126.遺されたものと、これから創る未来、ですわ!-01
こちこち……こちこち……時計が針を刻む音が聞こえる。
誰かの話し声も聞こえる。
甲高い声や商売文句、これは呼びこみだろうか?
――まぶしい。
セリシール・スリジェは目を開けた。
「ここは……わたくしは……?」
どこかの町の往来だろうか。
カラフルな布の日よけの並ぶ道には、商店や食事をさせる店が連なっている。
日差しが照りつけており、からっとして暑い。舗装されていない土の地面が人々が歩くたびに埃を立て、砂壁や泥粘土の家々がいっそう乾きを手伝っている。
全身を白布で覆った衣装の者や、涼しげな半袖半ズボン姿が目立つ。露出する肌は浅黒く、麦わら帽子やサングラスをつけた者も多くいた。
「おい、姉ちゃん! 荷物にもたれかかられちゃ困るよ!」
ふいに男の大声が聞こえ、自分へ向けられたものかどうかも確かめずに謝罪をして身を離す。
たくましい腕をした髭の豊かな中年男性が、こちらを睨んでいた。
「異界人さんらしいから黙っとくけど、この世界で金持ちの品を傷つけでもしたら、あんたみたいなお嬢ちゃんはすぐに売り飛ばされちまうよ」
どうやら、自分に言っていたらしい。
セリスは荷下ろし中の馬車のそばで、杖を抱きながら柱時計にもたれかかっていた。
重ねて謝罪をしてその場を離れる。大きな屋敷の前だった。
白塗りの綺麗な壁に、黄金や極彩色で模様が描かれている。
馬車から下ろされる荷物には、高価そうな絨毯や壺、食器セットを納めた木箱などが見られた。
「それにしたって、奴隷は奴隷でも天と地、いいご身分だよな。新しいお気に入りを入れるたびにこんな豪勢な品を買い与えるんだから」
「うちのかかあなら、この皿の一枚でもあれば一年はご機嫌だぜ」
荷下ろしをする男たちの雑談に、はっとする。
「お訊ねいたします。ここはいったい、どこでございましょうか?」
「どこって、偉大なる王の治める都スライブだよ。っても、異界旅行をするお嬢ちゃんからしたら、王もへったくれもないんだろうけどさ。あんた、独りかい? こんなとこに来るなんて、ものずきにもほどがあるよ」
王都スライブ。聞き覚えがある。
“千の島”と名乗る世界の代表国ワサネラム諸島国の首都だ。
文明レベルは女神の枕よりやや下、構成する種族は人間が大半で、迷信との境を曖昧にしつつも、一握りの人間と特定の種族が魔導を操る。
世界のほとんどを海が占めており、大洋には個性のある無数の島々が浮かび、交易も戦争も海の上でおこなわれる世界だ。
――今、奴隷っておっしゃっていたような……。
千の島は、環世界人道連盟の指導を受けて、奴隷商の廃止努力が宣言されて久しい。荷下ろしの男に先ほどの発言を問いただすと、首を傾げられた。
「そんな話、聞いてないよ? まあ、俺たちがまだ知らないだけかもしれないが。だけど、この世界で人の売り買いがなくなったら、俺たちは財宝探しにでも乗り出すしかないだろうな」
怪訝そうに返事をする男の横を、行列が通り抜けるのが目についた。
でっぷりと太った、いかにも科学未開人らしいカネ持ち男が、カットラスを腰に結わえた戦士をともなって、縄に繋がれてうなだれた人々を連行している。
連行されているのは、肌の色が濃く、耳の長い種族。ダークエルフやサンドエルフと呼ばれる魔導種族たちだ。彼らの縄を結ぶ腕輪は、越界流通が禁じられている“魔導狂わせの骨輪”だった。
男は行列を見ると「ほらな」といわんばかりに肩をすくめた。
セリシールは行列の立てる砂埃を吸わぬよう袖を口元にやりながら、首をひねった。
まだ聞かされていない? 奴隷商の禁止は十年以上前に約束されたことだ。
条約が結ばれても、実体として根絶に至っていないのは承知している。
千の島からの密輸品として人気のダークエルフたちは、セリスが連盟に在籍していたころにも議題にのぼったことがあった。
しかし、代表国の首都で堂々と売買が続いていたなんて。
やはり、世界が大きく変わることは……。
――違う。それはもう、過ぎた話。
三柱の女神のバランスは整いつつある。
各世界の不変の鎖は解け始めていたはずだ。
はて、何かがおかしい。
――そういえば、わたくしは今まで何をしていたのかしら?
砂塵に霞むような記憶をたどり、自身の犯した愚行を思い出す。
創造の力に異変をきたし、いっそう強くなった性欲に困り果て、愛しのフロルさんを押し倒すかどうか悩んでいたところに、荒廃した世界をさまようラヴリンを拾い、彼女の勧めに乗って、母親から受け継いだサロンのメンバーに愛の交歓をさせて、それを眺めてせめてもの慰めに……。
「せいっ! ですの!」
お嬢さまは荷馬車の角にみずからの頭を叩きつけた。ひひーん! ウマが驚く。
夢であってほしい。なかったことになりませんか。
いや、この一世一代の大失態をなかったことにするために、ミノリ神から授けられた最終宣誓を、さっそく私的に利用したのだった。
失敗したのだろうか。スリジェ家の保有する遺世界にいたはずが、なぜここに?
そもそも、自分の起こしたあやまちをまるごと巻き戻そうとしたのだから、自分がそれを憶えていること自体がおかしい。
「おい、あんた! 荷物をどうしてくれるんだ!」
荷下ろしの男が、ウマをなだめながら怒鳴った。
セリスは、ウマに蹴られて中身の食器を台無しにした木箱に杖をつくと、第一宣誓と共に願いを掛けた。
創造の光に包まれた残骸は、またたくまにすっかり元通りだ。
「驚いた。あんた魔法使いか。独りでうろつける理由も分かったけど、魔法自慢をしたいなら宮殿にでも行ってくれよ。俺は見物料は払わねえからな」
手で追っ払われ、セリスはおぼつかない足取りで、当てもなく歩き始めた。
見上げるも、太陽が全身をとげだらけにせんばかりに照っているだけで、女神の気配はない。
正気を失った自分を助け出しに来てくれたはずの相方の姿も見当たらない。
とにかく、ゲート保有国にいるのだから、帰ることくらいはできるだろう。
ワサネラム直通のゲートは女神の枕に無いが、魔導の世界や汗と鎖の世界を経由すればいい。
道すじを立てれば、心持ち落ち着いてきた。
歩いていると、麦酒やハーブの混ざったにおいが漂ってきて胃袋を刺激した。
右手にあるのは大きな料理屋だ。オーニングの下に設けられたたくさんの座席は賑わっている。
利用客の多くは現地の労働者のようだったが、高度文明から来たらしい観光客の姿も、ちらほらと見えた。
「おい、あっちで人魚の見世物をやってるってよ! 見に行こうぜ!」
「マジで!? 男? 女?」
「女じゃなきゃ誘わねえって!」
若い男たちが色めき立ち、ビールを飲みほして席を立ち、走り去っていった。
その背を見送る別の席の客が、不快感をあらわにひそひそとやる。
着飾った人間の中年夫人と、若い(若く見える)ダークエルフの娘だ。
セリスも眉をひそめる。
人魚はエルフと並ぶ被害種族の代表格だ。
海神を名乗る人魚の王の治める世界、わだつみの海が異界の海とゲートを繋げると、伝説や伝承を現実のものとすることがある。
だが、ロオマン溢れる異種族結婚譚などは絵本の中だけの話で、実際に起こるのは、美貌や不老不死目当ての誘拐と食人という惨劇がほとんどだ。
セリスも、仕事でわだつみの海と繋がるゲートを縫い合わせたことが何度かあった。
ワサネラムは噂以上に荒れているようだった。
奴隷を引きずったり見せびらかしたりする富豪と多くすれちがう。
通りの向こうでは、白昼堂々の強盗と兵士の捕り物劇が始まった。
セリスは、人道問題に腹を立てる自分がいる一方で、直近に犯した倫理的ミスを責められているような気がして、道の端のほうを小さくなって歩いた。
――実際にこれは、罰かもしれませんの。
ミノリ神の警告を無視しての力の行使。
罰としてこの世界に飛ばされたのかもしれない。
そう考えると、もう少しこの野蛮な世界に留まるのが相応しいように思えた。
「神に等しき王“カノン・カノン”様の名において、貴様を逮捕する!」
兵士が強盗に宣言をするも従わず、血が流れた。
通行人たちが王の権力の代行者に歓声をあげ、労働者はうっぷん晴らしか、強盗を罵倒した。石を投げる者もいる。
倒された強盗は、セリスですら腕力で勝てそうな痩せ男だった。
足を止め、簀巻きにされる哀れな罪人を見つめる。
「カノン・カノンなんか、くたばっちまえ!」
息もたえだえだったはずの罪人の、どこにそんな力があったか。
彼の立てた大声が、往来に一瞬の静寂を作り出した。
「陛下を愚弄したな! 陛下みずからのご執行という栄誉を得られるだろう!」
痩せ男は兵士たちに連行されていった。
彼はずっと、カノン・カノンの名を叫び続けていた。
カノン・カノン。王の名を記憶から手繰り寄せ、セリスはまた首をひねる。
人道連盟の老人には、彼のことを「過去最悪の奴隷商」と罵倒して、この世界ごとこき下ろす者がいまだにいる。
いまだに。そう、カノン王はとっくの昔に殺されたはずだ。
彼が甥の起こしたクーデターによっていなくなったからこそ、奴隷禁止の条約が締結されたはずだ。
この暴君の悲惨な末路は、父親から幼いころに聞かされていた。
セリスは通行人を捕まえ、この国の王の名を訊ね、愕然とした。
「俺はあいつみたいにバカなことは言わないぜ。あんたの世界に帰ったら伝えておいてくれよ、カノン・カノン様はすべての世界でいちばん偉大な王様だって」
通行人の男はそう言うと、王城のほうを一瞥して小走りに去っていった。
セリシールは、杖をついて支えにしようとするも、膝から崩れ落ちてしまった。
気絶しなかっただけ、まだマシだろう。
――わたくしから見て、ここは過去の世界ということ……。
やはり、これは願いを濫用した罰なのだろうか。
父から受け継いだ時戻りの杖。時計型の飾りがにじみ、ゆがんだ。
セリシールは人目もはばからず、さめざめと涙をこぼしながら道を歩いた。
杖に頼り、ブーツを引きずるようにして、通行人ともぶつかりそうになる。
こんな人道未開の地でも、心配してくれる人はいるようだったが、言葉は耳を素通りした。
この世界、いやこの時代には、自分を知る者はいない。
人目も気にせず泣き歩いたのは、ものの十分かそこらだったが、セリスは女神を求め、「ひとりぼっちの罰はもう充分です、元の時間に返してくださいまし」と天を仰いだ。
陽気な声は聞こえてこない。
いつもは盗み聞きや盗み見を好む女神に対して、少し腹が立ってきた。
――でもでも、もしも、これがミノリ様の企図なさった罰でないとすれば?
照りつける陽射しが反転したかのように、身体が芯から冷えた。
帰る手段がないのではないか。
創造の女神は時をさかのぼる、やり直すことも司っている。
だが、時を進めたり風化させるほうは、破壊の女神の領分だ。
これが事故によって起こった現象なら――封印の解けかかったミノリ様肝入りの眷属が、最終最大の宣誓をもって、この国宝級の杖で願った結果なら――この時代において、相反させるだけの現象を起こせる者は存在しないはずだ。
また崩れ落ちる。
いや、また崩れ落ちたかと思った。
動揺に反して、セリスは杖にも頼らずに立っていた。
――帰らなくてはなりませんの。
大切な人の顔を思い浮かべると、膝は折れるどころか、巨人やオーガのようにたくましくなる気だってする。
「いとしのきみ」は彼女なりのやり方で自分を受け入れてくれたのだ。
ミノリ様だって、怒ったり落胆したりはすれども、完全に見切りをつけることはないはずだ。
もちろん、この時代にフロルはいない。
産まれていても、破壊神の寵愛はまだ弱いだろう。
それでも、帰る当てがまったく無いわけじゃない。
セリスは最近、あまり顔を見られなくなった妹分を思い出す。
アーコレードは宇宙の旅で、異なる時間の流れを経験している。それに、異世界の中には一日の長さが多少違うものもある。
科学技術や数学者の力を頼れば、元の時代にだって帰れるはずだ。
――でしたら。
セリスは周囲を睨むように見回した。
自分がすべきことは、元の時代に帰る手段を模索しつつも、相方や女神を失望させないよう、清く正しく、そしてたくましく振る舞うことだ。
それが、あやまちへの贖罪。
セリスはまたも通行人を取っ捕まえると、ゲートの場所を訪ねた。
ちょうどいい。獣人世界とつながるゲートが、港から見える離れ小島にあるらしい。その港では、人魚の見世物もやっているという。
――いっぱつ、がつんと注意してやりますの。
袖をぶんぶん、のっしのっしと大股で歩く慈愛の当主。
彼女の愛を止められるものは、この次元のどこにもいないだろう。
ところが、セリシールは波止場の人だかりに近づくなり、電池の切れたロボットのように硬直した。
先客がいたのだ。
人魚の不当な持ち主は、男性に杖を突きつけられ両手を上げており、桶に囚われた海の美女は、黒髪の女性に優しく頭を撫でられ、その着物の袂に頭を預けて塩辛い雫を流している。
セリシールは、その義憤と慈愛の行為を見つめ、親愛をこめてこう呟いた。
「お父様、お母様……!」
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