137.試練の星のひとかけら-06
勇者アレンを苛んでいたはずの光の魔術が、彼の中に染みこんで消えた。
同時に、その勇者の姿も消えたかと思うと、アコは何か柔らかいものの中へと背中から突っ込んでいた。
――見えなかった!
慌てて立ち上がると、肩や服の隙間からたくさんの砂が落ちてきた。粉みじんになった施設の瓦礫に突っこんだらしい。
勇者はどこかと気配を探るも、砂ではないものがぼたぼたと身体から滴っていることに気づいた。
不変をつかさどる女神の守護を抜けて、肩から脇腹にかけてばっさりと斬られている。
痛いと感じるより前に、肉体を蘇生させる魔術で傷を塞ぎ、すぐさま上空に飛翔した。
追って姿を現す勇者。彼は光でできた人形のようになっていた。上昇はあちらのほうが早い。銀色の人型ロボットの速度を思い出す。
殺されるかも、と思った。そうでなくとも、守護を突破されることはイミューへの負担になる。反射的だった。
アーコレードは手を突き出し、勇者に向かって魔術を放っていた。
単純な指向性の爆発魔術。だが、威力のセーブに失敗し、飛び散ったアコの莫大な魔力が遠方にいくつものキノコ雲を作り、大地に更なる亀裂を入れた。
「しまった!」
腐った実が落ちるように、勇者がぼとりと落ちていくのを煙の隙間から見た。
殺してしまっただろうか。肉体蘇生の魔術を編みながら勇者を追跡する。
だが、アレンはまだ剣を握っていた。再び光の人となった彼は落ちながら剣を構え、宙を蹴った。
アコは、アレンを癒さねばと思うあまりに、加速し過ぎていた。
相対速度による加速の加味。回避も間に合わない。
なんとなくの直感だが、首筋に冷たいものが触れるのを感じた。
次の瞬間、黒いものが視界を横切った。
慣れ親しんだ魔力と気配が、少女の胸をきゅっと締め上げる。
アコの瞳に映ったのは、銀髪の青年。
「アキラさん!」
呪いは解けたらしい。無事を喜ぶのもつかの間、彼はすでに勇者と戦い始めてしまっている。
「驚いた。あんたももしかして、勇者だったりする?」
光の勇者が言った。彼は白い大剣の一撃を受け止め、軽く弾いた。
アキラは反撃こそは貰わなかったようだが、勇者の攻撃をいなすので精一杯のようだ。
「アレン様と戦ってはダメなんです!」
剣戟だけでなく、魔術の打ち合いも始まり、アコの声は届かない。
イヤリングの存在を思い出し握ってみるも、爆音に耳が苛まれるばかりだ。
地上に降りてイミューを探すことにした。イミューなら、じかに声を届けられる。
砂煙の中で淡く光っているのは魔王だろう。彼は星を呼び寄せているようだ。
天を見上げるも、まだ隕石がやってくる気配はない。
術の妨害をするのは今がチャンスだが、アコはそれを検討する前に女神の姿を見つけてしまった。
イミューは地面にうずくまっていた。
「大丈夫?」
「大丈夫……。だけど、これ以上消耗したら、こちら側にいられないかも」
そうなってしまったら、今よりも加護が弱くなってしまう。
死んでしまっても、たましいを捕まえることもできない。
「こっちに居ても、みんな同時にやられちゃったら、捕まえきれないよ」
あたし、役立たずだよ。悲しげなつぶやき。
「お願い、イミュー。戦いを止めるのを手伝って」
イミューはうずくまったまま顔を上げない。
「私たちの女神様がピンチなの? あのヤバそうなイケオジは誰?」
女性の声。いつの間にか、そばに滑らかな黒毛皮の獣人が立っていた。
「ユリエさん。あれは魔王カールニミートです。あたくしの世界で魔族と人間が同盟を結んだらしいのですけど、女神の眷属は敵だって。魔王は女神様たちが自分たちを見放したって誤解してるんです」
いつの間にか煙は晴れ、あらわとなった魔王は天に向かって両手を突き上げる姿勢になっていた。足元の魔法陣も激しい光を波打たせている。
「あれは何やってるの?」
「古代に失われた禁術、星落としの魔術です」
ユリエは「最強魔法のメテオじゃん!」と声をあげた。
「すぐにやめさせないと!」
アコは駆け出そうとした獣人の腕をつかんだ。
「今のユリエさんは普通の獣人でしょう? これ以上、イミューに無理をさせると、みんな加護を受けられなくなります」
「大丈夫! ふたつ前の身体のこと、けっこう染みついちゃってるの」
ユリエはネコ科の手から爪を出してみせた。
何が大丈夫なのだろうか。とりあえず信じて手を離してやると、ユリエはまっすぐに魔王へと駆けていった。この短期間で慣れたのか、見事な四足歩行だ。
だが、魔王は迫りくる獣人を一瞥するも、無視を決めたか再び天を見上げた。
「とりゃーっ!」
腕を振るって、ネコの引っ掻きいっぱつ。
三本の青い爪の軌跡が描かれた。
「ぬおおおおっ!」
闇の王者が黒い血を噴出しながら絶叫した。
青い爪痕は空間に取り残されており、一拍置いて消えた。
「あれは、空間を斬る力!」
なるほど、どういう仕組みかは分からないが、異次元から来た女性の肉体を使っていたときの能力を引き継いでいたらしい。
「って、魔王様も倒したらダメですよーっ!」
「にゃーーーっ!」
わざとらしい悲鳴をあげながらユリエが滑って戻ってきた。
魔王はダメージこそ負ったようだが存命、ユリエに反撃を見舞ったらしい。
魔術のポーズも解け、魔法陣も消えている。
「ナイス匙加減でしょ?」
仰向けになった獣人が親指を立てた。
ところが、きゅっと、ネコの目が細くなり、彼女は呟いた。「やばっ……」
つられて見上げると、いびつなイモのような物体が空に見えた。
すでに普段目にする月や太陽よりも大きく見え、じわじわと近づいている気がしないでもない。
「星落としの術は完成した。あとは、この大地がおのずと引き寄せるだろう」
魔王は胸の傷を撫でて癒すと、「さて、足止めをさせてもらおうか」と言った。
「魔王様、聞いてください!」
「聞かぬわ。姑息な騙し打ちをしおって。さすがは高慢なる女神の眷属どもよ」
魔王は激怒しているようだ。渦巻く魔力と負のオーラが天高く伸びて塔のようになっている。
「ごめん、責任取ってくる!」
ユリエは跳ね起きると、また魔王のほうへ走っていってしまった。
「イミュー」
もう一度、呼びかける。そっと背を撫でてやり、なるべく優しく。
「このままじゃ、世界はめちゃめちゃになっちゃう。人と魔族もやっと手を取り合えそうなのに」
魔王はユリエを敵と認めて戦いを始め、世界を切り裂く爪を警戒しながらも、妖しい魔術の球体を操り、追い立てている。いったん回避に転じたユリエは、攻めるタイミングを見失ってしまったようだ。
いっぽうで、上空では勇者アレンがアキラに追われていた。アコから吸った光の力が失われつつあるのだろう。
「あたくしたち、いっしょに色んなことをしたでしょう? ゲームをしたり、お買い物に行ったり、お食事をしたり。また、みんなで行こう。今度は、お姉さまがたもいっしょに、ほかにもたくさん友達を紹介するよ」
「……」
「ほら、あれはどこの世界だったかな。映画の続きがもうすぐ出るって。イミューは観がってたよね。それに、お弁当を持ってみんなでピクニックしたいって、言ってたよね」
うずくまった女神から声が聞こえた。「この前のアイスの当たり棒も、まだ交換してない」
「したいこと、たくさんあるでしょう。だから」
手を差し出す。
女神は顔を上げた。泣き腫らした幼い少女が鼻をひとつすする。
「でも、きっとみんな怒るよ。サンゲと仲直りができても、世界の人たちは赦してくれない。あたしは要らないんだよ。要らない神様なんだ」
「あたくしには必要だよ。女神様でも、そうじゃなくても」
アコは努めて明るく言った。
「大丈夫! あたくしが手伝います。あなたは調和の女神で、あたくしは調和の眷属です。本当なら、仲直りは得意分野のはずでしょう?」
アコの手のひらに小さな手が伸びた。
しかし、それは触れる前に引っこめられ……。
代わりに、小指が突き出された。
「約束、してね」
「うん、誓って」
堅く結ばれる小指と小指。
まるで初めからひとつながりだったように、永久に解けることがないように。
女神が先に力を緩め、指は離された。
彼女は立ち上がると、アコに笑いかけ、ふっ、とその姿を消した。
『みんな、聞いて!』
イミューの声が聞こえる。
すると、周囲でやかましく続いていた戦いの音が止んだ。
『あたしは、破壊と創造に続く第三の女神、調和の女神イミュー』
魔王や勇者の頭にも声が届いているらしい。彼らも攻撃をやめて空を見上げている。
特に、魔王は言葉が真実であると直感的に見抜いたらしく、「第三の女神など、聞かされておらぬぞ」と、憎々しげに言った。
『魔王の言っていた世界の停滞は、あたしが原因を作ったの。あたしたち三柱の女神のバランスが崩れたのは、あたしがサンゲとミノリを封印したせいなの』
「なぜ、封じたのだ」
『あ、あたしたちのあいだで諍いがあったの』
声がちょっと小さい気がする。
魔王が「諍いの理由は?」と追及すると、もっと小さな声で『世界を創るにあたっての、方向性の違い……かな』と、返事がなされた。
「つまり、俺たちは女神様たちの喧嘩の巻き添えを食ってたってこと?」
勇者は気怠そうだ。
「女神らは、みずから創りし者への愛はないのか」
『大事に思ってるよ。あのときのあたしは勝手だったから……。サンゲとミノリは封印されているあいだも、世界が正しく成長できるようにって、頑張って手を打ち続けていたの』
「つまりは、責はそなたにあるのか」
魔王の声は、やはり厳しいものだった。
アコは、まるで自分が叱られているような気がした。
アキラやユリエも、どことなくうなだれているように見える。
『……ごめんなさい。世界を元に戻すのを、手伝ってください』
イミューにはこれが精一杯だろう。実際、これ以上に打てる手もない。
――お願い、ふたりとも。イミューのことを赦してあげて。
アーコレードはまぶたをぎゅっと閉じて、両手を握りあわせて願いを掛けた。
空気が震え出しているのを感じる。星が近づいているのだろう。
アキラやユリエが最初に生まれた世界には、流れ星に願いを掛けるおまじないがあるという。
あれは大きすぎるかもしれない。けれど、破滅を導く星のかけらにすらも、頼りすがりるほかになかった。
「やってらんね」
言ったのはアレンだ。勇者は剣を乱暴に地面に放り投げた。
「付き合ってらんねーよ。あんた、調和の女神って言ったな。バランス調整の神様が場を乱してたら話になんねーよ。ほかの二柱の女神様が上手くやりゃ、あんたなんていなくてもいいんじゃないのか?」
イミューが息を呑むのが聞こえた気がした。
アキラとユリエが言い過ぎだと声をあげる。
――魔王は。
再度まとったオーラを解答としていた。
長年、苦心惨憺の努力をしてきた彼にとっては受け入れられない事実だろう。
――やはり、ダメなんですね。
アーコレードもまた、魔力を練り上げ始めていた。
魔導の世界は自分の故郷だ。だが、自分たちの肩にのしかかっているのは、女神のいだく次元のすべてにある、もっとたくさんの世界だ。
――本当に裏切者になっちゃうな……。
加勢の来た今ならば、勇者と魔王を倒してしまうことも簡単だろう。
同じ轍は踏まない。加えて、光の勇者のやったことをまねさせてもらう。
おのれ自身の魔力を高めつつも、同じ勇者の肉体を持つアキラへとエネルギーを送りこむ。
アキラも意図を汲んでくれたか、こちらを見てうなずいてくれた。
「アレン殿! 魔王殿!」
……滅びを目前としたこの期に及んで、また闖入者らしい。
アーコレードは思わず魔導を中断し、新たに現れた気配に疑念を感じながら、その者に問いかけた。
「お、お兄さま……?」
いや、魔族だろうか。魔の者の気配もある。
しかし、確かに声は兄だった。
あの魔王と同じ翼――左だけの片翼だ――を背に宙に浮かぶ姿は……。
「シャルアーティーか」
魔王が唸った。勇者は「俺、知ーらね!」と言って、剣を鞘に納めなおした。
「妹に会ったら説得してくれと頼んだのをお忘れか」
片翼の魔族が下りてくる。
「お兄さま、なんですか……?」
近くで見ると、シャルアーティーは、もはや人の姿ではないことが分かった。
長い銀髪。見知った顔立ち。しかし、額の左側からは魔王と同じ黒い角を生やし、その両眼は赤々とした魔法の色をたたえて、瞳孔も爬虫類のように細い。
身体も、右側はかつてのシャルアーティーだったが、左側は肌が鱗に覆われ、爪は黒檀のようで、何かの亜人のごとくに変わり果てていた。
「久し振りだな、アーコレード。私は魔王の血を受け入れたのだ」
「魔王の血を!? どうして!?」
「人魔同盟の証人となるために、みずから望んでだ。新たに得た魔族の姿と力をもって、人の味方であることをみずから示すつもりでな。本来なら、もっと魔に寄った姿になるはずだったが、どうにも中途半端になってしまってな」
「そっか、調和の加護のせいで……。で、でも、なんでお兄さまが!? あれだけ魔族のことを……」
憎みながらも和解を模索し続けた兄は、大決心の顛末を語りながらも、どこか照れくさそうに魔竜の爪で頬を掻いていた。
「おまえにばかり不幸の星を押しつけるのも、兄としてどうかと思ったのだ。異界でも苦労を重ねてきたのだろう? これが禊ぎというわけでもないのだが……」
魔人はいびつな両腕を広げた。
「こんな兄を、おまえは受け入れてくれるか?」
問いかける彼の瞳は、荒波に浮かんだ小舟のようだった。
お兄さまが半分、魔族になってしまった。
これはアーコレード・プリザブに与えられた、最後の試練だろうか。
違う。彼女にとってはもはや、些細なことだった。
「お兄さま!」
アーコレードは兄の胸へと飛びこみ、泣きじゃくった。
「すまなかったな。私もおまえに会いたくて敵の殲滅に参加していたのだが、今日は不測の事態に遭って遅れたのだ」
魔族のたくましい腕がしかと身体を抱き、しなやかな人の手が優しく頭を撫でてくれた。兄の胸がゆっくりと息を吐くのも感じた。
「じゃあなんで、ふたりはアコと戦ってたわけ?」
ユリエが疑問を投げた。
「そりゃ、こぶしで語りあってからが一番だからだろ。協力するにも上下はあるしな。一度は勝っておかねーと」
アレンはぶっきらぼうに言った。
「戦闘民族じゃないんだから! 魔王もそれに付き合っちゃったわけ!?」
「い、いや、勝手に飛び出したのは此奴で、我は話し合う心づもりはあった。しかし、往年の苦労を語るうちに、ふつふつと怒りがだな。調和の女神のことも初耳であったし……」
言い訳をする魔王。アキラが声を立てて笑った。
「ぼくらも、ひとのことは言えないけどね。申しわけなかったよ、勇者さん」
勇者は頭を掻き、「おう」と短く応じた。
「そうだ。誰も他者のことは言えないのだ」
シャルアーティーが口を開いた。
「人魔の争いも、あまた世界に起こる紛争も同じなのだろう。女神様たちを責める権利もない」
彼は続ける。
「つい先刻、各国各種族の代表を集めた会議が開かれた。そこに、ミノリ神がおわしたのだ」
ミノリ神は三柱の女神を代表して、世界の停滞と混乱の原因を話し、ひとびとに謝罪をしたのだという。
「おふたりには早く知らせておかなねばと、それに、なんとなく不安だったので飛んできたのだが……」
魔人は光と闇の代表者を見て、ため息をついた。
「ともかく、私たちの世界はひとつとなるだろう。ミノリ神からお聞かせいただいたが、スリジェ卿が世界同士を繋ぐために、ほうぼうを回られているらしい」
「セリスお姉さまが……」
「だが、私たちのようにはいかない世界も少なくない。聞く耳を持たない連中もいれば、レヴェルに手を貸す勢力が優位な世界も現れ始めた。今こそ女神の子は、ひとつにまとまらなくては」
アーコレードは身を離すと、兄にうなずきかけた。
それから、光と闇の戦士のほうを見て「よろしくお願いします」と頭を下げた。
「はいっ! しつもーん!」
またユリエが口を挟む。彼女は挙手から、頭上を指差してみせた。
「あれはどーすんの?」
ずっと見ないようにしていたが、隕石はすでに大気にこすられ、まっかに燃え始めていた。
「今の私でも、頑張れば世界に穴を開けられると思うから、さっさと逃げる? どうせこの世界、誰も住んでいないんでしょ?」
「いや」と、魔王が打ち消す。
「せっかくだ。我らの力を合わせてあの星を砕こう。大きな試練を終えた記念だ。約束を忘れぬよう、星の欠片をおのおので持ち帰るというのはどうだ?」
魔王はなんだか繕うように早口だ。
提案に勇者が「いいね」と賛同する。アキラも乗り気のようだったが、ユリエだけが「それどころじゃないでしょ!」と正論を吐いた。
「やるなら、手早く済ませましょう!」
アーコレードは瞳に星を浮かべ、杖を構えて不敵に笑った。
……びしり。隕石にひびが入った。
落下物は割れてばらばらになり、ひとりでに燃え尽きて消え果ててしまった。
拍子抜け――いや、ひびが生えていたのは、隕石だけではなかった。
「空が、割れてる……」
セリシールの過去からの帰りを待った遺世界と同じ光景。
空はいつの間にか冷え始めたマグマのような色となり、苦しげに光を放っている。
そして、無数の亀裂の隙間からは、まっくろな炎が噴き出していた。
『サンゲの……サンゲじゃない!?』
調和の女神が叫んだ。
『すぐに逃げて! この世界、すぐにでも滅びちゃうよ!』
アーコレードは確かに見たのだった。
空が、大地が、地平線が、すべてが粉々に砕けて虚無に還っていくさまを。
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