!」フロルは友の身を案じ、駆けつける。
ところが案外元気だったらしく、セリシールは髪の香りだけ残してすれ違ってしまった。
「ジュウベエさん!」
腹から臓物を散らかした男へとすがりつく。
「すぐに癒して差し上げますから!」
戻しの虹帯が破れた腹へと押し当てられ、創造の第二宣誓が唱えられる。
帯はまばゆい光を溢れさせ、臓物もひとりでに腹へと帰りはじめたものの、血の海は光を掻いくぐるかのように広がり続けた。
「よいのだ、セリシール。拙者の魔に抗う力が未熟だったため、そなたに迷惑を掛けてしまった。ボイラン殿にも……」
ジュウベエの声は、今にも折れてしまいそうなほどか細い。
「ミノリ様! このかたは魔王の配下に操られていただけなんです! どうか、第三の宣誓をわたくしにお授けください!」
セリシールは天を仰いで懇願し、誓いを口にした。
しかし、帯は応えず、光を失った。
「殿、申しわけございません」
喘ぐジュウベエ。その瞳にはもう光はない。
「すまぬ、お竹、お松。拙者は異界の地で果てる」
異国の剣士はこときれた。
泣きじゃくる友人。フロルは慰めんとその肩に手を掛ける。
「……!」
振り払われるフロルの手。
二度も無碍にされた想いはこころに亀裂を生み、割れ目に何かが入ってくるのを感じた。
『あんまりよのう? そなたはこんなにも友を想っているというのに』
眩暈がした。ふらつくフロル。
視界の隅に、ジュウベエの盗んだ太陽の舌が映った。
脳裏に浮かぶ、世界が灰となるヴィジョン。
『案ずるな、そなたの友を傷つけはしない。諸悪の根源は、ウシのバケモノであり、それを束ねる魔王とやらだ。魔導の世界を数千年の争いから解放してやる大義があれば、破壊の力も心置きなく振るえよう? さあ、フロル・フルール。わらわに身を任せるのだ……』
フロルは太陽の舌をつま先で蹴飛ばし、「お黙りなさい!」と一喝した。
世界の破壊だの、魔王だのは眼中に無かった。
お嬢さまの目には、両手で顔を覆って肩を震わせる友人の姿だけがあった。
――動いて。わたくしの身体。
もう一度手を差し伸べたい。悲しみに濡れたあの子を抱きしめてやりたい。
……さりとて、身体は頑なで応えず。
荒れ果て、むせるような血潮の香りに満たされた作業場に、すすり泣きは続いたのであった。
* * * *
* * * *




