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119.夢の続きを-08

 いつか見た夢と同じ光景。……いえ、この研究所で飼われていたころの。

 わたしの手首には枷、壁から伸びる鎖がついている。

 行動面では職員たちに従順だったはずだ。ただ、愛想が悪いからという理由でよく繋がれた。

 気に入られすぎたり、泣きわめくほうが何をされるか分からなかったから、あれでよかったのだ。


 基本的な教育を受けながら、ときおり実験棟に連れ出される日々。

 実験といっても、薬を打ちこまれるわけでもなく、身体にメスを入れられるわけでもなく、まっしろな部屋で、ただ椅子に座って観察されるだけ。

 だけど、触れられてもいないのに、何かが自分の奥に入ってきて、くすぐっているような、逆撫でるような感覚があって苦手だった。

 いや、触れられていたのだろう。たましいに。


 ほかの子よりも、頭がよかったんだと思う。

 どうすれば職員たちを怒らせないで済むかよく分かっていたし、ほかの子たちを差し置いて雑用やまとめ役をやらされることが多かったから。

 姉のように慕ってくれる子もいたっけ。あの男の子はどうなっただろう。


『お姉ちゃん』


 いつの間にか、鎖が外れている。

 細くて白い腕を見つめる。わたしは確かに、あのころのわたしだ。


 たましいの実験のために、各世界から集められた子どもたちとの生活。

 いろいろな子がいた。ただの人間、魔術の使える子、エルフのような人種、獣人や魔族のたぐいもいたように思う。

 わたしたちは子どもだったし、ここで生まれたり、造られた子も多かったから、見た目や力の違いで差別するようなことはしなかった。

 もちろん、多少の喧嘩はしたけど、恐ろしいのはいつも職員たちだった。それに、職員を束ねる、おじい様。

 おじい様はここのリーダー、つまりは所長だったけれど、誰からも好かれていたわけじゃない。

 自分の部下たちにも、不死身や肉体改造を禁止していたから。許されていたのは警備専門の連中のみ。それに関して職員たちが不平を言うところを、聞いたことがある。


 そのうちのひとりだったのだろう。わたしを逃がしてくれたのは。

 七歳の誕生日を迎えた日、午後からおじい様の部屋に招かれていた。

 わたしは怖かった。おじい様とふたりきりなのが怖かったというのもあったけど、七歳の誕生日を境に、二度と戻ってこない仲間がいることに、気づいていたから。


 わたしはいつも通りに実験棟で椅子に座らされ、そのあとから、おじい様は上機嫌になった。

 彼の喜びようといったらなかった。ふたりきりの祝いの予定を変更して、ほかの子どもたちもいっしょにパーティーをすることに決まったほどだ。


 戻ってくることができたのが嬉しかった。仲間のそばは、とても安心できた。


 ところが、ほかの棟で爆発事故が起きた。職員たちが慌ただしくなり、パーティーは始まらず、わたしたちは放っておかれた。

 それまでにも、こういうことがなかったわけじゃない。

 事故はたいてい、「脱走者」か「お客さん」のどちらかが引き起こす。

 わたしは、職員たちが忙しそうなときはおとなしく個室にいることが正解だと知っていたから、ベッドの上に座っていた。ほかの子たちは大部屋か中庭にいたと思う。


「四〇四、ここにいたのか」


 職員の人がやってきた。わたしたちを躾けるときに怖い話をしたり、注射器を見せて脅かす彼だ。好きではなかったけど、殴らないぶんだけマシな人。

 彼は怪我をしているようだった。血が流れていた。


「事故に乗じて被験者たちの脱走が起きている。きみも逃げるんだ。きみは、ほかの子よりも出来がいい。きっと、生き延びれるはずだ」


 彼はわたしを壁の前に立たせると、懐中時計を取り出して、ねじを巻いた。


「ぼくらは道を誤った。女神たちよりも、残酷なことをしている。きみは、ぼくらみたいな人間や、身勝手な女神なんかじゃない、優しくて正しい者に仕えるんだ」


 彼は、わたしを突き飛ばした。

 うしろは壁のはずが、身体が、がくんと、どこかへと落ちた。

 わたしは行きたくなかった。

 遠くで「お姉ちゃん、どこ?」と、呼んでいる声がしたから。


 それから、わたしを逃がした彼は、最後にこう言って笑っていた。


「ハッピー・バース・デー」



 ……。



『ハッピー・バース・デー、ヨシノ』



* * * *

 * * * *


 砕けたガラスの天井、地面から立つ青臭い香り。

 そばでは大きな毛玉が背を向けている。

 ヨシノは大きく息を吸いこみ、「お嬢さま!」と声をあげた。


「意識が戻ったじゃと!? ありえん!」

 老人は腕の端末を操作した。

「無い。保管次元に四〇四のたましいが、無い。ならば、どこに……?」


 老人はこちらを見ると薄笑いを浮かべて「そこか」と言った。


「バケモノからヒトに生まれなおしたわけじゃな。やはり失敗作だ。じゃが、あのとき言いそびれた言葉を言うには相応しかろう。ハッピー……」


 老人の口から歯が飛び出す。人を殴っているという、確かな痛みがヨシノのこぶしに伝わる。


「痛っ……!」

 ヨシノは顔をゆがめる。足の裏にも激痛。何かが刺さった。ガラス片か。


「起きたのか!? これで全員いっぱつづつ殴れたな! じじい、おまえも年貢の納めどきだぜ!」


 ヨシノは痛みによろめき、肉体に痛覚の遮断とガラスの排出を命じる。


 ――……!?


肉体がいうことを聞かない。呻きをあげながら、素手でガラスを引き抜く。


「何やってんだ?」

「ガラスが、刺さってるみたいだ」

「そんくらい平気だろ?」

 インファとボッコーがこちらを覗きこむ……も、慌てて背を向けた。

「っつーか、変身でもなんでもいいから、身体を隠してくれるとありがてえんだが。俺たちも、今はこんななりだが、もとは人間の男だしよ……」


 痛い。傷が、塞がらない。

 硬化させていたはずの肌も、ただの白い肌に戻っており、身体を隠すものは何一つ無かった。


「肉体操作の力が使えない。不死身じゃ、無くなった?」


 次の瞬間、ヨシノの視界が赤く点滅した。二回、三回。

 それから、血のにおいと、髪や肉の焦げる悪臭が鼻を衝いた。


「悪いが、お別れの言葉を聞いてる余裕はなくなったみてえだ」

 インファが、倒れた老人に向かってレーザー・ガンを向けていた。

「俺たちの恩人を危険に晒すわけにはいかないからな」


 もう一発。


 所長はすでにこと切れていた。頭部、頚部、胸部、腹部は肝臓の位置。

 女神への反逆者の肉体は泡立つこともなく、ただ血の海を広げている。


「元に戻ったんなら、よかったじゃねえか。おい、ボッコー。おまえの腰巻を貸してやれ。俺たちのお姫様をエスコートするぞ」

 インファが銃を腰のホルスターに戻しながら言った。


「も、もちろんだ兄貴」

 大ネズミは、こちらをちらっと盗み見した。目が合う。

 彼は慌てて顔を逸らすと、腰巻を外して投げてよこした。


「ありがとうございます」

 ヨシノは大きな布地を身体に巻きつけて、簡易ドレスを作り上げ、巻き方を教えてくれたあるじを思い浮かべた。


 ――フロルお嬢さま。


 復讐は果たされた。しかも、あのかたと同じ、まっとうな人間になった。

 きっと、お祝いしてくれるだろう。

 ヨシノは抑えられなくなり、両腕をあげて跳びはね、「やったあ!」と叫んだ。

 インファとボッコーは顔を見合わせたが、彼らも笑顔になり、「よっしゃあ!」と「やった!」で続いた。


「さてと! ずらかるか? それとも、ほかのやつを助けるか? あの竜人みたいなやつだったら、勘弁だけどな」

「子どもたちが気になります。わたしと同じようにされた子たちが、ほかにもいるはずですから」

「よっしゃ、そんじゃガキンチョどもを助けて、レヴェルの連中に中指を……」


 インファが首をぐるんと変な方向に向けて、視界の右へと流れていった。

 彼は草の地面をバウンドし、廊下と庭を仕切るガラスを砕き、白い壁にぶつかった。


「兄貴!」「インファさん!」

 しかし、ふたりの心配よりも大きな、別の声が遮った。


「おじい様!」

 患者服のようなものを着た人間の少年だ。

 彼は老人の死骸にすがり、衣服や手のひらをまっかに染めていた。

「よくも、おじい様を、殺したな!」

 彼は立ち上がり、こちらを睨んだ。


「おまえたちも殺してやる!」「ダ、ダメだ!」

 ボッコーがあいだに割って入るが、腕のひと振りで弾かれ倒れる。


「もしかして、あなたは四〇五ですか?」

「だったらなんだ! 殺してやる!」


 つかみかかられる。


「わたしは、四〇四。憶えていないの?」

「四〇四……?」


 少年の動きが止まった。

 それから、憎悪が彼の肉体とともにめきめきと音を立てて大きく膨れ上がった。


 ――わたしと同じ、バケモノ。


 いや、もう違うか。

 バケモノになった少年の、血管を浮かせた巨大で暴力的なこぶし。

 これに握られれば、ひとたまりもないだろう。


「ぼくを見捨てた、お姉ちゃん」


 言葉が突き刺さる。ガラス片よりも深く、深く。


「違う、わたしが見捨てたわけでは……」

「ぼくたちを捨てて、外の世界に行ったお姉ちゃん」

「捨ててなんか、ない!」


 巨大なげんこつに毛玉がかじりついた。

 ボッコーが前歯を突き立てている。


「痛い! やめろっ!」

 振り払われ、木へと突っこむボッコー。

「お姉ちゃんは、外で何をしていたの?」


「わたしは、フロルお嬢さまにお仕えしていました」

「そいつは悪い奴だ。ほかの世界にも、行ったの?」


 ゆがんだ顔が傾き、手首ほどある指がヨシノの胸を、ぐいと押す。


「行きました。色々な世界を、見てきました」

「それは悪い世界だ。お姉ちゃんは、悪い奴だ」


 指が持ち上がり、視界を覆う。


「違う! あなたももう、ここに縛られる必要はない。だから、落ちついて」


 言葉が届かない。常識が違う、世界が違うのだ。

 いくつもの世界を見てきたわたし。誰かと相容れぬとき、最後はいつも力に頼ってきた。

 それはヒトではなくケダモノの手段。だが、ここにいるわたしは、ヒト。

 罪深き、女神の子。


 ヨシノは首を振る。

 ――わたしの神は、女神様じゃない。わたしは……。


「おまえは、悪い奴だ」

 指がどけられ、裁きの鉄槌が振り下ろされた。


* * * *

 * * * *

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